序章 紅い悪魔
紅い太陽が昇る静寂の朝、一面の砂漠と雄大な空をはっきりと分けた地平線。
幻想的な太陽が顔を出す頃、この場の全貌を事細かに浮き彫りにした。
鮮明に照らされた光景は、屈強な男達が先陣を切る瞬間を狙う、一触即発、じりじりの交戦の開幕の行方。
より高い位置へ昇る橙が遠く、画然たる黄泉へ誘うだろう瞬間を脳裏に浮かべることで、少しの緊張と極度の興奮がよい案配で男達を奮起させる。
最前線は上意下達の下、絶好のチャンスを探り合うことで、頭から垂れる大粒の汗が滴り、多様な武器や手綱を握る手が軽く湿る感覚は、一瞬の判断が生死を分ける戦いと覚悟したからこその、極度の緊張の表れ。
双方、親愛なる母国の旗を掲げて、雄々しい叫びで一気に砂漠を駆けるは開戦の合図。
腹の底から叫ぶことでより大きくなる気合は、男達の感情を奮わせて闘争心を掻き立てて、いざ敵陣を目指す。
先頭を雄壮と走り抜ける馬車が砂交じりの空気を更に濁らせ、問答無用の弓矢が敵を狙い定め、剣や弓矢、鈍器で敵に致命傷を負わせる。
怒涛のぶつかり合いは砂埃が視界を遮り、四方八方に血潮が舞うと、弾け飛ぶ血と滝のように流れる汗は、粒子の細かい砂で身体中に混じり合い、染みるようにこびりついて離れない様は、まるで人間の業を表しているかのよう。
この過激な惨状から、遂に悲鳴染みた声を荒げた男声が随所に響き渡り始める。
これは各々が国の繁栄を求めて、人間特有の傲慢な争いが、戦争が勃発した瞬間。
容赦ない戦いが激化することで彼らのアドレナリンは多く分泌され、その異常なまでの殺し合いは勝敗が決まるまで一歩も引く気のない、そんな意地と覚悟の戦いはまだ開幕されたばかり。
「うーん、戦線は混戦を極めているようだな。やっぱりあの渦中が有効か。よし!」
砂漠をしっかりと踏み締め、遠巻きで戦線を入念に観察するこの人物は、あまりに場違いに軽快な内容の発音から、年端も行かぬ少年が遊び半分で観戦している光景を彷彿させる。
安全圏で戦争を眺める者を見ることは、決して珍しいことではない。
責任感や好奇心の塊のような人物が、この臨場感や栄光を絵や文字で後世に残したいと奮起する人物だって当然いるのだから。
しかし少年と思われた人物は、想像を遥かに超越した姿形であり、まるで雷に打たれるような、そんな衝撃を垣間見ることとなる。
少年と思わせる拙い言葉使いとは裏腹に、不自然なほど全身を紅で染めた屈強な身体の男の情報が脳に飛び込んだ衝撃は、目を逸らせない唯一無二の圧倒的存在感で、目視から暴力的に訴えかけるのだ。
不自然なほど全身が紅で統一されていて、それだけでも十分異様だというのに、顔面は唇の細胞を失くしており、口周りは歯茎まで酷く露わな状態であり、一目で普通の人間とは違うと確信できるほど。
その上目玉をくり抜いたような、柔い白光で灯る丸い双眸もまさに人外であることを主張する材料。
そんな警戒を表す淡い白光を少々歪ませて、紅く際立つ全身の不可解さを武器にして、その行動は無謀を極めた自殺行為も散々に、紅い男は戦地の真っ只中へ空を飛ぶ鳥のように優雅に飛躍したのだ。
〈ドオゥッ! ドドドドドドドドドッ!〉
太陽と重なることで一瞬、凝縮されたような黒い点となった紅い男は、奔走する数多の男達を軽く飛び越え、確かな存在感まで上乗せさせて、高い位置から激しく地に落ちて足を着けた振動によって砂が豪快に跳ね上がるほどの砂飛沫と地響きと、絶大なインパクトを作ると堂々戦線の中央へ着地した。
