第五章 氷の心が溶ける瞬間③
「ねぇフレイ。私の知っていること、全部、……本当に全部話すよ」
それは紅い朝日が昇る頃。
目線はじりじりとせり上がる太陽に向けたままだが、グアンの決心は涙が消えて全てを真剣なまなざしで太陽を見つめ、揺るぎないほど真っ直ぐな心を示す。
「ごめんね、無理させてるみたいで。僕は目的があってワザと君を巻き込んだんだよ」
覚悟を決めたグアンに対して、誠実さのないやり方に申し訳なさから思わず言葉を濁す。
フレイはいつも自身を悪者にして言葉を発する傾向がある。
しかしその自虐的な性格がある意味グアンの生き方と繋がり、より親近感が増し、心が重なり新しい色となり共有できる。
「違うよ、フレイ。私が話したいと決めただけだよ」
ただ真っ直ぐに、ゆっくりと顔を出す太陽を見ながら様々な記憶を思い起こしたからか、寂しそうな表情をしているグアンを、神妙な面持ちでフレイは問い掛ける。
「じゃあ、君はどうしてこのホンレフに閉じ込められているの?」
少々言いにくそうに口籠るが、決心を決めたグアンはこの湧き立つ感情を止められない。
「……閉じ込められたんじゃない。私、今のホンレフが建造される前の、すごく小さなオアシスの頃からここで育ったんだ。ずっと、本当にずっと、……ずっと前から」
嘘を咎められると思ったのか、グアンの心は楔をきつく絡めて強く締めつけられたような感覚に陥る。
事実を話す不安に押しつぶされそうなグアンに、フレイは生きる意味と生きる幸せを導く言葉で、正しい思考と感情を与える必要性をひしひしと感じ取る。
「グアンは、数字の存在は知らなかったんだよね?」
初めて数字の存在を話した時と同じく問いの意図が読めず、戸惑いつつも頭を縦に振る。
何一つ知らない証拠だ。
「ということは、グアンは恐らく《妖精》という立場だと思う。多分だけどね」
「よ、妖精……?」
フレイが口にした妖精という単語。全く実感の湧かないグアンの頭は疑問符が尽きない。
当然妖精と言っても、広く認知されている妖精とは全くの別物。
「そうだね。この場合でいう妖精は、どうしても同胞と人間の間から誕生してしまう、派生の総称だ。まず妖精とは、主に曾祖父母、祖父母のどちらかに同胞を置いて誕生する、所謂、隔世遺伝が主な原因だよ。基本、隔世遺伝は数字を持つ序列上位の同胞が器を継承されることが主だけど、稀に輪廻転生の際に器の条件に嵌まらず、迷子になる肉体も度々存在するんだ」
つまりはその器の穴を埋めるために妖精が存在しているのだ。
「妖精の役割はね、盤石な基盤、つまりは生まれながらの非凡な才能を約束された肉体に人間の勝手が出来ないよう、退化の発動により数字を持たない同胞が率先して器に入る義務が生じてる。とても残酷なようだけど、これが驚異的な能力の底上げに貢献もしている」
これらはそれぞれが生き残るための駆け引きと覚悟、確かな決意で使命を全うする友なのだ。
「でもね、同胞の異名を妖精と区分させるのは、単純な能力の幅や序列の高さではなくて、生まれながらに人間の血を引いてしまう身体を浄化する能力に優れているからだよ。だから血を濃く受け継ぐはずの子供が血統として能力を引き継がないのは、人間の体内で散在した遺伝子の組み立てに相当な時間が必要で、孫の代か、ひ孫の代で誕生するのが普通なんだよ」
妖精は拒絶すべき人間の遺伝子を分ける作業には優れているが、遺伝子は取り除けない。
つまり完全なる身体を手に入れられない故に、苦難に立たされる同胞も少なくないのだ。
「実はね、遺伝子を取り除く作業を行える人物が『この世に二人しか存在しない』っていう特殊な事情もあって、それだけに救いの手から真っ先に零れ落ちるのは妖精たちなんだ」
周囲を人間で埋め尽くされた人生は、生きることが困難な同胞と条件は何ら変わらず、身勝手な感情を一方的に攻められる運命を思うと、例え妖精と区分してもその心は同胞となにも遜色ない。
ただ根本的に血統の同胞よりさらに大人しい性格であるはずの妖精に、基本大それた行動は難しく、普通ならここで言う砂漠で細々と生活をしていたはずなのだ。
それがこれほど完璧な大国を、例え同胞の力を借りたとはいえ、築き上げるなど通常あり得ない話。
しかも今回、グアンは最も厄介な危険人物の標的にされているようにも思う。
