第二章 交錯する想い③
〈ボアァッ!〉
燃料が小規模な爆発音を響かせたことで、フレイは浅い眠りから目を覚ます。
昼夜、寒暖差の激しい砂漠の中で軽い身震いを起こすと、夢か幻か、少しの気の緩みが招く悪寒を情けなく思う。そんなフレイの心中をざわつかせるのは、当然あの二人のその後だ。
時折届くジュノから送られてくる指示書には、ステラのことは勿論、私生活に関する記述は一切触れられていない。
ただ淡々と注意・必要事項が流れるような美しい文字で簡素に書かれているだけなのだ。
日常を過ごしているなら喜ばしい話。
ただ正直な話、物寂しさは残る。
思わずなんらかの小さく分厚い本を広げて、挟まれた何かを見ると笑顔が戻るも、その何かをさらに見つめれば余計に切なさが身体中に広がる体感。
「……やっぱり、僕の、我儘なんだな」
いい年齢でありながら必要とされたいと感じた、身勝手な思考を巡らせる自分自身をとことん残念に思う。
邪心を払拭するように、頭を大きく振り払う動作を何度か繰り返した。
卑しい感情を蹴り上げて、別れを告げるための大きな溜め息は、障害のない広大な空間に消える。
両手を後ろに組み背中を砂地に預けて夜空を見上げれば、星の名前を当て嵌めて星を線で繋いで形を作り、絵を連想することで想像力を高めながら自然な眠りの時を待った。
***
〈ちゅん、ちゅん、ちゅんちゅん!〉
紅い太陽が昇り始めた肌寒さが残る早朝、フレイの額に乗って、鼻の頭を軽く突く一羽の小鳥が忙しない起床を知らせる。
その小鳥はくりくりと輝くビー玉のような青い目と、全体的に淡いピンクの美しい羽に、胸から腹にかけての胸毛を白くフサフサさせた、愛らしい小鳥だ。
「ん? ああ、チュン。今日も来てくれたんだね、いつもありがとう」
チュンと呼ばれたこの小鳥は、ある渡り鳥から派生されて生まれた、この地球上でたった一羽しか存在しない突然変異。
生まれつき知能も申し分なく、ジュノとフレイ繋ぐパイプとして伝書鳩の役割を担っている。
チュンと名付けたのは、その個性的な泣き声から。
肩に移動したチュンを指で優しく撫でながら、足に結ばれた手紙を解くと、チュンは左右首を傾げながらフレイの横顔を見つめ、撫でる指が離れた合図でチュンは家路に向かう。
その様子に安堵を覚えて、姿が見えなくなるまで見届けるフレイだが、同時に複雑な心境で心沈む。
チュンは賢い動物だが、伝書鳩より効率的な手段は豊富にあるのだから。
最もジュノほどの能力の持ち主なら尚の事、これは非効率極まりない手段だ。
仲介を挟む選択の真意は、恐らくジュノがフレイとの接触を頑なに拒否した感情の表れ。
そんな複雑な事情が絡んでいるだけに、今のフレイが消極的な思考に陥るのも致し方ない。
ただジュノがまたどこか遠くへ、再び姿を消してしまう予兆のようで、真意が透けて見えないフレイは常に疑心暗鬼と葛藤しながら、深く暗い沼の底で一人悶々と戦っている。
それは消したくとも消えない、黒く毒々しい感情を纏った悲しい過去。
***
それはあまりに唐突な出来事だった。
日夜挌闘と言っても過言でないステラの世話に勤しむフレイは、サーキュラーを覆うバリアが一瞬、虹色に変化した瞬間を肉眼で確認した。
これは誰かがサーキュラー内に入って来た合図であり、原因究明に向かったフレイを待ち受けていたのは、黒塗りのジュノなのだから。
「フレイ、久しぶりね」
まるでこの場に足を踏み入れることが当然のような態度でフレイの視野に入り、高いヒールをコツコツと響かせて近づいてくる。
足音だけで分かる、悪びれもない態度。
それは忽然と姿を消した時と同様に、何の前触れもなく堂々とした態度で姿を現した上、大切な場所を土足で踏み荒らすような、そんな礼儀のない行動にフレイは酷く翻弄される。
この長期間、ジュノは二度と帰ってこないと諦めていたフレイは、何もかもが予想外で想定外で、どの感情を優先して良いか判断出来ずに撹乱している。
付け加えジュノの軽快な物言いから更なる混乱を招き入れる。
何を考えてそのような軽率な発言が出て来るのか、理解に苦しむばかり。
