第五章 思惑渦巻く、魅惑の国①
この国が通称〈天子の揺籃ルネ〉と呼ばれる所以には。
真水が常に通り、海もすぐそばにある故、資源も豊富で、なによりその資源の利用方法が実に画期的で、衛生面に特に優れている点が上げられる。
非常に高い技術と無駄のない循環を誇る未知の国、それこそがルネだ。
この国の一番最先端なところはすべての部屋のサニタリー設備が充実していて、特に女性の心を掴んで離さない。
設計もよく練られていて、断崖絶壁を有効利用するためにひな壇建築を採用しており、一番下の広い敷地に闘技場、中段各所には貴族御用達の高級宿泊所が占めていて、深緑生い茂る上段にはアディの書斎を中心に部屋が揃っていて、上手く組み立てられている。
そんな高い技術とそれ相当の巨万の富を得る国だからこそ、こぞって女王陛下宛てに届く書簡が山のように寄せられる。
時に事業開拓の勧誘から投資の願書も届くが、その中でも特に多くを占めているのが、《アディへの求婚》だろう。
アディは見た目こそ少女のようでも、達観した思考と多方面に優れた能力を持つために、常に色眼鏡に晒されて、不名誉な関心にも晒されている。
つまり書簡の殆どがアディの資産目当ての、身勝手な大人の愚かな企てだ。
「こうもあからさまな欲を曝け出した書簡を送れるものよ。子ども扱いも大概だな」
「おい、アディ! 岩の隙間に綺麗な花が咲いていた! でもこの環境では満足に育たないと思う。屋上に植え替えてもいいか? 仲間がいればきっともっと元気に育つぞ」
下心に溢れる内容に一人頭を抱えるアディの耳に入った、クレスの発言に癒される。
「それは別に構わないが、……お前に救われる命も感慨深いものな」
「地獄は全生体の命が交錯する場所だったからな。小さな雑草すら生えていない殺風景な場所さ。大体、草木に限ったことじゃなく、誰かの手によって育てられることでしか生き長らえない命だってある。だから花は誰かに興味を持ってもらうために、綺麗に咲こうとしていると思わないか? 俺たちみたいな奴に見つかって、子孫繁栄をもたらすためにさ」
クレスがアディの下で働き始めてから、早いもので一ヶ月ほど経つ。
この期間でプロ並みに腕を上げたクレスが、相変わらず赤子のままのランディを背負いながら、遊び相手からお守りまで完璧な仕事をこなしているのだ。
「しんどい仕事ばかりこなしてもらって恩に着る」
「ああ、ランディなんて地獄の支配人に比べれば全然、大人しいものだな」
「…………」
「ん? 俺、何か、おかしいこと言ったか?」
アディの表情は、明らかにクレスに対する同情で溢れている。
「ま、まあ、想像以上に呑み込みが早いからな。いいだろうクレス、お前に重役を与えよう」
「やっとか! 地味に一ヶ月掃除に邁進した甲斐があったぜ!」
コツコツ積み上げた信頼が実を結び、思わずガッツポーズで喜ぶ。
「お前もこの一ヶ月、この国の異常さに気付いただろう。この国で我々が信用に値するのは、自身とランディ、そしてクレス、お前くらいだ。必要に駆られて建てた国とは言え、私の失脚を期待するだけの愚かな者達に四方八方囲われたことで、身動きもままならないこの状況を打破するための協力をしてくれると有難いのだが……」
アディが明かす、責任重大な立場と国を動かすために奪われた、一人の人間としての自由。
「そりゃ時折開催される闘技場と、この書斎への往復だけがアンタの移動範囲だからな」
この一ヶ月、アディだけが闘技場の観賞に呼ばる毎日。
アディが頑なにランディとクレスを連れて行く選択を拒否した結果だ。
吐く発言は常に辛辣でも、本心は愛と優しさに溢れている。
「しかし雑草むしりの雑用係からの重役は、流石に出世させすぎじゃないか?」
重役が重荷になっているわけではなく、唐突な飛び級出世は、周囲の攻撃性を一気に高める要因になるだろうと考えたからだ。
このルネ特有の気持ち悪い雰囲気から想像すれば尚の事。
つまりはクレスの優遇を問題視して、アディの立場に口出しするだけでなく、失脚まで目論む輩も出てくる可能性があるということ。
それをクレスは一番危惧している。
「ふっ、ただの草むしりとは訳が違うだろう。ランディの世話まで抱えてるのだからな」
クレス自身が己の有能さを理解するのは、まだまだ先なのだろうか。
「そう委縮しなくともよい。このルネには国民という概念は曖昧だ。なぜなら明確な住民よりも、他国から押し寄せた観光客が圧倒的に多いのだからな」
「た、確かに……」
クレスも伊達に一ヶ月を過ごしてきたわけではない。
ある程度の人の流れは見てきた。
「観光客と出稼ぎ商人が大半を占めるルネには身分証明書を発行し、徹底的に管理をしてきたつもりだ。しかし私一人では管理は行き届かず、不正が横行している現実は無視できない」
「アンタが書斎と闘技場を往復している間に、誰かから内情でもかき集めてるのか?」
