第十九章 二人の真実
それはクレスたちが怒り狂うガルガと再会する少し前の話。
「うーん、アイリーンは南のルネを塒にしているとジュノが言ったのに……」
大きなアゼレッダ城を目前に置いて、紅塗りのフレイは少々手をこまねいている。
ステラはまだ幼いものの、少しだけなら一人でサーキュラーで留守番出来る年頃だけに、上手な言い回しで今回は大人しくしてもらった。
その点に関してなら十分安堵を得ている。
そんなフレイの新たな心配事は、ジュノが率先してルネへ向かってしまったこと。
アイリーンと衝突するのは確実で、今ステラがいない分、標的をジュノにすり替えるだろう。
そんな危険な渦中へ十分な作戦も意思疎通もせず、ジュノは急ぎルネへ向かったのだ。
「とにかく、僕は僕の仕事をしないと! すぐに終わらせてジュノと合流するんだ! よし!」
目標達成に意気込むフレイの視野へ突如、おかしな現象が飛び込んだ。
忙しなくアゼレッダ城から、次々離脱する兵士ら、次いで家臣らの姿を確認したのだ。
城内で革命でも勃発したような騒ぎように表情は怯えていて、緊迫しているように見える。
「何か相当な事件が起こったに違いない。すぐに確認しないと……」
フレイはその存在を大木の幹に隠していたが、この不自然な現象を見て地面に降りた。
紅い身体は大いに目立つ事から、反射的に身を引くことを身体はよく覚えているが故に、深い草木の色に紛れて隠れながら慎重に前進する。
〈パキッ……〉
背後からそろりと近付く服の擦り切れる音に足音と、踏んだ小枝が割れた音をフレイは逃しはしない。
自身に近づいた不審な人物の首を俊敏に掴むが、フレイはその正体に驚く。
「あ、あの、すみません。貴方様のその独特な装いが気になってしまって、つい……」
見ただけで分かる、気品あふれる容姿に上質なドレスを着用した、まさに典型的なお姫様。
あまりに場違いなお姫様を目にして、無言を貫くフレイ。当然、色々思う節がある。
「あの……、私の顔に何か?」
愛らしい容姿の娘は、フレイをとても愛おしそうに見つめる。
「令嬢がドレスを汚れることに構わず、その上品な装いで僕を見つけただなんてね。君、アイリーンだろう?」
この手入れされていない荒れた森の中で、有ろう事か一介の貴族がこの場に佇むというミスマッチ。
「あ、アイリーン? 私、エレンツェと申しますのよ。人違いも甚だしいですわ」
〈シュッ……〉
「あッ……、ガッ、ガガッ!」
「いつまで騙せると思ってるんだ? 僕が君の陳腐な演技を暴けないとでも?」
柔く首を握られたはずが苦しそうな表情があまりに大袈裟で、フレイの確信はより高まる。
あのアイリーンがわざと大根役者のフリをする。
明らかに馬鹿にされて呆れ模様のフレイを見て、柔くとはいえ首を絞められたままで苦しいはずのエレンツェが、突然、脱力しながら大きな溜息をつくのだから。
「あぁ、残念だわ。この美しい姿なら貴方の心も手に入ると思ったのに?」
「それは絶対に無理だよ。なにより今、君が憑依した身体は同胞のものだろう?」
「あら全部お見通し? せっかくこんなにも綺麗にめかし込んだのに……」
残念そうに豪華な宝石が散りばめられたドレスを左右に広げてクルッと一回転、富の象徴とする装飾品を日の光に反射させている。
相当この姿が気に入っているのが良く分かる。
「……ジュノを真似ても、君に僕の機嫌を向上させるなんてことはできないよ」
美しい容姿、女性らしい身体のライン、丁寧な言葉使いで貞順さを演じてフレイを誘惑したが、すべて不発に終わったことで、フレイへの異常な執着がどうしようもない怒りに変わる。
「どうしてお前は私を受け入れない? 他に何が必要だ? お前の数少ない血縁と言うのに?」
アイリーンが軽く口にしたのは、到底信じがたい衝撃の言葉。
しかしこの難解な問いにフレイは重い口を開いた。ただただ真実を湾曲させないために。
「君は僕の血と結合できると言う特異体質を持つだけで、それ以外の接点はどこにもない」
「それは、この世に私が幸せになる定義はどこにも存在しないと言うことかッ?」
エレンツェの身体で、顔が捩れるほどの怒りを露わにするアイリーン。
「……君は何か勘違いをしている。人の幸せをもぎ取って満足に至るどころか、更なる欲望に駆られて多くの人生を奪って行くと言うことは、目指す所はつまりそういうことなんだろう?」
フレイとアイリーン。
今まで会話らしい会話が成立することは無かったが、身体を奪ったエレンツェの両手のひらを広げて、アイリーンが犯した自身の罪について初めて少し考えた。
「この身体はフレイ、お前となら幸せを掴める! 私は選ばれたんだ、この宇宙にッ!」
アイリーンは何かに気付き、何かを思い、強く何かを否定する。
「……不安なんだね。誰かを頼りたい気持ち、支え合いたい気持ち、とても良く分かる」
フレイの憐憫はアイリーンの心を抉る。
まるで今までの人生を否定された気分なのだろう。
「フレイ、お前は……、私を、見下しているのかッ?」
「元々君は偉大だったはずなんだよ。その才能も、能力も、努力だって一目置くほどだ」
何を血迷ったのか、フレイはあのアイリーンを対等な立場と位置付けるような言葉を紡ぐ。
「しっ、知ったような口を利くな! 恵まれたお前に私の何が分かるッ」
様々な感情が回る頭は傷つく心に耐性が無く、全力で自身を守る方法をがむしゃらに探す。
「僕が本当に恵まれているとでも? 対価を払わず、浅知恵で場を荒らす君がいるのに?」
