第六章 マディソの第七王女エレンツェ①
「とりあえず、俺一人は怪しさしかないな。誰かの使用人にでも化けれれば調査もしやすいが……」
アディの城と違って、この空間はあまりに広く、入り込んだ空間だ。
洞窟ではあるが、迷わないよう彫刻などの凝った装飾や目印も多く、普通の単純単調な洞窟と侮ってはいけない。
そんなすぐ傍の、大きな吹き抜けの縁を指でなぞりながら、周囲を見渡すクレス。
「指に砂どころか埃すら残らない、落ち葉も綺麗に取り除かれた廊下……。掃除は細かなところまで行き届いているようだな。アディの城とは違ってこうも広いというのに、一体誰が?」
様々な角度からこの場での生活のイメージを固めていく。
貴族の身の回りは基本連れてきた使用人が行うとして、塵一つ無いピカピカの宿舎は誰が手入れしているというのか、疑問は膨れ続ける。
「使用人は必要最小限とアディは言ったな。ならばその少数の誰かが?」
あの兵士達の態度から、使用人にも良い印象は持っていない。
貴族が連れてきたと言うのなら、尚更に。
ならばどこかに仲間が紛れている可能性が極めて高いはずだろう。
「厨房はどこだ? 見つければ大凡の人間の流れを掴めるはず。敵味方も判別しやすいしな」
この広い宿泊所には応接室から多目的スペース、広い厨房に至るまで様々なサービスに富んでいて、その充実度には驚くばかりだ。
このアディの本気には流石に参る。
「痒いところに手が届くサービスとはこのことか? 普通、ここまで人の心に精通するのかよ」
改めてアディの凄さが全面に押し出された構造と設計に、唖然とするばかりのクレス。
周りを見て脱帽しながらこの芸術的で広い空間をゆっくり歩く。
「おい、お前! 一体どこの者だ? さっきから同じところをウロウロとッ!」
完璧な造りの洞窟に魅せられたあまり、近くにいた兵士の目に留まったようだ。
あの闘技場の出来事から、殆どの人間に認知されただろうとばかりと思っていたが、警備にまで浸透しきれていなかったのは、クレスの詰めの甘さが表に出た出来事。
ならば名前と身分を言えば、解決できる問題かも知れない。
そう判断して兵士と話を詰めようとした時、思わぬ人物から救いの手を得る。
「待ちなさい! その者は私の使用人ですわ。私用を言い付けたのですけど、なんせこの館は広すぎですわ。全く、苦労して探したのよ。理解できたならソレを私に返しなさい!」
「は、はい! エレンツェ姫!」
一人呆然と、自身の身に何が起こったのか、すぐに理解出来ないままのクレス。
驚き戦く兵士の間を通り抜け、ピンッと正された背筋を屈めることなく、前を向いて堂々と歩き進み、正した姿勢のまま横切る瞬間、エレンツェは小声でクレスに語る。
『何も言わずに私の後について来て下さいな。貴方の知りたい情報を差し上げますわ』
突然の転機。
どうやらこの姫はクレスの存在を本当の意味で認識しているようだが、クレスにとっては初めての顔合わせ。
一方的に顔を覚えられた可能性が一番高いが、わざわざ助けた行動の真意も読めなければ、言葉の信憑性も危うい。
しかし何らかの理由があるからこそ、この姫はクレスを助けた。
恐らく、エレンツェに賭ける方がきっと有利に働く、そんな確信もない無謀な判断がクレスを突き動かした。
***
「全く、無謀にも程がありますわ、分かっているのですか? クレスッ!」
つい先ほど出会ったばかりの姫に、なぜかコテンパンに叱られるクレス。
整理できない情報が多すぎて、こんがらがる頭でエレンツェ姫を前にしっかり正座で姿勢を正し、心から猛省しながら、初対面の姫の言葉一つ一つに真摯に向き合う。
「いくら〈アディお姉さま〉が捜索を了承したからと言って、まさかあんな安易なやり方で中間層を回るだなんて。貴方はこの国の根幹に触れない方が利口ですわ、早くお帰りなさい!」
「あ、アディ、お姉さま……、だってぇ?」
唐突に言い表された意外なお姉さまの敬称。
あまりの衝撃で思わす叫ぶクレス。
「あ、アンタ、アディじゃないのか? てっきりアディが嗅ぎつけて助けたのかと……」
「あのね、お姉さまはとてもお忙しいの。これ以上お仕事を増やすような真似はしないで頂戴!」
飽きれてものが言えないを体感するような、そんな態度で困りかねるエレンツェ。
