第五章 氷の心が溶ける瞬間②
「フレイ、ここ……」
見るからに不安だらけのグアンは、フレイが示す場所に驚きと焦燥で満ちた。
二人は見るからに凸凹コンビだが、しかしそれは見た目だけで、実際は一風変わった新鮮さと刺激で案外良いコンビ。
そんなフレイが連れて来た場所には心底納得できない様子。
事実二人の目の前に広がる景色は、深夜に黒い塔が迫り出した大広場だ。
塔の痕跡など塵一つ失くして、ただ単に日干しレンガを引き詰めた広い場所でしかない。
そんな周囲には、閑静な住宅地がみっちりと大広場を円で囲むように構えている。
「ねぇここに何の用さ? 今は昼間だし、何の成果も言えられないと思うよ、ここ……」
「グアンは何度も調査したんだね。小さな事でも良いから何か変わったことはなかった?」
「そ、そりゃあ長く居るし、毎日のように待機していた時もあったよ。出て来る瞬間と消える不思議を知りたくて。でも核心迫る出来事との遭遇には程音くて……」
この途方もない時間の中、グアンがどれ程足掻いていたか、唾の悪い表情から見て取れる。
「あッ! そうだ、人がッ! 塔から男女が下を眺めていたことも稀にあったよ!」
「二人の男女……?」
「そう、二人! あれは逆光からも分かる、間違いなく美男美女って感じだね!」
この微妙な雰囲気を変えたかったのか、少しの面白さを加えて大きく膨らませた内容にはなるが、フレイはあまりに恐ろしい表情で大広場を睨むものだから、グアンは不安を抱く。
なにより自身の言葉でフレイを不機嫌に、不快にさせてしまった事実は覆らないのだから。
「ねぁフレイ。私、……なにか不味いこと言った?」
大きな不安に押し潰されながら、最も正しい答えを得るために、この苦痛を訴える。
「ん? 違うよグアン。君が勇気を出して話してくれたことは後々役立つ情報なんだよ。どうやら想像する以上に不安にさせてしまったようだね。大丈夫、心配ないよ。ごめんね」
フレイの言葉は実に丁寧だ。その親切さがあまりに新鮮で、初めての感覚に戸惑う。
表現はまだ慣れなくて上手く言葉にできないものの、太陽の暑さより心の奥がじんわり温まる感覚の方が、凝り固まった頭から手先まで心地よく、じんわりと甦らせてくれる。
今までこれほど感情を丁寧に掘り起こしてくれたことがあっただろうか。
初めてだらけの感情は、本来のグアンを曝け出させて、この短い時間で信頼を高く積み上げてくれるのだ。
***
「もーぉ、無理無理無理ぃッ!」
黒い塔が出現した広場を半日費やして隈なく調べても、当然怪しいものは何一つ見つからない。
元々多くの時間を費やして調べた経験からか、グアンの愚痴は止まらない。
単調な調査の全てがグアンにとって行動尽くした方法ばかりであり、全てが無意味にしか思えず、根気強く調べるフレイに対して、元々振り続けていた白旗を更に大きく振りかざす。
この完敗を指し示して、フレイの前で豪快に地面に仰向けで寝転がる。
見える景色は相変わらず青が多い空に、腹が立つほど眩しい橙が喧嘩を仕掛けるようで、余計に気分を害す。
「んー、なら夜まで待とうか? この様子だと直接塔に乗り込む方が吉かも……」
「の、乗り込むだってぇ???」
フレイは一体何の話をしているのか。
グアンとの会話から、あれだけホンレフから抜け出す方法は疎か、塔に接触する方法など更に不可能と口酸っぱく言い続けていたと言うのに、だ。
せっかく仰向けに寝て疲れを癒している最中と言うのに、そんな余裕は一ミリもなくなる。
「大丈夫だよグアン。方法は幾らでもあるんだ。必ず僕が証明するよ、少しだけ信じてみて?」
今まで感じたことのない感情が、グアンの中で咲き誇る。
それは情熱を帯びた紅い華。
咲いた華の色を全身で体感して、この不思議に混乱が生じても、なぜか冷静沈着な自身が存在することで、驚くほど容易に沈静化に移行できた。
ただこの感情が何なのか、グアンの中で疑問が生じるも、これ以上の詮索は不要と知る。
なぜならばフレイが隣で優しく笑ってくれるのだから。
よって幸せな未来がより鮮明に、イメージ出来たことも要因の一つとも言える。
「とりあえず夜も行動に移したいし、今はゆっくりしようか?」
「休憩ッ? 良いね! 寝たい! だらだらしたぁ~い!」
「じゃあ何か食べる?」
「ゲッ! 冗談キツイでしょ! もう何も飲み食いしたくないし、するわけないじゃん!」
あの渾身の吐き気を全身で再現しながら、フレイの冗談を一喝するグアン。
まるで友人のような、更に突き詰めれば兄妹のような、そんな暖かな繋がりを感じられるからこそ、何も語らなくても分かり合える関係性を結ぶように、辛い経験から人の本質を見抜いて、ピースを紛失して永遠に未完成なままのパズルを信頼で当て嵌めて、補填し合う仲にまで成長したということ。特にフレイとグアンは驚くほどそれが自然にできた。
