第十二章 小さな冒険者が見たもの②(ランディ回想)
〈チャラン、ガガ、ガチャンッ! ……キィッ!〉
外から南京錠で扉を開ける音が響く。
僕はその気配を感じた段階で、そそくさと小窓から外へ瞬間的に移動した。
いくらエレンツェ姉さんが僕を追い払おうとも、ここで逃げるのはきっと男のすることじゃない。
(ん? あ、あれ? あれって、あの人って確か……)
僕は思わず二度見する。
だってさっき見た、最初にあのバネットに手を乗せていたあの貴族のおばさんだったんだから。
この質素な部屋に対して、この着飾り方は異様にしか見えない。
(まさか、あの瞬間からおばさんへの完全支配を完了させたって、こと?)
これは僕の中でもアイリーンの脅威がどれほど凄まじいものかを、知らしめられた一面でもあった。
「……この身体、あちこちガタが来ている。これだから年寄りは嫌だ」
「ア、アイリーン様そう言わずに。その身体の持ち主は巨額の富を所有しています。もうすぐ貢献してくれますよ。それに、その身体の煩わしさを解消しにここへ来たのでしょう?」
(あ、バネットだ!)
バネットにさっきの余裕と丁寧さなんてどこにもなくて、ただただごまをすっている。
「この年寄りは身体が硬くて勝手が悪い。デリム、早くしろ」
「そう焦らないでください。アディルメルが帰って来るまで時間はたっぷりと」
身体の制限から苛立つアイリーンに、余裕を持ったデリムが宥める。
〈ガ、ガガガッ……、ガ、ガガ、……ッ!〉
(あ、あれは、異空間だ!)
空間の隙間を縫って、現れたのは監禁しているエレンツェ姉さんへ繋がる異空間。
おばさんに憑依しているアイリーンは、異空間を真正面に、偉そうに椅子に座って高みの見物だ。
〈ジジッ、ジジジ……ッ!〉
〈ドッカッッ! ドサッ!〉
ほんの数段の短い階段を降りた先の厳重な扉を開いたのか、扉の存在を消したような音が鳴ったかと思えば、次の瞬間には何かしら擦れた比較的小さな音が部屋に響いた。
「あ、加減もなく顔面蹴ったけど、これでへこたれたりしないよな? なぁ、エレンツェ?」
「デリムゥゥ、アイディィィン!」
「ハハハッ、似合ってる、似合ってるッ!」
この目でエレンツェ姉さんの現状を見た訳じゃない。
でも、残酷な音と悲痛な叫びが僕の想像が限界を超えた。
怒りのあまり、爪を立てて僕は臨戦態勢に入るほどに。
『ランディ、駄目よ! 早くここから離れなさい!』
エレンツェ姉さんの心の声ですぐに現実に戻されるも、こんな扱い、納得なんてできない。
(嫌だ、いくら姉さんでもその頼みは聞けないッ!)
『冷静になりなさい。ここで貴方が出てきても何の解決にもならないの、分かるわよね?』
〈ガッ! ゴゴッ!〉
「がぁ、ああ、あッ、ああッ!」
「ハハッ、コイツ吐いたぞ!」
アイリーンに優越感を、エレンツェ姉さんをいたぶる度に逐一報告するデリム。
それが僕の中でずっと眠っていた怒りを余計に上昇させる。
『……ランディ駄目よ。絶対に来てはならないわ。命令なのよッ』
(命令なんて結局は口約束だよ! どう行動するかは僕が決めること!)
『ならばここで二人が再起不能になったとして、誰がアディお姉さまを助けるというの!』
(エ、エレンツェ姉さんも助けてこそ、皆が幸せになる! 誰も欠けてはいけないんだ!)
これは僕の心からの願い、そして紛れもない本心。
〈ゴッ、ガッッ!〉
「アハハ! 無様に転がったよ、傑作だ! 見てアイリーン様ッ!」
腹を抱えて笑っているデリムを見て、フッと一瞬笑うとアイリーンの口は軽快に開く。
「お前は美しい。だからそうその美しい顔を歪ませるな、利用価値が下がるだろう?」
「フン、人の顔面を蹴り上げる命令をしておいて、よくそんな台詞をッ!」
「威勢はいい、しかしそれだけだな。デリム、やれ……」
「あっ、ああぁッ!」
エレンツェ姉さんの悲痛な叫びが僕の頭の中へ入ってくる。
(も、もうこれ以上は耐えられないッ!)
これ以上耐えられない怒りから、アイリーンに襲い掛かろうと引き止めたのは、誰でもない、エレンツェ姉さんだった。
『私がッ! ……私が、生き残る方法は一つ残っているわ。邪道だけど少し我慢しなさいッ』
(邪道? ね、姉さん、一体何をするつもりなの?)
何か良くないエレンツェ姉さんの決断に染み渡るような不安を抱くことで、胸騒ぎを感じたまま、最悪な事態に陥った瞬間を僕の聴覚に訴え掛ける。
「あぁぁあぁあああああ……、あ、ぁ、ぁぁ……!」
(エ、エレンツェ姉さんッ?)
尋常でないエレンツェ姉さんの悲鳴に、僕の心臓は酷く締め付けられる。
「……死んだか?」
立ち上がり確認に向かうアイリーンの一言が、僕の心の絶望を更に膨張させた。
「どうやら……、そのようですよ」
(よ、よくもッ、よくもッ、よくもエレンツェ姉さんをッッ!)
