第二章 交錯する想い②
フレイの足音が聞こえなくなる頃合いで、重苦しい何かに解放されたかのように吹き抜けから晴れ渡る快晴の空を仰ぐと、今度は全身を巡る気怠さで鉛のように重たくなる身体。
たった一つのスポットライトから水のカーテンが細やかな光を拾って、反射させるジュノの姿は、舞台で注目を浴びるヒロインさながらの演出で、無垢な白を淡い色彩で七色に染めた。
ジュノのミステリアスな魅力を最大限引き出して、益々美しさに磨きを掛けている。
しかし息を飲むほどの絶美は、これで完成ではない。
それを証明するように、その場から立ち上がると、白髪の髪は頭の根元から漆黒の黒へ変化を起こして、腰回りでバッサリと絶つ。
途切れた白髪は水が流れる溝へ各々流された。
これが合図のように、宮殿の四方から風が通り抜け、ジュノを纏って風が吹き抜けに駆け上がる瞬間、白髪のジュノを彩った装飾の花弁が空へ舞うと、宙を舞って儚く空に消えていく。
この僅かな時間で、純白の清楚なドレスから一転、漆黒のタイトなドレスに変化を遂げることで、ジュノの印象もガラリと変わる。
それこそ天使から悪魔にでも豹変したかのように。
翠眼が赤眼に変化することで、新たに妖しく妖艶な雰囲気までも醸し出した。
この豹変によって凝り固まったジュノの心臓が激しく、だが小刻みに慎重に震え出す。
フレイに気付かれないよう神経を尖らせて張り詰めていた糸は、そう簡単には緩めさせてくれない。
ジュノの背中に圧し掛かる責任の重圧は中途半端なものではなく、心身共に大きな爆弾を抱えて、この世を生き抜く方法を物心ついた頃から常に手探りで模索し続けている。
ジュノはフレイを本心から〈頼らない〉のではなく、〈頼れない〉と言うのが正しい。
深い理由があってフレイを振り回すのだが、それでも文句一つ言わず、理由すら求めず、責め立てることもしないのだから、義理堅いジュノの罪悪感は増す一方だ。
そんな優しいフレイに対する懺悔は、重い足取りで水のカーテンを演出していた小さな溝を跨いで、一本の支柱にもたれ掛かると崩れ落ちるように屈んで、普段とは違う痛みの心臓をしっかり強く掴んだ。
自身を丸く小さく包み込んだ背中は、威厳ある言葉を放ち、外見が醸し出す厳かな雰囲気とは程遠く、この動作一つで酷くひ弱で、ちっぽけな存在にしか思えないのだ。
***
「ステラ、……あの、ぼ、僕のお願い……、き、聞いてくれるかな?」
フレイが傍にいてくれるだけで、何でも楽しく遊べてしまうステラ。
おもちゃの積み木を一つ一つ自慢げに解説してみては組み立てて、完成させてフレイに褒めて貰おうとする。
どうやらステラはフレイの役に立てる、事実役に立っていると心から実感しているようだ。
フレイにはそれがよく分かるだけに、なかなか話を切り出せない。
通常ならこの行動にも意欲的に、多少大袈裟でも驚く仕草も加えて褒め称えるのだが、今回はステラの自尊心を壊す未来があまりに鮮明なだけに、最悪、今まで築き上げた愛情も信頼も無にする可能性も捨てきれない。
そう考えれば考えるほど、そう易々とは切り出せないのだ。
「んー? なあにぃ?」
真剣に積み木をバランスよく乗せることに夢中だが、愛しいフレイの言葉だ、耳を貸す。
「す、少しの間僕と離れて、ジュノと残って欲しいんだ、けど……、」
言葉の全てを理解出来ないステラではあるが、不穏な発言であることには薄々気付く。
広がる疑問とフレイの顔色の悪さが、徒事ではない事態と大いに物語っている。
「え、えっとね。僕とステラが、ちょっとバイバイするんだ。……ちょっとだけだよ?」
