第三章 天子の揺籃ルネ①
「マズった……」
あの嵐のように現れては、嵐のように消えた謎の少女をカウントしないとすれば、支配人以外で誰かとの接触に加え会話を交わすのも本当に初めて。
普段から地獄の支配人の自由奔放さが際立ち、本音が漏れるのも日常茶飯事な日常でも、人に対する偏見と抵抗は殆ど持っていないのがクレス。
それもそう。
支配人から徹底的に社会の本音と建前を学んだからこそ。
しかしゾロゾロと歩く人間の列の中にクレスの存在はあって、両手は縄で頑丈に絞められており、どこかへ護送されているこの状況。
もちろん、これには深い深い言い訳がある。
クレスにとって支配人との接触と、地獄の常識、そして勉強だけが情報の全ての中、実は後の現実世界への下準備だったのか、幼少の頃から支配人に駄菓子を提供する対価として金貨を貰っていたのだが、この金貨、相当な粗悪品の偽物だったらしい。
「あの支配人が気前よく金銭を渡してくれた時点で、怪しさ満点だったのか……」
後悔先に立たず。
期待と不安のまるで違う二つの感情で容量いっぱいだったことが災いしてか、細かな点に想像が追い付かなかったのは、支配人による洗礼だったのか、或いは何かの悪戯だったのか。
生まれて初めての買い物は水の購入だったが、偽金貨と判明した時、すでに水を口にした後だった。
どう言い訳しようとも、クレスの無理のある嘘くさい本当の話が通じるはずもない。
その後の展開は流れるようにことが進み、まず罪人として身柄を拘束されるが牢屋へ放り込まれるのではなく、乗り心地最悪な上に面積が人数と合わない狭い馬車に押し込まれたかと思えば、どこかのオークションで品定めされて買い主が決まると、今度は歩くことを強制されたことから、今になって自身が人身売買に出された後だと知り、現在に至る。
「クソッ、今すぐにでも脱出できるが、世を知る意味でももう少し様子を見るか」
「おいそこ、一人無駄口が多いぞ!」
屈強な護衛の兵士の男に注意されても、余裕綽々な態度のまま歩くクレスの姿は、同じように売られた者達の度肝を抜いて大いに注目されている。兵士に立場からすれば恐れ戦く気配すらなく、小生意気な態度を見せるものだから、クレスに対する当たりは更に強くなる一方。
「なあアンタ、俺たちは一体どこへ取れて行かれるんだ?」
周りが沈黙の中、雰囲気に合わせるのが苦痛になったクレスは、開口一番、あろうことか兵士に溜め口でこの疑問を問う。
そんなクレスを見て、口角を上げた兵士が一言言い放った。
「ふん、もうすぐだ。もうすぐ嫌でも理解するだろうからさぁ」
明らかに馬鹿にしてせせら笑いで含みを持たせた言葉は、周囲の罪人達の感情もどん底に落とす。
ただクレスだけが訳も分からず、ただその話が禁句ということが分かっただけだ。
ただでさえ重い空気が更に重苦しくなることから、クレスも想像出来る限りの地獄を想像するも、なかなかの想像力であまりに残忍な方法ばかりが思い浮かぶ。これはある意味、生活病。
しかし現実世界で出来る拷問は限られていると理解が及ぶと、妄想は早々に収まる。
ただ今一度周囲を見渡すと、恐らく同じ奴隷として売られる罪人達は酷く怯えて極度の精神状態に陥っており、とりあえず相当過酷な環境へ移送されている事実だけは間違いない。
詳しい話を聞きたい衝動に駆られるも、他の罪人達はやせ細っている者が殆どで、すぐに栄養失調と判断出来るほどの、歩くのも辛そうなのが見て取れる。
だからこそクレスと同じく大罪を犯したとはとても思えない度胸と貧弱さから、この違和感は募るばかり。
「おい、そこの余裕こいたガキ! 俺達から特別に推薦状を書いてやるよ。そのスカした表情が死に怯えて逃げ惑うままに面白いステージを披露しろよ。俺達を楽しませてくれ!」
まだ少年と言われる健康体そのもののクレスはよく目立っており、兵士達の関心も注意も、大人げないままストレス発散のための玩具として残酷な言葉を並べて恐怖を誘う。
そんな意味深な発言の数々についていけないクレス。
恐らく怯えて言葉も出ないと見た兵士達の、笑いの中心に置かれたこの状況。
罪人と言えど、クレスの罪状は水一杯の窃盗。
流石に許せというにはおこがましいが、重みの違う天秤に乗せられた状況に不服はある。
そんな不信感から少しの休憩時間、兵士の目を盗んで傍にいる同じ罪人に小声で聞いた。
『なぁアンタ。どんな罪でここにいる?』