だと言うのに、毎日のように行われる精神的苦痛と身体的苦痛を上手く回避し、無意識に沈静化まで出来ているのは、グアンに何らかの能力に優れているのは明らかだ。
「……ねえ、それって、私にも生きる意味があるってこと?」
生きる意味を問うグアンの発言で、フレイの心は抉られるような感覚に陥る。
この言葉一つで、今までグアンの葛藤が如何に大きなものかを指し示しているのだ。
「大いに意味はあるさ。なにより僕は君に出会えて嬉しいと思っている、本当だよ」
怒りを抑圧しながら平常心を保つフレイには、グアンの戸惑う様子は見るに堪えない。
「君を長く、とても長く待たせ過ぎたね。大丈夫、これからはずっと一緒だよ」
両手でグアンの手を取り、優しい手つきで丁寧に手を握るフレイ。
自身に興味を抱き、ましてや心を砕いて悲しんでくれる存在に随分と驚くが、心から求めていた感情を知ってしまったグアンは、フレイに心を許して寄り添い、痛みを分ける。
知ってはいけない真実から目を背けたのも、自身を守るための唯一の方法だった。
「私、ここから離れたい。ここは、ここは嫌い、大嫌い……」
溢れ出るグアンの本音。
心の叫びを口に出す恐怖に対して、どれほどの勇気と覚悟が必要なのか、フレイに理解出来ないはずがない。
しかし理解出来るからこそ自身の不甲斐なさが情けないのだ。
元は小さなオアシスから始まり、それをここまで培ったグアンの功績は大きく、それだけ人間を慈しみ、共に共存できるよう尽力注いだのか、この少ない時間で痛いほど分かった。
グアンを見つけられたのは不幸中の幸いだが、問題はもう一人の同胞の行方。
常に雁字搦めの状態で身動きは出来ていない。
なによりこの近未来的な空間の構築が、その存在を色濃く主張する。
グアンは妖精。
確かにそう断言出来るのに、どこか釈然としない。
なによりグアンの影に隠れて、謎の同胞は正体を明かす素振りも見せない。
ただグアンが同胞並みに辛抱を強いられている現実を見ると、本人には知らせず、気付かせることもせず、常に裏側から補助と補完を加えている背景はよく見える。
そんな真意に迫る時、ジュノの顔が脳裏に焼きついて離れてくれない。
恐らくジュノはある程度この事実をある程度想像できていたのではないか、そんな確信の一つがフレイの心をチクチク突いてくるのだ。
流石にグアンの存在まで事前に認知していたとは結びつけにくいが、同胞の正体は大凡の目星は付いていたのではと考えるのが自然だろう。
問題は何故隠したのか、だ。
未来を見透かしたような表情と力強い声の調子で、グアンとの出会い、信頼を高める必要性を、この未来を求めていたのだとしたら、寂しく悲しい気持ちが全くないわけではないが、だからと言って特別落胆するわけでもない。
なぜならばその行動に私利私欲は感じられず、いかにグアンと謎の同胞を救うために、日夜捜索している姿が簡単に想像出来たからだ。
そんなジュノも今ならきっとステラのペースに、てんてこ舞いだろうと想像する。
「どうしたの、フレイ?」
育児に苦労するジュノを改めて想像してみてれば、真剣な表情から思わず笑みがこぼれるフレイに、泣き顔だったグアンにも笑顔が綻ぶ。
「ご、ごめんね、少し大切なお友達のことを考えちゃって。絶対グアンも友達になれるよ!」
フレイの言葉はグアンに優しい想像をくれる。
「一緒にここを脱出しよう。無事脱出できたら、たくさんのお友達が生活する特別な場所へ移動するんだ。グアンもきっと……、ううん。絶対気に入るよ!」
「ほ、本当? 私に本当の、友達……、出来る……、の?」
溢れ出る不安に押しつぶされそうでも、本音を言わずにはいられない。
「当たり前だよ、できるよ! たくさん作ろうよ! 第一君はもう僕と友達なんだから!」
目の周りと頬がほんのり色づく状態で、一度はポカンと佇むが、次の瞬間には弾ける笑顔を見せる。
フレイが語る話に聞き惚れて膨らむイメージは、次第にグアンの心を躍らせて、壮大な夢は脳を豊かに展開させて、待ちきれない思いが心のドアを激しく叩く。
恐らくこの笑顔溢れるグアンが本来の姿なのだろう。
実に好奇心旺盛で何でも興味を持ち、両手いっぱいたくさんの夢に瞳を輝かせる姿は、小さな幸せを掴むために全力を尽くした、今、最も報われるべき存在だと知らせてくれる。
幾度となく崖から落とされて、その都度自力で這い上がったのだろうか。
