第二章 嵐のような出会い
幻想的な空間を越えてクレスが地に着いたのは、深緑溢れる森の中心。
右も左も目に優しい緑だらけで、地獄にいた頃には絶対に見られない光景に加えて、香り高い土の香りにも癒される。
この環境に関しては久々というより、ほぼ初めてのクレス。
「すげぇ、蝶が飛んでる。木にカブトムシもいる。支配人が教えてくれたとおりだ」
地獄の殺風景さとは比較にならない光景に興味は尽きず、興奮から近辺を速足で歩き回る。
しかし心が満たされた頃には、現実的な問題がクレスに直面する。
「しかしだ、俺は今ここで何をしたらいいんだ?」
突然の見切り発車で放り出されたも同然のクレス。
この四方八方どこでも行ける自由な場所で、何らかの目的を立てる必要がある。
「支配人の言う通り、まず仲間を探すのが手っ取り早いか。それでも一体どこから……」
どこか仲間の集まる場所となるとまず確定なのが、なにかしら頭角を現して伝説として語り継がれているだろう。
これはすでに当人がその土地にいないという意味ではあるが、逆にその風の噂を頼りに仲間が集う可能性なら十分あり得る。
現実世界、つまり人間界で生きると言うのは、その時々の環境にもよるが地獄より苦しい場所でもあることを、地獄での経験しかないクレスも、汚い本音と品のない罵声が飛び交う地獄でよく学んだこと。
そんな人間の黒い感情を長年見て来たが故に、見た目の割に人生を達観している自負は大いにあるようだ。
ただ地獄は人間の負の感情を詰め込んだ、息の詰まる場所。最初こそ威勢が良くとも、毎日のように絶望に明け暮れて、最終的に覇気のなくなる虚無だらけの地獄とは異なり、現実世界は期待した以上の、静寂さと居心地の良さでクレスを癒してくれている。
「とりあえずここから先へ動いてみるか……」
自然美溢れる現実空間も、決して良いことばかりではないとの教訓を与えられた。
地獄には進む道を遮るものは無かったが、この森はたくさんの障害物で溢れている。
ただ見回るだけなら癒されるものでも、少しどこか前に進むだけで無造作に生えた木々や草花、大きな石や害虫、時折、泥濘にも足を取られてバランスを崩すこともしばしば。
「明らかに着地点が悪いんだよな。なぜ支配人はこんな場所を選んだんだ……」
クレスの中で地獄の支配人がほくそ笑む姿が簡単に思い浮かべられたことから、少しの苛立ちが大きなやる気を与えて障害なんてなんのその。前へ前へと進むきっかけを作る。
地獄の支配人は一見するとぐうたらしているだけにも見える。
大方そういう性格でなければ地獄の統括はできないことはクレスも認めている。
あの強固なまでの図太い神経も、気楽さも失わずして自身を律する強靭な精神力はとても真似できない。あれこそ支配人の天職なのだ。
普段がどんなに腑抜けでも、一度仕事の顔になれば素直に格好良いと感じられるだけに、仕事内容は滅多に見せることはなかったが、稀に見せる迫力の黒龍は圧巻の一言。
黒々と艶やかな黒金剛石のような鱗は品があって美しく、細長い黒の瞳孔は蛇のようで、虹彩は真っ赤な血液を滲ませたような美しい紅に染まり、彫刻と見間違うほどの神々しさが深くクレスの心に刻まれている。
つまり地獄での生活は、充実した人生だったと認めざる得ない。
「まあ、俺のできる分野で高みを目指せば良いだけだよな」
黒龍の地獄の支配人の影響からか、完璧で綺麗なブロンド色の髪は黒く染めて、気に入っている金色の虹彩はそのままに、見た目まだ十歳程度のクレスは、現実世界の大自然を体感して心機一転、大きな希望に満ち溢れながら新たな一歩を踏み出した。
《ガサガサッ! ガササッ!》
気分を変えて前に進もうとしたクレスの視界に、茫々に生えた雑草が小刻みに震わせながら、ちょこまかと小回りを利かせて、まるで地上のモグラのように草をかき分け、クレスに向かって突き進むモノに思わず息を飲む。
まだ実際に見たことのない俗にいう動物とも捉えるも、小回りが実に巧妙で、ただの動物でないことに気が付くが突然の不安から声は出ない。
そんな状況を飲み込めないままのクレスの前で、謎の生き物は正体を現した。
「わぁあ! て、……あれ、君、……誰?」
あれだけの草をかき分けて姿を見せたのは、可愛らしい見た目の、服を存分に汚した少女。
両者まじまじとお互いの容姿と格好に目を奪われて、特にクレスに至っては謎の疑問符が頭の中を高速で飛び交っている。
クレスにとってこの出会いはあまりにも情報量が多すぎる。
行動はあまりに野蛮というのに、着用している衣服はとても質の良いもの。
更には少女の呆けた表情すら様になるほど愛らしい顔つきで、行動と容姿のミスマッチに対して、久方ぶりに見る人間がこんな異端児ではクレスが混乱するのも無理はない。
「駄目だよ君、こんな山奥に一人でいるなんて。さっさとお家に帰るんだよ」
謎の少女から思わぬ注意を受けて、ここで初めて我に返るクレス。
「あ、アンタだって一人だろ! 人を注意する、前……、に……」
