第十章 誰がために②
『これがフレイ、なのか……』
アイリーンの一方的な攻撃というよりは、虐待に近い行いに、我慢を強いられるフレイの動向を全方位見渡せる立体的なこの空間全てを透いて、分析結果を全て文字に起こした堅苦しい文章を丹念に読み込む。
対象人物はフレイと、アイリーン。
但し、アイリーンに関しての身体調査は随分前から知り得たものだが、今回の事態はその情報を全て白紙にするような、そんな覚醒による興奮状態から、恐ろしい熱量でアドレナリンを放出してる実態を事細かく分析することに成功している。
それだけでも興味深いというのに、それ以上の恐ろしい生態に開いた口が塞がらない。
爪に仕込む細菌やウイルス、挙句寄生虫を存分にフレイの血肉に送り込むアイリーンだが、驚くことにフレイは遺伝子強化させた白血球と赤血球の活発な動き、更には細胞の活性化によって、次々と根絶に成功させているのだから。
『……まさかこの男、細胞全てが脳に繋がっているというのか?』
それはフレイの身体を透いた結果、見える内部の構造は尋常でないほど複雑な形式を辿って いるが、それらを歪な部分も存在せず、非常に美しく組み立てており、神経が持つ性質の領域は、肉体の限界などとっくに超えている。
あまりの驚きに感化されても、一度頭を整理するため、このデータを文字に起こそうとするが、その膨大な情報量によって全て文章に起こせそうにもない。
だからこそこれらを計算して自身のものに、加えて手玉転がしているのだとすれば、フレイの潜在能力には驚愕としか感じられない。
『し、信じられない……』
まるで日光が届くような流れで、超高速で降って掛かる暗号の数々を処理するものの、フレイの生態の真相に重きを置くが、フレイという超人は、秘密という言葉で壁を作らない。
ただそれらは秘密にしても公開にしても、誰にも解けない量と、誰にも再現できない質を持ってして事細かく正確に組み立てているのだから、フレイの強さの元を垣間見たようなもの。
ただフレイの意向を無視して行われる自然治癒力は、あくまで生き延びるために働く機能を高めたもの。
しかもフレイが行う目的が、他者を守るために発揮される超人的能力であり、誰の手にも、例え同胞であろうがなかろうが、詳細の解明は不可能なものと思われる。
つまりフレイは科学では、自然でも判明出来ない未知の生物。
『奴は様々な奇跡に愛された人物とでも言いたいのか? フッ、笑わせる……ッ』
ジュノの生物としての意思疎通を図れる毛髪ならあり得る現象と思われたが、フレイの毛髪はフレイ自身の想いが肉体に潜んだ根幹なる脳へダイレクトに通じることで、フレイであってフレイでない者の命令の下、この進化を可能にしているという、実に元始的なもののはず。
つまりフレイの身体は、意志と命令の在り方を根本から覆す、前代未聞の能力と言うこと。
例えばジュノ主体の細胞の方は目に見えた働きで能力を露わにするが、フレイの細胞は細胞主体であるため、言わば底の見えない未知の領域であり、末恐ろしい可能性を秘めている。
細胞との関係性から、肉食獣のように独断的であり気質の荒い細胞を、草食獣のように温和で気弱なフレイが自在に操れるなどと、夢物語もいいところ。
しかし実際にそれを目の当たりにしたことで弁解の余地はなく、文句があろうが無かろうが、フレイの確かな実力と偉大な存在として受け入れる以外の選択は、何一つ残っていないのだ。
***
「かぁあぁぁ、攻撃がぁあぁぁあ、全ッ然ッ通用しねぇぇえぇえ! ムカつく、ムカつくッ!」
一時はアイリーン優勢に思えた現状。
しかし時間を費やせば費やすだけ鮮明になるのは圧倒的な劣勢だ。
いつになってもフレイが崩れ落ちる瞬間は訪れず、アイリーンだけが無駄に体力を削られることから、余裕は消え失せ、残ったのは荒い息切れと深い屈辱だけだ。
