↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
58/64

呉視点三国志:陸抗の章①

◯226年:黄武(こうぶ)五年

 長江(ちょうこう)のほとりに、ひときわ澄んだ産声が響きました。生まれたのは、のちに呉(ご)の国を支える柱となる少年――陸抗(りくこう)です。

 その父は、呉の名将として知られ、数々の戦で大きな功績を挙げた重臣、陸遜(りくそん)。若い頃より孫権(そんけん)に仕え、やがて大都督として蜀や魏の軍を退けた名将です。そして母は、かつて「江東(こうとう)の虎」と呼ばれた英傑、孫策(そんさく)のご息女でありました。

 陸遜にとって、陸抗は次男ではありましたが、長兄の陸延(りくえん)が若くして亡くなったため、実質的な長男として育てられ、深い愛情が注がれました。

 幼い陸抗の心には、母や祖母から何度も繰り返し語られた言葉が、強く刻まれていきました。

「抗(こう)、忘れてはいけませんよ」――母は優しく諭しました。「あなたの父、陸遜は、我が国を守り抜いてこられたのです」

「抗(こう)、忘れてはいけませんよ」――祖母の大喬(だいきょう)は諭しました。「あなたの祖父にあたる孫策は、この呉の国をつくりあげたお方なのです。」

 しかしその言葉の奥には、重く沈んだ響きがありました。それは、孫策と陸遜の間に、かつて深い因縁があったからにほかなりません。

 実は、陸遜の父――すなわち陸抗の祖父である陸康(りくこう)は、かつて孫策の命によって処刑されていたのです。これは呉の歴史のなかでも特に知られる悲劇であり、両家の間に深い溝を残す出来事でした。

 しかし時を経て、孫策の弟であり呉の君主となった孫権は、その因縁を断ち切ろうとしました。陸遜の忠誠と才能を見込んで、己の兄の娘――を嫁がせたのです。この政略結婚によって、両家の絆は少しずつ修復され、呉の内部は安定へと向かっていきました。

 ある日、陸遜が幼い陸抗を膝に乗せ、書物を読み聞かせていました。陸抗は書面の一節を指さして、首をかしげます。

 「父上、この『仁義(じんぎ)』って、どういう意味なのですか?」

 陸遜は穏やかに微笑みながら答えました。

 「抗、『仁(じん)』とは人を思いやる心。そして『義(ぎ)』とは、正しい道を貫くことじゃ。人の上に立つ者には、この二つの心が何より大切なのだよ」

 幼いながらも、陸抗は父の言葉にまっすぐ耳を傾け、その意味を心に刻みました。家族の深い愛情と、血筋に連なる歴史の重さ――それらを背負いながら、陸抗は少しずつ、立派な若者へと成長していったのです。



◯237年:嘉禾(かか)6年

 揚州(ようしゅう)呉郡呉県(ごぐんごけん)。そこは豊かな江南(こうなん)の地で、水運が盛んであり、一年を通して温暖な気候に恵まれていました。この地に、後に呉(ご)の名将として知られる陸抗(りくこう)が誕生しました。

 陸抗の父は陸遜(りくそん)。呉を支えた名参謀であり、夷陵(いりょう)の戦いで蜀(しょく)の大軍を撃退したことで知られています。知略と胆力を兼ね備え、国政にも深く関わった重鎮です。母は温厚な人柄で、幼い陸抗を愛情深く育てました。

 幼いころの陸抗は、近所の子どもたちと連れ立って、日がな一日、川辺で遊んでいました。

「おい、抗(こう)!あっちに大きな魚が見えるぞ!」

 やんちゃな少年が声を上げます。陸抗はそれに笑顔で応じました。

「本当か!よし、捕まえに行こう!」

 彼らは水の中をバシャバシャと走り回り、小さな魚や蟹(かに)を追いかけます。ときには、船着場に停まっていた小舟にこっそり乗り込み、櫂(かい)を漕いで遊ぶこともありました。

