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呉視点三国志:丁奉の章④

257年:太平(たいへい)三年

 天(てん)は重(おも)く、風(かぜ)は乾(かわ)いておりました。蜀(しょく)の将軍(しょうぐん)・姜維(きょう・い)は剣(けん)の手入(てい)れを終(お)えると、そっと腰(こし)を下(お)ろしました。隣(となり)には、かつて魏(ぎ)の名門(めいもん)・夏侯家(かこうけ)に生(う)まれ、今(いま)は蜀(しょく)に身(み)を寄(よ)せる男(おとこ)、夏侯覇(かこう・は)が座(すわ)っております。

「やれやれ、今年(ことし)もまた西(にし)へ出(で)る気(き)ですかな?」

「ええ。大将軍(だいしょうぐん)たる者(もの)、戦(いくさ)を忘(わす)れてはならぬと思(おも)いまして」

 姜維(きょう・い)は笑(わら)いましたが、その眼(め)は笑(わら)っておりませんでした。彼(かれ)は、かの諸葛亮(しょかつ・りょう)の遺志(いし)を継(つ)ぎ、幾度(いくど)も魏(ぎ)へと北伐(ほくばつ)を試(こころ)みた男(おとこ)でございます。

「ですが、今年(ことし)で何度目(なんどめ)です?天水(てんすい)・狄道(てきどう)──そして鍾会(しょう・かい)どもが穴熊(あなぐま)のように籠(こ)もって動(うご)かぬのに、正攻法(せいこうほう)とは……頑固(がんこ)ですなあ、あなたも」

「それでも我(われ)らは攻(せ)めねばなりません。攻(せ)め続(つづ)けることで、蜀(しょく)の威信(いしん)は保(たも)たれるのです」

「威信(いしん)、ですか」

 夏侯覇(かこう・は)は目(め)を伏(ふ)せました。彼(かれ)もまた武門(ぶもん)に育(そだ)ち、戦(いくさ)で父(ちち)を亡(な)くし、魏(ぎ)を追(お)われて蜀(しょく)に逃(に)げてきた身(み)。かつては名将(めいしょう)・夏侯淵(かこう・えん)の子(こ)として魏(ぎ)に仕(つか)えましたが、いまは異国(いこく)で客将(かくしょう)として日々(ひび)を送(おく)っております。

「蜀(しょく)はもはや余裕(よゆう)がありません。国力(こくりょく)は疲弊(ひへい)し、民(たみ)もやせ細(ほそ)っております。魏(ぎ)の内乱(ないらん)か、天(てん)の奇跡(きせき)か……それがなければ、我(われ)らの勝機(しょうき)は薄(うす)い」

「魏(ぎ)とて安泰(あんたい)ではありませんぞ。司馬(しば)一門(いちもん)の専横(せんおう)に、忠臣(ちゅうしん)たちも歯(は)を食(く)いしばっております。わたしの従兄弟(いとこ)など、密(ひそ)かに眉(まゆ)をひそめておりました」

 夏侯覇(かこう・は)はそう言(い)って、遠(とお)くを見(み)つめました。

「あなたの従兄弟(いとこ)……夏侯玄(かこう・げん)殿(どの)ですね」

「ええ。才気(さいき)あふれる男(おとこ)でした。が、あれもまた、時勢(じせい)を読(よ)み違(ちが)えたのです。忠義(ちゅうぎ)など、この世(よ)には通(つう)じぬのかと、そう思(おも)いました」

「それでも、わたしは信(しん)じたい。忠義(ちゅうぎ)と志(こころざし)が、最後(さいご)には報(むく)われると」

 姜維(きょう・い)の声(こえ)は静(しず)かでしたが、胸(むね)の内(うち)には炎(ほのお)が燃(も)えておりました。

「この十年(じゅうねん)、我(われ)らはたしかに負(ま)け続(つづ)けてきました。だが、剣(けん)を捨(す)てれば、それこそ終(お)わりです。敗(やぶ)れてなお立(た)つ、それが蜀(しょく)の将(しょう)でございましょう」

