第六章 異空間の真実②
「ねぇぇええぇえ、ジュノぉおおぉ、フレイぃ、まぁあぁぁだぁぁああ???」
痺れを切らしたステラが、ジュノーに不満の全てを当て続ける。
「確かに遅いわね。きっと頑張っているのよ。邪魔をするとフレイが困るでしょうね」
ジュノの言葉で一時は黙りはするものの。少し経てばこの繰り返し。
おもちゃで遊ぶことも、この空間で過ごすことも変わりがなく、フレイと過ごす時間は貴重な時間だと変に理解してしまったことが、今の我慢ならないステラを育ててしまった。
今も十分大変な中、癇癪まで引き起こすと更に大変な事態になることを覚悟はしていたものの、その予感が現実のものへ変わる実感を流石にひしひしと感じる。
あのフレイが最も懸念した上での助言も相俟って、ジュノはどう足掻いてもステラの癇癪だけは回避したい。
最善を尽くした結果だ。
これ以上の慰めは悪い刺激になるだけだと心改める。
サーキュラーは動く空中庭園。
この広い空を風に任せて悠々自適に移動しているようで、実はフレイやジュノの意向で位置も細かく調整しながら稼働している。
まるでこのサーキュラー自体が生命を宿しているかのように。
ジュノは二度に渡ってステラを見る。
限界は目前で、更なる涙を必死に堪えているが、すぐそこの癇癪に苛まれるのはもう確実。
「分かったわ、ステラ。フレイに会いに行きましょう」
強大な爆弾は爆発寸前で、涙は溜まりに溜まっていたが、次に出てきそうな大粒の涙をグッと押し込んで、先程とは真逆の顔つきで、歓喜に満ちた満面の笑顔でジュノを見る。
「決まれば今すぐ準備をしましょう」
間一髪で癇癪を回避できたジュノは、心も体も安堵に満ちる。
***
「グアン、グアンどこだ!」
扉がフレイを迎える環境は、廊下でもなく、階段でもなく、黒い渦が廻る異空間だった。
グアンを取り戻すために回避する選択はないが、一歩前進すると渦はフレイの身体を少しずつ吞み込む。
どうやら本来あった廊下まで呑み込んでいる影響か、そこかしこにシャンデリアなどのインテリアを黒渦に巻き込んだ形跡があり、しかもその残骸が障害となって道は大きく歪に曲がり、安全管理を怠れば要らぬ怪我に悩まされるような空間だ。
「これじゃあグアンに近づけているのか、離されているのか。……多分、故意に判断を難しくされている感じはするな。それこそ時間稼ぎ的、なッ!」
フレイの勘からどこか異空間へ誘う行為と見るが、まず案内される場所にグアンはいないと断言できる。
こうも容易く引き合わせるなら、わざわざ離す意味がないのだから。
グアンは恐らくこの塔の根幹、深層部へ誘われたと判断付くだけに、フレイを神聖な場を荒らす邪魔者と見ている可能性は高く、謎の同胞の悪態がありありと伝わってくる。
「意思は読めなくとも、目的がグアンということだけは分かる」
確実にフレイの行く先にグアンはいない。
そう分かっているからこそ、同胞を説得する必要がある。
そのためには同胞の命令に従うのが一番有効で、最短の近道となる。
「まず異空間は身近なイメージを具現化させたものが主体だ。だからこそ制限や規約を重んじない空間は、人の生態的寿命を大いに狂わせるものと、君が一番理解しているはずだッ!」
つまり異空間とは定期的なメンテナンスが必要なものが殆どで、いつどこで亀裂が生じるかに予測を立てながら修繕することが大事であり、心して臨む必要を持つ。
そんな努力の結晶を前に思うことは、長年の人間の横暴が見て取れるはずだ。
「異空間の誕生こそ偉大で派手でも、結局は地味で孤独な作業の繰り返しだ。敵がそこまでの苦労を買うはずもなく、ならば同胞が創る異空間に若干手を加えた方が確実で手軽な故に、威厳まで生まれる始末。本当、彼らの言う一石二鳥とはこのことを言うんだろうなッ!」
未だ正体不明な同胞を何かしら上手く使って、この異空間で贅沢三昧の生活を送っているのは想像しなくとも分かること。
