終章 どこまでもすれ違う心
「フレイ、今回アイリーンの憑依の標的だったのは同胞で合っていたのかしら?」
アゼレッダ城とその周辺を民家で埋められ栄えていたとは思えないほどの、城も民家も残骸すら残さず、何一つなくなった平面の敷地ばかりが広がっている。
誰もがその恐ろしさと残酷な現実から目を背けるような場所で、一人佇む紅塗りのフレイにジュノが問う。
「……うん」
あまりに生気の無い返事で、ジュノの問いに答えたフレイ。
「フレイ、考え過ぎは毒になるわ。サーキュラーでステラが貴方を待っているのよ、今回起きた出来事は早々に忘れて、笑顔で会わないとステラまで悲しむでしょう。もしくは……、なにかしら辛い思いをさせたのね?」
全てを知って故意に黙っていたかのような、そんな残酷な理解がフレイをどん底に落とす。
「ジュノはッ! ……ジュノは、一体何処まで知っているの? 何で黙っていたの? アイリーンの憑依した身体は、同胞の身体は、……《永遠に取り戻せない》ということをッ!」
それはエレンツェの身体に憑依したアイリーンが、フレイに対する悪魔の囁きだった。
***
「フ、フレイッ!」
派手に破壊されていくアゼレッダ城の最後をより早急に導くこの二人の衝突は、いつもと一味違うアイリーンの感覚を肌で感じ取るフレイの、この激闘はもう誰にも止められない。
「くッ!」
可動域があまりに未知数に見えることから、アイリーンはこの体内に秘める身体的能力を余すことなく、巧みに利用して残らず能力を発揮している。
まるで元から自身の身体だったかのように。
ただ肉体の限界はアイリーンの理想を下回るのか、フレイの反撃に対して、身体の筋肉や柔軟性が徐々に落ちていく煩わしさが次第にストレスとなり、苛立ちを覚え始める。
元々戦闘に特化した身体でないことは認識済みだが、フレイ相手にはより分が悪い肉体だ。
それでもこの俊敏な動きでフレイという最高の憑依対象を前にすると、その物欲が貪欲に、喉から手が出てきそうなほど本能を通り越して、魂からフレイを欲している。
「……君ほどの優秀な逸材が、敵対する選択が根本からおかしいと思わなかったのかッ?」
「フンッ! フレイッ、私はお前さえ手に入れば何もいらん!」
アイリーンにとっての一世一代の告白は、例え表情が見えない紅塗りのフレイであっても、哀愁漂わせる雰囲気を読み取れるほどフレイは、常にアイリーンに対する理解を示している。
「素直になることを覚えるんだ! 積み重ねた罪は消えなくとも、いつか生まれ変われる権利が回って来るかも知れない!」
「そんなものは必要ない! 大罪を犯し続けても、私はお前さえ手に入ればいいッ!」
懸命な説得が実ることはなかったが、アイリーンの内情は見えてきた。
生まれから幼少期、成長してから現在の経緯に至るまで、ジュノと共に全て調査をした上、完璧に網羅していたものの、アイリーンという存在がこうもフレイに執着するのは血族に魅入られただけではなく、存在意義を探している訳でもなく、恐らく彼なりに本心からフレイを愛しているからなのだろう。
だからこそ、この愛は痛ましい。
そんなアイリーンを不憫に思うからこそ、フレイの攻撃には戸惑いが見えた。
しかしその感情に納得出来ないのがアイリーンだ。
あくまで自身に同情するフレイなど毛頭興味がない。
「フレイよ、この身体の逝く先を知っているのか?」
一番欲しくないフレイの余裕と同情が、アイリーンのタガが外れた質問に繋がった。
「な、なんだ? ……一体何を知っている?」
アイリーンは基本、安易な嘘はつかない。
地獄に落ちては生還して、帰って来れる実力と実績を持つのだ。