「おい、危ないぞ!」

 年上の子が注意しても、彼らはへへっと笑ってごまかします。水面を吹き抜ける風は心地よく、太陽の光は川面にキラキラと反射していました。

 秋になると、村では毎年収穫祭が開かれました。

「抗(こう)、今日はお祭りだよ。早く支度をなさい」

 母の声に、陸抗は目を輝かせます。祭りの日は、美味しいものがたくさん食べられる特別な日でした。

 広場には色とりどりの旗が飾られ、笛や太鼓の音がにぎやかに鳴り響いています。人々は歌い、踊り、収穫の喜びを分かち合いました。陸抗は、焼き団子や飴細工(あめざいく)を頬張りながら、出店を一つひとつ見て回ります。

「ねえ、あれは何の踊り?」

 陸抗が尋ねると、そばにいた父・陸遜は微笑んで答えました。

「あれは、今年の豊作を神様に感謝する踊りだよ」

 陸抗は、人々の笑顔と活気あふれる祭りの雰囲気が大好きでした。

 夜になると、村の長老たちが集まって、古い物語や伝説を語ってくれます。

「昔々、この地には大きな龍(りゅう)が棲(す)んでおってな……」

 語り部の老人の声は抑揚に富み、子どもたちは目を丸くして聞き入りました。呉の建国神話や、勇ましい英雄たちの物語は、幼い陸抗の心を強く惹(ひ)きつけます。彼は、いつか自分も物語の中の英雄のような立派な人物になりたいと、心の中で夢を抱いていました。

 陸抗の家では、父の陸遜が厳しくも温かな教育を施していました。

「抗(こう)、人の上に立つ者は、常に礼儀(れいぎ)を大切にし、誠実でなければならぬ」

 陸遜は、儒教(じゅきょう)の教えを用いて、幼い息子に人の道を説きました。陸抗はその言葉に素直に耳を傾け、心に刻みました。

 また、武家の子として、陸抗は幼いころから武芸の稽古(けいこ)にも励みました。

「父上、今日の稽古は何ですか?」

「今日は弓(ゆみ)の稽古だ。的(まと)に向かって心を静めて射るのだ」

 父の指導のもと、陸抗は弓を構えて的に矢を放ちます。最初はなかなか当たりませんでしたが、繰り返し稽古を重ねるうちに、徐々に的を射抜けるようになっていきました。剣術(けんじゅつ)や馬術(ばじゅつ)も、父や家臣から熱心に学びました。

「なかなか筋が良いぞ、抗(こう)。だが、油断は禁物だ。武の道は、一朝一夕(いっちょういっせき)に極められるものではない」

 父の言葉を胸に、陸抗は日々、精進(しょうじん)を重ねました。

 書斎では、父が読む書物の傍らで、陸抗も本に親しんでいました。

「父上、この字は何と読むのですか?」

「これは『義(ぎ)』という字だ。人として守るべき正しい道という意味がある」

 父は文字の意味を丁寧に教え、歴史や兵法(へいほう)についても語ってくれました。陸抗は父の知識の深さに感心しながら、熱心に学びました。

 このようにして、陸抗は豊かな自然と人々の温もりに囲まれ、父の教えを受けながら、文と武の両面に励む少年時代を送ったのです。



◯244年(呉・赤烏7年)

 呉(ご)を代表(だいひょう)する名将(めいしょう)であり、内政(ないせい)にも手腕(しゅわん)を振(ふ)るった重臣(じゅうしん)、陸遜(りくそん)が、ついに国(くに)の最高官職(さいこうかんしょく)である丞相(じょうしょう)に任命(にんめい)されました。これは、先(さき)に亡(な)くなった顧雍(こよう)の後(あと)を継(つ)ぐものであり、長年(ながねん)にわたる忠誠(ちゅうせい)と優(すぐ)れた統治能力(とうちのうりょく)が正式(せいしき)に認(みと)められた瞬間(しゅんかん)でした。

 この知らせが陸家(りくけ)の屋敷(やしき)にもたらされると、家中(かちゅう)は歓喜(かんき)に包(つつ)まれました。

「父上(ちちうえ)、おめでとうございます!」

 そう声(こえ)を上(あ)げて駆(か)け寄(よ)ってきたのは、ちょうど二十歳(はたち)になったばかりの陸抗(りくこう)でした。陸抗(りくこう)は、名将(めいしょう)・陸遜(りくそん)の次男(じなん)で、幼(おさな)い頃(ころ)から学問(がくもん)と武芸(ぶげい)に励(はげ)み、父(ちち)に似(に)て聡明(そうめい)で、冷静沈着(れいせいちんちゃく)ながら芯(しん)の強(つよ)さを秘(ひ)めた青年(せいねん)です。

