第八章 禁じられた遊び②
「さて、どうするか……」
ただ道を差し示されるままのこの状況。
依然グアンが自身の右腕を放棄していない感覚を、神経から脳に事細かに伝達されることから、フレイの判断を冷静なままにさせている。
しかしグアンから遠退くばかりなのは確かで、最悪の展開も視野に、フレイの脳は最善を尽くすため頭をフル回転させてこの難所をなんとか乗り越えたい。
グアンの行方は恐らく二手に分かれる。
同胞の傍らで見守りながらフレイとコンタクトを取ろうとしているか、グアンを安全な場所に放置してフレイを深層部に呼び、共に敵を撃つか。
どちらも戦い方を知らないグアンが最大のリスクとなり、必然的に足手纏いになるだろう。
つまりどう転んでも問題が残るのだが、もう一つ、どうして同胞はフレイとグアンを離れ離れにしたのかが、全く見当もつかない。何か理由があったのだろうが、どうも釈然としない。
黒い渦が廊下を破壊していきながら、轟音を立てて黒々しく廻る様子こそ、フレイの勝手を許すまいと差し迫る命令の仕方を感じるだけに、フレイを相当毛嫌いしているようにも思える。
「君は……、君もグアンの事が心配だよね?」
この渦を行く当てもなく、ただ歩かされるだけの意味のない行動に、流石に痺れを切らしたフレイ。
無言の理由に思いつく当てはないものの、物凄く嫌われている感覚だけは伝わる。
不意に立ち止まったことを境に、黒い渦はフレイを深層部へ無理矢理呑み込む体勢を整える。
渦の中心は底のない空間に落とされるに等しい。
腐っても味方だ。
そんな非情な行為、そう易々と判断しないと高を括る。
ただ前にも進めず、後にも引けない現状から脱出するためには、同胞を説得して理解と信頼を得る必要がある。
「僕はグアンを救いたいんだ。頼む、信じてくれ。僕をグアンの所へ連れて行って欲しい」
この程度の言葉で信じて貰えるほど、生易しい同胞ではないことは重々承知している。
だからこそフレイはこの場で立ち止まる。
噓偽りない覚悟を認めて貰うために。
しかし一切迷いのない無機質なままの渦は、フレイの言葉などどこ吹く風。
それどころか渦の不気味さは加速する一方で、勢いは増すばかり。
「……この程度の説得では無理か?」
失敗の予感しか湧かないからか、足腰に力を入れて力の限りの抵抗に備えると、渦は予想外な変化を見せる。
右廻りだった渦は突然左廻りに旋回させて、フレイを押し戻そうとするのだ。
まさに駄々を捏ねた子供のような行動と思うも、次の瞬間、黒い渦は多くの危険な瓦礫を巻き込んで縮小していく過程を見た。
決して足を取られないよう、力の限り抵抗に備えたフレイを前に、黒い空間が呆気なく消えて無くなると、代わりに現れたのは非常に純度の高いガラスの氷に囲まれた、トンネルのような螺旋状の階段の中だった。
薄氷は丁寧に研磨され、ガラス張りかと思うほどに時折フレイの姿が反射する不思議な空間で、この光景に驚くフレイの表情が大小様々な形と角度で魅せている。
「もしかして、僕のことを受け入れてくれたの?」
相変わらず同胞の心情と思考が全く読めないままのフレイが、口を割らない頑固者を相手にするのなら、ただただ同胞が示すまま前進あるのみだ。
しかし先走った発言が原因で妙な空気が漂う中、黙々と道を示すこの同胞に、フレイはある人物を連想させた。
「な、なんか、色々とジュノ? ……みたいだな?」
あり得ないとは思いつつ、雰囲気から行動まで見るに、思わずイメージに湧いてしまう。
フレイが知っている同胞が片手で数えるほどだけに、余計に重なるジュノと同胞。
そんな漫然にうつつを抜かていたフレイが見た不思議な世界は、霜を踏み締めたフレイが通過した後の氷のトンネルが、早々に役目を終えると透き通った水へ形を変えて、地上へ駆け上がっていく美しい現象だ。
