第十六章 ゆりかごに揺られて(ランディ視点/回想)
「目覚めたのか? 大丈夫だ、私がいる。安心して寝ていいんだよ」
突然古めかしい部屋の天井を見上げていたのか思えば、視界に入ったのはアディ姉さんだ。
(アディ姉さん! 僕だよ、ランディだよ。良かった、無事だったんだね。本当に良かった!)
アディ姉さんに会えた喜びで僕が喜ぶと、アディ姉さんも嬉しそうに笑顔で返してくれた。
(ねえ、ここ暗いけど外はどうなっているの? 今すぐにでもクレスさんとも合流したいし……)
蝋燭に火を灯した頼りない灯りが二つ。
そんなとても薄暗い空間なのに周囲に窓はなく、見てすぐ分かるほどの埃も被っていて、倉庫や屋根裏を連想させるような場所だ。
それになんだか上手く身体が動かせなくて、周囲を見回るのにも一苦労するな。
「アディルメル様! ここに居るんでしょ? さっさと開けなさい!」
(わッ! びっくりした。で、でもこの声って、……二代目エダンだよ、ね?)
突然の金切り声だけでも驚くのに、空間も支配してしまう高圧的な発言の数々。
そんな発言に対して、怒りと悲しみが絡んだ複雑そうなアディ姉さんを見上げた僕は、今になってこの現象を、この身に起こったなにかしらの現象を改めて整理を始めた。
「エレンツェを渡しなさい! 悪い事はしっかり罰するの! これは親としての義務よ!」
(え、エレンツェ姉さんだって? どこ? どこに?)
僕は改めて目線だけをあちこち見回る。
だって身体がいうことを聞いてくれないんだ。
そんなふと、バタバタと手を挙げて視界に僕の手が情報として入ってきた瞬間、僕は悟る。
(お、女の子の服装? ……それにこのこじんまりとした身体って?)
生成り色が基調のおくるみに、薄いピンクのフリルがついた、可愛らしい乳幼児の服。
見えた手がとても小さく短い赤ん坊のそれで、恐らく僕がエレンツェ姉さんの身体に憑依した状態の、遠い過去に戻ったのかも知れないと今になって気が付いた。
(とすると、僕の記憶というよりもエレンツェ姉さんの記憶、……なのかな?)
〈ふ、ふぎゃあ、ふぎゃあぁ、ふぎゃ、ふぎゃ……〉
あれ? 僕は泣いていないはずなのに、目が洪水みたいに視界が歪んでウルウルしている。
だけどこれで僕の仮説が正解と言われたみたいなもので、なんとも複雑な心境にもなった。
「泣いても無駄よ! エレンツェには躾が必要なのよ、とっておきの躾がねッ!」
頼りない扉を一枚だけ挟んだだけの部屋で、恐ろしい内容とその勢いの数々に不安が隠せないのは仕方なくて、まだ赤ん坊のエレンツェ姉さんの大泣きが止まる気配がない。
頑張って優しくアディ姉さんがあやしてくれるけれど、二代目エダンの罵声も止まることを知らない。
「エダンよ、お前は私から産まれたのだろう? 私がお前にこんな横暴な躾をした事があったか? これはもう躾でも教育でもないのだよ、ただの暴力そのものだ!」
この横暴から流石に言い返したアディ姉さんだけど、その意見にエダンは一時静まったかと思えば、今度は扉を破壊しそうなほどの過激さを増して、更に僕たちを追い込む。
「アディルメル様ぁ? 貴女はたまたまそうだったかも知れないですけどぉ、私には私の方法がありますのよ。貴女が私の人格を否定しても良いのですか? 今も貴女の子供なのにぃ?」
「な、アディルメルさまは常に貴女さまを慈しみ、慎重に慎重を重ねて愛情をこめて育て上げられたではないですか! それをこんなやり方で……、こんなの、あんまりです!」
耳を疑うような滅茶苦茶な持論を吐き出したエダンに、僕たちの後ろに存在していた人物がエダンの発言に追求した。
