第十四章 覚悟と決心の狭間で①
(アディお姉さま! アディお姉さまッ! どうか目覚めて!)
「う、うぅ……、エレンツェ、エレンツェか? エレンツェッ!」
冷たく硬い地面の感覚も相俟って、よく知る者に名を呼び掛けられたアディが目覚める。
少し薄暗くもある空間。
ただ一筋の光の先には嫌と言うほど聞いた激情の歓声も聞こえて、アディが直面する現実を冷静に淡々と理解を示すと、その口から出てきたのは大きな溜め息。
(あ、アディお姉さま! 溜め息なんてついてる場合ではありませんッ!)
「分かっている。しかし、こうも滑稽な……」
快晴の空と眩しい太陽の光が届くこの場所。
豪華なドレスは土埃と泥に塗れ、両手には後ろで枷を付けられて、次に何を要求されているかなんてことは一目瞭然なのだから。
「エレンツェよ、お前は早くランディの許へ行け。ランディにはお前が必要だ、その魂の状態ならすぐにアゼレッダへ到達できよう。早く行ってやってくれ」
(こんな状況でアディお姉さまを一人にするなんてこと、絶対にできませんッ!)
「……私は、罪を犯した。例え生まれ変わろうとも拭いきれない罪の数々を、」
(お姉さまに罪などありませんッ! 目を覚ましてくださいッ!)
エレンツェは必死でアディを説得するが、アディの覚悟は揺るぎないもの。
(な、ならば罪があるなら生きて償ってくださいッ! そうでなければ誰一人報われません!)
エレンツェの説得に、アディは少し笑う。
とても乾いた笑いで。
「満席御礼、感謝感激ッ! さあさあ、世紀のショーへようこそ! 我らの手で貶めるべき人物、罪人アディルメルの絶叫、血飛沫、惨殺と、我ら確実にお客様の期待以上のものをッ!」
アディの処刑を前に、建物が震えるほどの歓喜の悲鳴が鳴り響いた。
(この声バネットだわ。よくもアディお姉さまを侮辱して……ッ!)
魂だけのエレンツェはこの許し難い怒りを動作だけで自在に表現している。
しかしエレンツェにできるのはここまで、アディ自身が逃げる選択を選ばない限り打つ手などない。
「アディルメルはこの闘技場を独断で閉鎖させようとした! 我らの心の拠り所を奴の一存で失くしてなるものか! 我らは抗う、だからこそ今、我々が制裁を与えるべきではないかッ?」
〈オォォォォォオォオッ!〉
今まで聞いた中で最も反響の大きい歓声で、会場は大いに盛り上がっている。
(ルネなんて、例え粉々に壊れたって文句も言えないほどの罪で穢れているわ。だからこそアディお姉さまなら正しい判断ができると、生きて罪を償うことができると、心から信じています)
「…………」
無言を貫くままアディの処刑が刻一刻と近づく中で、エレンツェは苦汁の決断に出る。
(唯一あの方なら、あの方ならばアディお姉さまを目覚めさせてくれるはず。お姉さまの御心に私は不要。ならば私はランディの許へ帰るだけです。お姉さまにご加護とご武運を……)
重い罪に囚われるアディをエレンツェで解決できないならば、ランディの許へと潔く引くのも選択の一つ。
エレンツェにとって悲しい別れ方に後ろ髪惹かれても、それが今の最良の判断とこの環境が示したのだ。
死することに抵抗のない今のアディの脳裏には、心から信じた別の人が存在していると理解したのだから。
***
「まさか、こんなッ……」
ここは古い用水路から繋がる、非常に劣悪な環境下にある地下牢。
そんな環境下、人があまり寄り付かないことを示唆するかのように、高く積もった埃の山とカビの宝庫となっている。
そんな牢屋に目を配ると、微かに気配がする。しかしそれはあまりに弱弱しい吐息の音。
「お、お祖母ちゃん……?」
極力灯りから背を向けて、あまりにやせ細った女性の後ろ姿が目に映る。
髪の多くが抜けたのか、長い白髪が女性の周りを取り囲むほど落ちている。
この様子から少しの移動もできない身体状態で、まさに皮と骨だけの、こちらを向くだけでも相当な労力を要すると思うほどの。
「お祖母ちゃん!」
大声で呼びかけながら、ランディは一心不乱で女性に近づこうと鉄格子を握った。
それでも女性は特別目立った反応もしないのか、できないのか。
「……ランディ君、駄目だ。彼女はもう駄目だよ」
ガルガの言葉と共に、ランディの腕を優しく掴んだ合図は、既に手遅れと示すもの。
「……ラ、ラン、デ……ィ?」
背を向けた状態のまま、か細い声でランディの名を噛み締めるように呟く老いた女性。
「そ、そうだよ! お祖母ちゃん、僕だよ、ランディだよ!」
小さな希望がランディの視野を眩しくする。
単に思い出すだけではあまりに苦しい記憶も、あの頃の辛い惨劇も、祖母が今も生きてくれていた事実だけで優しい記憶だけを照らしてくれて、ランディの心を熱くしてくれるのだから。
しかしランディと一言呟いた以降、女性に目立ったアクションはない。
ガルガが引き止めた理由が理由なだけに、ランディの不安は急激に上昇する。
もう二度と認知してもらえないかもしれない、そんな焦りがランディの恐怖を頂点へ高めていくのだ。
「ガルガさんこの鉄格子、開けられますか?」
「鍵はなくともこの程度の作りならピッキングは大したことはないが、しかし……」
「せ、せめてお祖母ちゃんと最後のお別れを言いたいんです!」
こんな残酷な会話が行き交う中でも相変わらず女性は無反応なまま。
その深刻な女性の様子がランディの覚悟を引き出したのだ。
「分かったよ、ランディ君にとって特別な人だしね」
二つ返事で役目を受け取ったガルガは、手早く鍵を開けると真っ先にランディの道を作る。
「お、お祖母ちゃん、僕だよ、ランディだよ!」
単に耳が悪いのかもしれない、病状が悪くて動けないのかもしれない、断片的にしかランディを覚えていないのかもしれないと、様々な可能性を考えながら女性に近づくランディ。
せめて一目だけでも自身を見て貰おうとゆっくり近づくが、それは今にも折れてしまいそうな、どこから触れていいか分からないほどやせ細った身体を見て、思わず真正面へ移動する。
ほんのひと時の喜びで構わないと言わんばかりに、久しぶり見る祖母の顔をその目に焼き付けようとするも、ランディは予想もしなかった真実を見ることとなる。
女性の素顔を見たランディの表情は、一瞬固まると、その場を摺り足で下がる。
「どうしたんだい? ランディ君?」
ランディの絶望に満ちた表情は、外野の二人の心配を高める。
しかし明らかにただ事ではなさそうな雰囲気に、ガルガが女性の顔を確認するためにゆっくりとランディの傍に近づいた。
「この方は、……多分、初代エダンではなさそう、……かな?」
「「えっ!」」
重なる二人の驚く声で、ランディまで声を張り上げた不思議に他の二人が思わず注目する。




