第九章 巡る空間④
「ジェームス、これって……」
ガラクタの山を掘り起こして、フレイが目にしたものは、単なる白い床であり、それ以上でもそれ以下でもない。
期待が大きかっただけに、この落胆は大きい。ジェームスはジェームスで申し訳なさを感じているようで、フレイの周囲を飛び交い、複眼は七色に光る。
「……ジェームスは確かにここから来たの?」
フレイの問いに体を縦に振る動作を全身で激しく行うことで、表現するジェームス。
「そうか。そうとなれば、よりややこしい事態になったな……」
このジェームスの一件から、排出口だけでなく、侵入口も移動している事実が判明したのだ。
つまりこの空間から脱出する為には、外からのアプローチが必須ということ。
よってグアンか、将又ジュノが気付いてくれない限り、脱出は無謀と知らしめている。
「大丈夫だよ。不安にならないで、ジェームス。必ずここから脱出できるから」
落胆が見えるジェームスは、元々仕える主人がジュノであるだけに、こうもフレイに忠義を示してくれる存在をぞんざいに扱いたくはない。
なによりジェームスとの回線が途切れたのを理解して、ジュノが何かしら打開策を講じてくれているだろうと考える。
ただ助けは必ず来ると分かっていても、時間だけは待ってくれない。
「とにかく、今は好機を……ッ?」
気持ちばかりが焦る中、突然フレイの右肩が疼く。なにかしら共鳴を呼ぶかのように。
「こ、これはッ!」
それは酷く小刻みに震える感覚であり、失った右腕の手先の感覚がまるで完全回復でも成し得ようするほどの激しい引力。
筋肉から血管、神経が同調を起こしている事態に、グアンがこの空間から引き抜こうとしてくれているのがよく分かる。
「ジェームス! 今すぐ僕の手のひらに入ってッ!」
咄嗟にフレイの左手のひらへジェームスを誘導したフレイは、ジェームスを潰さないよう丁寧に指で包むと、右腕の共鳴と覚醒に集中する。
空間が生む乱暴な引力斥力に引き込まれるのは、眩いばかりのフレイの右腕だけでなく、この壮大な白い空間をも巻き込んだ。
白い空間がフレイの放つ覚醒に耐えきれないのだろうか、次第に割れ始め、べりべりと一枚板のハリボテのように難なく剥がれていくのだから。
白い空間が剥がれた世界は、大量の排出口を召喚して、白い世界は早急に真っ黒な世界へと真逆の変化を見せる。
どこまでも続く暗闇は、風を呼んで渦を呼んで、まるで寿命が過ぎたブラックホールでも見ているかのようだ。
そんな黒い空間は、フレイの精神を崩壊させる行動に出る。
『フレイ、お願いよ。ここに居て頂戴』
『フレイぃ、ここぉ!』
『ステラも貴方を求めていうのよ? ずっと三人で一緒にいましょうよ』
大切な存在の声で聞き心地いの良い言葉を使うのは、生きた空間があの手この手と手法を変えてフレイを誘惑しながら、悪夢の入り口へ引きずり込もうと画策している。
「アイリーンに弄ばれた末に葬られた、人のカタチを消された者達の成れの果てか……」
黒い空間に生命は存在していないはず。
なのにただのゴミ置き場にしては出来た空間だ。
例えば実験体として命を玩具に、粗末にされた者達を、同胞が組み立てたこのゴミ捨て場を二次活用して、アイリーンの研究の維持を保ったのではないかと、フレイは踏んだ。
魂は肉体を持たぬ故、ジュノやステラの情報はフレイの記憶から覗くことが出来たのだろう。
相変わらず血も涙もないアイリーン達の他人に対する扱いは、非難に値するものだ。
〈フ、……、イ! フレ……ッ! フレ、イ……ッ!〉
「ん? 空耳か? 違う……、これは、グアンだッ!」
