第一章 巣立ちの時③
現実と地獄の境界線。
まるで正反対な朝と夜が混ざるのを阻止するように、真下から朝焼けと夕焼けが幅を利かせて、見慣れた不思議な色の重なりはクレスが思うに絶景の一言。
きっと多くの魂は地獄への導きに絶望しかなくて、この美しいグラデーションに関心を持つだけの余裕も残っていない者が殆どだろう。
時折煌めく魂の素晴らしい輝きは、それこそ本物の星でも観察しているような感動をくれる、クレスお気に入りの空間だったのだが、それも今日で見納めだ。
予想外だった言葉に覚悟を決めて、素直に従うクレスにいそいそと支配人が近寄る。
「まぁ、まず離れる前にな、何か聞きたい事あるだろ? な? な? なぁ~? ガハハッ」
「な、なんだ? 例えばそうだな。今後アンタが一人で規則正しい生活を送れるか、か?」
勿体ぶって言葉を濁した地獄の支配人。
望んだ解答ではなかったが、ある意味支配人にとっての地獄の始まりである独居生活は、想像するだけで血の気が引く思いをじわじわ味わう。
「今まで俺がいたことに感謝しろよな」
「お前ぇ、自分を生んだ親の消息を知りたくないのかよ……?」
クレスの言葉が地獄の支配人の身体に重く圧し掛かる。
そんな一生分の絶望を一瞬で感じ終えると、地獄の支配人は勿体ぶった本当の意図を、細工もなしに正直に露わにした。
「あぁ、親か。…………は? お、親ぁあぁぁああッ?」
天地がひっくり返るような青天の霹靂を、柄にもなく全身を使って表現するクレス。
「……何だ、まぁ、とりあえず、落ち着けよ?」
「これが落ち着いてられるか!」
涼しい顔をして他人事のように支配人が言葉を紡ぐ中、怒涛の衝撃からクレスの頭をかち割るような勢いで切迫させる。
これを落ち着かずにいて、何に落ち着けと言うのか。
地獄の支配人は今の今までクレスの親の行方はもちろん、その人間像を口にすらしたことがなかった。
興味はあっただけにそれとなく聞き出そうとしたものの、口を噤んで表情が険しくなる様子から、余程素行が悪くて支配人との仲は険悪だったのか、もしくは既に存命していないとばかり小さな頭で考えながら遠慮して、大昔にクレスの中で完結させていたこの話。
そんな中で、突然降って掛かった親の存在。
「……アンタ、知っていることを今すぐ吐けッ! 全部だ、全部ッ!」
「えぇー、だって俺様には関係なくなる話だしぃ?」
「そうか、ならば最終手段に入るまでだなッ!」
受け止めきれない驚きをとっておきの怒りに変えて、真実という罪の全てを自白させるために心を鬼にしたクレス。
唐突にすぐ傍の地獄の支配人専用のオリジナル愛菓子製造機に手を出して、出来立ての愛菓子を丁寧な作業で袋詰めに加えて、箱詰めまで流れるような作業を当然のようにこなすと、それを釣りに支配人が知り得る情報をすべて吐かせようとする。
「アンタの口から真実を吐かない限り、この菓子は食べさせん!」
「な、なんだってぇえぇえぇぇえええッ!」
まるでエコーが掛かったような、クレスの残酷な言葉は支配人の心の鐘を盛大に響かせる。
今の今までクレスにとって一番の面倒事がこうも有利に働くとは、想像もしなかっただろう。
作りたてほやほやの駄菓子を見せびらかして、一時の勝利に心から酔い痴れる。
「お、お前、俺様から聞くよりお前自身で探した方が感動するぞぉッ!」
「感動するかしないかは俺が決めることだろうが。とりあえずご尊顔を拝したら、後の対処は俺自身で煮るなり焼くなり考えるさ。とりあえず、アンタは全部吐け」
「そ、そんな態度では会ったとしてもッ、一銭のッッ、得にもならないぞッッッ!」
「アンタが我慢できず吐いたのが一番の原因だろうが! 少しは自分の発言に責任持てよ!」
絶妙に駄菓子をチラつかせては、与える気もないまま支配人の視線から遠ざける。
「お、俺様にッ、菓子をッ! か、菓子をッ、くれッ! このぉう、こんぉうっ!」
