第三章 冥々裡の地獄ホンレフ①
粒子が細かく乾いた砂に足を取られる一面の砂漠の果てに、天に届きそうなほど高くのっぺりとした外壁が全方位を囲う、ある一つの巨大な建物をフレイは目視で確認した。
この奇妙な外装は、間違いなくジュノが示唆に富む巨大隔離孤島、【ホンレフ】。
広大な砂漠の中心に君臨するホンレフは、外部との接触を断固拒否するように、外壁で内部を完全に遮断の上、なによりもこの時代にはないはずの鉄筋コンクリートらしきものによって組み立てられただけでなく、フレイの鉄拳によってもヒビすら与えることが不可能なところを見ると、何かしら完璧な異空間を纏っているとも推測される。
更に驚くことに、この外壁は砂漠の地層深くまで到達させていて、難易度の高い構造に、遠く未来の技術が採用された極めて高度なテクノロジーまで採用している。
実に計画的に、慎重に構築された背景が窺い知れるものだ。
そんな一見何の変哲もなく見えるも、侵入者も脱出者も逃さない無駄を削ぎ落した高い壁に対して、重厚な造りの閑散とした扉だけが外と内を繋ぐ唯一の架け橋のようだ。
それだけに一度入れば二度と出られないとの噂は、より真実味を増している。
「これはまず確実に同胞が関わっている、か……」
元々ホンレフは小さなオアシスから始まり、砂漠の流刑地として扱われていた歴史もある。
当時、砂漠随一の発展途上と揶揄されていたが、深緑を増やして潤沢な水を生み出した経歴から、一気に砂漠の天国と評価を上り詰めた時代があったことは、ジュノの報告にも、フレイによる近辺調査でも明らかとなっていた。
多くの人を呼び込み、街にまで発展を成し得たそんなある日、空にも届くような壁でホンレフの内情を完全に遮断したのだから、黒い噂や憶測が飛び交い、近辺で話題の中心はもっぱらこの国だった。
「一度入れば二度と出られない隔離孤島、通常《冥々裡の地獄》か」
事実ホンレフに入った親族がホンレフから出て来ることなく、被害を被った親族が嘆いている現実があるのだから、噂の信憑性に加えて、現実味が増すのも当然と言えば当然と言える。
ここは極悪人は元より、多くの知識人も流れ着く場だったのだ。
発展が無謀とは思わないが、資源が乏しいこの地で他国との交流も結ばず、誰もが予想する最悪の結末に転ぶどころか、忽然と迫り出した高く聳え立つ重厚な外壁に対して、あらぬ噂を立てるなという方が難しい。
この危険性に周辺諸国も警鐘を鳴らすが、どっしり構えた無機質さが原因か、別名の響きが探求心を煽るのか、怖いもの見たさでホンレフの領域に踏み入れる無謀な若者が後を絶たない。
そんな奇妙な国に対して、ジュノの要求は主にホンレフが急展開したカラクリの詳細に加え、同胞との接触とこの状況に陥った経緯、そしてアイリーンとの結託の有無を挙げている。
「外壁は全く無駄のない造りだ。異空間で固められて、現物とも上手く同化している」
ジュノが寄越した情報には、何らかの不可抗力によって偵察のほぼ全てが弾かれた状況から、アイリーンが深く関わっていると見て間違いないだろう、とのこと。
「まさしく砂漠の要塞だな。ジュノの言う通り、真正面から入るのが正解だろう」
自身の目立つ見た目を今一度見直して、事前に調達してくれた良質の金貨を確認すると、改めて用意周到な参謀の指示に従うことが如何に的確で、大いに有効であるかを教えてくれる。
今一度この絶壁をくまなく調べたあと、フレイは禁断の堡塁を潜る。
***
フレイは今、猛烈に困惑している。
ジュノの気配りによって難なくホンレフへ入国できたのは良いが、何も考えずに良質な金貨を見せたが故、噂がとんでもない早さで広まり、ただ街を歩くだけで女性からの猛アプローチと熱い視線が絶え間なく降り注がれる現実。
事実フレイはガタイが良く、顔も良いのだ。
今のところマイナスの要素が見当たらない男となれば、女性たちの関心と興味は尽きないのだから、これはある意味宿命のようなものだ。
ただ一般女性に一ミリも耐性のないフレイには、少々気の毒な環境に見えてくる。
「おにぃーぃさぁぁ~ん! お酒、どう? お兄さん格好良いからサービスしちゃうわ!」
「あ、はぁ、ハハ……ハ……、」
通常フレイが身を置く管轄とは正反対な、この慣れない環境に考えが及ばず、頭がグルグル回る。
普段から女性と生活をしていると言えば体の良い話に聞こえるが、実際は赤ん坊の世話に加え、塩対応の鬼上司の小間使いと言えば同情を受けるか、人が遠退くような話なのだ。
「ねぇ、おにぃ~いさーん、少しだけ良いでしょ? 良いでしょ? ねえ、良いでしょ~う?」
「……ッ、あっ、ああ、あっちに用事がッ!」
フレイのキャパシティは限界を迎え、お近づきになりたい女性陣に対する限界を感じた。
口元引きつった愛想笑いと素早い後退りで一気に振り切ると、たまたま見つけた狭い路地へ入って行く。
入り組んだ路地だからか、流石に女性たちも執拗に追っては来なかった。
「お、女の人って、こんなにも積極的なものなのかな?」
想像していたものとは遥かに異なる受難に、腰が引ける思いは違った意味で予想外。
野外の噂を鵜呑みにしたことも災いしてか、良い意味で予想を大きく上回ったこの街は、まさしく幸福な国そのもので、笑顔に溢れ、活気ある生活を目にして衝撃が走ったほどだ。
「ん? あれ? ……な、ない? ない!」