どうやらこの過程から水は丁寧にろ過されて、真上のホンレフの水源として活用されているのだろう仕組みと知る。
「なるほど。ずっと疑問だったけど、同胞の能力で常に浄水を可能にしていたんだね」
思いがけない仕組みの瞬間を目撃したフレイは、大いに関心する。
元がオアシスだったのだ、それを起源に自然と能力を掛け合わせ、空間に馴染ませたサイクルは称賛に値する。
ただあの民衆を思い出すと、どうしてもグアンの不遇さが疑問でしかない。
住民の願いはなんでも叶えて、グアンの僅かな望みには触れもしないのだから。
何かしら複雑な事情を抱えていたとしても、グアンが受けてきた虐待の数々を見て見ぬふりをしたのかと思うと、流石に少し残念な気持ちにはなる。
〈ガッ……、ガガッ、ガガガッ、ガコォォオッ!〉
一番はグアンの安全の確保と意気込んで複雑な心境を振り払った頃、なにかしら氷のトンネルが大きな軋みで揺れたことを認識したフレイは、この空間の異変を早急に感じ取る。
より激しくなる音と共に、この透明な空間を破壊しようと企む人物を目で捉えられたが、フレイの瞳に映し出されたものは、想像もしなかった光景で声も出せない衝撃を受ける。
一体の集合体がこの氷のトンネルを攻撃しているのだ。その見た目はよく見る理性を失くした集合体そのものだが、着用している衣服が、服装があまりにグアンを連想させるのだ。
「グ、グアンッ? ……いや、あの子はそんなに弱い子じゃない」
力任せに振動を与えられて多少の氷が剥がれ落ちるが、氷のトンネルはビクともしない。
そんな余裕を持てる状態だからこそ、余計な情報がフレイの心に不安を与える。
完成間近のパズルに全く異なるピースで埋めようとする愚行を、脳はどうしても繰り返してしまう。
実のところ肉体に関しては〈共有関係〉にある。
極論を言ってしまえば、ジュノやフレイといった《最高水準の肉体に人間の魂が入ることは可能》ということ。
もちろんそれ相応の才能と努力は必要になるが、ステラの肉体を強奪したアイリーンのように絶対はなく、叶わぬ夢とも言えない。
ただ時代を重ねる度、下克上が難しくなるからこそグアンが人間の血に負ける可能性は考えにくく、唯一可能ならグアン自らの承諾だ。
しかしグアンが意味もなく肉体を捧げたとは考えにくい。
ならばこれは一体何者なのか。
そんな混乱を来たすフレイの感情を汲み取るように、氷は新しい変化で再構築する。
透き通っていた純度の高い氷は急速に白濁化へ。
更に氷が分厚く固く丈夫になると、集合体一人の振動ではビクともしない造りに変わり、容赦なく全てを遮断させる現象を見せた。
まるで見る必要も、聞く必要も、考える必要もなく、価値のないものに蓋をするように。
この変化の一部始終を見て、フレイの思考が一新したのは言うまでもない。
「き、君はもしかして、グアンが妖精でも変異種でもない存在だと言ってるの?」
内外から氷が分厚くなったせいで、フレイの頭が氷に触れそうな中、新たな疑問を同胞に投げ掛ける、しかし当然のように答えてくれず、ただ黙々と誘導するだけだ。
「グアンは妖精でもない……。じゃあ、グアンの存在って?」
考えれば考えるだけ疑問は増え続ける。
だが踏み締める氷が割れる軽快な音が鳴り響き、硬いゴツゴツとした感覚が生み出すことで、この同胞の答えを物語っている。
「……、無駄なことは考えず、ただ道を歩けということか」
***
「ぎぇえぇぇぃい! 邪魔されたぁあ! グアンの奴ぅう、グアンのくせにぃいぃいい!」
高く積み上げられた大量の画面に対して、一つのリモコン操作だけで懸命に粘る男。
女と言えば顔の美容のために、美容液をたっぷりのパックで満足そうにリラックスしている。
