第十三章 二人のフレイ①
「くっ、そっっっ、たれっがぁぁあ!」
いくら勇猛果敢に攻めようが、恐ろしいまでに回復するフレイを前にクレスができることは限られている。
無敵のフレイの重い拳はクレスにダメージを与え続け、嫉妬に狂った今のフレイは手加減を知らない怪物そのもので、生き残るための道筋すら見つからないのだから。
怒り狂うまま殴り続けられて、何度も壁に打ちつけられて。
クレスの限界は近いがジュノの指示した役目を果たすために弱音を吐く判断はあり得えず、精根尽きよが立ち上がることを止めない。
怒り狂うフレイの鉄拳を受けて、遠く真正面のビルまで飛ばされて、見た目はそう手負いがないように見えても、骨や内臓には大ダメージを受けているようで、完全に追い詰められた状態だ。
宙に舞う埃と土煙の中、フレイの影は吹き飛ばされたクレスを捉えていて、その眼が合う瞬間には、覚悟を決めるとクレスは自身の終わりを悟った。
〈ガガッ、ガガガッ、ガッ、ガッ、ドッッ、ゴッッォォオォォオォオオオッンッッ!〉
突然の地響き。
なにかしらビルが崩壊したような不穏な音に、この二人も瞬時に反応する。
「……ステラ? す、ステラぁッッ!」
この地響きを正確に突き詰めて、我に返ったフレイは拠点となるステラ周辺での出来事と認識した瞬間、クレスのことなど忘れてステラの身の安全に自然と、無意識なまま身体は動く。
クレスとの戦いで多くのビルに風穴を開けたが、ほぼ原形を失くしたとはいえ拠点にはステラがいるだけに、フレイに残る僅かな理性で常にステラの安全を考慮しながら、クレスを追い詰めていた事実が、この一連の過程で浮き彫りとなったのだ。
「はっ、ははッ、所詮俺は、戦力外だってことかよ……、くそっ、クソッッ!」
破壊された固いコンクリートに力なく身体を委ねて、限界だった乱れた呼吸を徐々に整える。
想像した以上に納得いかない力の差を受けて、自身を責め立てる気力すら持てない。
ただこの清々しいまでにフレイに対するしがらみが解けたのか、あり余る悔しさを好感度へ変えるように、フレイへの印象が大きく変化した。
***
「フレイ、フレイッ! ジュノが、ジュノの攻撃が途絶えたの!」
一目散で拠点へ帰ってきたフレイは、不安顔のステラが無傷であることに一時安心を得る。
どうやら長期の健闘により互角だったステラの攻防は、突如として毛髪が退くかたちで幕を閉じたようだ。
先ほどの轟音は、早急に毛髪が退いた音で確定していいだろう。
「ねえフレイ、これってもしかするとジュノがっ? ……ッ!」
互いの不吉な予感を的中させて、限界を超えたクレスを抱えたジュノが再びフレイの前に立ち塞がる姿をその目に捉えた。
それだけではない。
表情が窺えない黒塗りから一転、成人のまま白髪純白を纏う大人のジュノとの再戦を予告させて、フレイの絶望はより深まるばかりだ。
「お、おい、ジュノ! 俺の心配はッ、不要だ……、ろッ」
内蔵に大けがを負いながらも平然とした態度で、ジュノのお節介に進言するクレス。
「そんなこと言わないで。それと、私の我儘になるけれど、今後のことは全て貴方に託すわ」
未だ瞼を閉じたまま、甲斐甲斐しく健闘してくれたクレスを労いながら最後の願いを託す。
「こ、今後って、……なんだ? 一体、何のことだッ?」
「……何のために最終決戦の下準備の期間、私が貴方を動かしたと思うの?」
「せ、世界中の、同胞たちとコンタクトを取ったことか? しかしそれはッ……、くッ!」
フレイとの最終決戦の下準備として、クレスは各国に存在している同胞と顔を合わせていた。
ジュノの言う、これから起こる〈改革〉の瞬間を知らせるために。
「身体を楽にして心の準備だけは整えてほしいの。私の目的ならもうすぐ分かることよ」
まるでこの世の終わりを予言するような物言いに、クレスの胸騒ぎが更に大きくなる。
「み、皆一緒だ! 誰一人欠けることは許さない! ……フレイも、例外じゃないからなッ」
クレスの必死な訴えに、瞳は開かなくとも優しい笑みでクレスの不安を取り除く。
「大丈夫よ、安心して。きっとそこまで大事にはならないわ」
口角をゆっくり上げて、確かな言葉で誓いを立てるジュノ。
その言葉に安堵を得ると、クレスの身体はドッと疲れが襲い掛かる。
使命を果たすために、身体は強がっていたのだから。
「その目に焼き付けなさい。私たちが創る新たな始まりを」
クレスを拠点に移動させて未だ目を瞑ったまま語るジュノは、ゆっくり眉間に皺を寄せたかと思った次の瞬間、瞬く間にフレイの真上にまで到達する。
眩いばかりの太陽に照らされて、迷いなく光る刀はフレイの頭上に、ジュノの全体重を掛けながら振り落とされた。