「……まるで、孔明(こうめい)どのが憑(つ)いておられるようだ」

「亡(な)き師(し)の名(な)に恥(は)じぬよう、生(い)きてまいりました」

 ふと、風(かぜ)が変(か)わりました。西(にし)から冷(つめ)たい空気(くうき)が吹(ふ)き込(こ)んできます。戦(いくさ)の季節(きせつ)が近(ちか)づいているようでした。

「ところで、魏(ぎ)の国防方針(こくぼうほうしん)ですが……最近(さいきん)は守(まも)りを固(かた)める一方(いっぽう)のようですな。陳泰(ちん・たい)、鄧艾(とう・がい)らが蜀(しょく)の動(うご)きを読(よ)んで、各地(かくち)に防衛線(ぼうえいせん)を張(は)っております」

「ええ。狄道(てきどう)に陣(じん)を構(かま)えた鄧艾(とう・がい)など、動(うご)きが鋭(するど)い。迂回策(うかいさく)も通(つう)じぬ。愚直(ぐちょく)な戦(たたか)いでは勝(か)てません」

「ですが、我(われ)らにはまだ一手(いって)あります。あなたの頭脳(ずのう)であれば」

「いえ、もはや勝負(しょうぶ)を決(けっ)するのは兵(へい)の数(かず)でも、策略(さくりゃく)でもありません。生(い)き残(のこ)る気概(きがい)、それだけです」

 焚(た)き火(び)の火(ひ)が、ぱちりと音(おと)を立(た)てて弾(はじ)けました。

「しかしまあ……十年(じゅうねん)でよくもまあ、ここまで戦(いくさ)を続(つづ)けましたな」

「夏侯殿(かこう・どの)。わたしは、こう思(おも)っております。命(いのち)が尽(つ)きるその日(ひ)まで、剣(けん)を置(お)く気(き)はございません」

「わたしも同(おな)じですよ。魏(ぎ)でも蜀(しょく)でもなく、この命(いのち)が尽(つ)きるその日(ひ)まで、あなたの剣(けん)に付き合(つきあ)いましょう」

 二人(ふたり)の将(しょう)の間(あいだ)に、言葉(ことば)はいりませんでした。互(たが)いの顔(かお)に刻(きざ)まれた戦(いくさ)の年輪(ねんりん)こそが、全(すべ)てを物語(ものがた)っておりました。

 夜(よる)は静(しず)かでした。星(ほし)の下(もと)、ふたりの戦友(せんゆう)が、次(つぎ)なる戦(いくさ)に備(そな)えて剣(けん)を研(と)いでいたのでございます。



258年:太平(たいへい)三年

 太平(たいへい)三年(さんねん)。孫峻(そん・しゅん)はこの世(よ)を去(さ)り、彼(かれ)の従弟(いとこ)である孫綝(そん・りん)が政(まつりごと)の中心(ちゅうしん)に現(あらわ)れました。孫綝は見(み)た目は柔和(にゅうわ)で礼儀正(れいぎただ)しいものの、その内心(ないしん)には冷徹(れいてつ)で狡猾(こうかつ)な策略(さくりゃく)を秘(ひ)めておりました。機敏(きびん)で言葉(ことば)は少(すく)ないながらも鋭(するど)く、まるで静(しず)かに獲物(えもの)を狙(ねら)う猛獣(もうじゅう)のようでした。

 「民(たみ)か国(くに)か。まずは我(われ)が立(た)たねば始(はじ)まらぬ」

 孫綝(そん・りん)は反対勢力(はんたいせいりょく)を容赦(ようしゃ)なく排除(はいじょ)し、権力(けんりょく)を完全(かんぜん)に掌握(しょうあく)しました。廷臣(ていしん)たちは冷(つめ)たい目(め)で見守(みまも)りましたが、誰(だれ)も公然(こうぜん)と彼(かれ)に逆(さか)らえませんでした。