ただそれは幸せの定義ではなく、不幸の連鎖を塞ぎ止めるような大それた行為でもなくて、ただ傷を舐め合うだけの一時的な心の置き所でしかない。
しかし塵も積もれば山となるという言葉があるように、この関係を継続させて信頼を積み重ねれば、新たな未来へ続く希望が、揺るぎない強固な関係が生まれるのだろう。
***
日は暮れ、月が見える頃。
長時間同じ作業を淡々と続けただけに、グアンはフレイの膝を枕に、ぐっすりと眠っている。
あの後、やはり何の収穫も無いままいたずらに一日が過ぎた。
外部とコンタクトが取りたいフレイは、あの手この手とこの空間の盲点を探る。
空は勿論のこと、地面をよく観察するもチュンやジェームスといった特殊生命体だけではなく、よくいる鳥や昆虫なども一匹も見つからない状況から、この空間は完全なる閉鎖空間であることだけは理解できた。
なにより隙間のない空間を造るということは、何かを死守するための重要な要素として育てているはずだ。
「全ての答えはあの時の塔に隠されている。……叩いて出る埃の山は、想像を超える量だろうな」
フレイが考えるに、あの塔は電波塔のような役割があることで、この空間を封鎖可能にしていると考える。
恐らく謎の同胞が何らかの弱みを握られて、敵の操り人形となっている状況は容易にイメージ出来る。
ただなにかしら抵抗しているのは明らかだが、今のところその形跡がない。
「反発の形跡がない辺り、相当な切れ者の序列上位の同胞、か……」
これだけ完璧な空間を実現している。フレイたちに匹敵するほどの誰か、となるのは必然だ。
「う……、むにゃむにゃ……、うぅ」
様々な思惑渦巻く中で、気持ちが安らぐグアンの寝言は良い具合に力抜ける。
現在、フレイたちは野宿に加えて雑魚寝で、肌寒い身体はフレイが用意していた薄い毛布がグアンの身体を包んでいる。
グアンが金貨を使う気はなかったため、このような状況になったが、肝心のグアンは金貨の袋を抱いて、毛布にクルクル包まって幸せそうに寝ている。
「フゥ……、ステラが大きくなったらこんな感じかな? ……いや、ちょっと困るか」
日々ステラの成長を感じる度、喜びと幸せを感じた。
だからこそグアンと言う人物は良い意味で異質に見えた。
自身の欲に直球で忠実で、自由奔放な生き方もこの乱世の世の中を渡り歩ためには重要だ。
しかし最初こそ打算的な女性と思ったものの、いざ近くに歩み寄ってみると、欲を上手く使う器用さもずる賢さも無く、根本にあるのは類稀な我慢強さなのだ。
「笑顔を見せながらグアンを陥れようと行動する辺り、住民達は心の裏で失笑していたはず」
グアンは普通に生きることを阻害され続け、何時死を選択してもおかしくない状況を強いられている。
きっとフレイが思う以上に人の目に怯え、取り付く島もない状況なのだろう。
怯える心を奮い立たせて、表向きあっけらかんな性格へ全面に移行したと思われる。
「でもこれらは本人の口から真実を語られなければ、憶測の域を出ることはできない」
相変わらず幸せそうに眠るグアンの傍らで、心からの信頼を示すため、そっとグアンの手の甲にフレイの手を重ねる。
暖かな温もりが重なったその心地よさから、グアンの寝顔はどことなく嬉しそうで、つい先ほどより幸せに満ちているように見えた。
「そもそも僕の事情でグアンを振り回すこと自体が、間違っているのだろうな」
フレイの自責の念は強い。
結果的にこの方法が一番グアンの幸せに繋がるが、辛い思い出も蘇らせることが必須であるからこそ、こうも躊躇するフレイがいる。
「……フレイ、あんたさぁ、何やってんの?」
「ん? ああ、グアン。起きてたの? まだ夜も明けてないからゆっくりしてよ」
グアンの狸寝入りに一切触れず、手と手が触れ合う事にも何の躊躇もない。
その無反応が逆にグアンをムスッとさせるのだ。
「ねえ、僕たちの元に来ないか? ここにいるより余程楽しい時間で溢れているよ」
「ふん! 私には金貨があるし、どこでも行けるし、金持ちだって夢じゃないから!」
思わず憎まれ口を叩くグアンだが、そうでもしないと自身を保てそうにないのだ。
「今答えを出さなくてもいいんだよ。気持ちが変わったらいつでも言ってよ」
優しいフレイの言葉で、グアンが無意識なまま張り詰めていた糸がプツリと切れたのが分かり、フレイの膝の上で、引っ込めようと我慢していた涙を流す。
一度出て来た涙は引っ込みがつかず、ボロボロと流出ることを止めることがグアンには出来ない。
それでもフレイは何も言わず、グアンの手の甲を優しく握ったまま明後日の方向を見る。
全てを見透かしたフレイの愛溢れる優しさが垣間見れた一面が、グアンに期待を抱かせた。
フレイのおかげで正常な感情を、少し、なんとなく感じ取ることが出来たのだ。
ここへ来て初めてグアンの自我が育つように、フレイに対する信頼も確実に育っていく。
それはグアンの氷のように閉ざされた心を、いとも容易く溶かしていくのだ。




