第十四章 もう一つの世界線①(ジュノ視点)
「……、へ……、へい……か、へいか……、へいか! 陛下!」
恐らく自身を呼んでいるのだろう《陛下》という一言。
その煩わしい呼び名で目覚めた自分は、頭に響く酷い頭痛と目眩を我慢しながら、気を失っていた分の時間を取り戻すため、再び気が狂いそうな膨大な量の書類を一枚一枚目を通す。
「陛下、もうおやめ下さい! これ以上は身体に毒です! もうおやめになって下さい!」
なにかしらの不安に苛まれた《彼女》は、涙目になりながら書類で埋まるデスクの横で急遽土下座になって、心からの懇願を言い表すように、床に額を擦りつけてまで決して引かない。
どうやら自分以上に自分の体調を、とても親身になって気に掛けてくれているようだ。
そんな彼女を簡素で曖昧な言葉で言い包めると、涙を溜めた悲しい顔で自分を見つめる。
「陛下……、どうか拙い私の言葉を、どうか、どうかっ、どうかお聞き下さいませッ!」
どうやら頑固なのは自分だけではないらしい。
恐怖と怒りが交互に揺れ動く感情で声が震えつつも、懸命に主張を曲げない。
どうしてもこの仕事を止めたいらしい。
だからこそ彼女は眉間に皺を寄せながら、涙目で訴えている。
いつも何か気に食わない、気に入らない表情で、爆発するとたまにヒステリーにもなる。
でもそれは自分を想っての言動。
もちろん毛嫌いする必要もなければ、五月蝿いと思ったことも一度だってない。
それどころかやる気をくれる、一番身近で一番大切な側近。
「陛下! どうか陛下ッ! お聞き入れをッ!」
そんな彼女が全身全霊で自分を守ろうと、あの手この手で身を捧げる。
その姿に流石に折れた自分が目にした彼女は、額に傷をつけながら涙を袖で懸命に拭って、満面の笑みで自分の手を引こうと傍に近づく姿に自分は大きなショックを受けた。
ここまで自分を想ってくれる彼女を蔑ろにして、自分は一体何を頑張っていたのだろうかと。
ずっと共に生きて来た中、常に不安と恐怖に見舞われて生きてきた中、彼女の幼少の頃にすら見せた事の無い笑顔があまりに痛々しく、自分の体調はかなり深刻だと言うことを悟る。
《陛下……、陛下? へ、…………いか、…………かッ!》
全てが夢か、幻覚なのか、彼女の声は次第に遠くなる。
ただ彼女を置いて居なくなる事が大変気がかりで、死んでも死にきれそうにない。
どんどん遠くなる意識の中で、走馬灯のように記憶を掘り下げる。
見える記憶があまりにも目を覆いたくなるほど残酷な事実を、今になって再確認する事は遅いのだろうか。
涙なしでは語れない辛い経験と記憶を懸命に抱いて、自分はこの一生を終えるのだから、こんな滑稽な話、一体誰の得となり得るのか。
それは自分か、彼女か、或いは。
***
「ジュノーぉ?」
心配そうな顔のステラが、私の手の甲や頬にペタペタと触れている。
「ステラ、ごめんなさい。少し別のことを考えてしまっただけよ。本当にごめんなさいね」
唐突な記憶に気が動転したけれど、ステラの気遣いを受け入れる余裕が残っていたことに少し安堵する。
一旦、この状況から現実と夢の境目に線を引いて、今しか成し得ないことを優先するために、今現在、気持ちを切り替える必要性を頭が前へ前へと前進させるのだから。
「ジュノーぉ、フレイぃ、大丈夫ぶぅー!」
「……そうね。良かったわ、間に合ったのね」
ステラの言葉で私はこの数秒の記憶がないことを知る。
だからこそ、より混乱して困惑する。
本当に今もアレが存在しているのではないかと、今も生きてるのではないのかと。
画面が創る光が私の瞳に映り込めば、誰かに身体を操作されている感覚そのままに、勝手に手が動き出す。
私の染みついた癖まで正確に把握していて、まるで流れるような作業が私一人の手で滑らかな動きも可能に、私を丁寧に誘導してくれる。
瞬間、後ろで誰かが重なり、手の甲に温かな感触を覚えて私が瞳を開くことで、この謎が盛大に紐解かれたことを知る。
(これは、まさか……、)
細かな計算式が画面を埋め尽くして、滑らかな手先の動きでなんらかの壮大な仕掛けに、手始めに脚を取られて身動きできないアイリーンへ標準を合わせた瞬間、空中から光線が一筋、姿を現した。
紛れもないそれは、強烈なレーザー光線。
〈カチャ、ヒュッ、ピピ、ピ、ピピピピッ! シュッー……ッ!〉
「こ、これはぁ……、まさかぁぁああ……――――」
何も存在しないはずの空中から解き放たれたカラクリを、誰よりも早く理解したアイリーンが全てを発言するより早く、本能を動かして、この巨体から抜け出して一命を取り留める。
空になった身体は意思のない肉体の持ち主と共に、深刻な黒い煙を焚きながら、様々な感情を大きさの分だけ曝け出して、この世から跡形もなく消えていく瞬間を目にしながら。
(間違いないわ、これは彼女が……)
「あ、あ、あのぉおぉおぉぉお、女ぁあぁぁああぁぁああ!!!」
最終兵器を繰り出したこの空間の王者に嫉妬しているのは間違いなく、その上さっさと逃げろとでも情けをかける事態が更に屈辱なのか、アイリーンの煮え切らない思いが下品な言葉となって溢れ出している。
そんな映像を最大限ズームさせてみると、アイリーンの傍に隠れていたデリムが恐る恐る現れて、アイリーンを説得しながら離れていく辺り、しっかり退路を確保していたと睨む。
様子から見るに、なにかしら彼女との契約があったのかも知れない。
(やはり彼女が、彼女は……、この世に現存しているわ!)