身体を大きく使って伝えるフレイの言葉は、まるでステラに青天の霹靂のような衝撃を与え、高く積んだ積み木はバランスを誤り、今のステラの感情を表現するように盛大に崩れ落ちる。
これも全てフレイに褒めて貰うための努力。
それをあろうことかフレイの手によって地に落とされたのだから、ステラの心情は計り知れないショックと絶望感で顔色が青ざめる。
「やぁぁあああ、だぁぁぁあぁぁああぁぁあッ!」
どん底の感情が大粒の涙を我先にと押し出すことで、フレイと離れることを全力で拒む。
その姿はある程度予想されていたものでも、実際に目にするとやはり可哀想に思う。
「だ、大丈夫、大丈夫だからッ! 少しの間、ほんの少しの間だよ。それにここには沢山の仲間が居るし、ジュノだって居る。一人ぼっちじゃないんだよ?」
「フレイぃが良いのぉぉ! フレイじゃなきゃぁあ、ヤぁぁああ、ダぁぁああああ!」
「君は良い子だろう? 僕はとっても大事なお仕事で少し離れるだけなんだ。大丈夫、帰ったらたくさん、たくさん遊ぼうね? 絶対だ、約束するよ! 本当だよッ!」
事前に用意した言葉で取り繕うも、やはり上手く実らない。
意固地のステラを説得する方法は、同じ言葉を根気よく繰り返し、耐久戦で納得させる方法しかない。
しかしステラの表情は世界が滅亡するような、絶望に満ち満ちているだけに、この説得は困難を極めている。
そんなてんやわんやの中、凛とした黒の装いのジュノが様子を窺いにやった来た。
「随分と手を焼いているようね。まあ、私もこうなるとは思っていたのだけれど……」
そう発言しながら地面に両膝をつくと、ジュノもステラと同じ目線に合わせた。
ステラは決してジュノが嫌いなわけではない。
フレイが好き過ぎて、フレイに執着しているだけ。
結論を行ってしまえば、ジュノとは意思疎通は勿論、信頼も全く築けていないのだから、距離感、関係性共にただの赤の他人と何ら変わらないのだから。
「ステラ、フレイはステラを幸せにするためにちょっとだけバイバイするの。バイバイしなくちゃ、フレイがイタイイタイしてシクシクしてしまうわ。ステラはそれでも良いの?」
ジュノの発言に硬直するも、次の瞬間には頭を大きく横に振る。
ステラは我儘でフレイの迷惑になりたい訳ではなく、誰よりもフレイの助けになりたい、そんな強い想いが根本にある。
ジュノはそんなステラの想いと努力を見抜いたのだ。
「フレイがイタイイタイするの、嫌でしょう? ステラは良い子? 悪い子?」
「わるい子イヤッ、ステラ、いい子だもんッ!」
良心を問う質問からステラの自尊心と正義感を引きずり出し、主張を覆した。
「そう、良い子よね。ステラはとっても良い子よ」
あっという間に強情なステラを言い包めたジュノに、フレイは開いた口が塞がらない。
ステラの意思を上手く転がしたからこそ得られた結果なのだろうか。
手慣れた様子にフレイが悶々とする中、ジュノは何事も無かったようにフレイたちの許から背を向けて離れていく。
「あっ! 待って、ジュノ!」
「……何?」
このあまりに不愛想な一言は、故意に相手の印象を悪くするもの。
自身の領域に踏み入れることを心から拒む、ジュノの警戒心が言わせたのだろうか。
言葉が作る事実より、心が示す真実を誰よりも理解できるフレイ。
この真意に対して分厚い障害も透明な障害に変えて、笑顔で軽やかに足を踏み入れられる天性の才能は、本能が嗅ぎ分けた結果なのか、優しい心が生んだ結果なのか。
どっちにしろジュノにとって非常に厄介な能力には違いない。
「……ステラが貴方を待っているわ。今のうちに思う存分、遊んであげなさい」
「そ、そうだね……、ありがとう」
