第十七章 二人に敵なし②
「エレンツェ……、ランディ……」
希望という言葉の全てを心が消し去って、罪人アディルメルとしての死のカウントダウンが始まる。
重い枷を引きずりながら明るい闘技場へ進む瞬間は、眩しいあまりに思わず目線を落とす。
しかし次の瞬間には元女王陛下の異名の下、背筋を正して血生臭いこの場に立った。
過度な絶叫はアディが現れたこの瞬間、沈黙に変わる。
所々破けて泥だらけのドレスに構う様子もなく、洗礼された所作を見せつつ、闘技場の中央に立つ。
アディの消せないオーラに周囲が一時怖気づくも、以前が孤高の存在だったからこそ観客の底のない自尊心に嫉妬の炎を灯すのだ。
〈わぁあぁぁああぁああああッ!〉
明らかに血相を変えた観客。
この場でアディへの中傷、ある事ない事を耳打ちして、観客の正義感を高ぶらせることでこの闘技場の在り方をより正当化させようと無意識で行うのだ。
そんな小賢しいやり方に思わず大きな溜め息が出るアディ。
自身の死への恐怖心よりも、貴族らへの落胆の方が遥かに大きいのだから。
『アディさま、アディルメルさま!』
走馬灯としてはあまりに早いが、アディに死への哀愁を漂わせる。
思わず天を仰ぐが、頭にするりと入り響くこの声は、聞き馴染んだ懐かしく物腰柔らかな声色のようで、アディの勇気を、覚悟を奮い立たせてくれるこの不思議に、いくつかの答え合わせののち、ある答えに辿り着く。
そんな答えにアディの表情はまさかの驚きで、信じられない現象に酷く身体を震わせた。
(ゼファ……か? ゼファなのか? わ、私はお前をッ! 信じてついてきてくれたのにッ)
ただ脱力感しか湧かないこの状況に、生きる生気を失くしたとばかり思ったはずなのに、次々と溢れ出る大粒の涙。
ランディは行方不明のまま。
エレンツェに至っては存在を無下にして、挙句ゼファまで亡くして、改めて自身の愚かさに後悔するばかり。
女王陛下の肩書きが、闘技場に置いての存在理由が、生真面目なアディにはあまりに重責すぎたのだ。
『アディさま、私は貴女さまにお仕いできて本当に幸せでした。何の未練もないほどに』
(お、お前には想い人がいただろう。お前の幸せを奪ったのは私だ、私なのだよ……)
『それはさほど重要ではありません。この運命を選んだのは誰でもない、私自身なのですから』
ゼファの心からの献身を改めて身近に感じることで、自身の取った身勝手で非情な行動に対して、戻れない過去を今更ながら強い後悔と酷い罪悪感でより心を傷めつける。
『アディさま、お慕いしております。心からずっと、例えまた生まれ変わったとしても……』
(何も実現することもできないままお前を苦しめ続けた挙句、自分だけ幸せになろうとした愚かな私をお前は許すのか? お前の後を追うことすらおこがましい私を?)
『私は常に貴女さまの幸せを祈っています。そう悲観なさらず、一度前を向かれては? 違う景色が見えるかも知れません。アディさまが求め続けた答えも見つかるかも知れませんよ?』
(わ、私はもう何も要らない。この世に未練など無い、私もお前の許に行かせてくれッ!)
『アディさまには成すべき事が多く残っています、貴女さまが一番理解されているのでは?』
アディの悲痛な叫びに、ゼファの紡ぐ言葉は酷く哀愁を誘う物言いでその先を指し示した。
(そ、それは、分かっている。しかし……)
『他の誰でもない、アディさま独特の生き辛さは重々承知しています。様々な苦難と苦境の中、今日まで生きてこれたのは奇跡に近いことも、他の誰よりもお心がお強いことも……』
今までアディは非情にならざる得ない選択を多く進んできた。
当然、恨まれるのも承知で。
すべては仲間のため、自分自身のため。
だからこそ安全な空間と居場所を得るために、富と名声を手に入れる他、方法がなかった。
アディは《底辺の生活が許されない立場》だからだ。
『アディさま、幸せをお掴みになって下さい。私は御傍でずっと見守っています』
(お、お前はどうしてそこまでして、私に仕える? 私はお前に何も……、何もしてやれなかっただけでなく、助けることすらしなかった私をッ!)
あまりに非常な選択でゼファを、あろうことかエレンツェたちもアゼレッダ城へ置き去りにした過去は覆らない罪。
ゼファが寛大な心で許してくれても、絶対に覆らない過去。
『どうか涙を拭いになって下さい。私は貴女さまの忠実な僕であり、……血族でもあるのですから』
ゼファの最後の言葉に、アディの涙溢れる目は大きく見開く。
(そ、それは一体……? まさかゼファ、お前はッ!)
