第二十一章 分かれ道
「こ、これはッ?」
ガルガを背負うランディを導き、ルネに辿り着いたクレスはこれ以上の言葉を発せない。
ルネはすでにその原型を失くしている。
断崖絶壁は何かしらの巨大なスプーンでくり抜いたような、あの壮大な城の存在自体がこの場に無かったことになっているのだから。
もちろん呆気にとられたのはクレスだけでなく、ランディも、ガルガも襲う睡魔から目覚めてしまえるほどの変わり果てたルネを見て、続く言葉が見つからない。
しかしこの凄惨な空間に、ある一人の女性の存在を見つけたことで、ガルガが声を上げた。
「ぜ、ゼファ……? ゼファ! ゼファッ!」
愛しい恋しい彼女の名を叫ぶガルガは、心が跳ね上がったのか、大いに焦っている。
そんなガルガに急かされて、ランディを焦らせて共に女性の元へ向かうが、徐々に鮮明に見える女性の右太ももの09の刻印を見て恐怖を覚える。
この突然のことに疑心暗鬼に陥るランディは、ガルガの勢いも意に介さず、正体不明の人物に対して見るからに不信感を見せた。
「……ランディ? ランディ、私だ。アディルメルだ!」
優しい笑顔を見せながら放つ言葉はアディそのものを感じて、笑顔が咲いたランディ。
「アディ姉さん? 無事だったんだ! 良かったぁ!」
「あ、アディ、ル……、メル、だと?」
安心に満ちたランディとは正反対な、乱心のガルガ。
それもそのはず。
心底憎んでいる女性は、愛した女性の姿で目の前に立っているのだから。
まったく異なる感情が心の中で反発して渦巻いて、何とも言えない気持ち悪さを感じて、そんな感情にどう収拾をつければいいのか。
このあまりの難問にガルガの気持ちはぐちゃぐちゃだ。
「アディ姉さんって09だったんだね! クレスさんは04だったよッ!」
心身共に快活なランディと心中複雑なガルガを差し置いて、クレスはマイペースにも消えたルネの痕跡を興味深く見ている。
あの巨大な断崖絶壁が一瞬で抉り消え去った硬い岩盤の岩々が、海水の底へ沈んだだろう仮説を立てながらも怪訝そうな顔をしながら真実を探る。
「この抉られ方……、地獄で何度か見たことがある。こんな短時間で大仕事できる人物となると、まさかあの支配人が関わったのかよ? いや、しかし……、」
アディは数字持ちの09に君臨するたった数人の逸材のうちの一人。
アディ一人の力でルネを建設したのなら、破壊も特別難しい問題ではなかったはずだと考え直す。
それによって流石の支配人登場は、地獄の亜空間にリスクがあり過ぎて、普通に不可能な話と考え改める。
「そういえば昔小さい頃、一度現実世界に連れてってくれた時、後に脱獄者で溢れ返って後始末が大変だったとよく愚痴ってたよな。二度と現実世界に行かないとも宣言してたっけ……」
地獄の支配人の元から巣立ってからの初めての経験は、色々と考えさせられる事が多かった。
特に人間関係の複雑な立ち位置は想像以上に根深く、難しい課題として浮き彫りに。
そんな人間関係の難しさ今現在も、クレスの目の前で繰り広げられているのだから。
「ガルガよ、申し訳ない。本当に申し訳ない」
「……その様子だと、ゼファの記憶を取り込んで共有したんですね、アディさま」
どこまでもガルガの心を傷付けて、侮辱し続けるアディという存在。
ただアディの不遇さも相俟って、率直な怒りをぶつけることができない感情が諦めを叫ぶ。
何よりあの心底愛したゼファの姿で、心からの謝罪を受けてはぐうの字も出ない。
「卑怯ですよ、その姿で許しを請うなんて。ああ、そんな顔をするのもやめて下さい!」
アディの言動全てが気に入らなくて、反省する態度ですら演技に見えしまうガルガ。
「ガルガ、あまり意地を張るな。腹を割って話し合った方がお互いのためになる。アディも今はその姿は流石に不味い。いつものアディに戻ってやれよ」