 一方(いっぽう)、即位(そくい)して六年(ろくねん)となる皇帝(こうてい)・孫亮(そん・りょう)は十代半(じゅうだいなか)ばで自分(じぶん)の立場(たちば)を自覚(じかく)し始(はじ)めていました。孫亮は孫権(そん・けん)の長男(ちょうなん)であり、若(わか)くして帝位(ていい)についた若(わか)き皇帝です。

 「朕(ちん)はただの飾(かざ)り物(もの)ではない」

 「陛下(へいか)、それは……少々(しょうしょう)お言葉(ことば)が過(す)ぎます」

 「過(す)ぎようとも、玉座(ぎょくざ)に座(すわ)って言(い)えば、それが正義(せいぎ)だろう?」

 少年(しょうねん)から青年(せいねん)へ成長(せいちょう)した孫亮は、自分(じぶん)の政治(せいじ)を描(えが)き始(はじ)めていました。しかし、その動きは孫綝(そん・りん)にとって危険(きけん)な芽(め)にすぎませんでした。

 西暦258年(せいれき258ねん)、魏(ぎ)の中原(ちゅうげん)では諸葛誕(しょかつ・たん)が反乱(はんらん)を起(お)こしました。諸葛誕(しょかつ・たん)は魏の有力(ゆうりょく)な将軍(しょうぐん)で、この反乱(はんらん)は魏に大(おお)きな動揺(どうよう)をもたらしました。孫綝(そん・りん)はこれを好機(こうき)と見て、呉(ご)の軍(ぐん)を動(うご)かそうとしました。

 しかし、孫綝(そん・りん)の策(さく)は雑(ざつ)すぎました。呉軍(ごぐん)は魏の圧力(あつりょく)に耐(た)えられず、援軍(えんぐん)として派遣(はけん)された兵(へい)はほとんど壊滅(かいめつ)しました。進軍(しんぐん)は遅(おく)れ、補給(ほきゅう)は乱(みだ)れ、兵士(へいし)たちの士気(しき)は地に落(お)ちてしまいました。

 「諸葛誕(しょかつたん)に頼(たよ)るなど、愚策(ぐさく)だ。今まで魏将の反乱はあっさりと鎮圧されたではないか。つけいる隙などなかった」

 「そうだな。馬鹿の一つ覚えとしか思えない」

 戦(いくさ)の失敗(しっぱい)は孫綝の威信(いしん)を大(おお)きく損(そこ)ないました。これを見て、孫亮は決意(けつい)しました。

 「今(いま)こそ、あの男(おとこ)を排除(はいじょ)すべき時(とき)だ」

 しかし、孫綝の策謀(さくぼう)は上手(うわて)で、孫亮の計画(けいかく)は露見(ろけん)し、逆(ぎゃく)に彼(かれ)自身(じしん)が廃位(はいi)されてしまいました。代(か)わりに孫権(そん・けん)の第六子(だいろくし)である孫休(そん・きゅう)が皇帝(こうてい)に擁立(ようりつ)されました。孫休は学問(がくもん)を好(この)み温厚(おんこう)な性格(せいかく)ですが、内に情熱(じょうねつ)も秘(ひ)めていました。

 「弟(おとうと)のような飾(かざ)り物(もの)には終(お)わらぬ」

 即位(そくい)直後(ちょくご)の孫休は従順(じゅうじゅん)に振舞(ふるま)い、孫綝の怒(いか)りを買(か)わぬよう努(つと)めました。

 「まずは調和(ちょうわ)から始(はじ)めよう」

 「陛下(へいか)は賢明(けんめい)でございますな」

 「凡庸(ぼんよう)に見(み)せるのも、時(とき)には武器(ぶき)だ」

 孫綝(そん・りん)は温厚(おんこう)な孫休に油断(ゆだん)し始(はじ)めました。やがて機(き)が熟(じゅく)し、宮中(きゅうちゅう)で孫綝は突然(とつぜん)兵(へい)に囲(かこ)まれました。秘密(ひみつ)に訓練(くんれん)された近衛兵(きんえいへい)が素早(すばや)く突入(とつにゅう)したのです。