〈カッッッ! ズッ、ズズンッッッ!〉
「じゅ、ジュノぉ…………、おぉ、ぉ?」
ドスンッと破格の重力で落とす刀は、先ほどの黒塗りの腕力とは明らかにものが異なる攻撃。
あれだけフレイの心情を大いに揺さぶった今現在のジュノの腕力は、人の持つ能力を明らかに超越していて、下手をするとフレイに勝る劣らずの威力を持っている。
外見から滲み出る儚さとは大いにかけ離れた力を携えており、継続力も衰えるどころか寧ろ重みは増す一方。
それだけではない。
圧倒的有利だった治癒能力が間に合わないほど筋肉を、血管を、神経を、剰え骨すらも過剰な圧力でブチブチと音を立て、寸断させる勢いで襲い掛かってくる。
遂には紅塗りの表面が水面の波紋のように波立つ、異次元の現象まで引き起こして。
これはジュノの細胞を破壊しようとする力と、フレイの細胞を復元しようとする力が派手に正面衝突したことから、行き場のない皮膚と細胞が浮き上がり、真逆の可能性が相反した、まさに未知の領域を見せているのだ。
そんな迫り来る強大な重みと気迫を肌に感じて、冷静さを失わず、ジュノに押され続ける原因を入念に分析する。
どうやらフレイにはこの不可解さに覚えがあるようだ。最も古い過去まで記憶を辿り、鮮明に思い出した瞬間、恐ろしい仮説を当て嵌めたことで、この珍事の答えを導き出した。
「き、君はッ、じゅ、ジュノッ、……じゃ、ないなっっ!」
「『惜しいわね。半分正解、半分不正解と言ったところかしら?』」
絶えず注ぎ込まれる強い圧に耐えながらも、一点の曇りない白光で核心を持って発言する紅塗りのフレイ。
そんなフレイを前に、口角を少し上げて笑って見せたジュノは、固く閉じていた瞼をゆっくり開き、囁くような声で驚きの言葉を放ち、答えの多くを与え返した。
「き、君は、まさかッ……!」
現在、表情を窺うことが不可能な紅塗りの状態ではあるが、白光する双眸の輝きがより深い白さを増して、また極端に歪むことでこの事の重大さを巧妙に表現した。
全身が震えるほどの衝撃を、ジュノの眼が証明しているのだ。
瞳を開いたジュノの虹彩に広がるそれは、炎が燃え盛るような橙と時折出現する紅炎。
太陽黒点を中央に呼ぶように集まることで、猫や蛇などを連想させるような縦に長い瞳孔を創り上げ、瞬きするほどに細く鋭く、黒を主張する眼は明らかに異質なもの。
なにより左肩の〈01〉は消えて無くなり、代わりに表れたのは【111】の煌々と燃えるような橙で刻まれた数字が、その確固たる証を陶磁器の肌から色濃く輝き、光を放つ。
これは《過去・現代・未来》それぞれの自我が目覚めることで、第三の数字として新たな能力が目覚めた瞬間だ。ジュノは現在に相当する自身の存在を完全喪失させているため、本来111は二度と現れない幻の数字となっているが、それを補うだけの能力を00を持つことで、ジュノの祝福をより高度なものへ稼働させることに成功させたのだ。
「……ぜ、00ぉお、お前かぁぁああ? お前なのかぁぁああぁぁああああぁぁあ!」
普段温和なフレイが、これほどまでに怒り狂う理由。
それは数字が引き出す能力は、制限装置を完全開放させたようなものだからだ。
つまり解放が与える制限無き能力をほぼ手中に収めたまま、当人の判断で操る事が可能になると言う事になるということ。
ジュノの身体を、能力を、余すことなく使い、遺憾なく力を発揮させて、異なる能力を巧みに操るために当事者二人で交わした悪魔の契約は、フレイの怒りの沸点を上昇させ、その絶望をさらに幅広く湧かせることとなる。
まるで小さき太陽でも封じ閉じ込めたような燃え盛る瞳を瞬き、ジュノと00は力の限りを尽くす。
刀で押す腕力を最大限まで引き出したことで、破格の重力に熱線まで引き起こした。
それは何棟も建つビルのいくつかに亀裂を生じさせるほどの威力。
しかしこの程度で済むのは、フレイの防御があまりに柔軟性に長けており、攻撃を上手く分散させたことでビルの原型だけは保つ事が出来ている。
怒り狂っていても、フレイはステラの存在を忘れてはいない。
「00ぉォォオオ! お前はぁぁあ、ジュノを殺す気かぁぁあぁぁあああ!」
抑えきれない激昂を強い気迫と重い振動で押し返すフレイに、かつてない怒りから治癒能力を最高潮に高めたことで、小刻みに震えるジュノの持つ刀は耐性を失くして一瞬で燃え尽くす。
この人跡未踏の能力が拮抗する瞬間は、誰もが言葉を止め、息まで止め、瞬きすらも止める。
そんなフレイの反撃に対抗するために即時刀を生成すると思われたジュノだが、か細い手で固く拳を作ると軽々困惑するフレイの懐に入り、顎下を拳で豪快に突き上げたのだ。
