第一章 巣立ちの時①
「……おい、これは一体何だ?」
より軽蔑的な態度と言葉で、彼はある人物に対して低い声で不満を述べる。
「おぉ、愛菓子が俺様を恋しく呼ぶんだぜ。俺様に食べられた〜い! 俺様にこそ食べてくれ~い! っとそれはそれは恋しそうにな、ガハハ!」
「そんな詰まらないことを聞いてるんじゃない……。この空間の状態について聞いているッ!」
とりわけ広い空間で、駄菓子の箱と駄菓子を包んでいたビニールが広く散乱する状態の中、ゴミを仕分けて掃除をしながら、相手の観点が全く違うところにあることを訴え続けている。
「大体いちいち包装なんて要らん労力だろうがッ!」
「いいやッ! ハードボイルドたるもの、形から入るのは基本中の基本ッ!」
「……単なる菓子のくせして」
「ん? 何をッ?」
本物の煙草を吸うより何倍もマシとは言え、一日ひと箱で満足できないと愛菓子も食べ過ぎは毒になる。
なにより一回の量の多さは地面を隠すゴミの数が示している。
「アンタ〈地獄の支配人〉だろ? 少しは威厳ある行動を取ったらどうだ? こうも自由奔放だと、いつか下克上されるのも夢物語じゃないからな。先ずその言動から慎め!」
「はぁ……、どうもどうも。……く~ッ、ガハハッ!」
素直に彼の言葉を受け止めて意気消沈したかと思えば、意気軒昂とクルクル変わる豊かな感情。
普段から温度差あり過ぎる言葉のキャッチボールを繰り返しているせいか、彼のくどい説教の最中も真正面から受け止めているように見せかけて、右から左へ受け流す技を地獄の支配人は習得している。
それが彼の感情のジェットコースタ―を可能にしてしまっているのだ。
「そういやぁクレス。ここ最近の地獄の現状をお前はどう見ている?」
先程までの態度から一転して、ようやく真剣な顔をして質問する様子から、本腰を上げたように見えるだけに、クレスもやっとのこと掃除に精を出すことができる。
「それは俺に聞くことじゃねぇだろ、アンタの仕事だ、アンタの」
「……お前、ほんとつまんねぇな」
「アンタが適当過ぎんだよ」
我慢の限界を唱える掃除道具のほうきの先端を地面にトントン鳴らして、今この場一帯を綺麗にするための最後の警告を終えたと同時に、地獄の支配人の周りからクレスは掃除を始めた。
「おっと埃が! 俺様の愛菓子に埃をかぶせないでくれよ!」
「ならばアンタが一旦人間になれば完結することだろ!」
「そんな殺生なッ! 俺様はこの姿こそ完全たる威厳そのものなんだぞッ!」
一切聞く耳持たず掃除を続けるクレスだが、比べきれない大きさの地獄の支配人は、現在黒龍の姿で、その全長は少年のクレスと比べるのなら、余裕で十倍はあるだろう巨体。
舌に666の数字を刻む威厳あるはずの巨体は、生活の中心にいるクレスに対してはたじたじだ。
テキパキと掃除をこなすクレスの横で、つい先ほど怒られたばかりというのに、マイペースに菓子を食らう度胸を持ってはいるが。
ここは地獄の入り口に値する重要な場所で、本来なら緊張感を持って魂の行方を見守る必要がある場所だ。
そんな入りの激しい所で、この二人の呑気なやり取りは行われている。
外は赤と黒の濃淡で不穏な景色が広がっている巨大なパノラマの下、こじんまりしたプレハブ小屋のような見た目小さな建物の中にこの二人の存在があり、外装と内装とでは面積の明らかな矛盾に、空間の歪みが用いられている。
様々な魂が常に吸い込まれる空間である故に、クレスが単独で快適に過ごせるような狭い空間にも、地獄の支配人がプライベートを満喫するための十分な広さも十分確保出来る、伸縮自在な異空間をプレハブ小屋に創っているのだ。
「クレス、お前さぁ、やっぱ独り立ちしねえかぁ?」
「……へ? ハッ、はぁ、あ、お、おう」
突然の提案に驚きが隠せないクレスと、言いたいことを上手く言い表せない地獄の支配人。
「言いかけたが、最近の地獄の現状は芳しくない」
「なんだ、真剣に仕事のこと考えてたのか。わりぃ、また笑えない冗談でも言ったのかと」
「…………おいぃ、」
遠い過去から現在まで、天国が存在しない地獄は十人十色、多様な魂が流れ着く。
その殆どの魂は、特に人間の魂が地獄の入り口を受け入れられず、逃亡は日常茶飯事。
天国は無理と分かっても、安寧を過ごせる地があると甘い考えで地獄を拒絶して、現代に帰ろうとする輩がいても特別不思議な話ではない。
それを誰一人逃さぬよう、大量に送り込まれる魂を強力な磁力で引きつけて、特別吸引力の高い、例えばブラックホールのような空間へと吸い込んで、一匹たりとも逃さず監視することも地獄の支配人の重要な仕事の一つだ。
