第十章 誰がために③
「グアン、大丈夫?」
「う、うん。……大丈夫」
「……僕のこと、嫌いになった?」
「へ? な、なんでッ?」
この怒涛の一部始終を見たのだ、何かしらフレイに対する評価が変わったのは確実と言える。
表情は分からなくも、嫌われる覚悟を持って話し掛けてきたのだろう。
「嫌いになんてならないよッ! 寧ろ傍にいてくれて、助けてくれて、ありがとうだね!」
このような感謝を述べるのは今までの経験上無かったのか、照れくささからフレイの背中に顔を埋める。
同時にジェームスもフレイの背中からひょっこり出て来て、フレイを励ます。
「そうか、そうなんだ。こっちこそありがとうだね」
〈ゴゴゴゴゴゴゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ! ゴゴゴゴゴッ!〉
危機を脱した緊張感が途切れかかった瞬間、突然の地鳴りに二人は驚いた。
「あ、アイリーンかッ!」
この異変の正体にいち早く気付いたフレイは、グアンを振り落とさないようしっかり支えて、歩いてきた廊下を折り返し、すぐそこの危機を回避しようとする。
そんな地鳴りの主は、そう勿体ぶることもなく姿を現す。
「フレイィイィイイ! フレイィイィイイ! フレイィイィイイイィイイッ!」
この黒い建物を忌々しいまま破壊の限りを尽くして、襲ってきたのは巨大化したアイリーン。
地獄を渡り、輪廻を越えて、人間こそ全て自身の所有物とでも言うような扱いだ。
フレイの二倍はある人間の枠を超えた大男は、怒りの感情を爆発させて破壊の限りを尽くす。
所々動きがぎこちないのは、この身体があのネズミのキメラのように、人間を繋ぎ合わせた肉体だからだ。
当然この代物は一日そこらで完成するはずも無く、相当前から研究してきたのだろう。
アイリーンは常に狡く賢く、なにより非情だ。
自分のための犠牲は当然で、寧ろ人間にとっては喜ばしい栄光のスタンスでいる。
「こっのぉおおお、出来損ないぃ! 少しは言う事を聞きやがれぇえぇええッ!」
「まだ何らかの意識が残っているのかッ?」
未完成で不完全な肉体に無茶な命令で操ろうとするが、まだ痛覚でも通っているのか、アイリーンの命令が入って来ないようで、一人暴走をしているようだ。
「……グアン、逃げた方が賢明かも知れない」
「わ、私もそう思う」
拙い動きでフレイを掴もうと必死で足掻く大きな手は、ただ虚しく空気を掴むだけ。
アイリーンの思い通りに操れない苛立ちから、全身を駆け巡る血管が浮き出し、今にも噴出しそうだ。
これほど残酷な仕打ちを受ける複数人の身体は、アイリーンを憎むことも許されず、小間使いも甚だしい奴隷以下の扱いを受ける現実を理解したのか、暴走を始めたのだから。
「ぐぁあぁぁぁああああッ、あぁぁあああぁッ!」
ただの痛みによる暴走か、アイリーンに好き放題扱われることへの復讐か。
建物をしらみつぶしに潰して、大男は逃げるフレイたちを追う形になるが、逃げるだけでは何の解決にもならないと悟ったフレイは、逃げることを止めて、大男と向き合う。
「全く、良心を持てとは言わないが、せめて自分の尻拭いくらいは責任を背負って欲しいね」
あの心からの叫びを聞いて、この大男に穏やかな眠りを与えるための判断だ。
建物の破壊、空間の崩壊が止まらないが故に、ただ闇雲に逃げても、最終的に巻き込まれるのが末路だろう。
なによりも今フレイたちのいる空間の秩序を守るため他ならない。そんな対峙を決めたフレイを前に、黒い空間は鋭い白黒の破片がいくつも宙に浮く現象を見た。
〈グググッ……、ガッッ!〉
「? こ、これは、この感じは……、もしかして、同胞?」
アイリーンにも操れないほど暴走する大男に対して、宙に浮いた白黒の破片が、大男を標的に一斉に襲い掛かったのだ。
この異様な白黒の破片は意志を持って、大男ではなく、本元である憑依したアイリーンを的に一気に攻め掛ける。
〈ゴッ、ガガッ、ドドォォオォオオオンッ!〉
それは容赦ない攻撃で、大男の頭部に向かった破片はゆっくり捩じって、引き抜く動作を行うと、生気を失くして重力に基づいて、真下へ次々刺さると同時に廊下が底抜ける。
