第九章 巡る空間②
「……フレイ、」
肌寒い空間からグアンを守るように、氷のバリアは外気を遮断する。
フレイの右腕の暖かな温もりが絶えず与え続けていることから、大きな愛を受け取るグアンは、優しい眠りと軽やかな夢に包まれて、この幸福を噛み締めている。
グアンがフレイの名を呼ぶ口調と、右腕を大事そうに抱き寄せる様子は、未だ正体を明かさない同胞の心を揺るがす。
フレイがれっきとした中まで味方と言うのはよくよく理解しているようだが、同胞の中の何かがフレイの存在を全力で否定しているように思う。
しかしながら今はそんな些細なプライドに左右されている場合ではない。
本当の敵の魔の手がすぐそこに迫っている最中だ。
いくら優雅で滑らかに見えても、硬い氷であることは変わらず、氷の翼が極端な角度を変える度にヒビを作り、空中を飛び回りながら氷を溶かしては再び固める修繕作業を繰り返して、氷の城とその翼は直角を滑らかに曲がる。
遅れて後方、後を追う黒い猫になったアイリーンが空と飛ぶ小さな氷の城を追う。
塔内部は漆黒の内装で、穏やかに光る氷の城は大いに目立つことでアイリーンに余裕を与えるが、突如、氷の城がさらに縮小。
加えて唐突な軌道修正で、このまま衝突でもするかのようにアイリーンに向かって全力で進む様子から、一瞬怯んだアイリーンの股の間を通り抜け、更に小さい通気口へするりと侵入していったのだ。
「くそぉぉおぉお! このための仕込みだったのかぁッ! 奴めぇぇぇええッ!」
この臨機応変な氷の城の行動に対して、男も、アイリーンも今にも爆発しそうな苛立ちと怒りを覚えながらすぐさま格子を取り除くが、時すでに遅し。
今になって後悔しているのは、通常の通気口より狭い事に加え、迷路のように入り組んだ通気口の構造が、この時のために用意していことに気が付いたからだ。
映像を介して映像を見た男の罵声がかび臭い部屋に響く。
この地底に関しての設計は、グアンではなく謎の同胞。
元々おかしな話だった。
無益でこの空間を差し出したのなら、何か策を講じていても特別不思議ではない。
もちろんこれらは確認を怠った男の失態だ。
そして今、長きに渡って隠し通した仕掛けを明るみに出したなら、同胞が接近すると思わしき人物はたた一人だけだろう。
「アイリーン、アレを追え! どうなってでも探し出せ!」
いきり立つ男の命令に答える黒猫のアイリーンは、脳天に爪を立てて一瞬で脳天を突き刺し、一度命を絶つ。
絶命したアイリーンの、猫の肉体は泡のように消失すると、今度は更に小さなネズミに憑依して遅れて狭い通気口へ侵入し、再び氷の城の追跡を開始する。
どうやら通気口にまで独自の異空間を広げていたようで、まるで葉脈のように細かく緻密で、底辺から天辺に至るまで多くの管を繋げていて、その一生掛かっても解けそうにない迷路を、同胞は完璧に網羅しているようで、庭で遊ぶような感覚でこの迷路を飛び回るのだ。
ただアイリーンにとってこの同胞さえ手中に収めれば、フレイへ一歩近づくことが出来る。
そんな野望から水を得た魚のように心跳ねたアイリーンは、狂喜のあまりただのネズミにそぐわぬ男声を叫ぶと、あるはずのない羽根を生やして、氷の城と対抗できる速さで飛ぶ。
「いいぞぉ、いいぞぉぉおお、アイリィィインッ!」
「あらやだ、あの子。まだ〈キメラ〉の研究してたのねー」
この男女にとって自身の利になることが大前提であり、アイリーンの努力の過程などどうでも良くて、ただ単純に役立つことを強要するのが主義なようだ。
またアイリーンはよりフレイたちに近づくための遺伝子研究に余念がない。
閉鎖されたこのホンレフでは動物は特に貴重であるため、交配もこの国の重要な仕事となっているが、この小さな国にはフレイたちの遺伝子を持つ植物も動物も存在していないため、自身の遺伝子強化に舵を切り、憑依に有利で有効な生体の誕生に力を尽くしたようだ。
その結果の一つがこの羽根の生えたネズミなのだろう。
アイリーンは歪な遺伝子を繋げたネズミの姿で、羽を大きく広げながら、氷の城を追う。
***
「うーん、どうしよう……」
相変わらず気の抜けた言葉を発して、この状況から抜け出すための打開策を練るフレイ。
現在フレイの存在は保留にされたのか、同胞の気配はどこかへ散った後のようで、何か変化があるとすれば、たまにどこからともなく注ぎ込まれるゴミがお目見えするか、どこからともなくゴミが吸い込まれる瞬間を見ることぐらいだ。
ゴミの排出口から抜け出す方法も考えるが、この空間は捨てられた異空間が集結しているだろう場所。
過去現在未来問わず、知らない空間へ放り出される危険性は想像するまでもない。