しかしクレスにはこのエレンツェの素性がイマイチ理解できないのだ。
「し、しかしアディには味方が誰もいないと……。だと言うのになぜ? お前は誰だ?」
「……誰か一人、忘れてなくて?」
勿体ぶるように話すエレンツェだが、クレスに思い出せる人物など存在しない。
なによりエレンツェのような華やかな装いの人間など、アディ以外で知り得た試しがないのだから。
「まったく。仕方ないとはいえ、本当に思い出せないのね。私よ、私。ランディよ!」
「……は?」
一体どんなカラクリが飛び出すかと思えば、この可憐な姫があの赤子の猛獣、ランディだと主張してくる。
そんなクレスにもランディに対しての、疑問が改めて脳裏に浮かぶ。
「た、確かに。一ヶ月は傍にいたのに、成長が一切感じられなかった。ていうか……」
少々申し訳ないと思いつつも回想せずにはいられない、ランディとエレンツェの違い。
「ちょっ、ちょっと! そんなジロジロ見ないで欲しいわ、見世物じゃなくてよ!」
どう考えても、どう思っても、どう繕っても、ランディとエレンツェの共通点が結びつかないのだ。
目の前のエレンツェは仕草から言葉使いを見ても、教養を身に着けた、高貴な身分にしか見えないのだから。
対してランディはというと、自由奔放で喜怒哀楽がハッキリとしている、まさにわが道を行く子供、というよりも更にしっくりさせるなら赤子そのもの。
「ふ、普段どう過ごしているんだ? ずっと俺といただろ?」
「それに関しては貴方が就寝中の内に行動していましたのよ。クレスがよく目立つ故に、とても仕事が捗りましたわ。本当、それに関してだけお礼を言いたいくらいに、ですわ」
「そ、そうだったのか? いや、それにしても、しかし……」
一体誰が、どう見て、同一人物だと判断できると言うのか。
そして何よりも。
「悪いが、お前……、本当に、お、女、だよな? だってランディは……」
「ス、ストップ、ストップ、ストッープ! ですわ!」
顔を真っ赤にして後に続くクレスの言葉を遮るエレンツェ。
明らかに動揺しながら、適切な言葉を間違えないよう考えを捻り出し、真実を静かに素直に、小声で伝え始める。
「わ、私、ランディとは姉弟とも言えますし、お互いお友達でもありますのよ。私と共に一つの体を共有する、いわゆる、その……、め、珍しいのですけど……、」
「体を共有……? まさか俗に言う二重人格、とか言うやつか? いや、ん?」
心底恥ずかしいそうな顔をしたかと思えば、今度は悲しそうな顔をするエレンツェ。
「私たちも原理は分かりませんの。どちらかの意志が強く尖ると姿も、身体の構造もまるで別のものになって、その時々の適切な行動ができてしまいますし……。だから私たち、元々は違う身体で生まれ出てくるはずの、全く異なる種族の生物だったのではと認識しましたわ。なにより、ランディの精神年齢は人間言えばまだ三歳程度の赤子のようなものですし」
「なるほど。身体の共有に加えて、性別と生体の垣根を越えた変身、か……」
「何か知ってますの? この厄介な問題が解決できるなら、是非教えて頂きたいですわ!」
クレスにランディと告げられた時ほど驚く様子はなく、むしろ何かしら経験があるとでも言いたげな態度を示すクレスに対して、エレンツェは藁にも縋る想いが表情に表れている。
「エレンツェ姫! これ以上男との密会は姫様に毒ですッ! 高貴な殿方ならまだしも、相手は汚いドブネズミ。ここの噂の広まり方は異常なのですよ、身の保身にご尽力下さいッ!」
切実なエレンツェを前にして、丁寧な言葉で説明しようとするクレスの耳に、ドア越しにそれはそれは大きな怒声で、エレンツェに対して鋭い言い回しで忠告を促す者がいる。
今現在、クレスとの身分と性別では、特にエレンツェにとってどう転んでも他人の目からは百害あって一利なしと思われるのは至極当然だろう。
もちろん当然なのだが、一見エレンツェの身を心配してるように見えて、どうも釈然としない言葉の選び方と怒声にクレスの勘が騒ぐ。
『おい、コイツ仲間なわけじゃないだろ? まさかずっとお前に張り付いてんの?』
『この方は館の筆頭女中頭ですわ。なにかと私の行動を監視してきますの』
『なるほど。あらぬ噂を荒立ててるのは一体どっちなんだって話だよな』
