第九章 巡る空間③
「フレイ?」
体感としては長い長い夢から目覚めたような感覚。
「なんだか身体が軽い。こんなに心地のいい目覚めはは初めてかも……」
ただただ幸福な心地良い夢はあまりに充実していて、今すぐまたあの幸せな眠りに連れて行って欲しいと願ったほど。
そんな夢の時間が消え去った現実は、辛い日々が生きた怪物となって心を押し潰すように襲い掛かってくる。
ただグアンの心の平穏と脳の不穏が交錯する中、紙一重で安心感が勝るのは、フレイの右腕の存在が精神状態を安静にしてくれるからだろう。
そんな安心感を得たグアンだが、その視界に映るもので新たな混乱を来たす。
未だ何かの夢の続きを見てるのではと、撹乱しながら何度も目を擦り、頬をつねる動作も加えるが、到底あり得ない現実を受け入れる他に、良い方法が思いつきそうにない。
「なにここ……、見たことないのがたくさん。凄い……、なんなのここ?」
それはとても神々しく、非常に神秘的な空間だった。
グアンが見た景色は、透き通る透明感の氷で造られた天井も高く巨大な空間の建造物だ。
所々置いてある調度品は氷と一体化していることから、彫刻を施して造ったのが見て取れる。
グアンが初めて見た塔の内装と雰囲気がよく似た造りだが、今回は黒でも白でもなく、全ての物が透き通る氷で出来ているというのに、外装は白濁化していて外の様子を窺い知れる手段がない。
しかし何より不審だったのは、グアンが目覚めた場所だろう。
それはこの建物の中央、所謂王の玉座に当たる場所そのものの場所に寝ていたらしく、幾ら世間知らずなグアンでもなんとなく居てはいけない場所だと察知する。
玉座は大の男でも十分すぎる大きさで、幼くなったグアンなら横になっても十分過ぎる余裕がある。
砂漠では消して見ることのない氷だが、昔、風に乗ってやって来た噂とは異なり、これらの氷は心地よい温度を保っており、建物丸ごと春の気候にでもなったかのよう。
そんな生まれて初めての空間に、ほぼ先入観のないことが幸いしてか、グアンはこの違和感に気付けていない。
普通に生きていれば一生知ることのなかった世界であり、城内の物珍しさはグアンの置かれた状況すら忘れてしまうインパクトなのだ。
玉座を導く細やかな装飾も透き通っていることから、グアンの豊かなイメージによって様々な色で空間が色付けされていく。
「なにこれ、蝋燭が蒼い……?」
近づいても熱さを感じない多くの蝋燭の炎は、美しい蒼でグアンの興味を奪う。
《ガコッ! ガッガッガッ!》
すっかり炎に興味を引かれたその時、突然何かに衝突したような、擦れる音と共に一瞬、地面が若干斜めに傾いた。
「な、何なのこれ? なんか建物が移動しているみたいじゃん!」
突然の変化に怖い感情より、ちょっとしたスリルを感じることで頭はすぐ正常に戻る。
外の景色が一切遮断され続ける事態が、逆にグアンの危機感を緩和させている。
「どこか、どこか……、外に出る方法はない?」
一体なぜ自身がこの場にいるのか、どうして建物が動くのか、一体どこへ連れて行かれているのか。
判断材料があまりに少なすぎて、グアンの頭は疑問符で溢れてしまう。
ただでさえ建物が揺らぐ中、フレイの右腕を抱きながら体勢を保つには不慣れな環境。
盛大に転んで元居た位置に戻る動作を何度か行えば、流石に諦めがついてしまう。
そんなにっちもさっちも行かない中、フレイの右腕が異様な熱量で発熱を起こすことで、グアンの関心を奪う。
肌身離さず持っていた腕を引き離して、改めて対面すれば、腕の付け根が紅い色とは対照的な、黒に少しの紅と橙で【02】という数字を刻んで浮かび上がらせるのだ。
「これ……、これがフレイの言ってた数字?」
燃えあがるような紅がグアンの瞳に反射して、グアンの驚きをより際立てる。
我に戻った瞬間、自身の身体を入念に調べたほどなのだから。
しかしながらグアンの身体からはそれらしい刻印は確認出来なかった。改めて自身が凡人と叩きつけられた現実があまりに悲しく、グアンの元気を吸い取るほどの効力でどん底まで落ち込ませる。