ただこの空間は同胞の性格を大いに表しているように考える。
神経質で無駄を嫌う、真面目な性格。
それは隅々まで神経を行き届かせて、ゴミまで活用する心意気から感じた予想だ。
そしてこれ程の空間と建造物を創れる主が、敵が企てた計画に大々的に関わり、手取り足取りサポートならぬ労働を押し付けられたのはもう明白だ。
一番問題なのがそれを一人受け入れるだけに止まらず、右も左も分からないグアンを巻き込んだということ。
「……もしかして君は、動けない身体なの?」
これはジュノの命令の下、手となり足となり、事の解決に尽力するフレイがいるのだ。
ジュノは単独行動が出来ない訳ではないが、フレイが動く方が効率が良く、ジュノは情報収集に存分に集中できる場があることから、それぞれ得意分野へ綺麗に収まっている。
よって地上ではフレイの爪痕を少し残した状態で事を収拾させてる。
ある程度フレイの存在は恐ろしい存在だと記憶に残すことで、後に伝説となって後世に受け継がせるためだ。
そんな背景から恐らく同胞は、ホンレフを大きくした功績をグアンに託すことしかできなくて、グアンが苦境の時も傍にいる事が出来なかったのではと、フレイは睨む。
「……もしかしてもう、肉体すら持っていないんじゃないか?」
これだけ目立つ行動を起こしておきながら、グアンが今の今まで会ったことのない点は、フレイに大きな疑問を残していた。
ならば肉体を失くした、魂だけの存在なら全ての説明がつく。
元々同胞は皆、人間に搾取された、されている悲しい現実がある。
どんなに貢献しようとも、同胞を同等の人間として扱わないばかりか、異端として忌み嫌われることの方が多くを占める。
もちろん人間の能力を、人知を超えた働きを見せれば、誰もが近づけない気持ちが分からない訳ではない。
分かるからこそ、人の歴史に名前を残さないのだ。
しかし人間の能力を遥かに凌駕する能力は、一時は上手く隠せても、いつか必ず炙り出される。
それは輝く宝石を発掘するようなもので、自身の利のために無理にこじ開けるのが人間というもの。
元来、人間とはそういう複雑な生き物。
そして異端とは悲しいかな、利用されてこそ価値が上がるもの。
人間は異端を自身の監視下で働かせて、駒でなければ人間との共存などあり得ず、常に否定される。
そんな長期にわたる拒絶と差別から、心通わせ共感を求めて生きる人生を選んでしまうという悪循環に陥るのだ。
これは今回グアンと、グアンに力を与えた同胞が辿った、過酷な道のりの一部始終でもあり、一体どれほどの労働に苦悩、裏切りを見て来たかなど、フレイに理解出来ないはずがない。
なにより同胞に大きな問題がなければ、わざわざ不完全なグアンを使う理由などどこにもないはずなのだから。
核心迫る考察をさらに広げて、正解を引きだそうとするフレイに、一匹の昆虫がそろりそろりと傍に近寄る気配に気が付く。
最初こそ盛大に驚くが、次の瞬間には歓喜に湧いた。
「ジェ、ジェームスじゃないか!」
真剣な顔つきから一転、燃えないゴミばかりで生物の痕跡のないこの場所で、ジュノ管轄の昆虫、赤いテントウムシのジェームスが遂にフレイとのコンタクトに成功させた。
他の昆虫たちもいないかと、思わず周囲のゴミを嬉々揚々と崩して捜索に乗り出すが、ジェームスがフレイの身体を伝い、その行為を停止させる信号を送って知らせている。
「ジェームスしか、……到着、できてないの?」
ジェームス丸い複眼が、申し訳なさそうに青く灯ることで、残念な結果を通達する。
「じゃあ、ジェームスはどうやってここに辿り着くことができたの?」
共に悲しみ戸惑ってくれるフレイの問いで複眼を赤に灯すと、フレイを導くように飛んで行く。
どうやらジェームスの侵入経路はゴミの排出口ではないようだ。
古びて錆びた大型の部品が山のように積まれた場所に止まると、ジェームスはフレイの傍に止まる。
複眼を赤い光で点滅させて、懸命にフレイに何かを訴えている。
「この下に何かあるの?」
フレイの言葉で赤い点滅は消えて無くなり、普段の黒い腹板に戻るジェームス。
精密な部品で山のように埋まっているとはいえ一つ一つが大きく、所々に隙間は出来ている。
小さなジェームが出入りするには十分過ぎるほどの。
「よし、探ってみるよ。ジェームスは危ないから離れるか、しっかりくっ付いていて!」
片腕が足りない状態でも、器用にテキパキとガラクタの山を処理していくフレイ。
その傍らで応援するように、複眼が七色に光ることで、ジェームスの心情を豊かに表現している。
周囲に積まれたガラクタで影ができるほど暗く、人一人分入れる穴を作る頃、フレイとジェームスはこの真相を目撃する。