 甲冑(かっちゅう)の音(おと)が響(ひび)き、刃(やいば)が光(ひか)ります。孫綝(そん・りん)は立(た)ち上(あ)がり怒(いか)りをあらわにしました。

 「陛下、これは何事(なにごと)か?私(わたし)を排除(はいじょ)するつもりか!」

 「今(いま)までの独断専行(どくだんせんこう)と傲慢(ごうまん)、死(し)をもって償(つぐな)え」

 孫休は静(しず)かに、しかし厳(おごそ)かに言(い)い放(はな)ちました。孫綝(そん・りん)はその場(ば)で斬(き)られ、呉(ご)を牛耳(ぎゅうじ)った黒幕(くろまく)は終(お)わりを迎(むか)えました。

 こうして孫休は親政(しんせい)を始(はじ)めました。五経博士(ごきょうはかせ)を設置(せっち)し、農政(のうせい)を改革(かいかく)、治水事業(ちすいじぎょう)に着手(ちゃくしゅ)しました。五経博士とは儒教(じゅきょう)の経典(きょうてん)を研究(けんきゅう)し教育(きょういく)する役職(やくしょく)です。

 「儒(じゅ)を立(た)て、農(のう)を興(おこ)し、水(みず)を治(おさ)めねば国(くに)は立(た)たぬ」

 「殿下(でんか)、まるで先々代(せんせんだい)の再来(さいらい)ですな」

 「褒(ほ)めすぎだ。私は私(わたし)の道(みち)を歩(あゆ)くだけだ」

 一時(いっとき)、呉の国力(こくりょく)は持(も)ち直(なお)りました。民(たみ)は安心(あんしん)し、士人(しじん)は集(つど)い、国(くに)は久々(ひさびさ)の安定(あんてい)を得(え)ました。

 しかし、時(とき)は人(ひと)の心(こころ)を変(か)えます。孫休は学問(がくもん)にのめり込み、やがて趣味(しゅみ)だったキジ狩(か)りに没頭(ぼっとう)しました。政務(せいむ)は重臣(じゅうしん)の濮陽興(ぼくよう・こう)と張布(ちょう・ふ)に任(まか)せられ、宮廷(きゅうてい)では緩んだ空気が支配するようになります。やがて、陰謀(いんぼう)が渦巻(うずま)くようになりました。

 このように呉(ご)はまた次(つぎ)の激動(げきどう)に向(む)かって動(うご)き出(だ)したのです。



258年(ねん):太平(たいへい)三年(さんねん)

 風(かぜ)が涼(すず)しくなってまいりました。秋(あき)の軍営(ぐんえい)には、ひときわ静謐(せいひつ)な空気(くうき)が流(なが)れております。

 その夜(よる)、呉(ご)の名将(めいしょう)・丁奉(てい・ほう)の帳(とばり)の中(なか)に、若(わか)き将軍補佐官(しょうぐんほさかん)である黎斐(れい・ひ)がひそかに顔(かお)を覗(のぞ)かせました。

「将軍(しょうぐん)。お話(はな)ししたいことがございます」

「堅(かた)いな。何(なに)だ、まさか酒(さけ)の無心(むしん)ではあるまいな」

「……いえ。諸葛誕(しょかつ・たん)のことです」

「……そう来(き)たか」

 丁奉(てい・ほう)は一度(いちど)、盃(さかずき)を置(お)き、ゆっくりと深(ふか)く息(いき)をつきました。黎斐(れい・ひ)も正座(せいざ)のまま、帳(とばり)の明(あか)りの中(なか)に身(み)を沈(しず)めます。