そんな派手な登場に巻き込まれた周囲の者たちは、想像を越す巨大な投石か、あるいは何らかの動物の落下を想定しながら、砂煙が落ち着く瞬間を思わず待とうとするが、ここは命がけの戦場。
双方がこの騒動に動揺こそしても、決して戦意喪失したわけではないのだ。
舞い上がった砂が視界を遮って、戦線はより混戦となる。
紅い男は徐々にその姿を鮮明にするものの、生死ひしめく争いの渦中では、そう大した注目を浴びることはできない。
紅い男もこの最中の状況では存在認識が低いことは百も承知。
だからこそ率先的な行動に出る。
「グオォォオォオォオォォォッ!」
恐ろしい形相に凄まじさを増して口腔内を大きく軽快に、顎の骨を一時外して、この存在を広く認知させるように、鼓膜が大きく震えるような声量と音域で深い雄叫びを吠えた。
それはとても効果的面で、敵味方入り交じり熱戦を繰り広げる男達の関心を一身に受け、戦線は一時鎮圧を余儀なくされる。
あの天まで届きそうな、巨大な砂飛沫への関心は消えて無かったのだ。
なにより男達が目撃している紅い男は明らかな異端であり、異質でもあり、思わず頭の天辺から足先まで舐めるように確認するほどで、先程から起こる出来事と共に同じ生体とは思えない姿を見せつけて、多大な衝撃と大きな疑問を投げつけることに成功する。
この戦場の中で男達の脳が撹乱するのも無理はない。
紅い男はその奇妙な見た目から、到底この世で生きる同等の人間には見えないからだ。
なにより紅い男の右肩には黒く大きく【02】の刻印が謎をより難解にさせ、男達の脳内を更に酷く撹乱させる。
紅い男の高い背丈に逞しい外見が、警戒という名の疑心暗鬼を生み出すのは至って普通の心境。
それ故、この忌々しい存在に嫌悪を示すのも当然の感覚。
〈ヒュウゥ……ッ、グサッ!〉
警戒感に囚われる中、嫌悪が膨らんだある一人の男の手によって、紅い男を囲う男達の隙間を狙い、一本の矢を放った者がいる。
矢は赤い男の心臓へ吸い込まれるように命中。
その瞬間、周囲の男達は自身の警戒を恥とする。
この大層な外見のインパクトに押されて、実際は大袈裟なお飾り。
このあっけない最後が視界に広がれば、当然の反応としか言えない。
しかし呆れたのも束の間、紅い男は矢の反動で若干仰け反った姿勢を正すと、心臓まで到達したはずの矢を平然と引き抜き、傷口は勿論、矢に染み付いた血液が傷口へ戻る過程を見た。
その瞬間はあまりに驚愕で、その目で見たものを見間違いと疑問を呈するほどのもの。
この瞬間頭の中で喚き出す、『これは関わるべきではない存在ではないか』という感覚。
そんな思いと身体が上手く繋がらず、唖然としながらも極力脳を正そうとするが、目撃したものが思考回路を妨げる。
〈ヒュッ……、グシャッ〉
「ひゃっ……!」
男達の心情を弄ぶように、紅い男は自身の心臓を射止めた矢を放った張本人へと、硬直する男達の隙間を見定めて軽く放った矢は、矢とは思えぬ速さで当人が認知するよりも俊敏に、額から後頭部にかけて容易く貫通させた。
男達の周囲で響くのは、頭部を貫通する残酷な音と一言だけの情けない悲鳴。
矢は簡単に加工されただけの拙いもので、頭蓋骨を貫通させるなど誰が思うか。
この出来事がきっかけで余裕染みた感情が戸惑いに変わり、戸惑いが恐怖に変わった。