「抗(こう)、ありがとう」

 陸遜(りくそん)は、成長(せいちょう)した息子(むすこ)の姿(すがた)を見(み)つめながら、静(しず)かに笑(え)みを浮(う)かべました。温厚(おんこう)で誠実(せいじつ)、感情(かんじょう)に流(なが)されることのない性格(せいかく)で知(し)られる彼(かれ)は、これまで幾多(いくた)の戦乱(せんらん)と政争(せいそう)を乗(の)り越(こ)えて、呉(ご)の国政(こくせい)を支(ささ)えてきました。しかし、その胸(むね)の内(うち)には、ひとつの大(おお)きな懸念(けねん)が渦巻(うずま)いていました。それは、皇太子(こうたいし)・孫和(そんわ)とその弟(おとうと)・魯王(ろおう)孫覇(そんは)の間(あいだ)で激(はげ)しくなりつつある後継者争(こうけいしゃあらそ)いでした。

 翌年(よくねん)の西暦(せいれき)二四五年(にひゃくよんじゅうごねん)、赤烏(せきう)八年(はちねん)。陸遜(りくそん)の不安(ふあん)は、現実(げんじつ)となって現(あらわ)れました。陸遜(りくそん)は、正統(せいとう)な後継者(こうけいしゃ)と信(しん)じた皇太子(こうたいし)・孫和(そんわ)を支持(しじ)したことで、呉(ご)の君主(くんしゅ)・孫権(そんけん)の怒(いか)りを買(か)ってしまいます。激(はげ)しく責(せ)め立(た)てられ、心身(しんしん)を病(や)んだ末(すえ)に、陸遜(りくそん)は憤(いきどお)りの中(なか)でこの世(よ)を去(さ)ることとなったのです。

 突然(とつぜん)の訃報(ふほう)に、陸抗(りくこう)は茫然(ぼうぜん)と立(た)ち尽(つ)くしました。信(しん)じがたい現実(げんじつ)に、まるで全身(ぜんしん)の血(ち)が引(ひ)いていくような感覚(かんかく)に襲(おそ)われました。しかし、深(ふか)い悲(かな)しみの中(なか)でも、彼(かれ)はすぐに心(こころ)を決(き)めます。――父(ちち)の志(こころざし)を継(つ)ぎ、この呉(ご)の国(くに)を支(ささ)えていこう、と。

 陸抗(りくこう)は、父(ちち)が築(きず)き上(あ)げてきた人脈(じんみゃく)と、自身(じしん)が学(まな)び取(と)ってきた知恵(ちえ)と勇気(ゆうき)を活(い)かし、混乱(こんらん)した政局(せいきょく)の中(なか)で奔走(ほんそう)し始(はじ)めます。その姿(すがた)は、若者(わかもの)らしい熱意(ねつい)にあふれながらも、どこか落(お)ち着(つ)きがあり、時(とき)には大胆(だいたん)、時(とき)には慎重(しんちょう)という見事(みごと)なバランスを見(み)せていました。

 やがて彼(かれ)の存在(そんざい)は、周囲(しゅうい)からも一目(ひとめ)置(お)かれるようになります。困難(こんなん)な状況(じょうきょう)に直面(ちょくめん)しながらも、ひとつずつ丁寧(ていねい)に乗(の)り越(こ)えていく陸抗(りくこう)。その姿(すがた)は、やがて父(ちち)にも劣(おと)らぬ政治家(せいじか)としての資質(ししつ)を感(かん)じさせるものとなっていきました。

 彼(かれ)の未来(みらい)がどのような運命(うんめい)を辿(たど)るのかは、まだ誰(だれ)にも分(わ)かりません。しかし、その瞳(ひとみ)には、確(たし)かにこの国(くに)の未来(みらい)を担(にな)う者(もの)としての、まっすぐで揺(ゆ)るぎない光(ひかり)が宿(やど)っていたのです。