「諸葛誕(しょかつ・たん)は、どうしてああなったのでしょう」

「お主(ぬし)も気(き)になるか。あの男(おとこ)の最期(さいご)は、やはり尋常(じんじょう)ではなかったな」

 丁奉(てい・ほう)は遠(とお)くを見(み)つめるように言葉(ことば)を紡(つむ)ぎました。

「魏(ぎ)において、諸葛誕(しょかつ・たん)は代々(だいだい)の忠臣(ちゅうしん)の家柄(いえがら)だ。祖父(そふ)の諸葛豐(しょかつ・ほう)は曹操(そう・そう)に仕(つか)え、父(ちち)もまた名臣(めいしん)として名(な)を馳(は)せた。誕(たん)自身(じしん)もかつては一軍(いちぐん)を任(まか)される才覚(さいかく)の持(も)ち主(ぬし)だった」

「ですが、あの司馬昭(しば・しょう)が……」

「そうだ。司馬氏(しばし)が魏(ぎ)の政(まつりごと)を私物化(しぶつか)し、皇帝(こうてい)を操(あやつ)り人形(にんぎょう)に変(か)えた。それを見(み)た誕(たん)は、黙(だま)っておれなかったのだろう」

「つまり、忠義(ちゅうぎ)の果(は)ての挙兵(きょへい)、ですか?」

「そのとおり。ただし、実は、諸葛誕(しょかつ・たん)は、反乱せざるを得ない状況に追い詰められたのだ」

「どういう事ですか?」

「司馬昭(しば・しょう)は、反乱を起こされると厄介な武将を警戒していた。そして、彼らをわざと反乱するしかない状況に追い込んだ」

「なぜそのような事を?」

「いつ裏切るかもわからない。でも、裏切らないかもしれない人間というものは権力者として厄介だからな。ずっと警戒しなければならないから疲れる。それならば、自分の組んだ予定の中で裏切ってもらったほうが鎮圧しやすい」

 丁奉(てい・ほう)は手元(てもと)の地図(ちず)を指(ゆび)でなぞりながら続(つづ)けます。

「だから、司馬昭(しば・しょう)は早(はや)かった。兵(へい)を三十万(さんじゅうまん)も動(うご)かし、寿春(じゅしゅん)を包囲(ほうい)した。我(われ)ら呉(ご)も、盟約(めいやく)に応(こた)えて援軍(えんぐん)を出(だ)した。が、間(ま)に合(あ)わなかった」

「我(わ)が軍(ぐん)も、丹陽(たんよう)から急行(きゅうこう)しました。将軍(しょうぐん)は途中(とちゅう)の水路(すいろ)を強行突破(きょうこうとっぱ)なされ……」

「斬(き)り込み、押(お)し破(やぶ)り、橋(はし)を焼(や)いた。あの時(とき)の突撃(とつげき)、今(いま)でも膝(ひざ)がうずくよ」

 丁奉(てい・ほう)は苦笑(くしょう)いを浮(う)かべましたが、瞳(ひとみ)の奥(おく)には痛(いた)みが宿(やど)っていました。

「だが、敵(てき)は堅(かた)かった。諸葛誕(しょかつ・たん)の裏切りをはじめから予定として組み込んでおいたからだろう。」

「最後(さいご)は……」

「諸葛誕(しょかつ・たん)は自刃(じじん)した。降伏(こうふく)を潔(いさぎよ)しとせず、城内(じょうない)に火(ひ)を放(はな)ち、自(みずか)ら命(いのち)を絶(た)った。呉(ご)から送(おく)り込(こ)んだ将兵(しょうへい)も、半(なか)ばが討(う)たれ、半(なか)ばが捕(と)らえられた」

「呉(ご)には、苦(にが)い結末(けつまつ)となりましたな……」

「だからな、黎斐(れい・ひ)。諸葛誕(しょかつ・たん)は卑劣(ひれつ)な反逆者ではないのさ。逃れられない仕立てられた反逆者という運命の中で可能な限り、運命に抗おうとした男だと思うぞ」