今一度不貞腐れ気味のステラを見た後、一言感謝を述べようと再びジュノを見るが、その姿は想像するより早く消えてしまう。
ただ地面に響くヒールの音が徐々に小さくなるリズムは、どことなく安堵を与えるもの。
ジュノが見せたこの意外な一面は、フレイとの信頼を大きく前進させた出来事となった。
***
白さ際立つ宮殿の中、異彩を放つ漆黒は、朗らかな光によってその異質さを問われる。
このサーキュラーは今、最も天国に近い場所。心地よい風がストレートの黒髪にじゃれ合うように通り抜け、美しい髪が遊ばれる。
あまりに場違いな主張の強い漆黒に対して、何の疑いも持たず、何の邪心も持たず、全てを受け入れてくれるこの空間は、フレイを連想させるようなもの。
ほぼ全てを手中に収めた偉大な存在だと言うのに、実際は生きる意味を手探りなままもがき苦しみ溺れるばかりで、滑稽でちっぽけな存在と声を荒げて叫ぶように、この情景が全てを見透かすように感じて心が痛む度、身勝手な哀愁に耽ることを失望して、忌み嫌う。
***
「フレイぃ、早く帰ってきて。また遊ぼうねぇ」
「努力するよ。ステラも良い子にしててね。帰ったらいっぱい遊ぼう、約束するよ!」
長い庭園を抜けて、空間を分断する出入り口でひと時の別れの言葉を交わすフレイとステラ。
ステラと目線を合わせて低い姿勢を保ち、優しく頭を撫でられた幸福感と満足感に浸るステラの笑顔を尻目に、フレイは未だ仕事に勤しむジュノがいる宮殿を遠く見つめる。
あれから丸一日、ジュノとは最低限の会話を交わす程度で、それ以上もそれ以下もない。
複雑な心境は一旦胸に閉まって、見つめた宮殿を再度見ることは諦めて、この場を守るバリアを抜けると足元から順に下界に向かって一瞬で落ちていく。
その様子を安全のため施錠されたバリアに張り付いて目で追おうとするステラだが、フレイの姿はあっと言う間に消えた。
離れたばかりだと言うのに、早速涙を溜め始めたステラ。
どれほどの期間、フレイのいない生活が続くのか。不安が募るばかりで、今にも大泣きそうなステラを止める人物が現れる。
「フレイのことよ、早く仕事を終えて帰ってくるでしょう」
先程まで仕事場から微動だにしなかったはずのジュノが、ステラのすぐ傍らに立つ。
ジュノにとってステラの立ち位置は思いの外役に立つ。
現状ジュノとフレイの、微妙な距離感を一定に保つのは想像以上に難しい。
ほんの少しでも気を緩めれば、するりとジュノの感情に入ってくるフレイの危険性はとても無視できない。
ジュノが望むそれは、首の皮一枚で繋ぎ留めるような不安定で常に危険な関係で、それを緩和させて、補強として縫う大事な糸はステラが笑顔で担ってくれるのだ。
一見アンバランスな家庭の内輪話のようだが、基準が細胞レベルで、判断が宇宙規模となれば、この宙ぶらりんな関係がいかに大切で、星の命運にも関連しているかが如実に物語る。
そんな複雑な関係を知る由もしない貴重な存在は、天真爛漫に笑顔を咲かせている。
「フレイぃ、早くかえってくるぅ?」
「ええ、本当よ。たくさんいい子にしていれば、もっと早く帰ってくるでしょうね」
「分かったぁ! ステラ、もっといい子になる!」
「……貴女はいつも笑顔でいなさい。寂しくなったらたくさん甘えなさい。ステラはステラのままが一番素敵なのよ。それが貴女なのだから……」
ジュノから唐突な甘い誘惑は、一体何を意味するものなのか。
真意を理解しがたい無邪気なステラの解釈は、ただフレイが微笑んで帰ってくるイメージを頭いっぱい想像してたくさんの花を咲かせることだけ。
ジュノの言葉に隠された真意を知るまでに、どれほどの時間が掛かるのだろうか。