書簡はその時々にアディの手に渡るものだが、闘技場から帰ってくるアディは基本、山のような書類を抱えて持って帰ってくるのだ。その中に外の情報を忍ばせているとクレスは踏んだ。
「そう何でも言葉に出すのは関心せん。雄弁が利口と言えないのが世の中なのだから」
「あ、……な、なるほど」
この発言でアディが常に何者かの監視下に置かれた、危うい状況の真っ只中という事実を汲み取るクレス。
ただそんな辛く厳しい身の上を受け入れてまで、アディはなぜルネの女王陛下に収まることを選んだのか理解に苦しむ。
その身を粉にしてまで、底の知れない欲を満たすことしか考えない輩に憩いの場を提供しているのは事実なのだから。
「……私を、軽蔑するか?」
クレスの心を見透かしたように、アディの表情は哀愁に満ちている。
「い、いや。確かに分からないことは多いが、アンタは誠実だと判断してるつもりだ。……ただ、アンタの立場や心労を考えないで、好き勝手想像したことは反省している、ごめん」
「人間とは本来そういう生き物だろう。一番は自分で考えることを止めた時が己の魂を売った時と私は考えている。まあ、単刀直入に言おう、お前には間諜の目星を付けて欲しい」
様々な感情渦巻いているだろうアディは、ここで初めてクレスを頼る。
「間諜? 悪いが正直、皆が皆、漏れなく怪しいのだが?」
アディの指示でこの一ヶ月の、数々の醜態を晒した使用人達を思い起こすクレス。
基本草むしりが役目だったとはいえ、ランディの風呂で度々鉢合わせた使用人の態度といえば不躾で露骨なものだった。
差別意識を隠す素振りも見せず、大っぴらに。
「そうだ、それぞれが強烈な思想の持ち主ばかりだ。そんな中でも特別狂暴な人物がいる。頭が切れて実に賢く、その凶暴性も上手く隠しているように思う。私の地位を狙ってな」
「アディの地位略奪? この国の天地がひっくり返るような大事だぞ?」
「他人のモノが良く見えるのは世の常だろう。奪った瞬間が達成感に満ちるも、その後のことなど何一つ考えてないのも常だ。結局は欲を満たしたいだけの自己満足に過ぎない」
アディのこの発言で、闘技場は盤石な地位を観光客に見せつけるだけの威厳と考えていたクレスだが、アディに歯向かう輩を牽制するための威嚇と捉えるのが正しい判断と思い直す。
アディを知った今、闘技場が自慢のために造った建造物とは考えられない話になったが、例え弱肉強食の世であったとしても、アディのこの選択は悪魔に魂を売った行為そのもの。
ならばアディにはそれを覚悟してまで叶えたい目的と理由が存在していると考えられる。
「クレスよ、お前が危惧した通り、この国で突然重役を与えるということは様々な感情をぶつけられるということ。常に気を張ってなくては泥濘に呑まれる。私にはお前を助けることは疎か、ミスをカバーする余裕すらもない。お前の判断がルネの運命を左右させるのだ」
想像の範疇を超えた相手に対して難しい役目を任されたクレスではあるが、地獄でも任されたことのない、初めてのやりがいある任務に大いに意気込む。
「アディ、仲間はランディだけじゃないんだろ。絶対俺も助けになるから、これからは一人で解決しようとするな。人を頼って良いんだ、どんな判断を下そうと俺は味方だ、安心しろ」
クレスの言葉にアディの目が見開くものの、何か悲観した眼差しで助言を言い渡す。
「そのような言葉は大切な誰かに捧げる発言。私などに対して簡単に言ってはいけない」
「アディはすでに家族も同然だ。俺たちは互に欠けて進めない存在になった、分かったか?」
真剣な眼差しの、その目の奥に未来を映して、アディの瞳に映るクレスの表情。
「フッ、これは我々の切っても切れない性か。自身を犠牲にして誰かを守るなど、本当、大馬鹿者の考えることだ……」
「ん? なんか言ったか?」
「いいや、気のせいだろう」
真剣な顔から唐突に浮かない表情へ。
アディの心情の複雑さを心配してか、ランディはクレスの背中から頭へ一気に駆け上り、アディを心配そうに見つめている。
「おい、ランディ! 重いだろ!」
クレスにじゃれるランディに安堵を得て、アディは自身の元へランディを寄せる。
「お前一人で行動した方が色々面倒事が減る。成果があろうかなかろうと人生の糧になる任務だ。お前の出世の知らせは瞬く間に広がるだろう。だが私がお前に地位を与えても、貴族達にとってはお前は奴隷のままの立場を忘れるな、それさえ分かれば好きに行動に移すといい」
「分かった。赤ん坊のランディを連れて行くわけにもいかないしな、じゃ、早速!」
一度手を合わせて申し訳なさそうにするが、そのまま窓の外へ背中から落ちていく。
強引さが目立つが、いやらしさは存在せず、終始判断の早いクレスは軽やかにいなくなった
「……ランディ、クレスは本当に面白い生き物だな」
ランディの頭を人差し指と中指だけで丁寧に、優しく撫でるアディ。
気持ちよさそうに目を細くするランディは、久々のアディの腕の中で安らぎを覚える。