『そうです、アディルメルさま。……いいえ、愛しい私のお姉さまッ』
英雄グラーム・アゼレッダ。
その存在は混沌とした世界へ落した最大の元凶であり、この世の膿でもある。
そんなグラーム・アゼレッダが多くの歓迎と名声を得た矢先、落とした女児の赤ん坊こそ初代エダンならぬアディルメルだった。
英雄グラーム・アゼレッダの名誉を落とさぬアディルメルの聖女としての、女神としての活躍は人知を超えた素晴らしいもの。
しかし、そんな活躍の裏で。
『奴らがアディお姉さまにしたこと、永遠を以てしても許さない、許すもんですかッ』
激怒するゼファの言葉でアディの表情が曇り、思わず腹を両腕で押さえる。
(そ、それでもエレンツェとランディに出会えたことは、私の幸せだったのだよ……)
『……アディお姉さま』
(悔しい話でもあるが、エダンは私を母親にしてくれたきっかけでもある。しかしグラームが衰退していく中で、奇跡のようにお前と出会えたことだけは感謝しているのだよ)
『アディさまの存在を知って感じてから、グラームでの生活に別れを告げ、王宮行きを決めた私に奇跡などという言葉は適切ではありません。全ては私の計算、思惑そのものです』
(フッ、ならばこれは運命というのだろうな)
『私もアディさまもタフなのですよ。あの地獄のような王宮生活でよく理解しました』
時の国王は後ろ盾のなくなったアディに見向きもせず、それによって王宮内で孤立していくアディの世話に積極的でない侍女が多い中、率先してアディを介抱していたのはゼファであって、自然とこの二人の信頼が芽生え育つのは何ら不思議な話ではない。
寧ろゼファがいたからこそ、アディには新たな選択を与えられた。
『アディさま、私たちの実母は酒に入り浸ると必ず私に姉の存在を溢していたんです。金銭を要求するためにアゼレッダ城で門前払いをされるばかりの中で、貴女さまがどの地位に就いたのか、すべて知った上ですよ』
(すべての経緯を知っていながら私に近づいたのか? そんな危ない橋を渡っても尚……ッ!)
民衆の誇りであり国の象徴であった初代エダンのアディは、二代目エダンの順調な台頭によって表面上の引退となった。
理由を一切告げなかったことで、隠居生活に入ったと噂されるも、その偉大過ぎた存在が、実は消息不明であると噂が広まるのは時間の問題だった。
そこで二代目エダンは初代エダンの枠を、エレンツェとランディのために城に残ったゼファで穴埋めしたのだ。
当然、人を人と思わない酷い扱いは継続されたままで。
(お前とあの幼い二人を救うため、それだけのために、私はルネを創ったつもりだった。地位と金があれば我らの幸せが確保できると信じて疑わなかった。しかし現実はどうだ? 幼いままの二人は城を追い出され、お前は私の罪を押し付けられた上に永久に幽閉、そして私は今処刑という舞台に立つこの皮肉……)
アディが望んだものは、ただ愛しい存在を守り育て平和に過ごす、ただそれだけだった。
(私も世を甘く考えていた節はある。それでも私にも自立できる方法は残っていたはずッ)
〈わぁああぁぁあぁぁあぁああッ!〉
ただ穏やかに生きる喜びを手にしたいだけ。
そんなささやかな望みを願うアディは、突然の狂喜のような歓声で現実に引き戻される。
目の前には、凶器を持った男が数人。
「へへっ、女王陛下様よぉ、どうだ、頂点から奈落へ落される気分は?」
「ほんとご愁傷様だよな。まあ知ったことじゃねえ。先ずその白い肌をひっぺ剥がすぜッ!」
「馬鹿野郎、観客様はもっと過激なのがお好みなのさ」
いざアディへと、じりじりと距離を詰める男達。
そんな恐怖に泣き叫ぶアディの断末魔の瞬間を待ちわびて、熱狂が止まらない大勢の観客。
「情けなく泣き叫ばねぇと面白くねぇ、なあ? 元女王陛下様よっ!」
「…………」
力強く握ったその鈍器で、この状況であっても真顔無言のアディに振りかざした一人の男。
その瞬間、空間が一時停止を起こした。
(……ゼファか。余計な真似を)
『ええ、もちろん余計な真似しますとも。何度だってしますとも』
(お前、昔より神経が図太くなったな)
『アディお姉さまほどではございませんよ?』
二人の間に大きな安堵と少しの笑いが空間を和やかに包む。
『……さて本題です。エレンツェさまがランディさまを覚醒させたように、私には私の役目があります。知ってしまったのです、私はアディさまそのものだと』
(エレンツェがランディを覚醒させた? ……ゼファが私そのものとは一体?)
ルネに捕らえられたせいで状況を飲み込めないアディに、ゼファの話は寝耳に水。
『アディルメルさま、今こそ完全体になる時なのです。高位の存在、【09】として……』
予想だにしなかったゼファの言葉を聞いて、瞳を大きく開いたアディ。
その瞳に大粒の涙を溜めたと思えば、すぐに俯いてその涙を拭う。
『どうされたのです? 気分を害されましたか? アディさま、悲しまないでください』
(違うよ、違うのだよ。多くの蟠りが浄化された気分なのだよ)
『……左様でございますか。しかし、やはりアディさまは笑顔がお似合いのようです』
ゼファの優しさに触れて、アディは手を差し出した。……全てを断ち切るために。
「ゼファよ、共に行こう」
優しい光に包まれながら、アディはその身体を覚醒させる。




