第十一章 罪の代償①
「アイリィィィイイイイン! お前ぇえ、とんだ失態をしでかしたなぁあぁぁああッ!」
怒りの反応で直近のテレビを破壊して、男は激怒を動作からも表現する。
それはきっと裸体のアイリーンが顔を伏せたまま無言を貫いていたからだろう。
そんな反抗的な態度が男の怒りを余計に煽る。
暗い空間で素顔こそ窺い知ることは出来ないが、不貞腐れた態度で反省の色が見えないことだけは間違いない。
立場に存在と、男の立場と威厳を軽視したも同然のアイリーンに対して、誰が目上かを知らしめるための罵詈雑言を並べて、汚い言葉の攻撃はあまりにも威圧的で横暴な内容ばかり。
「ねぇ、私もう贅沢できないの? グアンもアレも自我が目覚めたみたいだしぃ? もう、ほんとイラついてお腹空いたぁ! 早く何とかしてよぉ!」
相変わらず他人に興味も関心もない、自欲に忠実な女。
綺麗に塗れた真っ赤なネイルに見惚れては、自身の美しさに溜息が出るほど酔い痴れている。
デリムは何か言葉を発する素振りも見せず、ただ目線を逸らして、この時間が早く過ぎることをただ強く祈っているだけだ。
この環境下で心身が正常に機能できるはずもなく、自身の不幸から勝手に薄ら笑いが出て来るほどに、この窮屈な運命に対する失意と怒りに満ち溢れる。
「なんだぁあ? 笑っている場合かぁぁああぁぁあぁあ?」
アイリーンが男に従うのが今までの常識だった。
そんなはち切れんばかりの我慢は早々に限界を迎えた故に、噴火のように派手に爆発させると、瞬間、アイリーンが片手で握りしめるのは偉そうな男の首。
決して強くない握り方ではあるが、男が怖気付くには十分なサインだった。
どうやら初めて反抗だったのだろう、この場の空気が一転した背景がそれを示している。
「あががっ、あ、アイリーンッ! お、お前、すっ、少し、疲れているッ……、んじゃっ!」
首を掴んだ手が緩んで、すとんと真下に落ちた男は、横暴さが突然消えて、驚くほど心配そうな態度へ一転する。
オロオロする目にこそ、男にとってアイリーンを責め立てていた自覚は無かったように見える。
但し発言が例え嘘でも謝罪ではなく、あくまでアイリーンに非がある言い方から、男の性格その全てを物語っている。
「あ、アイリーン、態度がなってないわよ、アンタの《偉大なお父様》だと言うのに……」
男が腹の中で様々な言い訳を展開させる中で、女が口にした言葉は、男にとって最高の手札と言わんばかりに、アイリーンに対して無意味にふんぞり返った。
「そうだ、私はお前の偉大なお父様だ。親を大切にしない子ほど罪な生き物は存在しないぞ!」
妙な自信を得て、男の表情は何か使命をやり切ったような、清々しさに溢れている。
そんな馬鹿らしいやりとりを早々に切り上げ、アイリーンは終始黙ったまま男女の視界から姿を消して行く。
命令以外の別行動は注意の対象だが、この時ばかりは静かに見逃す男女。
「ま、待って下さい! アイリーン様!」
あの二人から遠ざかりたいばかりに、特に目的もなく無言の早歩きで暗い空間を颯爽と歩くアイリーン。すぐデリムが後追うが、息が上がるほどの速足でなかなか近づけない。
「アイリーン様! あんな奴ら、放って置いても罰なんて当たりませんよ!」
今までの怯えた態度を一転して、少し強気な発言でアイリーンを引き止めたデリム。
「……お前は、《本物の親》を平気で見捨てる気か?」
アイリーンの言葉は真実の糸を絡ませ、瞬時に解けないほどの大きな塊にする。
「親と言っても、山のように居る子供の内の一人ですから……。俺なんて眼中に無いですよ」
真実を話すデリムの消極的な発言には、大きな哀愁を漂わせている。
事実、あの二人がデリムの存在を意識している様子は微塵も無かった。