男達の困惑と混乱が交錯する中、紅い男は手前の男の顔面を強い腕力で豪快に掴み、未だ状況を飲み込めていない群衆に目掛けて、天高く晴天の空へ放り投げた。
飛ばされる屈強な男達の体重とそれに伴う重厚な装備を含めれば、普通の人間では到底実行不可能な力業。
太陽を目指すように高く、しかし鈍器が落ちるような速度で投げ飛ばされる男は、ひしめく男達の頭上へ残酷にも落下していく。
それは一種の大砲も同然の威力で。
屈強な男達は殺し合っていたことも忘れて、この未確認生命体への恐怖に支配された。
突然一人空から降臨して、突然一人この戦場を荒らす。
そんな不可解さから『これは人間ではない、全く別の生き物』と位置付けるにはそう時間は掛からなかった。
先程までの白熱した混戦が嘘のように、紅い男は誰それ構わず確実に亡き者にしていく。
これは大義の死でなければ、不慮の死でもない。
人外が巻き起こす厄災は、地獄の入り口と決まっているのだから。
人外とは通常、恐れ戦くべき存在。
或いは心から崇拝されるもの。
この魂の行く末を決定的にさせた紅い男の猛攻は、明らかに神か悪魔か、全ての判断を各々が委ねられている。
上空からスクリーンを手広く動かすように全体を見渡せば、見事に散乱する男達に敵も味方も関係ない。
ただ間違いないのは、この時、この瞬間、この場所に至るまで全ての人間が位を落とし、立場を失くし、環境を共有したことで、初めて人間が《平等》になったということ。
紅い怪物が放つ恐怖は止まることを知らず、軽快に空を舞い、場を移動すると、真後ろの男の両肩にゆっくり両足を置いたかと思えば、足を絡めて首を固定したまま共に宙に浮き、男の首を急速回転させる。
響き渡る、首の骨が粉砕される容赦ない音。
無残な死への恐怖が悲鳴という嘆きになる瞬間すら与えず、骨を、血管を、神経を分散され、繋がるものは首の皮一枚となり、明後日の方向を向いた遺体が未だ紅い男と共に宙を舞う姿は、この場の男達の戸惑いと恐怖が血を滲むような速度で支配していく。
太陽に愛されるように、正確な落下地点を予測させることを拒む眩い光は、まるで恐怖を運び込む地獄への輝きを見ているようだ。
遠く遺体を飛ばして落下させる容赦ない攻撃は、予測不可能な落石が襲い掛かるようで、太陽が傾く頃には凄惨な状況が眼下に広がる。
ここは一種の地獄絵図。
それほどまでに両国、甚大な損害と被害を被った。
***
両国共に壊滅的状態に陥ったことで、各国の調査隊が到着したのは〈事件〉が起こってから三日ほど経った後のこと。
元々開戦したばかりの戦争だ。
兵糧は元より、ベテランばかりを揃えて兵法も抜かりなく、それぞれが満を持して臨んだ戦のはず。
この唐突な幕引きに想定外以外の表現ができないほど、両国共に戸惑いが隠せない。
半信半疑なまま早急な事実解明が叫ばれて、現在に至る。
辿り着いた戦場には広範囲に及ぶ尋常でない数の遺体が転がり、その深刻さを視覚と嗅覚で訴えかけた。
付け加え覇気の無い閑散とした雰囲気に、水を求める数少ない生存者は過度な疲労困憊に加え、精神状態は完全に擦り切れており、出陣時の勇ましい雄姿は見受けられず、まるで別人のようだ。
生存者に近づくも挙動不審を起こして怯えだす始末で、まともな会話もままならない。
ただ男達はおかしな発言を延々と繰り返し、まるで呪文のようにぶつぶつと呟く。
それは一種の呪いのような物言いで、「紅い怪物が、紅い悪魔が降臨した」と。