見た目が猛獣に餌を与える飼い主のような関係でも見ているようで、これでは地獄の支配人の地位が揺らぐほどの、実に情けない姿を曝け出す。
しかも本当に菓子しか見えてないらしく、懸命に手足を動かす様子は威厳あるはずの黒龍に愛らしさを大量トッピング。
クレスも流石に可哀想に思うほどなのだから、一体どれほど人たらしなのか。
しかしふと冷静になって考えてみれば、自身を捨てた親の近状や居場所を知ったとして、今の自分に何の得になるのか。
率直な興味はあっても、それ以上は何一つ望んでいないのだ。
この観念から改めて感情を整理すると、生みの親の話はもちろんのこと、出会う機会など何の糧にもならず、整理すればするほど接点を作ること自体が無駄な時間と考えが行き着く。
「……分かった、これ以上の追求はしない。だがなぜ今になって教える気になった?」
駄菓子を手にして、目が子供のように煌めいたまま支配人は口を開く。
黙っていることがしんどくなったか、最後くらい話すべきと考えたのだろうか。
クレスの中でそれらしい理由を並べるも、まず支配人のこと、この事柄への回答はほぼ決まっている。
「はぁ、……何となく? ガハハッ!」
「そうだよなッ! アンタはそういう奴だよなッ!」
分かり切っていた解答だからこそ、改めて後悔するクレス。
ただあまりにふんぞり返って開き直る態度の支配人ではあるが、ここまで育ててもらった恩もあり、感謝はしている。
そして一見無責任に見える言葉の綾には、まだクレスの知らない意図が含まれているはず。
恐らく心身共に大人にならなければ、理解が難しいことかも知れないが。
ここは誰もが通る地獄の導きだけあって、この問答無用な空間に納得できない人間の汚い言葉や、ショックから泣き叫ぶことも日常茶飯事で、粗んだ感情のまま門を通る者が殆どだ。
そんな門への興味が尽きず、地獄の支配人である黒龍にせがみ、まだ幼かったクレスを渋々連れ出てくれたことが一度ある。
現実は生活の落差の激しさから、神も仏もへったくれもなくて、当時は衝撃だっただろうが、今となっては良い教訓、社会勉強にもなったとしみじみと思い出す。
それでもクレスはまだまだ青臭いガキ。
世の中を知らないも同然なのだから。
それは本人が嫌と言うほど心得ているだろう。
「てかよ、俺様が言うのはなんだが、有能で才能溢れる若者が生ぬるい湯に浸かって、既存のレールに沿う現状に満足して、生きる姿は見るに堪えないのが本音なんだがな。ガハハ!」
「……適当な誉め言葉を使って、コソコソ菓子食して粋がってんじゃねぇよ」
「こ、これは俺様がだなッ、精神の安定をだなッ、その、……ごにょ、ごにょにょっ!」
支配人の言葉が説得力に欠ける謂れは、上手くクレスの目を盗んだつもりで駄菓子をこれでもかと口に押し込み、多少罪悪感があるのか、音を立てないようにゆっくり噛む様子にまたもやクレスも怒りが鎮火していくようだ。
「まぁ、なんと言うか、お前は人のカタチを保有する現実世界の人間だ。死んだ身でもなく、重要な役目を与えられた身でもない。だからこれ以上お前が生きて良い場所じゃねぇんだ」
地獄の支配人から核心的な言葉を並べられては、返す言葉が出てこない。
一見ただの面倒くさがりな自由奔放に見える支配人は、実はかなりの縦横無尽の秘密主義者。
人間だった頃の過去や、地獄の支配人になった経緯は当然、仕事の愚痴すらも吐いたことがないのだ。
クレスが感じた支配人の業には、重苦しい感情と責任の重圧を一手に引き受け、誰もが避けたがる役目を、煙たがられる職種を、なにより人間の表の顔と裏の顔を見続けた結果、非常に目の肥えた人格者の鱗片を持っているとクレスは推測して、心から尊敬もしている。
事実この考えもすでに筒抜けと見て間違いないのだから、なんの釈明も要らない。
「……ただ、無意識で人を弄ぶ能力に長けた性格してんだよなぁ」
