第十六章 希望の果てに①
「おーい、ステラ! ステラどこだ!」
あの惨劇から瞼を開けば、山間に密集する眩いばかりの緑の大自然が眼下に広がる。
草木は生き生きと光合成を行い、美しく可憐な花を咲かせて、蜜を探して花々を移動する昆虫に、実った果実を求めて移動する小動物、すぐそばには透き通った川を悠々と泳ぐ魚がいる。
そんな深緑溢れる中で場違いな存在、クレスがその目立つ容姿でステラを探している。
一見すればまだ何も開拓されていない森で、一人の人間を探すには難易度が高すぎるように見えるが、草花が意思を持って左右に分かれて道を作り、ステラのいる場所へ導いてくれる。
ただ草花が示した場所は、更に木々が入り組んだ最奥の森の中だった。
「……ったく、ステラの奴、面倒ばかり増やしやがって。よし、こっちか!」
融通の利かない抜け道はクレスの体格では少々厳しいようだが、ここへ来て諦めるようなクレスではない。
なぜならステラがこの場所を通った決定的な証拠を見つけたのだから。
それは茫々に生えた草木の中で、あまりに目立つ痕跡。
極端に美しく、この世のものとも思えないような、可憐な花がクレスの足元で開花している。
茂みの中に柔い光を放って神々しさまで魅せつける、この花は黄金の蜜だけで形を保つ繊細な花であり、その貴重な蜜を求めて珍しい小動物や昆虫もクレスに怯えることもなく姿を見せる。
木々は地面から蜜の栄養を吸収して、信じられない速度で花を咲かせて実る果実は美しい黄金の完熟した果実であり、その芳醇な香りに誘われて、小鳥も多く集まってくる。
そんな黄金の花がつらつらとステラの居場所を示して導いてくれるのだ。
この現象を見て核心を得たクレスは、生き物たちの至福を邪魔しないよう足の踏み場を慎重に選ぶ。
身体の限界まで腰を落として屈めたり、大股を開いたりして生き物たちの至福を守り抜く。
苦労して辿り着いた先は、自然にできたとは思えないような神秘的な場所。
森の中心をサークル状にくり抜いたような、日光やそよ風の恵みを贅沢に受け取れる最高の環境に加え、背の低い草花の絨毯で埋まる空間に辿り着くと、クレスは突然声を上げる。
「ステラ!」
ピンと耳を立てるとダイブして、クレスの腹部に引っ付いたのは、あの金色のモモンガだ。
「あんまり遠くへ行くなよ。最悪本当に迷子になったらどうするんだ?」
愛おしそうに丁寧にモモンガを撫でると、揉みくちゃにされるその愛らしい表情でクレスの安堵も至福に変える。
あの気怠くめんどくさそうだった雰囲気は一体どこへやら。
「さあ、帰るぞ」
現在、モモンガのステラとは最低限の意思の疎通が出来る程度で、クレスの言葉の全てを理解することができるわけではない。
しかしどんな姿になろうとステラはステラ、という確信がクレスの心に安定と平穏を連れて来てくれたのだと、今の優しく笑うクレスを見れば一目瞭然だ。
指先で軽く合図を送ると、それに反応したステラはクレスの上着の中に入る。
ステラだけの特等席に顔だけちょこんと出して、一人と一匹は軽快に木々を足場にして渡り走っていく。
その爽快感に喜びはしゃぐステラが通った空気は、澄んだようにキラキラ光る。
これは生物全ての成長と進化を促す、魔法を唱えたような美しい空気を精製する神秘的で壮大な能力だ。
モモンガのステラはまるでこの事実を理解しているかのように、この小さな星を走り回り、能力を惜しむことなく美しい命を紡ぐためにくまなく走り回る。
天を見上げれば眩しい太陽と澄んだ空があり、大地を見れば深緑が美しい草木が茂る情景。
夜はまるで煌びやかな宝石が散らばるように、鮮やかな色の星々が見せる絶景。
自然の全てに感謝を捧げて、ただひたすら前を向ける平凡な日々は、幸せへの導き。
***
まさしくおとぎ話と言っても過言ではない神秘的なこの星で、あのクレスがすれ違ったことすら気が付けないほど、大木で上手く気配を消した男がその姿を色濃く出現させた。
「はあ、殊更自己表現が乏しい《お前》とは雲泥の差だな。病気じみた自己犠牲ばかりに身を投じても、良い事なんて生涯訪れないぜ? 本当は、分かっているんだろ」
気怠い口調で話すのはマサヤ。
突然誰かと会話を交わすような口調で一人話し始める。
右手には普段と変わらない銃を具現化させているが、バレルにあるはずの〈05〉の刻印は刻まれておらず、一見するとただの普通の銃にしか見えない。
そんな銃口が徐々に明るい橙に灯る合図で、目前の大木に向けて何の躊躇もなく引き金を引いた。
この時の銃声は無音。
光の弾丸が大木に摩擦を起こした瞬間、マサヤの周辺だけ別空間へ誘われる。
美しい自然の造形美が消え去り、全てが暗闇に囲われた空間に閉じ込められると、樹皮だけ一瞬で燃え広がった立体的な人型の煤は、一人佇むマサヤに向かって重い口を割った。
『私は掟を破った身の上、何を言われようが信念を曲げる事は不可能』
「その思考が良くねぇって言ってんだ」
『要らぬ世話。責任を科すのは私で決めた謀。とやかく言われる筋合いは無い』