すでに勝敗は目に見えており、全身を使った乱れた呼吸は、心まで乱して追い詰められたアイリーンに対して、紅塗りのフレイが一歩前進するその勇ましさに押され、行き場のない激昂を募る嫉妬にすり替えて、ここへ来て改めて標的をグアンに変えた。
「フレイィイィイ、後悔してもぉ、遅いぞぉォォオオォオオォッ!」
右手の爪を結合させて一本の槍に変化させると、迷うことなくフレイの心臓に突き刺し、背負うグアンと共に貫通させる目論見を立てるが、フレイの心臓は鋼鉄のように硬くなっただけでなく、槍となった爪を引き抜くことすらままならない状況まで作り出す。
胸筋だけでアイリーンの爪を塞ぎ止めているのだ。
「……ッ、へ? ゴッおォォオおぉおぉぉ?」
あろうことかこの機に乗じて弱いグアンを狙った卑怯さがフレイの怒りを買い、怒り狂うさまそのままにフレイの反撃によって、一人焦るアイリーンを襲う。
唐突なアイリーンの爪の槍を自由の身にしたその反動で、アイリーンを押して右こめかみを狙った回転蹴りで足元をふらつかせ、グアンをしっかり背負ったまま屈んだフレイは、顎下への強力な頭突きによってアイリーンの顎の骨は粉々に砕け散り、衝撃で飛び出した頬骨が脳にも突き刺さる。
この瞬間、視覚の殆どが遮断され、嗅覚も鈍く、舌は口腔内を突き破った頬骨が飛び出し、息をする度に激痛を生んだ。
呼吸すら困難な重症でも、未だフレイの脅威から逃れられず、脳への信号も通達できないほどの、地獄の感覚を強いられる。普段温厚なフレイを怒らせた代償は重く、様々な痛みに耐え、アイリーンが苦しむ姿を無表情で見下げた。
状況から誰が見ても勝敗は明らかだが、アイリーンがこの結果に納得できるはずもなく、フレイに対する不満に潜在能力の贔屓に焦点をずらすことで、身勝手な嫉妬に再び燃える。
アイリーンもフレイ同様に血の滲むような努力と、多くの犠牲を払って掴んだ能力なのだ。
しかし現実はアイリーンの理想とはかけ離れた結果に加えて、フレイに近づくどころか、真逆に進んだ運命に強い不満を生む毎日だったのだから。
それが今の原動力になっているが、未来で味わった承認欲求を満たして、贅沢にどっぷり浸かった過去を忘れることなど不可能。
輝かしい栄光がプライドとなり、高貴な過去が邪魔をして、心身を癒すためのランクも落とせず、ただただ底のない沼に落ちるこの悪循環が常にアイリーンを苦しめている。
同じ星の下で生まれたはずなのに、この落差はあまりに不公平ではないか、と。
フレイたちの苦労と苦渋を見ず、耳も傾けず、好き放題贅沢も味わった上に、負担の全てを背負わせる鬼畜の極みに、これ以上何を与えろと言うのか。
「話すことができない君の心を代弁しよう。《フレイと身体を交換できたとしたら、私はフレイと同じ行動ができるという、自身と自負がある》ではないか? なあ、アイリーン?」
「…………ッ!」
見透かされた言葉に、アイリーンの羞恥はプライドに多く刺さる。
アイリーンなりに多くの人間に揉まれて、苦難と苦境の狭間に追い込まれたは事実。
またその癒えた傷が自信となり、勲章となったのも事実。
傷ついた心が一生癒えない傷として、障害と名を変えて残ったのも事実。
人間は集団になると行動が大胆になることから、脅威への対応が非人道的なものになる。
同じ人間と思われるアイリーンさえ歓迎されないのは分かっていたことで、だからこそ人間に未練はなく、実験のおもちゃとして扱われるのもある意味、因果応報と言える。
持ち前の執念深さでフレイを追い回す唯一の人間で、人間属性の頂点に立つのがアイリーン。
「……君にも多方面で様々な苦労もあっただろう。これはただの同情じゃない、僕の情けだ」
〈ググッ、グググッ、グ、ビシャッッ!〉
アイリーンに同情は要らない。それを行動で伝えるように、フレイはアイリーンの頭部を力を入れて踏む。あくまで屈辱を与えるという名目で、脆くなった頭部を踏んで圧死させた。
まさに皮肉であり、そんなフレイの情けに答えるように、アイリーンは肉体から脱出した。