「は? 何か悪口でも言ったかッ?」
「いいえ、何でも?」
駄菓子を口の中で転がす喜びに浸っていた支配人の隙を見て、ぼそりと呟いた言葉は気づかれてない様子。
言わば本家本元の地獄耳を持ち、かつ、誰よりも鋭い千里眼を持って地獄を管理しているのだ。決して侮れない能力を持つが、どこか抜けているのは常に本気故の反動か。
「チッチッチッ! とりあえずお前は仲間を探せッ! 今一番怪しい場所においてやるから」
「今一番怪しい場所だ? それが分かっているアンタなら一人で解決できる話だろうが」
「ううッ、なかなか手厳しいところを突くなッ!」
クレスには地獄の支配人がそう易々と持ち場を離れられない事情をよく知っている。
なにより人としての肉体を持たない身でありながら、クレスの願いを叶えたのは、それだけ愛情が深かったことを示したようなもの。
その暖かさをクレスは忘れることなどできない。
「ただもう少し〈銃〉の扱いと、俺の能力の資質について研究を極めたかったな」
「十分じゃね? これ以上難しく考えるときっとな、禿げるぜ? ガハハッ!」
「…………」
支配人の詰まらないアドバイスを呆れて聞いたクレスに、この瞬間、有無も言わさない強引な支配人によって生と死の境界線を開くと、クレスの身体が七色の泡のように細胞分裂の後、再び細胞を集約させて扉に吸われるようにクレスは消えていく。
現実世界への片道切符が開いたのだ。
「これ以上の情報は与えんから聞き回れ! 自力で行け! 今すぐ行け! とっとと行け!」
「あー、はいはい!」
支配人の一度言い出したら突っ走る性格を誰よりも理解しているクレスは、これ以上の反抗は無意味と見る。
なによりクレス自身も外の世界に興味がないわけではない。
一生ぬるま湯に浸かる気はなかったし、冷静に考えれば良い機会と納得できる部分も大いにある。
だからこそ二つ返事ですぐに空間から出て行ったのだから。
「まぁ、何があろうと、今まで教えてきた生きる術が必ずお前を助けるだろうよ、ガハハ!」
久々の現実世界への道は、より成長したことで昔感じた感覚との違和感に、若干不思議さと今なら分かる理解が混ざって喜びに溢れた。
多くの魂が目指す場所から一人逆走して、時折現れる烈火の如く大きな光を放つ魂の強さと美しさに、感動と関心が湧き出る。
そんな喜びに囚われるクレスは、向かう現実世界、つまりは人間界に大志を抱く。
しこたま巣食う怪物が、虎視眈々とクレスの首を狙っていることなど夢にも思わずに。
***
「ふぅ、やっと出て行ったなクレスの野郎。育ててやった恩を仇で返すとはッ!」
最後の別れの挨拶は、クレスによる一言二言の適当な返事だけで半ば強制的に幕を閉じた。
互いが歩み寄って感謝を捧げて涙で終わるより、この方が二人らしくていっそ清々しい。
まだクレスに対する不満を吐きながら、愛菓子の大量製造に向けて器用に製造する。
あの口煩いクレスがいないのだ。
好きな時に好きなだけ食せる喜びは大きい。
そんな至極の時間に突然〈意識〉が割って入ってきたことで、支配人の機嫌はガタ落ちだ。
鮮明な映像を肉体を持たない支配人の意識に無理矢理捻じ込むのだ、気分を害さない方が難しいに決まっている。
「もう少し黙って行儀よく指でも銜えて見てろってんだ。お前の十八番だろ?」
傍目では一人文句を張り上げる怪しい人物にしか見えないが、脳へ直接言葉を発する〈意識〉によって地獄の支配人には見えているのだ、一人の物影を。
「クレスはもう送った。今回の俺様の仕事は終わったんだ」
容易く脳に入り込んだ〈意識〉は、何かしらの意見を持って主張している。
支配人の嫌がる表情から見て、軽く喧嘩になっているかのような、そんな感覚を受けて。
「恩を売ったんだ、見返りはデカくて豪勢なものが良い。ごちゃごちゃ言うんじゃねぇ」
何かを欲するジェスチャーで、地獄の支配人はこの人物からの対価を貰う。