一見すればエレンツェを心配して気に掛けているように見えるも、クレスにしてみればただの執拗な監視と単なる噂製造機。
しかもかなり用意周到で、非常にネチネチしたもの。
「エレンツェ姫! 聞いておられるのですか? 風紀を乱されてはこの部屋の、いいえ、ルネの評価に深く関わりますッ! 男を出しなさいッ! エレンツェ姫ッ! 姫ッ!」
遂になりふり構わない発言に変わる女中頭。
激しく怒鳴る声でエレンツェの顔が青ざめる。
『エレンツェ、今、ランディを出すことは可能か?』
『で、できなくはなくてよ。でも、それでどうなると言うのですの?』
『この場を切り抜けるいい方法がある』
急かすクレスの提案をエレンツェと共有することで、彼女の中に眠るランディを呼び覚ます。
それは厳かな変貌だった。
黄金の細胞が分散したかと思えば、細胞を限界まで縮小。
白銀にキラキラと光る毛並みのホワイトライオンへ、心と体、全てが別人に入れ替わる。
『やはり、俺の考えに間違いはなかったか……』
突然目の前に広がるクレスを見つけて、嬉しそうにすり寄るランディを抱きかかえたクレスは、寝室用に仕切られたカーテンを豪快に開いたかと思えば、今度はゆっくり閉じる……。
「エレンツェ姫! エレンツェ姫ッ! 姫ッ、いい加減になさいッッ!」
相変わらず扉にのさばる女中頭へ、堂々とした態度で扉を開けたのはクレスだ。
「申し訳ございません! 女王陛下お抱えのランディさまが、この部屋に入り込んでしまいまして。女王陛下にご報告の後、どんな罰も受けます故、少々お待ち頂きたいと……」
唐突に一見筋の通ったように聞こえる、真摯な言い訳と謝罪と。
平然としたままのクレスに驚く女中頭ではあるが、この程度で引く選択など無い。
「ドブネズミがッ! ここは由緒正しきエレンツェ姫のお部屋であるぞッ! 男が入り込むなどとただで済むとは思うなッ! エレンツェ姫の貞操にも深く関わる一大事だぞ!」
「実はそのエレンツェ姫さまにもお許しを頂きました。ランディさまはまだ腕白盛りであって、赤子とはいえランディさまは猛獣でもあります。エレンツェ姫さまの柔肌を引っ掻けこそすれば一大事。状況を察して頂き、少々奥に離れて頂きました。これが経緯でございます」
淡々としたクレスの説明ないし言い訳を聞いて、勝ち誇った顔をする女中頭。
「ならばエレンツェ姫を呼びなさい! できるだろう? まさか無理などと戯言を……」
クレスは終始にこやかな表情を崩さないまま、女中頭の勝気な態度に最大の盲点を突く。
「私ならここにいますわ」
寝室の天蓋からゆっくり優雅に、気品を纏って姿を現したのは、驚くことにエレンツェ。
この場で一番驚きと困惑が隠せていないのが女中頭だ。
この状況を飲み込めず、頭が上手く回らない状態を表情で克明に表現していて、完全に度肝を抜かれているように見える。
「ランディさまは女王陛下のご愛獣。私がランディさまを刺激してしまって、お互い血を見ては元も子もないですわ。ですから、専属のこの者の判断に従ったまでですわ」
「ただ扉を閉め切ったのは判断ミスです。エレンツェ姫さまは婚姻前の女性だと言うのに」
「あら、お前の判断は結果がよろしくてよ。女中頭が罵声を出したせいでランディさまが怯えてしまいましたもの。淑女たるもの常に余裕を持たなけばいけないのは一体どちらかしら?」
か弱さな見た目からは想像もつかないほど、見下げた目で女中頭に重圧を掛ける。
「さ、左様でございましたか。男は女王陛下に送ります、お引き渡しを」
「……言われなくとも分かっていることよ。この者を丁重に扱い、女王陛下に届けて頂戴」
クレスとエレンツェは思う。
この過程から、女中頭は明らかにエレンツェとランディが同一人物だと理解しながら、故意に騒動を起こしたのだと。
同時に、クレスを監視していた線も浮上する。
その傾向から、この女中頭はアディの言う敵の間諜の可能性が大いに高まった。
そんな二人の見解が明確になった矢先で、エレンツェとは早々に離れ離れとなる。
当のエレンツェは窓の方向を向いたまま、クレスと目を合わせようともせず、ただ空を見るばかりだ。
そんな重々しい雰囲気の中、ランディだけが無邪気なまま、クレスの腕の中で揺られて、マイペースに大きなあくびをする。