体をくねってよく見れば、アディ姉さんの後ろで両肩に手を置いて、アディ姉さんを励ましながら、一番の味方と公言したも同然の優しさと力強さを兼ね添えた人。
(あの時のアディ姉さんの専属侍女さんだ……)
大粒の涙を流しながら、口論する侍女さんの手を、アディ姉さんは強く握っている。
「慈しむぅ? 愛情ぉ? 私の望みは、私の欲しいものはすべて隠したと言うのにぃ?」
「そ、それは貴女さまが幼い頃から、やたらむやみに命を粗末にするからではないですか!」
「そんなちっさい命なんてどうせ土に還るでしょ? 私はこの世に一人しかいないのよ?」
「なッ……、なんてことをッ!」
エダンは何を言っても、物の見事に都合のよい解釈でしか展開できないらしい。
「わ、私はこの身がどうなろうと構わない、だが孫たちには十分な食事と暖かな環境を与えて欲しい。そしてどうかこの過剰な躾も止めてくれ! それが私の最後の望みだ!」
流石のアディ姉さんもこれ以上の反論は良くないと侍女さんを引かせて、この袋小路の中、交換条件を提示する方法で再起を図ろうとしたのか、最後の願いを言葉に出した。
「じゃあ、今すぐこのアゼレッダ国王から消えて。国外追放って事で宜しく」
「そ、その条件なら、我々三人……、いや四人を国外追放させて欲しい!」
「駄目よ、ダメダメ! アディルメル様だけよ! それ以外の条件は一切呑めないわ!」
最低最悪な条件を提示されて、どん底に落ちるしかないアディ姉さんと侍女さん。
ここまで委縮するアディ姉さんを見るに、エダンとの関係は相当な苦労を重ねた過程が滲み出ている。
「早く出てきてよね、アディルメル様。私の気が短いのはよく知っているでしょ?」
すでに怒りのボルテージが最高値なのが、この言い方だけでよく分かる。
それが僕でも理解できるからこそ、アディ姉さんたちはどれだけ追い詰められているのか。
『アディルメルさま駄目です、こんなの口約束にすらなりません。今、貴女さまがいなくなれば、誰がエレンツェさまとランディさまを守るのですか? どうか賢明なご判断を……』
『……ゼファ、お前はグラームからの引き抜きにも応じてくれて、専属侍女として生きる道も快諾してくれて、何よりこの地獄のような環境にもずっと隣で耐えてくれた。本当に、ありがとう。感謝しても感謝しきれない。ありがとう、ありがとう……、本当にありがとう』
小声で今後の地獄のような行く先を暗示した侍女さん。
アディ姉さんは僕たちを侍女さんに任せような仕草から、もう反抗する手立てが何一つ残っていないのが悲しいほどによく分かる。
だからこそまるで今生の別れのように、アディ姉さんはゼファさんに感謝の言葉を紡ぐ。
『諦めては駄目です、アディルメルさま! このままではこんなにも愛おしい存在も不幸にしてしまうのですよ? そんなこと、絶対あってはなりません!』
ゼファさんの説得に心抉られる想いの中、アディ姉さんは最も愚かな選択に心は決まっているようだ。
僕たちを一度強く抱きしめると、もう一度涙ながらに愛おしく見てくれる。
『エレンツェ、お前は重大な使命を背負っている。幼いお前には過酷なものだが、その時が来るまでランディを守って欲しい。すまんな、お前も幸せになるために生まれたはずなのに……』
まだ幼いエレンツェ姉さんだけど、恐怖と不安でいっぱいの中でも一瞬、泣き止んだ。
『そしてゼファ、お前の役目はただ死を待つのみとなる。どうか私を心から恨んでおくれ。我儘なこの私に最後まで着いてきてくれたお前を一人にはしない、例え嫌われても、だ』
『……アディルメルさまは我が主、御心のままに』
(え? ま、まっ、待って! 待ってよ! アディ姉さんが侍女さんの後を追うって?)
