終章 いつかの約束
「……お前は何者だ?」
「え? ……そ、そう言うアンタこそ、一体誰なのさ?」
広大な砂漠の小さなオアシスで、お互いの存在に疑問を呈す。
それは生まれたばかりの無垢な魂と、生きていること自体があり得ない謎だらけの意識。
現状、大きく異なる点は、謎の意識だけが過去の記憶を鮮明に引き継いでいることだろう。
無垢な魂が具現化した白銀の蜘蛛は、このあまりに偉そうな相手に酷く翻弄される。
白銀の蜘蛛はキョロキョロ周囲を見渡すが、一面砂漠の中で、謎の意識に実体がないことをすぐに理解することとなる。ただこの超常現象に対する混乱はどうしても避けられない。
「まさか、私の姿が見えていないのか?」
確認する内容は謎の意識にとって、痛すぎるハンデだ。
「そ、そうだけど……、ま、大丈夫ッ、私が目となり耳となりアンタを導くよ!」
初対面でここまで交友的なのは、ぶっきらぼうな謎の意識にとって有難いことだろう。
そんな白銀の蜘蛛からの数少ない情報で、謎の意識は自身の状況を冷静に整理する。
長い長い話合いの末、様々な重要なことが分かってくる。
まず、自身が前世の記憶を鮮明に覚えている事。
星の数やその見え方から、以前とは違う世界に目覚めたという事。
何らかの掛け違いで、この無垢な白銀の蜘蛛の身体を共有出来る事。
そして。
「……なるほど、私がお前の身体と共有することも可能なのか」
「わ、私には何が何だかサッパリ分かんないんだけど、納得の答えが見つかった?」
どうやら謎の意識は白銀の蜘蛛の身体に憑依出来ることを突き止めた。
そのカラクリは、この二人がなぜか全く同じDNAを保持しているからだ。
なにより謎の意識は誰の目にも見えないだけでなく、細胞ですらその存在を認識できないほどで、今も現実に存在しているのが、会話もできているのが奇跡のようなものと理解する。
「ね、ねぇ、私たちって一緒に生まれたってことなのかな?」
「その可能性は高い。但しこれは自然の現象じゃない。確実に人の手が加わっている」
白銀の蜘蛛には事の重大さがイマイチ伝わっていないようだが、謎の意識には過去の記憶があるだけに、誰の仕業か大体の見当が付いているようで、深い溜息をついた。
「つまりはえっと……、私たち、血の繋がった仲間ってこと?」
白銀の蜘蛛は、それはそれは嬉しそうに言葉を紡ぐ。
「ま、まあ、そういうことにはなる……」
そんな無邪気にはしゃぐ白銀の蜘蛛に、これ以上の言葉を発せない謎の意識。
しかし謎の意識にとって最大の心残りを解消させる、ある意味最初で最後のチャンスが訪れたと言っても過言ではないのだ。
まるで神の思し召しのような、悪戯のような。
絶望しかなかった白黒の人生が、色とりどりの色彩で花開く希望は、謎の意識にとって何物にも代えがたい喜びに変わる。
それだけに、白銀の蜘蛛にとっては傍迷惑もいいところ。
謎の意識の願いを叶えるために、白銀の蜘蛛の人生を破滅に追い込むかも知れない行為は、全く公平ではない。
例え白銀の蜘蛛が、元々謎の意識の一部だったとしても。
姿こそ見えなくとも前世の力と能力はブレた様子もなく、白銀の蜘蛛に憑依できれば、それ相応の動きも可能なほど。
だからこそ悪魔のような囁きが謎の意識に語り掛ける。
自身の目的を叶えつつも、白銀の蜘蛛を幸せにする方法を考えるが、そこに敵の思惑も必ず絡んでくるはずだ。
でももう、謎の意識には後戻りが出来ない。
「お前、本物の人間になりたくないか?」
「い、いきなりなんなの! に、人間なんかに、きょ……、きょ、興味ないッ!」
長く共に過ごす中で、時折オアシスを求めて人間が来ることが度々あった。
周囲に休まる場所がないからか、人間の表情はとても幸せそうで穏やかだった。