「我が呉が援軍を出したのは正しかったのでしょうか?」

「わからんな。だが、諸葛誕(しょかつ・たん)配下には、彼に心酔する者たちが多かっただろう?彼の配下の兵士は数百人もの兵が降伏を拒否した。『諸葛公のために死ぬのだ。心残りはない』と言い放ち、全員が処刑された。義(ぎ)は諸葛誕(しょかつ・たん)にあったのだろうな。」

「ならば、なぜここまで一方的に魏軍が勝利したのでしょうか?」

「司馬昭(しば・しょう)自ら全力をもって戦ったからだろうな。悔しいがヤツは軍才がある。父親の司馬懿(しばい)を見ているようだった。」

「このまま、呉は魏に勝てぬままなのでしょうか?」

「そうはさせぬさ。司馬昭(しば・しょう)は魏の有力な将たちを自ら殺している。反乱者に仕立て上げてな。そのような自らの手足を喰らうような行為。いつまでもうまくいかぬさ。」

 丁奉(てい・ほう)は立(た)ち上(あ)がり、帳(とばり)の外(そと)に吹(ふ)く秋(あき)の夜風(よかぜ)に目(め)を細(ほそ)めました。

「黎斐(れい・ひ)。まだまだ戦(いくさ)は続(つづ)く。だが、心(こころ)を折(お)らぬ限(かぎ)り、呉(ご)は滅(ほろ)びぬ」

「はい、将軍(しょうぐん)。私(わたくし)もまた、志(こころざし)を抱(いだ)いてまいります」

 その夜(よる)、明(あか)りの中(なか)に、呉(ご)の誠意(せいい)と忠義(ちゅうぎ)の光(ひかり)が静(しず)かに燃(も)えていた。



258年:太平(たいへい)三年

 ある夜(よる)――

 丁奉(てい・ほう)は呉(ご)の有力(ゆうりょく)な将軍(しょうぐん)であり、冷静沈着(れいせいちんちゃく)で知られる指揮官(しきかん)だった。その帳(とばり)の中に、陸抗(りく・こう)が静かに訪れた。陸抗は呉の重臣(じゅうしん)で、知略(ちりゃく)に優れた将(しょう)である。

「将軍(しょうぐん)、少しお話(はな)を伺(うかが)いたい。」

 その声(こえ)は穏(おだ)やかだが、確かな決意(けつい)が感じられた。

 丁奉は盃(さかずき)を置(お)き、穏(おだ)やかな笑(え)みを浮(う)かべる。

「何(なに)か悩(なや)みごとか?」

 陸抗は座布団(ざぶとん)に腰(こし)を下(お)ろし、まっすぐに丁奉を見据(みす)えた。

「魏(ぎ)の動向(どうこう)についてお尋(たず)ねしたいのです。司馬一族(しばいちぞく)が魏を乗(の)っ取(と)った背景(はいけい)について、将軍のお考(かんが)えを聞(き)きたくて。」

 丁奉は少(すこ)し考(かんが)え込み、口(くち)を開(ひら)いた。

「司馬一族が魏を掌握(しょうあく)したのは偶然(ぐうぜん)ではない。彼(かれ)らは曹操(そう・そう)の時代(じだい)から徐々(じょじょ)に力(ちから)を固(かた)めてきた。司馬懿(しば・い)は策謀(さくぼう)に長(た)け、その息子(むすこ)たちも巧(たく)みに権力(けんりょく)を伸(の)ばした。」

「死んだ兄の司馬師(しば・し)も、弟の司馬昭(しば・しょう)も、並外(なみはず)れた才覚(さいかく)の持(も)ち主(ぬし)だ。」

 陸抗は頷(うなず)く。

「司馬師は曹操に仕(つか)えた時から抜群(ばつぐん)の策略家(さくりゃくか)として名(な)を馳(は)せていました。司馬昭はそれをさらに超(こ)えましたが、なぜ魏では反乱(はんらん)が絶(た)えないのでしょうか?」