「俺はこの数百年で百五十を超える子供の一人にすぎません。兄弟は世界中に散らばり、名を馳せている者も多いです。何の肩書きも持たない俺なんて、所詮空気なんですよッ」
デリムがデリムなりに抑えていた感情が溢れ出すのは、アイリーンに自分を重ねて自身の持つ力の限界を理解していると思うからこそで、何とも歯痒いものがある。
「それに彼らは産みの親というだけ。育ててもらった恩も感謝なんてある訳なくて……。全く、【エヴァン】と【エヴァ】なんて大層な名を持ったから、気が大きくなってるだけですよ!」
男をエヴァン、女にエヴァ。
それは《人間の始祖》であることを指し示す偉大な名。
あのエヴァンの少々のことで怒り狂う発狂癖が災いしてか、面倒くさがりなエヴァは放浪癖が引き金となって、二人の子供は勿論、外で出来た婚外子も多数存在している。
デリムはそんな性に奔放で、自由人な二人からできた、確かな血族。
「大体、俺はあの二人から産まれたこと事自体が大きな間違いだったと思っています。なんであんないい加減な親を持ったのか……。考えるだけでも吐き気がしますよ!」
自身の出生が憎らしいらしく、残念で遣る瀬無い思いが多々あって、一生解決できない問題を口から吐き出すことで、精神の安定をデリムは図っているのだろう。
「お前、なんでも親のせいにすれば、自分が正しくなるとでも思ったのか?」
アイリーンの直感は確実な的を得る。
「え? あッ、い、いいえ! でも、俺は何の能力も無くて、何の力も持ってなくて。アイリーン様みたいな偉大な存在に憧れるというか、なんと言うか、その……、そのッ、」
「……お前は本物のクズだな」
ある意味多方面で影響力を持つアイリーンを褒め称えれば、傍仕えとしてのチャンスを得られるとでも思ったのか、見え透いた欲を抑えきれず、溢れ出た言葉の修復はもう不可能だ。
そんなグアンの小賢しく他力本願な思想を、勘の鋭いアイリーンが見抜かない訳がない。
「まあ良いだろう。そのクズさが役立つ事もあるのだろうな、お前で手を打とう」
あのクズ呼ばわりから、アイリーンが出した答えは意外で、デリムの表情は明るくなる。
「あ、アイリーン様! 嬉しいです、ありがとうございます! 誠心誠意お仕えします!」
可哀想な出自に、両親に手駒に扱われる運命を恨んで、ひ弱なアピールも欠かさずデリムはアイリーンに胡麻をする。
お辞儀しつつ見えない顔でほくそ笑みながら。
アイリーンを騙すならそれ相当の覚悟が必要だ。
ただデリムには特別秀でた才能がない。
それでも高台から人を見下し、駒に扱う支配欲だけは人一倍強い。
両親の血を色濃く受け継いでいる証拠だが、デリム本人はきっとこの事実を言葉にしても、断固拒否する現実が見え透いている。
元々育った環境にこそ同情しても、あり余る悪行の数々が消えることはないのだから。
「…………ッ?」
速足で歩き続けたアイリーンの勢いは突然止まる。
「ど、どうしたんですか、アイリーン様?」
デリムを無視したまま何らかの異変に気付いたアイリーンは、一瞬、目を忙しなく転がす。
「来たか、まぁいい。実力で何とかするんだな。……何も出来ないだろうが」
言葉の内容とは裏腹に、これから起こる事態を想像すると笑いが止まらない。
デリムには突然笑い出すアイリーンがあまりに不気味で、心の内に収まらず、思わず表情でもその不快さを表現してしまう。
事実デリムを置き去りにして、心からの失笑からか叫び出る奇声は、他人を愚弄する普段のアイリーンそのもの。
元々アイリーンは異質な存在。
フレイたちとは真逆の立ち位置で成長を続けた、間違いなく数奇な運命の下、激しい感情に晒され、生き抜くための戦略にも長けている。
培った能力には誰も、自分自身すら幸せにできない歪なものでも、それは紛れもない努力の結晶。
その自負はあるのか、アイリーンの雄叫びは自信に溢れ、広く遠く響き渡る。