私と【彼女】による軽やかな手捌きによって、最後の一掃を始める。
アイリーンの生気が消えたことが合図のように、この瞬間からホンレフは完全なる崩壊へと突き進む。
建物全てを破壊して寄生人達が隠れる場所を失くして、今度はバリアの骨組みだったドーム状のガラスが割れて、大量のガラスの破片が雨となって降り注ぐ。
この出来事すべてがアイリーン側の完全敗北と知らしめているのだから。
「もう十分ね。私たちもここから脱出しましょう。きっとフレイも外で待ってるわ」
「あいぃ!」
会話にフレイと発言されただけでステラは無邪気に喜ぶ。
外が早急に生体反応を消していく現状を理解出来るわけもなく、何も知らずにステラはただ満面の笑みを見せるのだから。
そんな喜びからステラに脱出を促されて、手がかりを探して間がない頃、あの極薄のタッチパネル画面が次々重なり、全て集まると、まるで一冊の本のような手形が浮き出る。
手形は指紋認証であるため、指紋に合わせて何が機能する仕組みのよう。
ステラが面白がって小さな手を合わせるが、当然反応する様子はなく、まるで他の誰でもない人物、つまりは私を待ち望むように目の前で主張しているようにしか見えない。
他人から見れば勿体ぶるように見えるけれど、私の否定と躊躇が交差するのだから、そんな疑心暗鬼のまま手形に私の手を置くと、想像を遥かに超えて、左手の指紋がきっちり嵌まる。
恐怖はなかった。
でも極度の動揺が収まらず、私を酷く混乱させる。
《ゴゴゴゴゴゴゴッ!》
「……ジュノぉ?」
「大丈夫よ、助かるはずだから……」
押し寄せる不安から身を寄せるステラと逸れないよう懸命に抱きしめても、この轟音響く状況から最悪の事態を目撃するのが恐ろしいのか、ステラは私の胸元に顔を埋めて震えている。
バラバラとガラスの雨は私たちの空間にも影響を及ぼして、天井から砂が降り出した。
ふと落ちる砂を手にして見れば、空間に落ちる砂はとても透明で、どうやら砂のような細かなガラスの粒子が、この空間のバリアから全てを無に変えそうとしているように思う。
そんな徐々に積もる砂が不安を更に押し上げて、幾ら私が安全を言葉で示しても、ステラの心の安定を取り戻せる気配はなく、恐怖から涙を流して不安に圧倒される姿に、私は心を痛めた。
そんな降って掛かる砂が極端に少なくなった頃合いで、空間に突然風が吹くと、地面の砂を吹き飛ばす。
砂が舞い上がり、今度は掃除機のように天井へ吸い込まれて、砂が上昇する現象を見せた頃、晴天の太陽に繋がるような、天地を貫くような、一つの光の輪が出現した。
突然の出来事から、言葉にならない驚きでその場で黙ってしまうけれど、光の輪は強弱を加えて急かすように点滅しさせて緊急性を知らせてくれる。
「この光の輪の中に入れ、と言う事かしら?」
これ以上考えている暇はなく、なによりも心と体が前へ急かすように押し出す。
どうやら頭で知っているわけではなくて、心と体が何かを覚えているような感覚。
ステラと絶対に離れないようしっかり身体を抱えて、私は光の輪へすっぽり身体を収める。
思ったより小さめの光の輪だったことから、ステラがはみ出さないよう少々強めに抱く。
そんな私たちが輪の中へ入ったと同時に、ホンレフは完全なる崩壊へと突き進み始めた。
この国の中心である地下から大規模な爆発を起こして、爆撃が絶壁の根元に直撃すると巻き起こる渦に吸い込まれるように、あの鉄壁が綺麗に呑み込まれて、跡形もなく消えていく。
この国はまるで大海原で生まれた巨大な渦のような、もしくは宇宙のブラックホールのような恐ろしい光景を連想させながら、国が丸ごと吞み込まれる瞬間を私は見届ける。
ただステラに至ってはあまりの迫力に見ることを拒み、私の胸の中に埋まって震えている。
そんなステラを丁寧にあやしながら、複雑な心境で一国の終わりを目に焼き付けた。
ただ私にはまだ山のような謎の答え合わせが出来ていない。
この空間も含めて、全ての証拠が何一つ残さず消えて無くなるのだから、心中穏やかにはなれない。
ホンレフが実在していたという事実が完全に消えて、砂漠で埋められると、最後は地平線が囲うだけの光景へとあっさり変貌を遂げて、渦の勢いと規模はみるみると小さく消えていく。
(丹念に調べるべき貴重な資料が、まさしく泡のように消えてしまったわね……)
最後にジュノとステラを覆う光の輪は、ゆっくり地面に落ちて行き、地に足を着けた合図で光の輪は太陽と同化すると、本当の意味で全ての痕跡を完全に失くした。
(なにかしら意味を持って生まれた空間だと思うのだけれど……)
あの一連の出来事から、ただアイリーン達を呼び込んで贅沢させて、終わりだなんて少し考えにくくて、頭には疑問符しか湧かない。そんな私たちに、聞き覚えのある声が聞こえた。




