第五章 氷の心が溶ける瞬間①
グアンは今、大いに興奮の上、愉快でたまらない。
「……あのさグアン、まだ終わらないの?」
早朝の宿泊所での一室で、夢にまで見た良質な純金からできた金貨の数々を、両手いっぱい零れ落ちる重量を身に刻み、控えめに輝く本物のきらめきを眺めては、大きな溜息をつく。
朝日が向かう方向へ金貨を反射させると、神々しい光を見る度にドクドク高鳴る鼓動。
角度を変えて反射する瞬間は、トキメキすら覚えて、幾らでもこの高揚感に浸りたい。
「何度も言うようだけど、金貨はもうグアンの物なんだから、早く宿から出ようよ」
グアンの耳に響く「あげる」「全部あげる」「全部君の物だよ」という語り掛けるようなそれは、まさに力強く心地よいメロディそのもの。
その余韻は鳳凰の如く遠くに響き渡り、ささやかでありながら心に染み渡る囀りが心を中心にじんわりと全身に広がる。
「僕……、そんなこと言ったっけ?」
どうやらグアンの心の声は全て言葉として、ものの見事に吐き出されているようだ。
そんなグアンは、褐色の肌が眩しいブロンドのボブ。
双眸はブラウンで統一されていて、活発な印象を裏切らない健康的な女性そのもの。
自欲に忠実な性格と率直な行動のせいか、若干幼く見える。身長は高くない、それだけに長身のフレイと並ぶと実際の背丈より小さく見える。
「まったく、もう行くよ!」
業を煮やしたフレイが率先して宿を後にしようとするが、今まで無縁だった大金を手にしたグアンは、その重さ故、歩行がぎこちない。
それを察したフレイが出戻り、この大金を片手で軽々持ち上げて先を歩く。
フレイの気遣いは痒いところに手が届くもので、感謝しかない。
性格が激甘過ぎるフレイが、こうも頼れる瞬間を目にすると流石のグアンも唸る。
「ありがとう……、でも掏らないでよね?」
「ブッッ! も、元は僕のお金だったでしょ! 君と一緒にしないでよ!」
「いやいやいや人生もしかすると、ってことが現実あるかもしれないじゃん?」
「そんながめつければ、最初から君にあげてないでしょッ!」
飽きれているフレイの後ろから見る、どっしりと重くゴツゴツとした形から、今後の自身に想像を搔き立てた相乗効果からか、グアンは有頂天となり、頭がひらひらと空を飛びそうな雰囲気であれこれと妄想は尽きない。
きっと背中にジリジリと刺さる高圧的な視線と共に、謎の悪寒まで感じ取ったのはフレイの気のせいではないだろう。
しかしフレイにとっての試練は、グアンの暴走だけではないことをすぐに思い出させる。
宿から出ると何らかの洗礼のように、街中の若い女達が集結していたのだから。
「ちょっとグアン! この方と同じ宿から出て来るなんて一体何事?」
「いやいやいや、私の大事な金貨と一緒に出て来て何の問題があると?」
開閉一番、誤解を生む言い回しでとんでも発言を吐いたグアン。
真後ろで生気が、魂が、快晴の空に向かって抜け出たように真っ青になるフレイだが、逆に妙な疑問も浮き上がる。
拙い笑顔のまま、会話途中のグアンの腕を引き、ゆっくり小声でこの疑問を問う。
『ねぇグアン、どうして君は今でもここの住人と親しく出来ているの?』
この国の住人が寄生人の化身なのは判明したのだ。
そもそも人間関係には生活があって、交流があって、繋がりがあって、絆を成熟させて育てるもの。
その概念を大いに覆して、深夜の奇行を知らぬ顔で平穏を演じるここの住人と、グアンの関係は完全に破綻しているはず。
なのにこうも親しく馴れ馴れしく関係を構築しようとする姿勢は、不自然としか言えない。
「えっと、実は私も詳しく解らなくて……。昼と夜の記憶が綺麗に二分している感じ?」
「な、なるほど、……ね」
最初こそグアンもこの不気味な洗礼に強烈な違和感を覚えたのは明白だろう。
日常化したこの現象に恐怖と絶望と言った正常な感覚を外堀から埋められて、考える力と自由を与えないやり方でグアンを洗脳したのが手に取るように想像できる。
その深い闇に気付いたフレイは、強い軽蔑心で住人を白い目で眺めてボソリと呟く。
「相変わらず、当人を尊重しない操り方だな」
この背景からグアンは序列下位の守るべき同胞の一人と見る。
そしてここの住人達が行う悪行の数々は、グアンに対する執拗な嫌がらせと断言して間違いない。
グアンを嘲笑の的として扱い、尊厳も無視して単純単調なストレス発散の玩具として扱ってきた実態が見えてくる。
つまりこの空間で真実が見えていないのは、グアンただ一人。
しかもグアンも馬鹿ではないのだ。
本人も大凡の見当はついているはず。
それでもこの偽りの日常に縋りつき、真実を知ることを本能が避けているのだろう。
認識した瞬間、心だけではなく、身体も崩壊してしまうのはもう目に見えているのだから。
そんな傷だらけのグアンを理解するからこそ、あの満面な笑みを振り撒く住人達は、きな臭さで溢れている。
「いつの時代も手口は相変わらずだな、反吐が出る……」
この最悪な状況を、グアンは混乱を来たす感覚も無自覚で避けているのは痛いほど分かる。
あっけらかんとした爽快な性格は、憎めないキャラクターで圧倒的個性を放つ。
がめつさもあるが、不遇な扱いから指差されて笑い者にされているなら、利己的になるのも分かる。
「ただグアン単体で、と言うのがどうも引っ掛かる。他の同胞が関与しているのは明白か」
数字を持たない時点で、グアンの地位と立場をかなり絞ることはできた。
まずはグアンと信頼を築き、今、彼女の身に起きている現実の実状を共に知る必要がある。
フレイはホンレフに隠された真実を丁寧に繕っていく。
なかなか上手く組み立てられないのは、想像した以上に破片が細かく散らばっているからだろう。
しかしそれらを言い換えれば、まるで同胞自ら破綻を選んだかのように思える行動が次々と浮上するのだ。
「ねぇフレイ! この後どこに行くの? 全然詳しいこと教えてくれないじゃん!」
「ああ、ごめんグアン。もうすぐ分かるはずだよ」
言葉は不満だらけだが、喜びからだろうか、グアンは表情豊かにその台詞を吐くのだ。
クルクル変わる表情は人を飽きさせないような、とても魅力的な姿をフレイの瞳が映した。
無垢な笑顔は一種の幸せを掴んだ少女のようで、そんな嬉しそうなグアンを見ていると、これから起こる困難と辛い真実を明らかにするのは胸が痛む。
しかし生きている限り、生き続ける選択をする限り、避けて通れない道であり、この境遇から抜け出すための勇気は後の幸せな未来のためであり、グアンなら必ず越えられる壁であるとフレイは強く信じている。




