第十二章 いざ②
有意義な時間の中、相変わらず渦中は戦争でも起こったかのような大混乱だ。
大動乱さながらの地獄絵図が視界に広がるこの場で、ジュノはふと眉間に皺を寄せる。
ジュノが最も危惧している人物の気配がしたからだ。それは隠しきれないほどの殺気。
「ステラ! 私の後ろに隠れなさいッ!」
訳が分からず戸惑うだけのステラの手を引いて、ジュノの利き手から生成される刀が完全に装着できる前に、脅威はやって来る。
〈カッ! カ、カ、カカッ、ガッ!」
「じゅぅぅううぅ、のォォオォオオオ! スぅうテぇラぁ、をォ、渡せぇぇぇえええ!」
「あら、こんな所で出会うなんて奇遇なのかしら? 奇跡なのかしら?」
ジュノとアイリーン、衝突する二つの大き過ぎた力。
但し、ジュノは少々劣勢だ。
「じゅ、ジュノぉー……」
ステラをひた隠して死角に寄せて、ジュノの合図で背中へよじ登る事を要求する。
ジュノはアイリーンの刺激を最小限に、なるべく自身に惹きつけるために、言葉を選んで平常心を続ける。
しかし最大限の配慮を注ぎながらもアイリーンの鋭い爪に押されていて、まだ伸びきらない刀の切っ先を握るジュノの右手は、若干血が滲んだ。
表情こそ冷静でなれど、状況が全てを物語る。これは非常に危うい戦いと。
急速に腐敗して四方八方逃げ惑う寄生人が横切った瞬間、ジュノは黒塗りへと変貌を遂げた。
その妖しくも美麗な変貌を目の当たりにしたことで、アイリーンの期待はより膨らむ。
ジュノすらも手中に収めたい、底なしの欲望と共に激しい衝動に全身が駆られたからだ。
負傷から血が数滴地面に落ちたが、黒塗りに変貌したことで止血され、刀は完全に迫り出すことができたことで、押し返す力を放出して、状況はアイリーンとようやく同格に近づく。
フレイの時とはまた違う興奮で脳を刺激されたのか、アイリーンの頭にはジュノとステラしかい存在してない。
身勝手な夢を見たままこの状況に集中しないアイリーンの隙を突いて、胸部を全力で蹴り、間隔を広げて戦況を見極めるジュノだが、状況はよくないように見える。
ただでさえジュノには守るべき幼いステラがいて、アイリーンはそんなステラを執拗に求める。
ジュノ一人なら戦う手立ても、逃げる手立てもあったが、この最悪な現状に手立てはない。
アイリーンの長く鋭く尖った爪は、明らかに緑の濃度を濃くしている点を鑑みて、ステラを手中に収めるための細菌を培っているのはもう明白だ。
それは個性と捉えたくなるほどの大量の数を操る強力な保菌者として、その異質な体質をも自身の意にままに扱っている。
「実力は互角、体勢は不利、状況は……、言わずもかな、かしら?」
周囲は出口を、助かる方法を求めて逃げ惑う寄生人をアイリーンは一人手に持つと、もがき苦しむ姿そのままの寄生人を迷いなくジュノに向けて放り投げた。
この僅かな時間で博打を強いられたジュノは、アイリーンの出方を選ばなければならない。
投げられた寄生人でジュノの視界を遮られ、アイリーンがどの方向から攻撃の手を伸ばすのか、早急な判断を委ねられたのだから。
迫る寄生人相手に刀を槍のように持ち、渾身の力で頭部に向かって勢いよく投げて一瞬で串刺しにする。
瞬時に視界の妨げを取り覗くと、アイリーンの出方に備えるため再び刀を作り出すと、今度は横に持ち替える。
まずはステラの安全の確保が最優先だ。
ステラを背負ったままでは行動範囲が狭められるため、ステラを安全な場所へ匿う必要がある。
目論み通り目前のアイリーンは既に忽然と姿を消していて、そんな中、真上から影が大きくなる瞬間、刀を天に掲げて降って掛かる敵に対して斬り掛かった。
ジュノにはその敵がアイリーンではないことは大方分かっていたこと。
二体目を斬った瞬間、ジュノは素早い動作で後退すると同時に刀を地面に刺して一周、円を描くことで砂漠の砂を空中に浮かせて簡易的な煙幕として活用する。
「……ステラ、死に物狂いで私の身体にしがみつきなさい」
「あ、あいぃ……っ!」
不安ばかりが重なる中、ジュノの嫌な予感が大きく広がって、頭の中に靄を作る。
アイリーンは期待を裏切らない男。全方位に集中を欠かさず、来る反撃に心を落とす。
〈ひゅ…………ッ!〉
「……ッ、くッ!」
真後ろからの唐突な小さな音に反応して振り向けば、目と鼻の先に三度投げられた敵を捕らえて、構えていた刀で斬り込んだ。
しかしながらジュノは何かしら不意を突かれたような、そんな絶望を感じて、その後すぐ真上を見上げれば、視界いっぱいにアイリーンが落ちてくる瞬間に追いつくことで、ジュノは間一髪、アイリーンの急降下を受け止める。
「ステラッ! し、しっかり、掴まっ……てっ、い、なさっ……い!」