「で、でも、フレイは私のこと、妖精って言ってたじゃん!」
一縷の望みをフレイの発言に託しても、刻一刻と進む時間が不安をかき乱して、小さな希望まで絶とうとする。
グアンが持つ情報と、それを知るための知識が圧倒的に足りないことが原因となる。
よってこうもグアンが混乱するのも致し方ない。
「私、仲間だよね? 間違いないよね? 大丈夫だよね? ねぇ、フレイ……」
想いが強くなるほど懸命に右腕を抱いて、溢れそうな不安を必死に蓋をしようとする。
フレイとの出会いは今ままでの中でも最大の転機であり、過去のどの瞬間より夢と希望を与えてくれたが、同時に自身は何者で、何を成すべき人物なのかを考えさせられた出会いでもある。
今までは生きることだけで必死で、死ねるなら歓迎するほど死にたくて必死で、なによりなぜホンレフの住人から忌み嫌われているのかも全く見当つかない毎日は地獄そのもの。
思い当たる節を過去から引きずり出す作業を何度も繰り返したことから、息を吸うように起こる理不尽理を前に、考え続ける力が本当の意味でグアンの強さを培ったのだ。
長年支配され続けた心の傷が少し癒えて、自身の主張などあり得なかった環境から抜け出して、前を向いて自身の足で歩くのは想像するより難しくなく、寧ろ解き放たれた爽快感が湧くくらいなのだから。
それを導いてくれたフレイには感謝してもしきれない。
「とにかく、私はここから脱出しないと、何も始まらないでしょ!」
フレイと離れ離れになってからの経緯を思い出し、事の解決に意欲を持って動き出すグアン。
仄かに暖かな氷の城の壁面の感触は、少しザラザラとしていて力を入れやすいことを知る。
なにより驚いたのは、地面に柔軟性があることだ。
ただ分厚い絨毯なだけではない、この時代に存在しないような弾力ある物質で、この空間が激しく動いてこけても、問題ない柔らかさのようだ。
そんな最大限の暖かさと優しさに包まれて、度々揺さぶられつつも慎重に内部を調べ尽くす。
窓から扉まで外から施錠されているとはいえ、どこか外部へ抜け出す方法があるとグアンは睨む。
これほど冷静なのグアンがホンレフの建設に加わった経験からだ。
この塔に関しては建設に覚えが無くとも、なにかしら共通点は残っていると踏む。
ただ行き届いた配慮はあっても、大いに振り回される現状は捜索をより困難に極める。
「もう、あちこち転がされて、散々ッ、だよっ!」
この状況で広い空間を全て調べるには骨が折れる。
なにより全てグアンが初めて見たものばかりで、物が透明なだけに実際に手で触れて、尚且つ細工を一つ一つ調べ尽くさなければならないほど、多くの物で溢れている。
気の遠くなる作業に、脱出のヒントがなかなか見つからない状況がグアンをより焦らせた。
ただ感傷に浸る暇を与えない不安定な空間は、あの辛い過去を一時忘れさせてくれた。
「むぅ、と、とりあえず一旦頭で考えようぅ……」
あちこちと転げ回りつつ時間を掛けて調べたのの、脱出に使えそうなものも、ヒントになるものすら見つからず、なによりこの広さだ、グアンの意欲も時間と一緒に削がれていく。
「半分くらい調べたけど、これと言った成果が出ないのがなぁ。これ以上知らべ……ッ?」
〈ギイィィ、ガコッ!〉
一度仕切り直しを考えたグアンが再び大きすぎる玉座に身を収めて、左手の肘掛けに身体を預けたところ、身体の重みからか肘掛けがへこんだ瞬間、背もたれから抜け穴が出てきた。
それは大人でも入るのに十分な大きさの隠し穴だ。
「み、見つけちゃった……、でも本当にここで良いの? なんかちょー暗いんだけど……」
少し覗いた感じ、底も見えない真っ暗闇から、その怪しさで飛び込む勇気が引っ込んだ。
〈グルンッ! ガガッ、ガガガッ!〉
「え? あ、わわわっ! あっ、ああっ!」
唐突なブレーキとアクセルにより、グアンの小さな身体は吸い込まれるように穴へ導かれる。
グアンが消え去った謁見の間は、淡々と時間が過ぎるだけのただの箱となった。