地獄は人間だけに限らず、小さな魂でもある動物や昆虫、魚類、植物までもが通る道。
選択肢のないこの片道切符は不評であれ、ここは誰もが平等になる場所。
人間で言えば恵まれた者、罪を犯した者と、生まれながら人生の歩み方に不平等が生じるとは思うが、間違いないのは、過ちを犯したことのない者なんてどこにもいない。
それは弱肉強食がものを言う自然界に限らず、なにより人間関係こそ自然界よりも恐ろしい弱肉強食が叶う場所。
それはボタンの掛け違いのようなすれ違いに、単に相性の悪さ、最初から悪意を以て近づく輩など多種多様。
心で何を考えようが自由なのは否定しないが、人間とは必ずストレスを発散させる場を作る性質にある。ただそれが他人に見えたか、見えないかの運が働いただけの差。
なにより人間は見せかけの良心にこそ心打たれるものと証明されている。
地獄の支配人はそんな赤裸々な本音を数多く聞いてきた数少ない中の一人。
つまりどんな言い訳があろうが、どんなに喚こうが、魂は一つ残らず地獄の門を潜るのだ。
そんな激情のサイクル、エネルギーがあるからこそ、毎日パワフルに稼働できている。
「とにかくだ、お前はもう一人前だ。だから……、まあ、と、とにかく独り立ちしろッ」
「なんだよ急に。いくらなんでも唐突過ぎだと……」
「俺様はもうお前の面倒を見ることができん! それが答えだ! だから出ていけ!」
「あ、アンタに言われなくてもそうするさッ! なんだよこのトカゲ!」
「トカゲじゃない、俺様は黒龍だッ!」
特別理由もなさそうな判断に、激情にかられたままプレハブ小屋を出たクレス。
それもそうだろう。
生まれてこの方、常に地獄の支配人の背中を見て来たのだ。
強く逞しく成長した暁には、一緒に地獄を統括する立場になるのだと将来を見据えてもおかしくもない。
「クソッ、くそッ、くそぉぉ……」
悔しさのあまりプレハブ小屋から外に出たクレスは、その場に留まる。
決して喧嘩がしたくて出て行ったわけではない。
ただ自身を取り巻く現実が、環境が大きく変わる話に頭が着いてこないだけ。
まだ少年のような容姿なだけに、不安が大きいのも仕方ない。
ふと見上げれば、色とりどりに柔く光るたくさんの魂の中で、特に生きた人生の輝きから特別強く光るものが見える。
まるで一番星のように、宝石のように煌めいて儚く美しい情景まで生み出して、クレスの心を掴んで離さない、そんな芯の強さ感じる。
きっと現実でも地獄でも懸命に生きようとしている形とも言える。
だからこそクレスはこの生活が嫌いになれない。
本心では地獄の支配人に感謝をしているだろうし、尊敬もしていることだろう。
「……地獄から離れれば、この胸のつっかえの正体も判明するのか?」
地獄での生活に驚くこととはあっても慣れれば何一つ問題なく、居心地も悪くないし、十分過ぎるほど満足している平和な日常。
しかし心のどこかが足りない気はしていたようだ。
それはもちろん贅沢にも刺激を求めているわけではなくて、単にクレスの重要な心のピースを埋める何かが存在していないだけ。
それが何なのか、クレス自身にもまだ分からない状態。
だからむず痒い感覚だけが心だけでなく頭にも、身体にも残る気味悪さが辛いのだろう。
「……流石に、謝るか?」
血が昇った頭を冷やして冷静さを取り戻すと、地獄の支配人の配慮が所々に行き届いていたことにも気がつく。
なにより支配人は数少ない人の心の声が聞こえる人物だ。
だからと言って何でも心の声で全てを完結したくはないだろう。大切な存在なら尚の事。
「支配人は、今まで何を見てきたんだろ……」
今になって地獄の支配人の生涯を考える。
支配人にも人間だった頃もあるはずで、そんな人間の姿を捨ててまで地獄の支配人として生きる選択を、あえて人としての道を閉ざしたのか。
「結局、人の心なんて聞こえない方が一番幸せなんだろな」
よくよく考えれば地獄の支配人の選択は、自身に同じ道を選ぶなという親心の警告だったのかもしれない。
人を知るのは楽しいが、知り過ぎるのも良いことばかりじゃない。
それは常に地獄の支配人の傍にいた、クレスが一番よく分かっていること。
よって冷静になればなるほど、先ほどのクレス自身の言動が子供で恥ずかしいようだ。
しかしこの機において独立勧告を言い放った、そのきっかけと理由だけはきっちり教えて欲しいものだ。
この短時間で巣立ちの決心を固めたからこそ、最後ぐらいある程度の真実を知りたいと思うのは人として当然の権利なのだから。