突然あたふたと身体中を探るフレイ。この慌てぶりから何かしら大切なものと想像出来る。
「さっきのドタバタで落としたのかな? ど、どうしよう……」
フレイにあの場へ再び戻れと言うのは少々手厳しい。
狭く薄暗い空間で、焦りながらも現在に至るまでの行動を思い起こす。
腰にはずっしり詰まった金貨がフレイの動作で若干揺れることから、金品を掏られたというわけではなさそうだ。
切羽詰まった様子から、余程大事にしていたものなのだろう。
考えに考えた末、気は引けるがまた通ってきた道を戻る判断を決心したフレイの聴覚に、汚い罵倒が訴えてくる。
「おい女! 先にぶつかっておいてそれはないだろうが!」
「何よ! そっちが先でしょ! 謝罪の一言でも欲しいくらいだね!」
「こ、こんのぉ、くそ女! 勝手言うのもいい加減にしやがれ!」
業を煮やした男が、負けん気の強い女性に拳を上げる。
しかし女は避ける動作も怯える様子もないままに、ただ真っ直ぐ鋭い目線を貫くのだ。
〈ヒュ――……、バシッ!〉
「わあ、まさか本気で殴ろうとするなんてね」
容赦ない男の拳は女の顔に吸い寄せられるように命中する寸前、あまりに見るに堪えられなかったフレイの妨害で女性は事なきを得る。
「な、なんだ、お前? ふざけんな! いててっ! やめろ! おい! おい、止めてくれッ!」
「誰だっていいじゃないか。それより、素直にこの場を去るほうが君のためになると思うよ?」
フレイなりに力加減を調節したはずが、この男には耐えがたいものらしく、掴まれた手首を振り払うどころかビクともしないことから、恐れをなした男は憎まれ口を叩いて姿を消した。
「ふう、助かった。それにしてもしけた財布ね! この程度で威張り倒す必要ってある?」
「え? ま、まって、まさか君、スリなの??」
罪の意識は一ミリも存在せず、寧ろ威勢よく愚痴と不満をこぼす女は、驚きを隠せないフレイに対して堂々と「そうよ」と発言できる悪気の無さ。被害者に見えたのも些か仕方ない。
「ご、ごめんなさぁああいぃぃいいッッ!」
既に姿の見えない男性が向かった方向に対して、フレイは謝罪の念を告げる。
「別にいいじゃん。……ていうか兄さん、街で噂の色男だよね。こんな所で何してんの?」
「い、色???」
「分かんないの? 兄さん、ちょー噂になってんのに?」
「えっ! そ、そういうのは、ちょっと……」
盗んだ財布をお手玉のようにして遊ぶ女は、オロオロと挙動不審な態度のフレイを見て、その見た目と中身が吊り合わない歪な性格を早々に理解して、女にある黒い考えが思いつく。
フレイを隈なく見れば、ある程度の蓄えは持っているとスリの経験からか、勘が騒ぐのだ。
見るからに屈強な男だ、力に自信があるから警戒心なく金をぶら下げていても不思議はないし、その上で内面が極度のお人好しとくれば、こんな駒は易々と現れないと判断を急ぐ。
「ねぇ兄さん、こうして出会ったのも幸運。もっと兄さんのこと、手玉に動かしたいの……」
女の渾身の演技に無関心のフレイは、相変わらず探し物を見つけることに夢中だ。
「……何してんの?」
「え? ああ、少し探し物を……」
忙しなく探す様子に女は詰まらなさそうに溜息を吐くが、更なる悪巧みを思いつく。
「ね、ねぇ! 私も手伝うからさ、ほら! ね? 私! 私、雇わない?」
「……エェ……ェ」
フレイにしては珍しく心の底から怪しむ目をする。後退りで距離を置く動作まで加えて。
「ちょっと! 私、この街超詳しいんだからさ! 本当に顔広いの! 信用してよ!」
「スリをしてる君が? ……悪い意味で顔が広いんじゃないの?」
核心突いたフレイの発言は女の墓穴を掘る。
「わ、私の些細な悪戯じゃーん! 細かいこと気にする男は嫌われるよ?」
「嫌われる? そっか、嫌われる、か……、」
それでも女は食い下がる。
金目のカモは目の前で悠々自適に泳いでいるのだから、なにもせず引き下がる理由などどこにもない。
しかしこの女の体裁を保つための発言は、フレイの痛いところを突いてくる。
ジュノとの微妙な関係を指摘されたような気がしたからだ。
わざとではないのが分かるだけに、だからこそその呟くような指摘が心に響くのだ。
女は自身の悪事を公然と晒す上、有耶無耶にさせる罪の意識の低い単独の子悪党と見るが、フレイにはその判断がどうもしっくりこない。
どこか憎めない雰囲気を纏うからだろうか。
ただ一つ引っ掛かるのは男性に殴られる寸前、女の目は死人のように淀んでいて、恐怖に怯える様子はなく、存在を否定される行為を粛々と受け入れる態勢を構えていたように思う。
そんな死人の表情は何らかの覚悟を背負い、生を諦めて死を招き入れるような感覚は、今現在の女の口から出る表情と言葉とは真逆で、余計にフレイの直感と確信を大いに振り回す。
その概念からフレイの警戒心は相変わらず速攻で地に落ち、すぐに女に情が移る。
「じゃあ、少しだけ手伝って。多分、道端で落としたと思うんだ」
「ハイハーイ! ……で、何を探しているのさ?」
この問い掛けに、特段小さな声でそっと耳打ちするフレイ。
その慎重さから、どれ程重要なものなのかと緊張もしたが、伝えられたその内容に、思わず笑いが止まらない女。
転げ回る表現そのままに、身体を最大限使ってフレイは大いに爆笑される。