ぐるぐる回るフレイの感情は置き去りのまま、黒塗りのジュノの外見が虹色のシャボン玉を纏ったと思えば、風に吹かれて身体の黒が儚く消えると、長い髪をかき上げる動作を最後に、大人のジュノが現れた。それはフレイと居たあの頃より、より美しくなった女性の姿。
腰まであるストレートの黒髪に陶磁器のような肌が妖艶な黒いドレスを引き立たせ、元々の高身長に加えて高いヒールからフレイとそう変わらない背丈のせいで、余計に目線を逸らす事が出来ない。
現状、心情を拗れに拗れさせてより複雑にさせた後というのに、美しさに磨きが掛かったジュノを、本能が『美しい』と仰いだ自分自身が残念で情けなく、とことん呆れる。
「貴方も随分と大人になったものね。まあ、身体の成長は進んでいても、その性格は相変わらずのようだけど?」
ジュノはフレイを公然と皮肉り、嫌見たらしい発言まで放つ。
そんな棘ある言葉で深い疑念と苦しい感情を吐き出せる瞬間を完全に見失った。
普通ならこの状況であっても、激昂して毅然とした態度で追い返しても間違いではないはずだ。
しかしそれが出来ないのがフレイだ。
「無事、帰って来てきてくれて、……ありがとう」
混乱する頭をなるべく素早く整理して、脳を絞り出すように形式的な言葉を紡ぎ出す。
「あら、それだけ?」
ジュノのこの挑発的な発言は、フレイを更に複雑に、腹の中をうねるような感覚でグルグル巡る。
いきり立つような憤慨、心苦しい哀愁、そしてほんの僅かに残る愛おしさ。
この心情を何かに例えるなら、並べられた数々の料理を一度に口に入れられたような感覚と似ていて、混じってしまうことで味の変化などの情報に頭が追い付かず、飲み込むことすら困難で、仕舞には全部吐いてしまう、そんな感覚。
優しさ故に全てを理解しようと、全てを拒否しようと感情を一気に混在させてしまったことで、結果的に何を優先して良いか選べない、想像もつかない、フレイにとって苦痛の時間がゆっくりと進む現実。
「ふあいぃー、……ぅぅう、」
あまりに複雑に絡む感情から正気を保てないフレイを、現実に戻してくれたのはステラだ。
まだ滑舌が未発達なステラは、フレイの居場所に辿り着くための、この長い道のりを歩いたからなのか、足取りは覚束ない。
たくさんの涙を溜めながら必死に駆けつけただろう様子に、ステラにとってフレイは全てであり、誰よりも自身を必要としてくれる事実に安堵する。
まだ愛を求めることしか出来ない無垢なステラは、フレイの唯一の精神安定剤。ジュノの存在から逃げるように、フレイの服を引っ張るステラを抱きしめて、一度瞼を閉じて心の整理をした。
「大丈夫だよ、僕はステラと一緒だよ。ごめんね、すぐ気が付かないなんて……」
安堵したのも束の間、ステラを抱擁していると、ジュノの裏切りもまるで昨日のことのように鮮明に甦る。そ
んな少しの不安から、良からぬ疑惑を膨らまして、更なる不穏を呼び込んでしまう。
自身に芽生えてくる汚い感情が恐ろしいあまりに、思わずステラを強く抱きしめて。
いつもと異なる感覚を疑問に感じたステラが、真正面に見えるジュノの存在に気付く。
「んぅ、んん……?」
普段と異なるフレイに、異様な雰囲気を纏ったジュノの存在。
ステラにとってはフレイ以外に初めて見る人間ではあるが、明らかにフレイとは違う感情を覚えて、眉をひそめている。
「あ、ああ、ステラ。彼女は、彼女はッ……、えっ、えっと、えっと……ッ、えっとッ」
ステラにジュノとの関係性を教えることほど残酷な話はない。
上手く誤魔化しながら説明をしようと考えを捻出しようとするフレイの言葉を塞ぐように、ジュノが口を開いた。
「ステラね、初めましてかしら? 私は、そうね、フレイとは親しい友人のようなものよ。これから私とも仲良くしてくれないかしら?」
ジュノの発言に二重の驚きでフレイの瞳孔が開く。
極度の緊張から屈めた姿勢を正すように、ジュノの発言はフレイとの仲を友人程度に位置付けた上に、共に暮らすなどとさも当然のように、独断する厚かましさまで見せるのだから。
「……うぅ?」
「そうね、ステラとフレイが仲良くするためのお手伝いがしたいだけよ」