それを陰で見ていた白銀の蜘蛛に、人間への興味が傾くのは自然なこと。
しかしそれは白銀の蜘蛛にとっての長い長い地獄への入り口だ。
「に、人間になれたら、友達、つ、つ、作れるの? た、……例えばだよ? 例えばッ!」
本音が駄々洩れの白銀の蜘蛛。
そんな様子を見ても、謎の意識に罪悪感が勝らないのだから、相当いかれている。
「作れるさ、上手く立ち回ればな。先ずは名前を決めよう、名を名乗れば人間も親近感を湧かせて仲良くしてくれるかも知れない」
「そ、そうか! アンタ凄いね! そうだな……、えと、なんか、すぐには思いつかないなぁ」
「……【グアン】なんてどうだ?」
「グアンか! 良いね! 私はグアン! くぅう、グアンかぁ!」
名前を与えられた嬉しさから周囲を走り回るグアンに対して、この瞬間から謎の意識に与えられた時間が進み出す。
つまりは寿命が設けられたということ。
「ねぇ、アンタこそ名前は? 名前、あるんでしょ?」
「……名は、もう捨てた」
哀愁漂わせる発言に流石のグアンも黙り込む。
しかしグアンはこんな事でへこたれない。
「なら、アンタも名前を決めようよ! 名無しは色々面倒だし、私が決めてあげる!」
「いい。必要ない」
短い言葉で断固拒否する姿勢は、頑固者を彷彿とさせる言い方だ。
しかし謎の意識にとって、それほど気に障るような発言をしたとは思っておらず、煮え切らない想いを心の隅に置いたまま、グアンはこの会話を終えることしか出来ない。
***
「……人間と我々の間に神が存在するのなら、なぜ、神はこうも我々に無慈悲なのですか」
様々な感情を押し殺して、今を生きる天使とも悪魔とも呼ばれた者たち。
人間を信じ、慈しみ、共に涙する。
それを根本から覆して、真っ先に裏切ったのは誰なのか。
揺れ動く心はどちらにも存在していて、似て非なる点は恐らくほんの少しの優しさ。
「陛下……」
グアンが寝静まった頃、謎の意識は思いの丈を夜空に放つ。
『貴女は本当に気難しいのね。顔の筋肉を硬直させ過ぎだわ、これからは笑う事も覚えなさい。きっと可愛らしくて素敵だと思うの』
陛下と呼ばれる人物との交流。
何処までも不器用な謎の意識に感情を与え、感動を与え、希望も与えてくれた。絶望のどん底の中でも、共に過ごす時間は全く苦にならなかった。
ただ一つ、生き急ぐ姿を見るまでは……。
「グアン、お前には以後起こる地獄を耐え抜いて欲しい。助ける事は出来ない、話を聞く事も出来ない、寄り添う事すら出来ない。だが死は選ぶな、何があろうと絶対に死なせはしない」
あまりに自己中心的な発言の数々の中に一本、確かな意志が通っているのは気のせいか。
「ふぅん、そう。なら全面的に協力するって言ったら?」
「……起きていたのか?」
「ついさっき」
「そうか、良い心掛けだ。私との契約でお前は人間の姿を手に入れる事が可能だ。代わりにグアンと言う名前以外の全ての記憶を削除し、尚且つお前の身体を私と共有させてほしい。つまり必要な時、私の支配下で人間としての身体を余す事なく利用したい、と言うことだ」
「うわぁ、想像の上の上を行く発言……」
ドン引き気味のグアンではあるが、拒否や否定が見受けられないのは許容範囲と言うことか。
「じゃあさ、契約する代わりに名前! 教えてよ! どうせ記憶消えるなら問題ないでしょ?」
「名は捨てたと言っている」
「いい加減、勿体ぶらないでさぁ! さあ!」
全てにおいて協力的なグアンの勢いに押されて、謎の意識は口を開く。
意識しか存在してないはずなのに、脳裏に浮かぶ最愛の人。
普段笑わないのは同じなはずなのに、いつも一方的に表情の乏しさを指摘する。
しかし謎の意識の名を呼ぶ、その時だけはとても楽しそうに笑うのだ。
「名は……、私の名は、アリバ」