逆行に逆らい、折れそうな心をひたすら励まして、毎日涙を流した結果がまさに今、起こるべくして起こったグアンの宿命。
実力で手繰り寄せるものに勝る運命など存在しない。
つまりグアンが頭角を現すことこそ必然であり、フレイと出会うのもまた必然ということ。
「ねぇフレイ。フレイの探してた物、もう良いの?」
「え? ……ああ、もうとっくに土に還っているだろう。覚えてくれてたんだね、ありがとう」
眩しい太陽の橙が天高く昇る中、グアンは常に懸念していたものの存在を口にする。
「そんなに気にしないでよ。またいつか見つければいい話だしね」
「そ、そうなんだ……」
忙しい早朝を駆け抜けて、昼を待つ時間帯だ。
この時ホンレフの住人は何かしらの危機感を感じてか、この小さな国の中を忙しなく歩いている。
表情は常に笑顔、不気味なくらいの笑顔で街を速足で回るのだ。
普通に考えれば多少変でも微笑ましい光景に映るだろう。
しかしこの国の成り立ち、自分達に不利な循環が公に曝け出された今、この行動は詰まらない猿芝居なのは明白だ。
つまりこれは空間の危機を知って、自暴自棄に陥ったことを示した、陳腐な行動。
「……グアン、君はこのホンレフの建設にどこまで関わったのかな?」
なるべく言葉を選んで発言したつもりだったが、やはりグアンの表情は穏やかではない。
「多分、全部……、だと思う。ただ気がついたらこんな巨大になってた」
「そうなんだね、答えてくれてありがとう。ならやっぱり正面から突破するのが有効かな?」
フレイの余裕が怒りとなって具現化する予兆に対して、全住民が警戒心を高めているのが行動の不自然さからよく分かる。
フレイを見る目が全く笑っていないのだから。
「ふ、フレイ、正面突破って?」
住人達はフレイを見る目は冷ややかでも、グアンを見る目は酷く怒りを滲ませたもの。
まるで自身より格下を見るような、そんな差別的な目でグアンを睨むのだ。
「フ、フレイ、無理だよ……。そんなの絶対無理だよッ」
周囲の反感から針の筵も同然のグアンは、心が完全に委縮しているようだ。
「心配いらないよ。もし出現しないなら力ずくで引き出すのみかな?」
この様子から確信を得て、フレイは颯爽と黒い塔が出現した大広場に向かう。
「前にも言った通り、フレイが元はどんなに強くても、この空間では無意味なんだってば!」
「いや、方法はこの手の内にある。どんな方法を使っても、僕の力を欲する者がいるからね」
「そ、そんな人、本当にいるの?」
グアンの心配を他所に、一度グアンの頭を優しく撫でると塔が迫り出した場所を中心にフレイは仁王立ちで立つ。
丁寧にはめ込んだ干しレンガ造りの地面に手を当てると、何かを掴む動作を行い、引っ張るように持ち上げる。
サーキュラーの利点も欠点も完璧に知り尽くしたフレイにとって、このホンレフはあまりに地盤だけが無造作なため、バランスが下手で倒れそうな積み木も同然。
それは極力メンテナンスを怠った劣化物と意味している。
この偽りの日常は人間の理想と欲望を満たすための、覚えている限りの極楽浄土を再現した蜃気楼なのだろうが、その詰めの甘さがこの国の欠点を深く浮き彫りにした。
フレイはこの短い調査でホンレフの根幹を知り尽くしたからこそ、自信を持って行動に移す。
〈バチッ、バチバチバチッ! キイィィイイィィン!〉
普段の活気が飛び交う昼前の街中で、強く接触したような摩擦音が鳴り響き、何かを手繰り寄せるようにフレイが力を尽くすと、突然電気でも通ったかのように周辺を更に明るく照らす。
この瞬間から底に鎮座しているだろう黒い塔がフレイとリンクして、フレイの右肩に02の数字が刻まれた合図で、広範囲に紅い色素と銀の組織が激しい衝突を引き起こして、指先から螺旋を濃い紅で染め上げる中、右腕だけが紅塗りとなって、右腕の筋肉の筋と血管が危険なほど浮き出して飛び出しては、ブチブチと豪快に千切れる音を響かせては再生を行う。
どうやら腕の細胞が飛び散るより、弾けた瞬間、戻る細胞のスピードの方が勝っている。
真昼に光る眩い輝きは、数多の星を一瞬で消してしまう太陽のような、強大な閃光を発する。
「グアンッ! 僕の手を掴んで! 早くッ!」
紅い色素と銀の組織が煌めく光の中、後を追うどす黒い物質まで出現することで、放つ光が格段に威力を押さえられた瞬間、フレイたちはこの街、この空間から忽然と姿を消す。