余裕ある者故に、多少この発言に重みがあるのは間違いないだろう。
そんな何一つ知らないことを示す困惑したフレイの表情は、アイリーンの悪魔のささやきとなった。
「今回に限ってこの肉体の存在意義は多少特殊異例ではあるが、通常、《お前たちの身体は二度と持ち主に還らない》。そう、《魂は二度と人の形を作れない》と言うことだ。フレイよ、あのジュノから何も聞かされていなかったのか? ……実に滑稽な話だな」
その言葉は毒針のように鋭くて、刺された毒は早急に全身を廻り、有ろうことかアイリーンによって身体を支配される感覚。
それはジュノの二度目の裏切りを確信した瞬間だからだ。
「そ、そんな……ッ! まさかッ? あり得ないッ! な、ならば、ステラはどうなるッ?」
「そう焦るな、私が再びステラに憑依出来る日を指を銜えて待っていろ。その時こそこの謎を垣間見ようではないか。共に地獄へ落ちよう、……私はいつでもお前を待っている」
様々な意味合いから全方位、絶望に落ちていくフレイが愛おしく見えて、更なるフレイの絶望を見たいアイリーンが取った行動こそ、フレイの地獄への入り口を作った。
なぜならば、アイリーンはフレイの目の前で憑依したエレンツェの身体を、脳の中枢に向かって鋭い爪で一刺ししたのだ。
そう、わざと憑依した仲間の、同胞の肉体を即死させたのだから。
「や、やめろぉ! 止めてくれぇぇぇえぇええぇ!」
フレイの絶望と絶叫と。
素顔を窺えない紅塗りのフレイは、アイリーンの想像をより掻き立てる。
このたった一瞬の出来事は、あの《未来でステラの身体を奪い取った》高揚感を超える興奮をアイリーンは覚えた。
紅い鮮血を飛び散らせて、大量の血が抜けて、エレンツェのドレスが血塗られていく過程は、フレイにとっては名も知らぬ同胞の肉体でも魂が残した残り香が必ずあって、その微弱な香りも儚く消えていく感覚と共にアイリーンの手によって二度、生命を失くす過程を繰り返す。
憑依したアイリーンの意識が消えたエレンツェの肉体を必死に抱き寄せるが、魂が抜けただけのエレンツェの肉体は恐怖に戦くような酷く瞳孔を開いた状態であり、震える手で閉じさせると、ただ呆然とフレイはこの辛い試練に、この残酷な現実に打ちひしがれる。
紅塗りのフレイから普段のフレイへ。
祝福の効力が抜けても尚、フレイの心に悪夢を植え付けられた衝撃は大きく、罪悪感からかエレンツェの遺体から離れられない。
しかしアイリーンの言葉こそ正しいと示すように、エレンツェの肉体は頭から順に生きた証を消して行くのだ。
「だ、ダメだッ! 無くなっちゃダメだ、ダメなんだッ! ダメだッ!」
消えていく肉体の破片を懸命にかき集め、フレイは何かの塊になったエレンツェを強く抱く。
この非情な現実を受け止めきれないフレイは、すでに原型を完全に失くしたアゼレッダと言う名の亡国の中心で、声が枯れるまで現実を嘆き、この事実を心の底から憎んだ。
それはフレイにすらどうにもならない、この存在がちっぽけなものだとアイリーンに囁かれたような気がして、心はよりどん底へ落ちていく。
***
「……ジュノ、どうして? どうして僕に話してくれなかったの?」
絶望を抱くも哀愁を漂わせて、今、この場で、ジュノの真意を問う。
今現在のフレイの状態を見るに、興奮はすでに鎮火し、冷静に考えられる時間も多くあった。
自身の疑問だけを解決させようとする強引さも無く、冷静にジュノの立場や考えを尊重しているように見える。
しかしこの場で答えない選択が残されていないところを見ると、ジュノに対して相当怒り心頭なのが分かる。
フレイの立場を考えれば、当然と言えば当然だろう。