「ははっ、了解。だが俺も同等じゃねぇ? 何も掟を破ったのは000、お前だけじゃない」
常備する煙草に似た駄菓子を最大の嗜好とし、時折ガリガリ噛み砕いては、どこからともなく補充を繰り返すマサヤ。
すでに嗜好の域を遥かに超えて、一種の中毒に見えるほどに。
『私の願いを導いてくれた事には感謝している、マサヤ、否、【地獄の支配人】666よ』
「ハハッ、結構大変だったぜ! マサヤとして素性を知られずフレイたちに近づくのも。まぁなかなか楽しめたが、ジュノに関しては早々見破っただけでなく、文句まで言いやがったんだぜ? 相変わらず勘の鋭い奴だ。とことん性が合わねぇ、超うぜぇ! ガハハッ!」
マサヤは言葉使いが別人だ。
ジュノに対する不満をある程度ぶちまけた後、身体の細胞を遠く分散。
黒く変色を起こして、極端に膨張した細胞を再び引き寄せると、自身の姿をちっぽけな人型から巨大な黒龍へ変貌させる。
長い舌にはっきり黒く大きく〈666〉と縦に刻まれた、まさしく地獄を統括するにふさわしい、永久の支配人としての確かな証。
「しかしフレイには俺の細胞、ジュノとステラにはお前の細胞をはめ込む事で、心身が乖離を起こし、三人の能力を遠隔で操ることが出来るとは! 流石の俺も想像つかねぇ! ガハハ!」
『私とお前は残存する細胞に篩を掛け、秀逸な細胞に我々本体の意思と思想を与えた事で生命の頂を極めた最小に値する生命体。細胞単位ならば、我々は02を遥かに上回る』
「ガハハ! そうだ! 俺たちは特定の人体を保持しない、唯一の生命体!」
『フレイの信念から温故知新を用いて、離散した細胞を呼ぶ過程でそれぞれの核を我らの手中へ誘導の後、憑依及び脳への指令を書き換え、フレイの解放鎮圧も可能にした。我々の細胞でフレイを操作出来るならば、ジュノとステラの心身を意のままに操る事は容易い』
「なるほどな。しかし何故フレイは俺の細胞だ? お前と一心同体だろフレイは。ガハハ!」
『フレイは極めて特殊な亜空間を誕生させた事から、空間に大きな乱れを生じさせ、それを補佐・管轄するために真っ先にお前が選出された。まさか交わした契約を忘れていまい』
「そうか、所詮【養子縁組】の類とばかり思っていたが、直接的な【血統契約】を結んだ流れが濃厚だったか、ガハハ!」
『簡潔だがその表現も悪くない。そうでなければあの過剰な力を、お前一人でどう受け継ぐ』
「ガハハ! 言われてみればそれも納得に値するな。なるほど、うむ」
『お前がどう思おうと勝手だが、このいばらの道を真っ先に開拓した功労者はジュノとなる。ジュノには到底頭が上がらない。終始辛い役目ばかり務めさせた』
「まぁ、確かに出生はお前からでも極熱に耐性が欠落したジュノはよく堪えた……って、俺は嫌いだって! ジュノ超嫌いだって! 本当だぜ? ガハハッ!」
『……この話はもういい。アイリーンはどうなっている、お前の管轄だろう』
「あ? あぁ、奴なら精気を吸い取られたミイラも同然の虫の息だというのに、出て来る言葉だけはまぁ、ぶつくさぶつくさ口先だけは一人前だな。今も野太く図太く生きてはいるさ」
『犯した罪は許されるものではない。しかし生まれは同情すべき点と、再発防止に向けて我々が努める問題は残っている。アレもある意味、犠牲者のようなものよ』
「罪を憎んで人を憎まずってやつか? 罪の内容から考えれば優しすぎ過ぎじゃね?」
『人間に完璧はない。我々も元はただ一人の人間だったはず』
「ほうぉ、理解と解釈がずいぶんとお優しいようで」
『揶揄うような話ではない。この計画で数えきれない犠牲を生んだ。ジュノもフレイも、あまつさえステラまで巻き込んで、な』
「ステラは人の姿と今までの記憶を失くしてしまったが、クレスの野郎に大切に育てられているだろ。フレイらも、とても不幸になったとは思えん。大体、幸せは当人が決めるもんだろ?」
『フッ、もう少し早くその答えに気付けていれば、また異なる未来があっただろう』
「ハハッ! 長年悩みに悩んで出した答えだろ? これが正解だ、今生きている方が現実なんだ。今更後悔もクソもあるかってんだ! 全員が全員、この結果を受け入れただろッ」
『……お前のような人物に、多大な力を継承させた判断は正解だったと常に思う』
「俺様には分不相応な話だな。堅苦しく地味な作業など俺様は絶対ごめんだからな、めんどくさいことは全部お前に丸投げだ!」
『フッ、確かに、お前はそう言う奴だったな』
「苦しんで悩んだ答えなんざぁ、失敗を通して反省できる人間しかできないもんだ。だからこそこの結果は避けて通れない運命だったとしか言えん。だからこれ以上悩む必要はどこにもねぇんだよ」
『……なるほど、一理ある。ふむ。』
ある程度話が片付けば、終始出しっぱなしの舌を閉じて、大地に溶ける666。
それが合図と言わんばかりに、燃え盛る橙は火種を失くし、暗闇と共に消える000。
二つの魂はこの空間を退き、それぞれの存在意義が示される場へと去って行く。