◯245年(呉・赤烏8年)

 西暦二四五年、呉(ご)の赤烏(せきう)八年のこと。若き武将・陸抗(りくこう)は、父・陸遜(りくそん)の遺体を故郷に葬るため、江陵(こうりょう)から本国へ戻る途中、都の建業(けんぎょう)に立ち寄った。陸抗(りくこう)は当時二十代前半で、礼儀正しく理知的な青年として知られ、父譲りの軍才をもって将来を嘱望(しょくぼう)されていました。

 父・陸遜(りくそん)は呉(ご)の名将として名を馳(は)せ、かつて蜀(しょく)の劉備(りゅうび)軍を夷陵(いりょう)の戦いで破った功績があります。しかし晩年は政敵との軋轢(あつれき)に苦しみ、心労の末に病没しました。彼の死には、孫権(そんけん)との信頼関係の破綻(はたん)が影を落としていました。孫権(そんけん)は呉(ご)の初代皇帝で、若くして兄・孫策(そんさく)の後を継ぎ、長年にわたり南方の国を治めた人物です。

 陸抗(りくこう)は、父の死に際し、当然ながら哀悼(あいとう)の意をもって迎えられると考えていた。ところが都に入るや否(いな)や、宮中から遣(つか)わされた使者が彼を呼び止め、思いもよらぬ言葉を告げました。

 「陸抗(りくこう)殿、君主よりの命令です。まずは父君・陸遜(りくそん)殿の行動に関する説明をお聞かせ願います。」

 唐突な詰問(きつもん)に、陸抗(りくこう)は一瞬、目を伏せました。だがすぐに顔を上げ、静かに応じました。

 「疑われるようなことは何もございません。私がここへ参じたのは、父の名誉を守るためでございます。」

 使者は訝(いぶか)しげに問い返します。

 「お前ひとりで、それを証明するというのか?」

 「はい。事実をもってお答えいたします。」

 その声に迷いはなかった。陸抗(りくこう)は父の潔白(けっぱく)を信じ、誠意をもって真実を明かす覚悟でいたのです。彼はまた、軍務だけでなく経学(けいがく)にも通じ、文武両道の士とされていました。

 「父は、呉(ご)のために心血を注(そそ)ぎました。その行動は、私が最もよく知っております。」

 使者は無言でうなずき、一通の文書を差し出しました。それは、かつて廷臣(ていしん)・楊竺(ようじく)によって提出された二十項目の告発状でした。内容は、陸遜(りくそん)の政務に対する様々な非難を列挙したものでした。

 陸抗(りくこう)はそれを受け取り、一つひとつに目を通した。やがて、落ち着いた口調で語り始めます。

 「第一項、父が軍を私利に用いたとありますが、それは北方の動静に備えての兵力の再配置であり、すべて公務によるものです。」

 彼の言葉は明快で、内容には史実や証言が裏づけされていました。陸抗(りくこう)は告発の各項目に対して、冷静かつ論理的に反駁(はんばく)していったのです。

 「第五項、父が上奏を怠ったという点については、病を押してまで政務にあたった記録がございます。むしろ過労で病を悪化させたほどです。」

 語気は次第に強まり、やがて彼の熱意は場を包みこみました。使者はただ静かに聞き入るばかりでした。

 「最後の項目です。父が不忠であったとありますが、それは事実無根です。彼は亡くなる直前まで、呉(ご)の未来を案じ、策を練っておりました。」

 その声には怒りよりも哀しみがこもっていました。父の人生を誇りとし、誤解されたまま終わることを許せなかったのです。

 使者はしばし沈黙したのち、小さくつぶやきました。

 「……確かに、お前の申すことに理がある。陸遜(りくそん)殿の真心が、今ようやく伝わった気がする。」

 この出来事はやがて孫権(そんけん)の耳にも届き、彼は長らく抱いていた誤解を解くに至りました。

 このとき、陸抗(りくこう)は父の名誉を取り戻すと同時に、己(おのれ)の誠実さと識見を天下に示しました。これ以降、彼は呉(ご)の中枢において重きをなす存在となり、やがては国を支える柱石(ちゅうせき)として成長していくのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。