「ぶー、……ぶぉッ!」
「大丈夫よ、フレイを取ったりしないわ。安心して頂戴」
ジュノを訝しむ心を未熟な表情と拙い動作で表現するステラ。
フレイにはこの対応が出来ない。
そんなフレイをよく知るジュノは、考える時間を与えず、複雑な心情を弄ぶのだ。
「うぅ、……うっ、うぅうわぁあぁぁああぁああッ!」
「あ、え、……ご、ごめんステラ! え、……っと、あッ、……ッ!」
ジュノという名の楔で自由を失くしたフレイの心は、頭すら正常にさせてくれない。
そんな苦しい想いから、強い抱擁で幼過ぎるステラに救いを求めてしまったのだから。
今更後悔しても後の祭り。
悲しい大きな泣き声は、フレイたちを捨てた、あの頃の嫌気な泣き声いを再現したようなもの。
当時は超低出生体重児と言うこともありとてもひ弱だったが、一段と成長した心からの叫びは、より一層悲観を帯びてフレイの心に訴えた。
「ステラはフレイのことが本当に大好きなのね。お邪魔になってごめんなさい。フレイ、重要な話は後程お願いできるかしら?」
フレイに向けたジュノの言葉には後悔も反省も、良心の呵責すら存在しないのだろう。
話を曖昧に、一時中断したまま颯爽と宮殿に向かうジュノ。
ヒールが奏でる足音が遠退くと、フレイはステラを抱いたままゴロリと仰向けに、極度の緊張からの解放で地面に倒れた。
「ふへぃ? あぁー、あぁ……?」
今のフレイにステラを構う余裕はなく、ただ呆然と快晴の空を眺めながら、最後は項垂れる。
ジュノはフレイが心から慕ってきた大切な人。
そんな大切な人が傍にいない毎日が日常になったフレイに、雷を手土産に、電撃を落とす衝撃と派手な演出でその存在を色濃く残す。
ジュノがわざと不快にさせる魂胆など、フレイには理解できないものだった。
***
チュンが消えた方向を、茫然と見つめるフレイ。
あの悪夢の再会からのジュノと言えば、その有能さからフレイの評価はうなぎ登りで、再び絶対的信頼をもぎ取ったのだから。
淡々と仕事をこなす姿は、昔と変わらないジュノそのもの。
「昔、……か、」
フレイはこの世界、地球を一度地獄に変えてしまった経験を持つ。
それは白亜紀と呼ばれる恐竜が地球を席巻したと言われている時代。
この時代に人間の存在もあったのだが、地球上に生きる全ての人間を亜空間に連れ込むことで、骨すら残さず誘い込んだのだ。
当然それは敵味方関係なく、同胞は勿論、有ろう事かジュノまで引きずり込んだ事態は後悔してもしきれない経験。
しかしそんな地獄の底で、一人冷たく泣いていた自身を見つけてくれたのは、誰でもないジュノだった。
「あの頃のジュノは、よく笑って毎日のように励ましてくれた……」
共に生まれ、共に過ごし、共に苦境を乗り越えたジュノは、随分と人格を戒心させてしまったと、そしてそれをさせてしまったのは自分自身であると、後悔してもしきれない。
本来なら笑顔を絶やさない、はっきりとものを言う誠実な女性に育ったはずだ。
そんな唯一無二な存在は、成長していく度に笑顔が減り、重苦しい何かを抱え、四六時中難しい顔で何かを模索してたように思う。
これは今だからこそ気付けた変化。
しかしあの頃と情勢は大きく変わり、人間天下の快進撃によって新時代を迎えている。
残留する地獄の記憶こそ障害になるが、生物は前を向いて歩いて行けるだろうし、上手く乗り越えていけるはず。
過去の全てが有害とは限らず、寧ろ多くの教訓があったはずだから。
『地獄とは言っても、そこは全生体が唯一〈平等〉になれる場所なのよ』
この言葉は恐怖と後悔に暮れるフレイに、何度も言い聞かせてくれたジュノの〈おまじない〉。
ジュノは誰よりも強く優しく、全生物を慈しむ広い心の持ち主で、間違いに罰を与える見解にも揺るぎがなく、至上最も高潔で偉大な人物と言っても過言ではない。
果てない人格者に加えて、その確かな判断力と行動力の素早さもさることながら、同胞の協力を仰ぐことなく、脇目もふらず、常に孤独な環境を突き進むジュノの生き急ぐ姿を、フレイはこれ以上黙認することが出来ない。