 丁奉は視線(しせん)を少(すこ)し落(お)とし、冷静(れいせい)に答(こた)えた。

「司馬師の時代(じだい)から魏は内部対立(ないぶたいりつ)が激(はげ)しかった。司馬懿が権力(けんりょく)を固(かた)めたが反発(はんぱつ)も招(まね)いた。司馬師はその頭脳(ずのう)と大胆(だいたん)な手腕(しゅわん)で政権(せいけん)を動(うご)かしたが、多(おお)くの敵(てき)もいた。それが司馬昭(しば・しょう)が権力(けんりょく)を握(にぎ)る理由(りゆう)だ。」

「司馬昭(しば・しょう)とはどのような人物(じんぶつ)ですか?」

「彼(かれ)は単(たん)なる武将(ぶしょう)ではない。政治(せいじ)にも長(た)け、戦(いくさ)の腕(うで)も優(すぐ)れている。だが何(なに)より冷徹(れいてつ)な性格(せいかく)が際立(きわだ)つ。人心掌握(にんしんしょうあく)に優(すぐ)れ、味方(みかた)を増(ふ)やすのが上手(じょうず)だった。」

 丁奉は盃(さかずき)を傾(かたむ)け、さらに続(つづ)けた。

「彼(かれ)の恐(おそ)ろしさは計画性(けいかくせい)と忍耐力(にんたいりょく)にある。家族(かぞく)や部下(ぶか)を巧(たく)みに操(あやつ)り、最終的(さいしゅうてき)に魏の政権(せいけん)を完全(かんぜん)に掌握(しょうあく)したのだ。」

「それでは、我(わ)ら呉(ご)はどのように動(うご)くべきでしょうか?」

 陸抗は真剣(しんけん)な目(め)で尋(たず)ねた。

「魏の反乱(はんらん)は目立(めだ)つが、呉は慎重(しんちょう)であるべきだ。司馬一族(しばいちぞく)が動揺(どうよう)している今(いま)がチャンスとも言(い)えるが、無理(むり)に介入(かいにゅう)してはならぬ。呉は信義(しんぎ)を守(まも)りつつ、魏の内乱(ないらん)を静(しず)かに見守(みまも)るのが賢明(けんめい)だ。」

 丁奉は陸抗(りく・こう)を見据(みす)えた。

「無理(むり)に動(うご)けば、司馬昭(しば・しょう)に討(う)たれる恐(おそ)れがある。だが、内部(ないぶ)から崩(くず)れ始(はじ)めた時(とき)こそ、勝負(しょうぶ)をかける時(とき)だと見極(みきわ)めねばならない。」

「つまり、魏(ぎ)が内部(ないぶ)で争(あらそ)っている間(あいだ)は、我(わ)らはその隙(すき)を狙(ねら)うべき、ということですね。」

「その通(とお)りだ、陸抗(りく・こう)。常(つね)に目(め)を鋭(するど)くしておけ。」

 陸抗は静(しず)かに頷(うなず)いた。

「ありがとうございます、将軍(しょうぐん)。私(わたし)もさらに考(かんが)えを深(ふか)めます。」

「戦(いくさ)は一度(いちど)始(はじ)まれば全(すべ)てを巻(ま)き込(こ)む。お前(まえ)の持(も)ち場(ば)で見極(みきわ)めを誤(あやま)るな。」

 丁奉の目(め)には一瞬(いっしゅん)、戦場(せんじょう)の光景(こうけい)が浮(う)かんだようだった。戦(いくさ)の匂(にお)いが辺(あた)りを支配(しはい)している。

「では、これで失礼(しつれい)します。」

 陸抗(りく・こう)が立(た)ち上(あ)がると、丁奉は静(しず)かに酒(さけ)を注(そそ)ぎ、二人(ふたり)の会話(かいわ)は呉(ご)の未来(みらい)を決(き)める重要(じゅうよう)な指針(ししん)となった。

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