先ほどまで一人ルネの惨状に興味を惹かれていたクレスの仲立ちを受けて、普段の少女のアディに戻る。
「見ただろ、ガルガ。アディは和解を望んでいる。言い訳くらい聞いてもいいんじゃね?」
あくまで公平に中立で。
二人に誤解や亀裂が生じないよう、言葉を選びながら。
「……分かりましたよ」
罪悪感から伏せていたアディの目に光が宿る。
言い訳を受け入れて貰えたのだから。
「ゼファのことも含めて、お前を、……クレスたちすら騙していたのは事実だ。どんな言葉も受け止めたいと思っている。本当に、申し訳ないッ」
怒りも悲しみも、悔しさも恨みも。
否定的な言葉で責められる覚悟がアディにはある。
「……ゼファは、幸せですか?」
「え? ……ゼファか?」
今までアディを深く尊敬して信頼も寄せていた過去が、ガルガの心に引っ掛かりを作っていた。
アディルメルこそがゼファの全てと知ったのなら、心からゼファの幸福を願うガルガは、あの思い出の球体の積み木を取り出して、気まずさを紛らわすために強く握る。
「ゼファは、私の口からではおこがましい話だが、し、幸せだと言っていた……、」
「……そうか。それは良かったです」
ガルガの脳裏に、ゼファの幸せそうな表情が映り、切ない表情を見せる。
王宮行きが決まった時の、とても嬉しそうで幸せそうな幼いゼファの笑顔が浮かんだのだろうか。
「結局、ゼファの幸せはアディさまあってのものなのですね……」
嬉しいやら、悔しいやら、残念やら。
様々な感情が混在して、諦めと哀愁もガルガの心に詰め込んで、胸いっぱいに収まる感覚は、何かを満たした達成感の代替えとして機能する。
「アディさま、私とはここでお別れです。ああ、勘違いなさらないでくださいね。アディさまへの反感は完全に消え去りました。古い殻を破って新しい自分を見つけに行きたいだけです」
これはゼファへの感情に区切りをつけるための別れ。
そんな前向きなガルガに、アディが引き止める理由などどこにもない。
まだ薬の影響が残る身体に鞭打っても、自身の意思が勝るこの感情がガルガを強くしてる。
ランディの補助も要らないほどに。
「……そうか、寂しくなるな。元気で」
「ハハッ……、これからは僕より元気で忠実な者が貴女さまのお傍に居るではないですか!」
「そうだよ、僕が居るよ、アディ姉さんッ!」
身体が大きくなっても元気いっぱいのランディに、ほっこりした雰囲気が周囲に広がる。
「そうかランディ、宜しく頼むな。……クレス、お前にも謝罪が必要だな」
「謝罪と言うと……、ランディとエレンツェとの初対面の時の話か?」
「ああ、二人を見た瞬間、私は二人の正体をほぼ確信していた」
少し気落ち気味で、本当の事を話し出すアディ。
その表情は苦渋に満ちている。
「そう気に悩むな。アディにはアディの正当な理由があったんだろ? しょうがない話さ」
クレスの言葉は多くの重荷を背負ってきたアディの、荷が落ちた感覚で安堵する。
「クレス、お前はこれからどうする?」
「俺か? 俺も単独行動させてもらう。社会勉強の一環として、今回の出来事は非情に感慨深いことばかりだった。この世をもっと深く知りたい気持ちもあるし、何時終えるか分からない壮大な役目を与えられたしな。……まあ、ただマイペースに旅するだけだけどな」
「お前らしいと言えばお前らしいな。ならばここでお別れのようだな、クレス」
「クレスさん! またいつか必ず会いましょう! お元気でッ!」
それぞれの歩む道を尊重して、恐らく、今生の別れになるだろう運命から互いの幸福を祈る。
これは不幸の始まりの序章に過ぎないことを、各々が肝に銘じているのだから。
青空が鮮やかな夕焼けで染まる頃、それぞれが新たな運命に導かれて、このルネを後にした。