すぐ目前で話す少女の顔を改めて確認すれば、声を失くすほどの整った顔立ちの持ち主。
少しウェーブの掛かった長髪の綺麗なブロンドには、泥や埃、落ち葉が引っ付いていても、その隠せない容姿の綺麗さとギャップに心をガッチリと掴まれた感覚。
しかし少女の方もクレスに対して何か不思議に思うことがあるようで、ジロジロとクレスを見回した後、頭で何かを完結したのか、突然納得するような表情を見せている。
現実世界に降り立った矢先に、クレスにとって初めて近くで見た異性を唐突に意識するなど、そんな軽率な感情が情けなく、同時にプライドも傷つけられたような気分で着心地が悪い。
しかし心は感じたことのない衝撃に、あの普段冷静なクレスが上手く言葉を発せない状況だ。
「お、俺は、俺……ッ!」
「あ、もうすぐ時間だ、早く戻らなきゃ! ごめんね、君。急ぐから!」
この僅かな時間だけで唐突な出会いに怒涛の退散と面食らい、まさしく嵐のような少女。
思わぬ体験に初手から痛恨の一撃を食らってただただ呆然とするしかない。
初めて出会う人間にしては、少々難易度が高すぎたようだ。
「名前すら聞けなかった……。まあ、どうせこれっきりだろう。しかし支配人め、仲間がいるかもしれない怪しい場所に、と言っていたがそれがこの結果かよ?」
なかなかあっさりした弁えで、深追いしないところは子供と言うより人生に疲れた大人のようで、少々爺臭いクレス。諦めの早さは大きな子供同然の支配人の下で培った癖だろうか。
それも波立つ鼓動はなかなか弱まらない様子。
「外見から見て同じくらいの年頃に見えたんだが……」
改めて見渡した自身の姿。如何せん少々背が低いせいか、あの少女とは目線がやや斜め上にあったことで、年下と間違われてしまったのだろう。
そんな自身を鑑みて、重い荷物の中にあるものすべてを取り出して、質感、硬度関係なく、身体の中へ一つ一つ埋め込んでいく。
まるで身体の中へと飲み込むように次々と取り込んで、少なくなる荷物とは対照的に、急成長を遂げて行く身体は、最終的に十五歳ほどの少年のクレスへと様変わりした。
これは下手に首元の〈04〉の数字が浮き出ない年齢ギリギリの調整の末の姿だ。
一回りほど大きくなったことで平衡感覚も確かめ、最も繊細な手先の力の抜き入れを入念に確認する。
慎重に事を成した後は、多少前途多難な予感をチラつかせながらも、初めて一人で降り立った現実世界に無限の可能性を期待せずにはいられない。
***
「あッ! フレイ、待ってた?」
クレスとの短い会話を済ませて、嵐のように約束の場所へ帰って行った少女は、最愛の人を見つけたことでその目に煌びやかな星でも表現するように身体中で嬉しさを表現して、際立つ美しさは泥と枯れ葉で塗り固められたまま、元気な子供の姿をその身体で表現している。
「駄目じゃないか。いくら衣服が無限に生成出来るからって物には限度があるだろう?」
お転婆が過ぎる少女のわんぱく具合には、流石のフレイもお手上げだ。
話し方から日常茶飯事なのがありありと伝わることで、フレイの気苦労には少々同情する。
「はぁーい! 気をつけまぁーす! ねぇ? ねぇ? 早く帰ろうよ!」
「まあ、そうだね、そうしようか。……ん、何か良い事あったの、ステラ?」
普段よりどこか元気で、いつもより楽しそうに笑うステラの機嫌を早々に見破るフレイは、ステラに常に愛情を持って、大切に見守ってきたから分かる変化。
そんなフレイの気遣いと関心に尚の事ステラの心を喜ばせる。
「ちょっとね。なんかすごく懐かしくて幸せな……、夢、そう、夢を見たの」
「夢? 草むらをベットにして寝ていたのかな? 楽しかった?」
「うん、とっても!」
なにかしら意味があっての表現を深追いしないのは、きっとステラの成長を誰よりも信じているのだろう。
未だフレイにベッタリなステラは、相も変わらず誰よりもフレイのことを愛している。
こんなにも優しいフレイだから、今後もこの愛が揺らぐことはなさそうだ。
フレイの首に腕を絡ませ、成長したステラをお姫さま抱っこで目指すのはサーキュラー。
上昇する故に顔が上向きのフレイの真剣な表情が窺える角度は、まるで姫を守る騎士のよう。
大好きなフレイの愛に包まれながら、なぜかつい先ほど初めて一対一で会話を交わした少年のことを思い出すと、フレイと同じ暖かさで心の中がじんわり心地良い感覚がある。
フレイを差し置いて感じたこの感情を悟られないよう、柔い力でフレイの首に腕を絡ませ、ゆっくり確実に抱き寄せる。
そんな普段のステラと異なる仕草を見抜けないフレイではない。
ステラに何かあったのはもう間違いない中で、内緒ごとを作るのは成長の証。
外の世界がいかに危険かの理解も欲しいし、でもそれ以上にこの世界がいかに素晴らしいかを、ステラのその目で判断して欲しいと切に願っているからだ。
それぞれの思惑を広げて、例え点と線がバラバラになったとしても、信じた道を歩く。
それこそが生きる事の厳しさであり、人生の謳歌でもある。