しかし白黒の破片の反乱はこれに止まらず、再び破片に生命を芽吹くように、この空間の破壊される前の状態に戻す動作と共に、アイリーンを締め出すための亜空間を創り出し、永久に封印するためのパズルを素早く組み立て始めるのだ。
「こ、このぉお、くそぉおお、放せ、放せ、私を放せェえぇえぇえええッ!」
勘の鋭いアイリーンがこの危険を敏感に察知するも、憑依した肉体から脱出できない。
恐らく、大男にされた複数の肉体の持ち主による、報復と見ていいだろう。
「ひいぃぃ、……あ、あぁ、が、がぁ、、あ、あぁああぁあッ!」
そんな永久の死を前にただ足掻くだけのアイリーンと思われたが、窮地に対する対応は酷く冷静なもので、利き手である左手を懸命に動かして、自らの心臓を掴んで破裂させたのだ。
寸前ところで大男から抜け出せたアイリーンだが、大男達の魂は異空間に囚われ、現在フレイたちのいる空間では二度と存在できない場所へ閉じ込められた。
そこは地獄より更に厳しい、苦痛の連続の場所。
自分さえ良ければと起こした愚行は、同じ人間にも容赦なく、ゴミのように扱うアイリーン。
そんな血も涙もない光景を見たグアンは、何一つ言葉が出てこないほどの衝撃を受けている。
「アイリーンッ! 君のやってることは誰も幸せになれない、誰のためにもならない、無意味な行動と気付け! 君ほどの能力者なら僕の言葉の意味が分かるはずだッ!」
これはアイリーンの行く末を想うからこその教訓。
しかしそんな言葉に耳を貸さないどころか、フレイへの怨恨を貫いて、新たな肉体に憑依する行動を起こしたことで、黒い異空間は正常を取り戻した。
空間の秩序を破壊し続けるアイリーンの責任は重くなる一方だ。
アイリーンが空間の殆どを破壊したことで、同胞の修復虚しく、現在の空間を維持できなくなると、今度はブラックホールのような、壮大な深い底なし沼を創り上げた。
先ほどの白い空間の経験から近づく対象にならないはずが、妙にフレイの心に引き込まれる魅惑の渦でもある。
「ねぇ、フレイ。まさか、……降りるの?」
「多分大丈夫だよ。危険な香りはするけど、悪い人ではなさそうだから」
黒い空間に堅板のような物体を三枚せり出させて、渦へ続く螺旋の階段を作り出し、まるで「早く降りて来い」と言わんばかりにフレイを誘発しているようにも思える。
先ほどの強制封印は十中八九、アイリーンを狙ったもの。
最終目的は一致しても、その過程の方向性や思考の傾向がフレイのそれとは異なることを黒い渦が示している。
そして疑心暗鬼の塊は、未だフレイを敵視している可能性はまだ捨てきれないのだ。ただ間違いないのは、グアンに危害を加える気が全くないこと。
「グアン、君は誰かと交流があった? 君を尊重してくれるような」
「交流? じゅ、住民となら極稀にあったかも知れない……」
「……そうか。そうだよね、ありがとう」
グアンには見当つかない話と知って、同胞の動向はますます不透明になる一方だ。
勿論敵でないのは当然として、フレイもグアンにも何かしら個人的な感情を持っているのは確か。
フレイを嫌う理由も分からぬ相手を信じるのは容易ではないが、間違いないのは、今までフレイをどんなに嫌っていても、攻撃する素振りは一切見られなかったことだ。
だからフレイの同胞に対する評価だけが、うなぎ登りなこの状況。
「ふ、フレイ。……本当に大丈夫ここ?」
「大丈夫だよ、ゆっくり歩くね」
螺旋階段がフレイの歩く速度と歩幅に合わせて、数の限られた三枚に黒い板が現れては消えていく過程を繰り返して、底の見えない渦の中心に近づいていく。
渦はより近づくことで迫力を増し、まるで場違いの巨大な異空間がフレイたちを飲み込むような構図。
ただ意外なのが、風の発生はなく、全くの無風であること。
現段階では黒い渦の原動力は判断出来ず、ただ近づく度、ここは渦ではなく、まるで砂漠の蟻地獄を連想させるような、そんな壮大な印象でグアンの不安を煽るのだ。
そんな怖がるグアンを安心させて、フレイは進むことを止めない。
しかしこの長い道のりが、同胞に対する疑問を絡ませて、考えれば考えるほど深みに嵌る。
まるで本物の蟻地獄に引きずり込まれたような。