『ど、どんなって……、ろ、路上で寝ていたら景観が損なわれると無理矢理……』
『なッ……、ほ、本当にそれだけなのか?』
クレスの驚きようから少し困惑した男は、周囲を気にして一度だけコクリと頷く。
このような横暴がまかり通るこの地域一帯に、クレスの不信感は募るばかりだ。
***
途中何度かの少ない休憩を挟んで長い道のりを歩いた先を見て聞いて、兵士達が吐いた台詞の意味を知る。
遠くから大勢の歓喜に似た悲鳴が、絶叫が、歩く度どんどん大きくなる。
その悲鳴にふと顔を上げると山のような岩のような、硬い地盤の断崖絶壁を大胆に加工して、大きな施設が建っているのを見た。大胆にも山と岩を削った、相当頑丈な建物のように見える。
「おいガキ、聞こえたか? お前はあの歓声の中で粗末に命を落とすんだ!」
兵士の言葉でこの施設の用途を知る。ニヤニヤと嬉しそうに笑う姿に思わずぼそりと呟いた。
『よくもまぁ、断崖絶壁に超絶悪趣味な娯楽施設ってか?』
飽きれて口に出した瞬間を見た兵士は睨むが、それを明後日の方向を見て無視するクレス。
ここに至るまでの情報を整理して、すべてのヒントを集約すると、この施設はまず間違いなく〈闘技場〉かと思われる。
なによりこの特殊な設計の城に近づくにつれ、熱狂的な悲鳴は奇声となり、クレスの鼓膜に感じの悪い声が張り付く過程は、心の底から不快感を育てる。
「どうだ小僧、お前はこの素晴らしき富豪の国、《ルネ》で命を落とす。生意気なお前の相手はとっておきの商品を当てる予定さ。おうおう、恐ろしすぎてちびったか?」
「……ごく普通に考えて、闘技場は本人の意志のない参戦はご法度じゃないのか?」
ここへ来てもクレスの生意気な発言に、大人としての威厳を悉く潰される屈辱。
「こ、こいつッ、また減らす口を……ッ」
「まぁ待て、そんなに逆上するな。どうせこの小僧はあと数時間の命だろ?」
クレスの冷静な口答えに、兵士の怒号が飛ぶ寸前、別の兵士が宥める。
「どうだ小僧? この国に奴隷として入ったが最後、お前は死を免れない。普通のお偉いさんなら見目の良いお前を妾にするも、強制労働をさせるにしても、生きる術はあったのにな」
どうやらもう一人の兵士は、クレスに多少の同情を感じているらしい。
「ならば聞く、この国は違法じゃないのか?」
「……その質問には答えられない。少年、どうせお前は死ぬと決まっているのだからな」
「口に出せない事情があるのか? まいったな、権力の関係かよ?」
「少し喋りが過ぎるな。お前の発言権はすでに闘技場の中にしかない。せいぜい叫べよ、この国のお貴族様がそれを切望している。悪いが俺達を憎むな、これがお前の運命だからな」
「ハッ、運命か。その壁を壊すのもまた運命だろうなッ」
〈ひゅッ……、バチッ!〉
無情な鞭がまだあどけないクレスの背中を迷いなく傷つける。
「言っただろう、今ここではお前に発言権はないと」
恐らく多くの奴隷を折檻してきた鞭なのだろう。
握るグリップに手汗が滲み、多くの血潮を吸ったのか、明らかに上下の色が異なる革の鞭が容赦なくクレスに襲い掛かる。
もうすぐ死ぬ奴隷だとしても、傷だらけのまま闘技場に出しては観客のボルテージを下げる要因も推考されることから、顔などの見える部分は避けて折檻を続けた。
〈ヒュッ……、バチッ、バチッ!〉
「俺はアンタらとは違う、大体、恥ずかしくないのか? こんなガキに正論言われてさッ」
「い、言わせておけば好き勝手ッ!」
「おいやめろッ。下手すると俺達が責任を問われるっ!」
クレスの挑発に上手く乗せられて、怒りを抑えきれない兵士のプライドを更に傷つけ続ける。
「ハハッ、図星かよッ! 良いよな、弱い者イジメしかできない性分はッ」
「こんのぉ、ガキがぁぁあぁあっ!」
「止めろって、落ちつけッ!」
この少ない過程だけで様々な情報を引き出させたクレスは、口の中の血を飛ばす。
まずこの〈ルネ〉という国は富豪の力、つまりは権力だけで成り立つ常識のない国ということ。
そして闘技場は殺し合いの場、もしくは一方的に殺される姿を見るだけの場だということ。
「……馬鹿らしい、ろくなもんじゃねぇ」
まだ見ぬルネの王族を心底軽蔑するクレスにもある種の興味が湧く。
どんな大馬鹿者が何を考えてこの国を造ったのか、ぜひご尊顔してみたいと考えたからだ。
叶うなら、その顔面に拳をお見舞いするイメージも加えて。




