序章 なんら問題ない話
「ねぇ、おかあしゃんって?」
前を歩く笑顔の子供がすぐ隣の大人を「お母さん」と何度も呼び、笑いあって歩くのが印象的な仲の良い母子を見て、出た言葉は思わず疑問に思った一言。
まだ幼い彼の隣の大人は、「お母さん」と呼ぶにはあまりに体格からすべてが異なり、なによりこんな優しく暖かな笑顔は絶対見せない人。
甘える方法が違って、より新鮮で魅力的に見えたのは致し方ないだろう。
なによりも笑顔の子供は少し鼻先を赤くした血色のいい肌、暖かそうでセンスのいい服装に、「お母さん」と呼ぶ大人を心から信頼しているのが分かる、幸せと羨望の眼差し。
誰がどう見ようと幸せの絶頂の真っ只中にいるのは事実。
しかしふと路地裏の物影を見れば、彼と同じくらいの幼い子供達が食べ物を漁って、生きるだけで必死な惨状がその目に映る。
見て明らかな不健康、真冬にボロボロの薄着、そして鋭い眼光。
幼い彼の更なる疑問は尽きない。
皆同じ星の下に生まれているのに、どうしてこうも格差が生まれるのか。
ただそんな疑問を考えられること自体が自身の幸せの証でもあると理解もする。
この複雑な心境は表情にも表れていたのか、彼の言葉を聞いたガタイの良い男が、彼の頭を軽く撫でた。
その手はとても大きくゴツゴツしていて、なにより冷たい。
求めていた理想とは違っても、安心を与えてくれる心地良さは実感できている。
幼い彼にも思わず笑顔が綻び、これが自身の幸せなのかとなんとなく感じ取れた。
ふと見上げればちらちらと雪が降り出した。
幸福を持つ者は暖かな衣服で身をくるみ、この雪を楽しむ余裕に笑顔を見せる。
そうでない者は凍える寒さに耐えながら、その日生きられる術を探してさ迷う。
この対照的で残酷な光景に、ちっぽけな自身に何ができるのだろうかと深く問う表情。
小さな手のひらに、幼さ過ぎる身体。
広げたその手に雪が落ちて、結晶がじんわり溶ける瞬間を見る。
現状、彼の存在ではまだ柔いものしか掴めない難しい現実を肌で感じ取る。
経験を持たない幼い頭では、この世の様々な感情が絡まった複雑な事情まで理解が及ばない。
ただ様々な格差が存在する中で、いくら正当性を唱えても誰も耳を傾けてくれない世知辛い世の中を無意識に理解しているのか、ふと寒さで凍えている少年と彼の目が合うと、怒りから鋭く睨んだと思えばすぐ目線を落とされる。
顔すら合わせたくない拒絶の表れにも見える。
世界を変えたいなんて、大それたことを満たされた環境にいる幼い彼が豪語するのは何かが違うのだ。
ただ一つ間違いではないのは、自身が信じた道を進むことの大切さ。
一人では変えられなくても、行動を止めてしまえば世の中が変わる可能性はゼロだ。
冷たく大きな手を握り返して、幼い少年は未来の自身に約束を交わす。
いつか強大な力を手にして、この星を平和に導くと。