そんな満足そうな女に目も暮れず、一番端にある長く放置されて埃を被った小さなテレビを手前に、その奥のコードとマイクを手繰り寄せて繋げて、よほどイラついているのか連打で電源を入れると、現場の片隅に現れたスピーカーに繋がった瞬間、男はグアンらしき集合体に向かって大声を張り上げた。
「もういい、この作戦は失敗だ! まずはアレをどうにか止める必要がある!」
舌足らずな気味の悪い雄叫びを吠えていたとは思えない程、嘘のように饒舌になる男。
グアンを形取る謎の集合体に対して、明確な指示を出す男の根本にあるのは、グアンと〈アレ〉に対する無茶な対抗心とも言える。
そんな横暴な命令に、集合体らしき人物はあの激しい動作を急に止めると、集合体なる分厚い面の皮を剥ぎ出した。
べりべりと軽快な音を立てながら、まるでサナギから蝶に変わるような感覚で、全くの別人が羽化さながら姿を現すが、生身の皮膚が外気に触れた瞬間、皮膚は燃え消えたように無くなり、現れたのは皮下組織にまで到達するほどの、緑の筋肉と血管が露わとなった恐ろしい見目の人物。
ただ間違いないのは、グアンを装った集合体によりフレイを困惑させて、同胞との関係にも亀裂を生み、フレイが同胞を追い込むことを想定した、壮大な演技と作戦だったということ。
どうやら沈黙を貫きつつ大胆な行動を起こした、謎の同胞に手を焼いているようだ。
「お前はフレイを追え! アレがここまで説教的に行動を起こすのは初めてだ、必ずどこかに綻びが現れるの違いないッ! この絶好のチャンス逃してたまるかぁ!」
興奮冷めやらぬ状況でも冷静に対処する男。
普段のふざけた物言いが吹き飛ぶほどの事態が、通常、決して敵わぬ相手と認めている自覚はあるようだ。
スピーカーを介して放たれる命令の下、皮膚を失くした人物は全身を掻きむしる行為をピタリと止め、鋭い爪を立て氷に突き刺し、四つ足で螺旋状のトンネルの行方を追う。
爪を立てたのは直に氷に触れると猛烈な痛みを伴うためなのか、手足の爪だけで全体重を掛けて瞬く間にフレイを追ってその姿を消していく。
「くっそぉぉおお! グアンの奴、グアンの奴、グアンの奴、グアンの奴ぅぅうぅうう!」
行き場のない怒りは唐突に幼稚な言動に変わることで、幾らか発散される。
手前に落ちている菓子袋を乱暴に掴むと、飲み物のように胃に流し込んだ。
当然一袋で満足できるはずもなく、手あたり次第大きな口を開けてどんどん消えていく菓子の数々。
普段この男女は同胞と折が合わないどころか、特に男女の方が敵視丸出しで長期にわたってイタチごっこを繰り返している現状が手に取るように分かる。
そんな血眼になって探し続けた相手が今までにない行動を見せた今、まさに今が千載一遇のチャンスなのだ。
「奴だ、奴さえ手中にできれは、今まで以上の潤沢な贅沢ができるッ! ぐへへぇぇええ!」
元々はグアンを人質にして、このホンレフに出て行けない状況を作り出して、謎の同胞も無理矢理ホンレフの建造に関わらざる得ない状況に追い込んだ。
しかし静寂なる反撃は、ある日突然自分達の身にも起こった。
グアンと同様、ホンレフから抜け出せないという最悪の事態を引き起こして、極楽浄土の計画を水の泡にしたのだ。
ただグアンのように精神的な縛りではなく、物理的な籠の鳥も同然で。
最初こそ激情したのは丸わかりだが、世の中住めば都ともいう言葉もある。
事実欲しいものは何でも揃う環境だ。
痒い所にまで行き届いた殿様感覚は、この男なら嫌いじゃなかったはず。
「ずっと我慢してきたんだぁ、それなりの見返りはぁ、貰うぞぉおぉオオォオオッ!」
男の描く未来にこのホンレフは必要不可欠で、その上で地球を動かせるならどれ程の優越感に浸れるのか。
実際ホンレフがそのシミレーションとして活躍し、好き放題できたのだ。
今以上の充実した生活の保障は勿論の事、上手く廻せばこの広大な海と大地、あまつさえ地球すらこの身で転がす自由も決して夢ではないのだから。




