第十章 誰がために①
「ねぇ、ジュノぉ。フレイぃ、ほんとぉに、ここにいるのぉ?」
まだ暗さが残る早朝、太陽が徐々にせり上がる瞬間を垣間見て、小さな三角の積み木を片手に握って、手の内で無造作に転がしながら不安を紛らわせてるステラは問う。
「そうよ。流石に今すぐとは言えないけれど、貴女が頑張れば早く会えるでしょうね」
ホンレフを見下げるジュノの発言で大いに意気込み、笑顔で猛進しようとするステラの服をつまんでしっかり阻止するジュノは、先ほどから旋回する一羽の小鳥を呼び寄せた。
「チュン、やっぱり上空からの侵入は不可能なのね。ただ……」
ジュノの言葉に反応すると、チュンはジュノの指し出した人差し指に乗る。
「ジェームスからの伝言、あるいは何かしらの印を返した兆しはあったかしら? 彼はこのホンレフに侵入できたのよ。僅かに生体反応が一本通っているの」
毛髪から生存確認は判明しても、通信手段が全て断絶された状況だ。
ジェームスは意思を持った特別な個体であることから、自身の判断で行動している可能性が高い。
だからこそフレイとジェームスが置かれた状況把握と救出方法を、常に模索していたのだ。
そんなチュンも、随分前から連絡が途絶えている現状を首を左右に振って表現する。
「そう、できれば今回に限っては、なるべくフレイだけでことを解決して欲しいと思っていたのだけど。そうも行かないほど混乱させてしまったのね」
今回この事案に関しては、ジュノ本人が直接関わることに随分と消極的だ。
ただその判断こそがこの動乱を招いてしまったのならと、大層反省している様子が窺える。
「ジュノぉ、早くフレイぃにぃ、会いたぁあいぃぃ!」
ジュノの話を理解しないまま、ステラは自身の欲を満たすために大変熱心だ。
「待ちなさい。少し、様子を見るわ。〈アレ〉が私たちの存在に気付いたら、否が応でも道を開くでしょう。もう少しの辛抱よ、良い子にしていないとフレイと会えなくなっちゃうわ」
ジュノの言葉を得て、ステラは今にも泣き出しそうな感情を懸命に押し殺す。
「ごめんなさいね。我慢しなくても良いと言ったのは私なのに……」
「ぬぅッ……!」
今一番欲しい言葉をフレイからではなく、ジュノから受け取ってしまった。
その事実こそがまさに現実と知って、尚更フレイが恋しくなる。
そんなステラの機嫌の波を見極め、ホンレフ侵入の機会を見極めながら、ほどよく吟味し、的確な解決に進む方法へ、ジュノは正確な舵を切る。
***
「フレイッ! もういいよ! 死んじゃう、死んじゃうよッ!」
真正面から受け止めるアイリーンの平手打ち。
受けた傷口から細菌やウイルスを侵入させて、フレイの身体は菌とウイルスの温床となる。
紅い皮膚がヘドロ状になっても、フレイは一向にアイリーンに背中を見せない。
アイリーンが研究している試作だろうか。
即発性の高い寄生虫まで呼び寄せることで、フレイの血肉を糧に細胞分解を起こして、内部に入り、驚異のスピードで侵食していく。
これらはフレイの回復能力より早く、即座に身体中を蝕むのだ。
「……ッ? これは、この感じは、君のオリジナル、なのかッ?」
フレイは体内に続々と入る悪害に、今までにない、未知なるウイルスの存在に気が付く。
「わ、わたッ、私に、ふ、不可能ぉっ、など、なぁあぁぁああいッ!」
歓喜に湧くアイリーンを尻目に、フレイによる分析が早々に行われるが、分析が間に合わないのをいいことに、アイリーンはフレイにお仕置きという名の地獄を与え続ける。
それでもフレイはグアンを手放す選択は存在しない。しかし蝕まれた身体は、フレイ自身にも実感できるほどの、心身への多大な影響が襲い掛かって来る。
頭痛、目眩、突然の発熱。
体内への侵入を極力抑えるよう、脳から最大限の警告を全身に轟かして、この困難に臆する様子を見せず、絶えず真正面から立ち向かうことを止めない。
そんなフレイの背中で震えるグアンは、フレイのために出来る何かを必死で探す。
「ふ、フレイィィィイイイイ!」
まるでサンドバッグと戯れるように、アイリーンの機嫌は大変良好。
少しずつ穢れて体力を失うフレイの変化ほど、今までにない興奮と快感を感じ取る。
ステラの肉体を獲得できた時ほどの、こんな快楽がアイリーンの人生にあっただろうか。
恋焦がれるフレイに更に近づく夢がすぐ傍まで迫っているのだから、今、この感情を止めることができないのだ。
ただアイリーンの発する悲鳴は、激昂と喜悦の区別がつかないもの。
そんな身勝手な感情を押し付けられても、フレイが送るアイリーンへの視線は変わらず丸く白光する凛々しい眼が歪む瞬間も、淀む瞬間も、一時たりとも見せはしない。
諦めない姿勢がフレイを前向きにさせるのだが、そんな感情と行動が実のところ、アイリーンは更なる興奮で気を狂わせる一つの要素に過ぎない。
そんな興奮から血が全身を巡って脳天を突き抜ける感覚が癖になるほどに、アイリーン有利に廻るこの感覚に、多幸感が止まらない。
しかしこれ以上は予測不可能な未知の領域。
フレイとの明らかな力量の差をよく理解しているアイリーンだからこそ、フレイという極上の肉体には特別な下克上の響きと共に強烈な魅力を放つもの。
それをどんな手を使っても手に入れたいという欲求に比例して、瞬時に伸ばした爪に大量の菌を流し込む行為は誰にも止められず、卑怯な攻撃は執拗に執行され続ける。
事実フレイは時間を追う毎に生気が消えて、立ってるのさえ困難に見える。
夢見た現実が近づく度に、アイリーンの脳内は豊かな煩悩にまみれた。
死してすぐ他人の肉体を強奪する、人間としての本質を見失った一人の男、アイリーン。
自分自身と向き合わなかった代償と共に、自分だけでは満たされなかった複雑な想いを糧に、アイリーンという男を実力上位に押し上げたのは事実。
幸せな夢の到達に、フレイという名は必要でも、その魂を傍に置く必要はない。
結局どんな愛を囁こうとも、アイリーンにとってフレイもただの踏み台でしかないのだ。
妄想が現実へ近づく合図に酔い痴れるアイリーンは、フレイへの攻撃をより激化させる。
声も上がられないフレイの状態に深刻さが増し、見るに堪えない幼いグアンが必死にフレイから降りようと奮起するが、ふんわりと柔く包んでくれるのにしっかり背中に押さえつけて固定されて、グアンの力では振り払えそうにない。
フレイを助けるための最後の抵抗とばかりに、成人の身体に戻る判断をするも、フレイはグアンの足をぽんぽんと叩く合図で、決して発動してはいけないと知らせるフレイの意思を垣間見た。
それがグアンの鼓動を静かに、判断を冷静に振り分けて、恐怖と怒りに震えるグアンの混乱を穏やかに正常へと導く。
フレイには何か、何らかの勝算があってのこととグアンは受け止めた。
しかし未だ厳しい拷問は変化の兆しを見せず、見るに堪えない有様は嫌でも聴覚や視覚から次から次へと情報が入ってくる。
今、グアンがフレイの為に出来る事は、フレイの意思を尊重する以外の方法がない。