ゼファさんが膝をついて頭を下げて、アディ姉さんへの忠誠を心から誓う中、多くの情報が僕の頭を駆け抜けて、記憶の中のアディ姉さんはエダンが待つ扉を開いてしまった。
それはとても太陽のように強い光で、僕は思わず目を閉じて顔を伏せてしまう。
***
アディ姉さんが開いた扉から溢れた光が僕を包み込んで、今いるこの場所から違う空間へと移動させられたことを知る。
そこは何もない空間、ただ明るいだけのフワフワした空間。
そんな空間である小さな光がゆらゆらと揺らめいて降りてきて、僕の目の前で止まった。
『ランディ、ランディ聞いて! アディお姉さまは今、窮地に立たされているわッ!』
突然頭の中に振ってやってきた謎の言葉。
でも聞き覚えあるその正体に、僕は笑顔咲く。
(エレンツェ姉さん? 良かった、やっと通じた! やっと会えた! 今どこにいるの?)
僕はすっかり消えたエレンツェ姉さんの気配を感じて、心から安堵を覚えた。
『ランディ、落ち着いて聞いて欲しいの。今すぐ私を取り込んで完全体になりなさい』
(……? ど、どう言うこと? 何を言ってるの?)
エレンツェ姉さんのこの発言で、一瞬にして僕らは不穏な雰囲気になる。
空間はとても不思議で煌めいているのに、心の中はドロドロとぐちゃぐちゃとした耐えられない痛みを伴って。
『……愛しているのよ、ランディ。だからこれからも生きていて欲しいの』
(ぼ、僕だって、僕だって、……大好きだし、エレンツェ姉さんに生きてほしいよっ!)
心の内の大切な部分を曝け出して、確かな想いを言葉にした。
だってこれが最後の会話かも知れなくて、でもそう思うとより一層悲しくなる。
『許して欲しいの。私はランディの一部、貴方から派生した因子に過ぎないの。貴方の負担を極力減らすために私が組まれたのよ。何も心配する必要はないわ、私たちはいつもいつでも一緒……』
真実が僕をどん底に落とした。
だって姉として慕ってきたエレンツェ姉さんの存在を、この世から消す行為を僕に決断させるのだから。
そんな残酷な事態、あってはならない事実。
『ランディ、貴方は私たちの特別なのよ。貴方を守るために、私やアディお姉さま、そして侍女のゼファまで、今まで生き続けてきたのだから』
(そんなもっともらしい言い方……、僕は、僕はただ皆と幸せに暮らしたいだけなのにッ!)
『……この世はいつの時代も混沌としているわ。人に守られる幸せは一生続くものはないし、独り立ちも必要なのよ。貴方は今、成すべきことを実行して、いつか本来の幸せを掴みなさい』
(でも、僕、エレンツェ姉さんのいない現実なんて、とても受け入れられない……)
『そんな事言わないで? 私はいつだってランディの中で生き続けるわ。それにアディお姉さまの傍にいて欲しいの。お姉さまは全てを破壊して、その命も終わらせようとしているわ』
(そんな、あ、アディ姉さんがッ? う、うん、うん……)
アディ姉さんの決意を見て、ゼファさんの覚悟を見て、エレンツェ姉さんの強さを得ることで、納得できないことだらけの道の中から、後悔だけはしない道に自分を信じて進み、多くを失う悲しみや多くと出会う喜びを見つけて、自分の足で歩くことの大切さを噛み締める。
僕ならその苦楽を糧にできると信じて生き続けるのみ、しかないのだから。
『じゃあ、ランディ。私は貴方の中で生きるわ、ずっと一緒なのよ。改めて宜しくね』
(う、うん!)
大きな期待の中で、小さな不安はエレンツェ姉さんの優しさで溶けるように消えた。
だってとても暖かで、心地よい何かが身体中を駆け巡るんだ。
そんな身体の異変を感じ取って、僕の意識は徐々にどこかへ連れていかれたことを知る。