〈パアァァンッ!〉
それは大の男も戦く重い拳に、何かが弾け飛んだような音を立てる確かな手ごたえ。
続く後頭部を押さえての強力な膝蹴りがフレイの顔面に痛手を食らわせる。
顔は半分陥没、顎は粉砕するほどの衝撃で、フレイは若干押される。
現状、体内で破砕した骨の完治もフレイには容易いが、ジュノの体内に我が物顔で居座る重鎮に対して、怒りと苦しみが癒えることはない。
そんな権威ある者に憎しみを込めて向けたはずの拳は、ただ強く握り震えるだけで反撃を行うことすら寸前で断念させてしまう。
フレイにジュノを殴ることなど、絶対に出来なかった。
行き場のない苦しい感情は体内に蓄積され続けるも、身体の異変だけはすぐに治まる。
本能と心はどこまでも屈折し、永遠に同調できない理不尽をこれまで以上に恨む。
「『甘いのよッ!』」
そんな遣る瀬無いフレイを見ても尚、無表情で非道な攻撃を繰り返すのはジュノ。
この状況下に不釣り合いな純白なドレスと長い白髪を躍らせながら、拳を握りしめ、脇を締めて腰を低く体勢を整える姿から、フレイに注がれる殺気がブレる様子はない。
地獄を背に、絶望を目前に、窮地に追い込まれたフレイに嘆く言葉は見つからない。
そんなフレイの絶望を理解するはずのジュノは、顔面撃破へと精神を集中させている。
この悩ましい治癒力の再起不能を成し得なければ、ジュノに勝ち目は無いのだから。
00に捧げた心身の耐久性は相反する属性からか頗る悪く、息を吸う瞬間さえ惜しい気持ちがフレイの首から上を執拗に狙う、残酷な攻撃を可能にしている。
ただこのチャンスに縋る想いからか、殴ることに不相応な細く華奢な手の甲と膝の皮膚が剥がれ落ち、血に塗れるほどの深刻さは、物理的な攻撃よりフレイの心臓を乱暴に鷲掴みされたような感覚で大いに苦しむ。
堪らず絶妙な力の匙加減でジュノの腕を握って阻んだことから、この時初めて攻撃が停止された。
視線は殺気に満ち満ちても、心身共に疲労困憊で今にも倒れそうなほど、全てが脆い。
握った腕からもジュノの体調がありありと見えて、フレイの感情を激しく憤慨させる。
「いい加減ジュノから離れるんだッ! 00ッ!」
真摯なフレイがジュノを唆した敵に対して、強い嫌悪感と酷い不快感を露わにした発言で威嚇する。
それは怪訝そうに、または罵るように。
怒りに満ちた感情をより濃い白光で示した心底からの激は、ステラとクレスの姿勢も正す勢いの覇気で、広範囲に及ぶもの。
「『残念ね、貴方との決着がつくまであの人は出てこないわ。そういう約束なのよ』」
攻撃の手を阻まれたことが大層気に障ったようで、掴まれた腕は乱暴に振り払われる。
「約束? それがこの有様か? 冗談も大概にするんだッ!」
「『冗談でこんな壮大な計画を立てるというの? 貴方は自分を買いかぶりすぎよ!』」
「ジュノ、君は普段から安易に人間を傷つける選択をするような人ではないだろう。00に心身を侵食され過ぎたんだ、君には君の、相応しいやり方なら方法は幾らでもあったんじゃないか?」
「『……理想ばかり夢見て妄想を語る貴方には、一生掛かっても分からないことよ!』」
「これ以上、君に間違いを犯してほしくないんだ。どうか分かってくれっ!」
こうも散々になろうとも00を擁護するジュノの発言に、切実な想いからフレイは思わず叫ぶ。
だがそれ以上にフレイの説得が癇に障ったジュノの表情は、怒りに満ち満ちている。
「『今、この場で、貴方の決定権なんて微塵もないのよ! 過大な力を持ちながら甘い考えで御託を並べて、何の前進もない生ぬるい正義を一体誰が受け入れると思っているの? その図体で悲劇のヒロイン気取りは気分を害するだけよ! 反吐が出るわッ!』」
普段の冷静沈着を貫いていた頃とは対照的に、見た目とは大層似つかわしい大声を張り上げて罵るジュノに対して、一時白光を歪ませるフレイだが、決してこの言葉を鵜呑みにしない。
「早く00を追い出して断ち切るんだッ! 君にはあまりにリスクが高すぎるッ!」
大切な存在だからこそブレないフレイを前に、小刻みに震える身体は動揺を回避できず、心身の行く手を阻まれた状況を深く理解するジュノ。
それが内に潜める巨大な力の源を目覚めさせる決定打となる。
突如、ジュノの白い肌に燃えるような黒い物体が侵食を開始したのだ。
これはジュノの身体を生贄に、00の実体化を意味し、完全なる憑依への意向を示したサイン。
まだ望んでいない首謀者の降臨に、一時気が動転するも焦りの色は一瞬で、全てを承諾したように大きな深呼吸を吐くと、迷いない表情でフレイを一瞬、見つめながらジュノは消える。