「私が幸せを掴むのは悪だと言うのかッ!」
「自分本位で事を進めるその身勝手さが悪であり罪だと言っている。君ほどなら人生を見直すことも、間違いに気づき反省する瞬間も方法も人生の中で多々あったはずだ。なのに欲を掻いて他人を傷つけてまで奪う方法を選んだ君は、自業自得としか言えない」
愛したフレイの口から出る自身に対する諦めは、アイリーンを窮地に陥れる。
「君は賢いから、僕の言葉の真意を正確に理解できているだろう。だからこそ君の行いは理解に苦しむ。どうして自分を大切に出来ないのか。その心を開くのなら、友達にでもなれたのに」
それはもう分かり合えない者同士と、今後も復縁できない関係と公言したようなもの。
「お前が私を見切る、……だと? 私が、心からお前を欲しているというのに?」
優勢だと思っていた立場をフレイが勝手に覆す。
その正当な手立てが逆にアイリーンのプライドを傷つけた。
見下した者が自身を超えるなど、そんな勝手が許されるはずがないからだ。
「あ、アイリーンさまッ! 見つけま、……え? ふ、フレイ?」
アイリーンを探して、デリムはフレイ前に姿を現す。
「君達はまだ一緒に行動していたのか。互いのためにならないと言うのに……」
「お、お前に口出しされる謂れは無い、僕たちの前から消えろッ! 目障りなんだよ!」
あの身勝手な両親に反抗できなかったデリムが、なぜか好戦的な言葉でフレイに噛みつく。
「……デリムよ、私の許しなくフレイに暴言を吐くことは許さん。フレイを傷つけて良いのは、この世に私だけ、そう、他の誰でもない、私だけだぁッ! 次はないぞ?」
エレンツェの姿で瞳孔を開いて、恐ろしい怒りの表情でデリムの悪態に釘を刺す。
当然デリムは納得いかない表情で、アイリーンに隠れながらもフレイを強く憎く睨んだ。
「そうだ、フレイには私しかいないッ! 私だけ、そう、私しかいないのだよッ!」
この瞬間から、エレンツェに憑依した姿のアイリーンの身体に、大きな変化が起こる。
豪華な装飾を強引に取り払って、ドレスの繊維を溶かして、次第に現れるのは緑の体液を帯びたアイリーンの姿。
もちろん身体はあのランディを隠し育てたエレンツェの肉体。
よって普通の人間の肉体とは一味違う。
そんな普段より耐久性も可動域も増した肉体を手に入れたからか、アイリーンの野望と信念は過剰に肥大するばかり。
今ならフレイを倒せる、そんな喉から手が出るほど欲した欲望が、今、まさに今、現実味を帯び始めたのだから。
「君が同胞を憑依した肉体と言ったが、それだけで僕を倒せるとでも?」
例えどんな武装で構えようと、強大な兵器を持ち出そうとも、勝機は訪れないと公言するフレイ。
そんなフレイの鼻をへし折りたいアイリーンの憎悪はより増す。
怒り狂うままのアイリーンは閑散としたアゼレッダ城を前にして、全力でフレイに飛び掛かった。
***
「く、クレスさん! 早く脱出しないと崩れてしまいます!」
怪しい誘惑に誘われて、アイリーンとフレイをその眼に映そうとする行動はランディに制止される。
自らの判断で薬を撃ったガルガを背負ってくれているのだ、無視はできない。
「……悪かった、先を急ごう!」
どういう経緯か分からないものの、一時放心状態だったクレスに安堵したランディは、早急にこの場を離れ、アディのいるルネに戻る事を強く望んでいるのがひしひしと伝わる。
当然クレスも同等の思いでいるが、この後ろ髪を引かれる想いを解消させる方法が見つからない。
無理に抑え込んで蓋をして、強制的に忘れる他ないのだ。
何かしら大切な感情をその場に残して、クレスたちはアゼレッダ城に背を向け、ルネを目指して森への入口に辿り着くと、ふと、大声で叫ばれたような気がして後ろを振り向いた。
〈ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴゴゴゴゴゴゴッ……!〉
それはアゼレッダ城の壊滅の音。アゼレッダ王国がこの世から消えた瞬間を見たのだ。
この大惨事を必死に逃げ切った住民達は塵尻となり、身一つで逃げた者が殆どを占めている。
ただただ国の終わりを茫然見る方法しかないままに。
それもそうだ。
城の崩壊だけならまだしも、地下が巨大な空洞だったのか、穴の中へ吸い込まれるようにアゼレッダ城が呑み込まれていく。
その反動は大きく、国民の家屋までごっそり消えるほど。
原型は完全に失くして、ただ過去に何かがそこにあったと言うだけの、まったくの更地に変えてしまったのだから。
それはたった十分ほどの間に起こった悪夢の出来事。
「わぁ、凄い迫力だ! ……でもなぜなんだろう、すごく悲しく感じるのは」
比較的遠くから見るアゼレッダの崩壊は、ランディの心をくしゃりと掴んだ。
「一時はお前が育った場所だからだろ。きっと悪い夢ばかりではなかっただろうし」
ランディの心情を汲み取って落ち着かせようとするも、当のランディはどこかいそいそと何か言いたげだ。
少し困りながらも、結局謎に負けて口にしてしまう。
「あ、あの、クレスさん。……どうして、クレスさんが泣いているのですか?」
あまり露骨に聞くことに抵抗があるからか、思わずよそよそしいまま聞いてしまう。
「さぁな、何でだろうな……」
破壊していくアゼレッダを遠くから見て、何を思ってかクレスの心情は大きく揺れる。
たったこの程度で揺れる感情の行方があまりに不思議で、自身を酷く残念に思うままに。