「……それでもこの子の魂はちゃんとこの世に生きているのよ。それに、貴方に黙った選択が間違っていたとは思ってないわ」
これはアイリーンの話が、全て真実と言い放ったも同然の発言。
「このまま隠し通そうとしたのか? こんな大事なことを? これは僕と君だけの問題じゃない、同胞たちが生き残るための根幹を覆す問題だ!」
今、詰め寄るフレイに、相変わらずポーカーフェイスを貫くジュノの相性は頗る悪い。
「君のことだ、理由あっての行動だと理解している。だから君の口から真実を話して欲しい」
これはフレイに有らぬ誤解を生むきっかけになるだけではない、二人の関係をも引き裂く大問題だと言うのに、それでもジュノに焦りの色が見えない。
フレイの中で解決させるにも情報が足りなくて、だからと言ってアイリーンの言葉ばかり鵜呑みにするのは危険性が高く、だからこそジュノの正直な答えを待っていたと言うのに、だ。
それは今一度ジュノにチャンスを与えたかったフレイの優しさが垣間見れる。
しかし待てど暮らせど、ジュノの口から肝心な答えは出てこない。
これは時間が解決する問題などではなく、誤解を避けるために意見を出し合い、互いのすり合わせが必要なのはジュノが一番分かっているはずの話。
よって今の現在のジュノのへ理解を深めることが不可能だ。
信頼は崩れ落ちたも同然なのだから。
「そ、そうか……。ジュノ、君の考えは理解した。少し……、少し距離を置こう」
フレイからの拒絶を受けても、ジュノの表情には変化が無い。
その事実がフレイを更にどん底に落とす。
気力を失くして、今はただジュノから離れたいばかりに、そんな落胆した想いだけがフレイの心を支配してしまう。
***
信頼を傷つけられて心底がっかりした様子で、心身共に急速に気力が消えていくフレイの姿が消えゆくまで、ただただ呆然とするままに、関係の破断を脳に擦り付ける。
ジュノは常に真顔で、フレイが遠く森の中へ消えていく様子を背中で見守ることしかできない。
「ずっと……、こうなれば楽だと思っていたじゃない。それなのに、どうして苦しいの?」
ジュノは自身の醜態を晒しただけ。
つまりフレイが嫌った自身こそ、本当の自分自身と考えるのだ。
そんな結果に襲い掛かる絶望から、泥濘に足を取られて沈みゆくジュノの身体。
ただ泥濘は想像以上に深くて、身動きが取れず、普通に息をすることすら許されない苦痛なもの。
「いっそ落ちるなら、命まで奪って消し去って。もう何も見たくないの、聞きたくもないの……」
今まで必死に守っていたのは一体何だったのか、何を守ろうとしていたのか。
その答えは今のジュノには判断が難しい。
ただ今思い起こせばフレイの表情は酷いもので、しかし、悲しそうでも辛そうでもあった。
フレイを傷付けたのは間違いなく、ジュノ。
その真実がジュノの心を締め付ける。
こんなはずじゃなかった、そんな現実に悲しさと辛さまで交えて。
「お、お願いよ、私を罰して。重い罰を与えて……」
状況を理解するほどに、ジュノの心は締め付けられる。
現実がジュノを引き裂いて、フレイに対する後悔と言う名の毒を傷口に塗りたくる。
強い刺激ばかり与える毒は、最終的にフレイへの気持ちも麻痺させたのだ。
ジュノに涙はない。
しかしその心は苦しい。
それでも前に進まなければならない。
「わ、私は、私が行わなければいけないこと……、使命を、仲間を、助けないと……」
頭の中のフレイを無理矢理消して、改めて自身に死の選択が無いことを悟る中で、大人しくサーキュラーに戻る選択を選んだジュノは、感情を押し殺して生きる廃人になってもひたすら前に進む。
全てはフレイを守るため、幸せのため、ただそれだけだったはずなのに。