深い絶望は強い怒りを押し上げる。
冷たい感覚は一瞬で湧き立つように、今まで感じたことのない心の熱さを体感して、僕にもこんな激しい感覚があるんだと若干驚きつつも、その沸き立つ力を余すことなく発揮させることに迷いなんてない。
(許さない、絶対にッ! 例え刺し違えても、僕が、僕があいつらを仕留めてやるッ)
飛び掛かる合図は、アイリーンがエレンツェ姉さんのいる空間へ入った瞬間だ。
真後ろから飛び掛かる準備を早々に完了させて、僕は刹那のタイミングを計った。
『ランディ、駄目よ!』
それは唐突だった。
僕の聴覚へ直接、確かにエレンツェ姉さんの声が聞こえる。
(え、エレンツェ姉さん、無事……、だったの?)
目視に見える現実は、アイリーンが隠し空間へ入った瞬間。
特にエレンツェ姉さんの容態の変化に驚く様子はなくて、時は確実に刻一刻と冷酷に過ぎるだけで、僕の頭は混乱する。
『魂と肉体を分離させたのよ。ごめんなさいね、辛いものを見させて。もうあの肉体は私には不要よ』
(た、魂ってどこにいるの? すぐ近くだよねッ?)
周囲を見渡すと、小さな命の灯火が僕のすぐ傍で浮かんでいる。
それはとても綺麗な栗色の炎で、中央にはうねる橙の、少し眩しいマグマの灯り。
「お美しいです、アイリーン様。まさにアイリーン様に献上される為に存在した肉体です!」
「これしきの肉体が私に相応しいと? 私の身体はもっと高みにある」
「た、確かに、このレベルの身体ではアイリーン様の素晴らしさを表現しきれませんね!」
「しかしだ、こうも容易く憑依出来ては面白みがない。まあ、本来ならば憑依出来ない肉体だったと考えたなら、希少価値も高まるが故、この肉体も悪くはなかろう」
「アイリーン様に憑依される運命と言っても過言ではないですよ! ものは有効に使ってこそ光り輝くでしょうし、命はアイリーン様の為に生まれ、死んでいくのが生命の道理というもの。アイリーン様こそこの世の覇者であり、新しい未来を創る、まさしく輝かしい先駆者ですね!」
「……デリムよ、持ち上げるにも程々の方が現実味も増すだろう。お前は口が過ぎる」
「ち、違います、本心ですよ! 本心でアイリーン様のことをッ!」
エレンツェ姉さんの魂と会話している間に、難なくエレンツェ姉さんの肉体を手に入れたアイリーンと、その様子に大袈裟なくらいごまをするデリムがこの部屋を出ようとしている。
「……その婆の肉体はまだ遺産相続に必要だ。丁重に扱え」
豪華な衣装を着飾った貴族のおばさんの肉体をバネット、というかデリムが背負って、もうここには用はないと言わんばかりに、そそくさと部屋を後にした。
(す、すごい、人ってあそこまでたくさん誉め言葉って出てくるものなんだね……)
『デリムこそ真の金魚の糞。息を吸うことすら躊躇して、生き辛い道に引きずられるだけの人生よ』
(そ、そんな人たちからエレンツェ姉さんの肉体を奪還できる可能性とかないの?)
『あれはもうもぬけの殻。もう、二度とあの肉体には戻れないのよ』
(そんなことってあるの? だって、あの肉体は絶対にエレンツェ姉さんのものなんだよ?)
『……、ランディ貴方、アディお姉さまに何も聞かなかったわけではないわよね?』
エレンツェ姉さんの問い掛けに、僕は〈妖精〉という立場と因果に思わず口籠る。
『分かったなら良いのよ。早くアディお姉さまの許へ行きなさい』
(え? エレンツェ姉さんも一緒に行かないの?)
『行き違いが起こる可能性もあり得るのよ。誰一人として孤独にはできないわ』
エレンツェ姉さんの覚悟はすごい。
それだけに、とても儚い。
(でも、……正直、今のエレンツェ姉さんに何ができるの?)
意地の悪い問い掛けだと今でも思う。
それでもどうしても確認せざるを得なかった。
だって今のエレンツェ姉さんはただの魂で、アイリーンに対抗できる術はなくて、でも何かあるとすれば、その小さな灯火を盾にアディ姉さんを守る最後の選択を選ぶだろうから。
『……貴方にも嘘はつけないのね。大丈夫、魂はいつも貴方と共にあるわ』
(な、なに? そんな……、そんな遺言みたいな……)
僕の嫌な予感がより現実味を帯びた。心がミシミシと軋む感覚を連れて。
『さあ、早く行きなさい。必ず、またすぐ会えるわ。本当よ?』
(い、嫌だッ! あッ、熱いッ!)
爪先に強烈な熱さを感じて、思わず前足を手放した瞬間、足掻く僕の体は海へ落ちていく。
(ね、姉さんッ! エレンツェ姉さんッ、ぼ、……僕ッ!)
断崖絶壁を落ちて深い海に体を沈められた僕は、波の騒がしさが際立つ中で、懸命にエレンツェ姉さんの名前を叫んでも、姉さんは二度と答えてくれることはなかった。