「あ、あいぃ……ッ!」
この苦境の中、振り落とさないよう自身の右手でステラを支えているが、真上から全体重をかけるアイリーンを左腕一本で耐えるのは誰が見ても難しい。
ステラは地面に着きたい誘惑に耐えるも、懸命にジュノの背中にしがみついてくれる。
しかしこの小さな身体では限界も近い。
アイリーンは早々に嗅ぎつけられた腹いせに、細い刀の上でゆっくりしゃがむと、黒塗りのジュノの頭を掴むのだが、掴んだ頭の頭蓋骨に興味を抱き、怒りは歓喜へと変わる。
あまりに不利な体勢ではあるが、無謀とは言え、ジュノの能力なら抜け出す方法は残っている。
アイリーンは黒塗りに顔を近づけて舐め回すように見つめれば、ジュノの美しい顔の配置とパーツ、滑らかできめ細かな肌に想像を掻き立てられて、そのあまりの歓喜から、黒塗りの皮を剥ぐ強行を思いつくと、すぐさま攻め入る体勢を整え始める。
長い爪を短く、しかし鋭く形を変えたアイリーンの考えに感づくジュノは、下半身を踏ん張り、成人男性の体重をかけられた刀を渾身の力で左手だけで真上に持ち上げ手放すと、柔らかい身体と鋭い反射神経を生かして、深く身体を落とした後、斜めから瞬時にグルンッと身体を起こし、アイリーンの脅威を掻い潜る。
左手に再び刀を成形しながら、アイリーンとの距離を置いて。
まるで面白い玩具でも見つけたかのように、アイリーンはジュノの手放した刀を手に、自らの顔に近づけ、口を開くと食してバリバリと盛大な音を立てて刀を再起不能にさせる。
「あら、環境にいいこと。でも些か気分は宜しくないものね」
ジュノから生成される刀は基本、主に皮膚とエナメル質で作られている。
つまり肉体に害ある成分は極端に少なく、放置していても数分で自然に返る性質を持つ。
実はこれには環境に沿うというよりも、後々の未来でジュノたちの痕跡、行動や活躍の証拠を完全に消し去るための、自然現象を巧みに活用した技の極みだろう。
「じゅ、ジュノぉ……ッ!」
背中で震えて怯えるステラを支えるジュノの右手は、決して振り落とさない強い意志を持ち、心の負担を極限まで失くすために優しく撫でることで、微弱ながらステラに安心を与える。
しかしアイリーンの攻撃は粘着質を増していくというのに、ステラをおぶったままのジュノではあまりにハンデが大きい。
事実先ほどの苦しい体勢に多くの体力を奪われたばかりだ。
ただ欲望に忠実なあまり、時折隙だらけなのが救いだろうか。
あれだけジュノに興味を見せても、長い爪の切っ先を丹念に舐める視線の先はジュノではなく、ステラなのだ。
ジュノのハンデの大きい状況はアイリーンのチャンス。
その幸運と勝利を手にする瞬間をひしひしと感じて丁寧に緑の爪を舐めて、襲い掛かろうとした瞬間、ジュノたちに奇跡が起こる。
〈シュッ、ピー……ッ!〉
「クガガッ、あぁああぁあ、ス、ステ、ラぁぁあぁああぁぁぁあああぁッ!」
発狂するアイリーン。
ジュノの腹部を標的に、勝利の歓喜に浸ったまま鋭い爪を差し込もうとした瞬間、透明な何かが地面から迫り出し、ジュノへの攻撃を阻む。そんなアイリーンの攻撃を妨げた透明なドームは薄氷で出来ているのにとても頑丈で、なにより触れるとほんのり温かい。
邪魔者の介入に業を煮やすアイリーンは、力の限り破壊しようとするが、ビクともしない氷のドームは内側から多量の亀裂を入れて不透明に変えて、ジュノたちの存在を隠した。
「これは……、まさか、血、……私の血を辿ったというの?」
今はもう傷跡も残っていない黒塗りの右手を見て、ジュノはある確信に至る。
「少々……、解析に時間が掛かったように思うわ。フレイに何かあったのかしら?」
フレイは自然治癒力がある限り、そう易々と困難に陥らないはずだ。
「……フレイは、一人ではないのね?」
〈キーッ! ピ、ピピッー……〉
ジュノのたった数滴の血液だけで、どれほど貞順な悪魔を目覚めさせたのかは定かではないが、ジュノの進路を氷のドームが次々と道を造り誘導して、ジュノたちを守りながら先を導く。
「ジュノぉ、フレイぃー……」
「大丈夫よ。本当にもう少しだけだから」
ジュノの背中から降りて、ここは安全と言わんばかりの周囲を見渡すステラに恐怖は残っていない。
ただ純粋にフレイを求めて強く再会を望んでいる。
〈ゴゴゴゴゴゴゴッ!〉
氷のドームに守られて、唐突に何かがせり上がったような、そんな音がジュノたちの聴覚に訴える。
外の寄生人達の絶望も跳ね返すような防音効果があっての音だけに、余程大きな地鳴りであるのは十分伝わる。
ただ何が起こったか確認する方法がないだけに、より不安を煽る。
「ステラ、急ぎましょう」
「あ、ひゃぃ!」