危険な言葉に惑わされないよう、確かな道を手探りで探すフレイに、グアンの懸命な叫び声が微弱に鼓膜を震わせる。
確実聞こえるグアンの力強い叫びは、フレイの心に確信を与えた。
グアンの声が導く方向へ身を任せ、フレイの実体が光となって細胞が分解した瞬間、フレイはゴミ溜めから存在を完全に消す。
フレイが消えた後の空間は、絶え間ない絶望に溢れ、風に乗って悲しい共鳴は空間を更に破壊へと導く。
もう二度と誰も助けてくれない、生涯孤独な空間へ生涯を過ごすことになるのだ。
よって永遠に意味のないループを辿る道しかない、希望のない空間は魂すら残らない環境へ、永久の死の空間として最下位へ降格された。
***
「フレイ! フレイ! ……フレイッ!」
あの白黒の空間から聞こえた遠い叫び声は、今しっかりとフレイの耳を通る。
「ぐ、グアン! 良かった、ぶ、無事……ッ? で???」
離れ離れになってからの、あの時の後悔から改めてグアンをその瞳に映すも、一瞬の安心感は大きな疑問に変わったことで、フレイの記憶は大いに混乱する。
今のグアンはとても女性などとは言えない、まさに幼い少女そのものなのだから。
「ごめんフレイ。騙してたわけじゃないんだけど、こっちの姿もあって……」
目線を逸らして言いにくそうに発言するグアンだが、そんな問題は些細なこと。
無事を確認できたことこそが一番大事で、フレイの、グアンの緊張は一気に放たれた。
「「と、とにかく、無事で良かった!」」
安堵する気持ちが重なった一言は、すぐに笑いに変えられる。
そんな二人の間で、同じく笑う仕草を複眼で七色に点滅させながら仲間に入るジェームスの存在にグアンは気が付く。
「ん? あぁ、グアンは初めましてだね。この子はジェームスって言うんだよ。赤くて最高に格好良くて、最高に役に立つ、最高に賢い昆虫でね、僕たちの大切な仲間なのさ!」
「こ、昆虫ッ? 私、こんな綺麗な昆虫初めて見た!」
フレイの紹介で警戒心を失くしたグアンが、まじまじと見れば見るほどジェームスの美しいフォルムと溢れ出る社交性が魅力的で、瞬く間に打ち解けた一人と一匹。
少し興奮気味なままのジェームスを指に乗せて、グアンは宝物のように丁寧に扱う。
なによりジェームスがまるでグアンを異性として意識するように、まんざらでもない仕草で照れ気味なのが傍目からでも分かるほど。
そんなグアンがジェームスに興味津々なのをいいことに、フレイは分断された右腕を繋げると、調子を図るために左手の握力と腕力を比較する。
「よし、神経から筋肉、血管までしっかり繋がった!」
普段と変わらない右腕の状態に満足したことで、改めて今、周囲を見渡す。
フレイがこうも冷静なのは、グアンたちが今もほっこりとしているのも、この場所が侵入開始地点の女性の寝室であった白黒の塔の入り口だからだ。
グアンが引き込まれた背鏡は二度と鏡としての役目を果たせないように、粉々に割れて砕けてしまっているのだから。
「……グアン、君はどうやってこの場所に戻れたんだ?」
「あ、透明なでっかい建物のでっかい椅子にあった隠し扉に入っちゃって、目を開けた時にはここに居てさ。そのあと突然右腕の数字が光って、フレイがどこかで困っている姿が見えるその板に映ってて。で、懸命に叫んでたらフレイがこの板から出でてきて、でもすぐ割れて……」
「僕と右腕が共鳴していたことは間違いないよ。その大きな透明な建物というのは?」
「なんだかよく分からないけど、全部透明な、氷? で出来てて。でも噂で聞いた話とは全然違ってて暖かくて。だから何が何だかよく分かんらなくて……」