これ程の継続力の持ち主だからこそ、その方法を見習ってグアンをこき使って繫栄させたのが、ホンレフの住人とフレイは見ている。
「それにしたってこの空間は良く計算されているね。敵の手も受け付けないほどの、さッ」
思わず称賛するのは、一見危険空間に見えて一切フレイを傷つけず、淡々と誘導を行う点だ。
「ホンレフの構造にも驚いたけど、この異空間は称賛されるに値するほどの出来だよ!」
先ほどからフレイはただ単に独り言を言っている訳ではない。
完璧な空間を創造できるからこそ、フレイの動向も、言葉もすべて筒抜けと判断したからだ。
同胞とは言え、フレイは決して歓迎されていないのは間違いない。
それが分かるだけに、せめてグアンの理解者であることは耳に入れて欲しいという願い。
ここへ来てグアンは妖精として、位置付けるには少々疑問に考え改め始める。
ただグアンの能力は決して高いわけではない。
そんなつじつまが合わず、謎が謎を呼ぶ今、右腕は歩く度に反応は薄くなるにつれ、グアンとの距離が遠退く感じがする。
「全てはグアンがトラウマをどう克服するかで、この国の未来を決定させる気なのか?」
今、グアンにとって人生最大の難関であり、最後の我慢と少しの勇気を問われる時。
フレイはグアンのためにできることは何かを考えながら、ただ前を見て進むだけだ。
***
「フレイ? フレイ、フレイどこ?」
全てを消した暗闇の中、両手でフレイの右腕をしっかりと抱いて、一人フレイを捜す。
何故かグアンの背丈は一段と低身長となり、それこそ年端も行かぬ少女へと姿を変えた。
少女に戻ったことで体格の良いフレイの右腕はあまりに重く大きく、滑り落としそうな不安も相俟って孤独がグアンを呑み込む。
ただフレイの右腕はリアルに血が滲み出る事も、切断部分の筋肉や血管を露骨に見せることもなく、まるで空間が途切れただけのような黒い断片を覗かせるだけで、体温も脈打つ血管も、正常に生きている感覚を保っている。
その温かさがフレイの優しさを物語ることから、孤独ではないと訴え掛けてくれているようで、グアンにとっての今、最も大切な宝物へ一気に昇格した。
しかしそんな心の支えも、よくならない状況から希望を必死に立て直すも、恐怖と不安で押しつぶされそうな感覚がグアンを惑わせる。それほどにこの空間は不穏に満ちている。
それでも不安を蹴散らそうと気丈に振る舞う中、ある小さな場所がグアンの興味を引いた。
突然グアンの目下にスポットライトを浴びた、今よりさらに幼いグアンが、砂漠の小さなオアシスで一人恐怖と寂しさに震える様子を見せつけられたのだから。
この状況から見て、グアンが遠く記憶の底に置いてきたはずの過去を、無理矢理脳に焼き付けようされている感覚。
そんな感覚を早々に理解したグアンの顔色は、一瞬で青ざめる。
心渦巻く不穏から、フレイの右腕を握りしめる力は助けを求めるように強くなるが、明るく照らされた幼い自身の危機を知らせるために手を伸ばすも、幼いグアンは実体の無い映像のようで、希望を与えるための接触は残酷にもすり抜けた。
怯える幼い自身をただ眺めるだけの現実は、グアンにとってあまりに歯痒いもの。
力のないグアンは、ただフレイの右腕を懸命に抱きしめ、これから起こりうる災いの数々を指を銜えて見守る他の方法はない。
溢れ出る涙を必死で腕で拭うが、止めどなく流れる涙は次々頬を伝うばかりだ。
無理矢理納得させて忘れようとした努力を、あろうことか傷に塩を塗って広げようとするこの空間の意向に対して、怒りと悲しみに襲われて、裏切られた感覚しか湧かない。
「やっぱり、全部嘘だったんだ……」
それはグアンが今まで認めたくなった事実。
そう解釈したことで、計り知れないショックと悲しみが襲い掛かる。
心の奥底ではすでに諦めていた感情。
認められなかった現実がこうも鮮明に、残酷のほど忠実に再現される事で、心にポッカリ穴が開いた感覚に陥る。
少しの勇気と大きな不安を背負い、グアンは自身の過去をその目に焼き付ける。