「そう、暖かな氷、ね……」
フレイに思い当たる節は全くないものの、未だ分からぬ同胞の能力と取る。
そしてもう一つ確信を抱いたのが、同胞はグアンの願いに弱いことが考えられる。
今まで苦汁を嘗めさせた罪滅ぼしの可能性もあるが、今になって動けた理由があるはずだ。
勿論のこと、フレイがやって来たこともある程度関わっているだろう。
「グアン、恐らく同胞はアイリーン達の排除を切望しながら、理由は定かではないが酷く疑心暗鬼になって僕を試している。それもかなり強制的な方法でね。……何か理由があるのかも」
「そ、その同胞って人、結局私たちにどうして欲しいの? あと、アイリーンって?」
「そっか、グアンはアイリーンを知らなかったんだね。でもきっとすぐ嫌でも理解すると思うから無理して知る必要はないし、何より今だけでも知らない方が幸せだと思うんだ」
不安そうな表情のグアンの頭を優しく撫でると、フレイは更に言葉を付け加える。
「同胞がどんな人物で、何を企んでいるかは分からないけど、間違いなく君を守っている。グアンの事をとても大切にしていて、君の身に起きた出来事に心を痛めているのがよく分かるよ」
フレイが全てを話してくれない事情を汲み取り、これ以上の質問や追及はただの我儘と理解したグアンではあるが、納得できない感情は表情で忠実に表現されている。
「そんな顔しないで。僕も君を守るし、無事脱出したら一緒に暮らしたいしね」
「う、うん……」
優しく頭を撫でてくれるフレイは、グアンの心にたくさんの元気と膨らむ大きな未来を与えてくれる。
なぜならフレイはグアンにとっての神様そのものなのだ。
地獄の生活から救ってくれた、唯一の人物。そう感じ取ると少し赤らめた頬を両手で一瞬隠し、屈託のない笑顔で確かな返事をした。
今の幼いグアンに似合う、愛らしい表情で。
「よし、そうと決まれば今すぐこの部屋から出よう。行き先はもう決まっているしね」
この一言でフレイが視界に入れたのは、この部屋唯一の扉。
「……僕一人で進めば地獄行き。ならグアンと進めば異なる空間へ導いてくれるはずだ」
紅塗りの姿で表情こそ判断付かなくとも、普段優しさが滲み出る口調から、真剣で少々低い声色に変わる凛々しいフレイの横顔を思い浮かべるだけで、心が弾けてゆっくり馴染んでいく感覚にグアンは耐性がない。
ただとても心強い気持ちになることだけはよく分かる。
ジェームスがグアンの肩に止まり、あの黒い渦の廊下へと、秘めた扉を開いた二人と一匹。
扉の先で待っていたのは、異常な寒さを展開する黒い廊下だった。
「何これ? あ、フレイ見て! ほら、口! 口から白い煙が出てる! な、何で???」
廊下の隅には霜ができるほどの冷気で、まさに極寒。
先ほどの暖かな氷と打って変わって、初めて見る現象にグアンは興奮を隠すことが出来ない。
しかしこの気温に対して、この薄着は流石に堪える。
「グアン、僕が君を背負うから背中で暖をとって。白い息に関してはちゃんと説明するよ」
フレイの優しさに戸惑うも、事実とても寒い。経験のない気温に戸惑いだけは溶けて消えたようだ。
少し遠慮気味に失礼したが、事実フレイの背中はとても暖かく、身体の芯から温まる心地良い温度。
ジェームスもこっそりお邪魔して、フレイの背中に一緒にくっ付く。
「じゃあ、改めて出発だよね! フレイ、いっけぇ!」
主導権を取られるフレイだが、グアンが活発さを取り戻してくれたのが実に嬉しく、フレイにも安心感をくれる。
まるで兄妹のような雰囲気で、楽しくお喋りしないがら塔の最深部を目指して、極寒の廊下を下がっていく。




