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呉視点三国志:魯粛の章①

184年:中平ちゅうへい元年

 建安けんあんの世に先駆けること幾年、江東こうとうの地に一人の少年がおりました。名は魯粛ろしゅく。その父は早くに世を去り、彼は祖母の手ひとつで育てられたのです。

 魯粛ろしゅくの家は裕福な豪族でした。金もあれば田畑もあり、人手に困ることもない。しかし彼は、そうした生まれを少しも誇ることなく、困窮する民に惜しみなく財を施しました。

「お若いの、また米を十石じゅっこくも?」

「余っているものを惜しんだところで、何にもなりません。腹を空かせた人間の顔を見て、眠れるほど神経は太くありませんで」

 こうした彼のふるまいに、祖母は内心やきもきしていたものの、叱ることはありませんでした。むしろその志に、ひそかに涙していたのです。

 そして時は流れ、魯粛ろしゅくは成人しました。身の丈は高く、骨格はたくましく、目はまっすぐに物を射抜く光を宿していました。彼は読書を好み、兵法書を耽読たんどくするかたわら、自ら剣を執り、騎射きしゃを学びました。

「また私兵しへいを集めて山へ登ったとな?あの子は戦でも始めるつもりかのう」

「ほうっておけ。あれはな、魯家ろけに生まれた気違きちがいじゃ」

 村の長老ちょうろうたちは眉をひそめ、首を横に振ります。しかし魯粛ろしゅくは気にも留めず、仲間と共に軍陣ぐんじん訓練くんれんを繰り返していました。

「撃てぇい!てきじんを崩す前に、こちらが先手せんてを取るのです!」

「しかし殿との、これはりではございませんぞ」

「狩りでなければいくさの訓練でしょう?どうせなら、いのししよりも人のを読む方が楽しいのです」

 彼は人心じんしんを読む力にも長けておりました。地方ちほう名士めいしたちと親交しんこうを結び、徐々に有力者ゆうりょくしゃたちの間にその名が知られるようになります。

 やがて、乱世らんせいあらしが本格的に吹き荒れる中で、魯粛ろしゅく運命うんめいの人物――孫権そんけんと出会うことになるのです。その時、彼の中に育まれていた「士の節義しのせつぎ」と「乱世の大局観らんせいのたいきょくかん」が、歴史れきし歯車はぐるまを大きく動かすかぎとなることを、まだ誰も知らぬことでした。



194年:興平こうへい元年

 日差しの強い夏の朝、江東こうとうの大地にひとりの男が馬をけていました。すずしげな顔立ち、文武ぶんぶに秀でた若き官吏かんり――周瑜しゅうゆです。当時、彼は会稽郡かいけいぐん居巣県きょそうけん県長けんちょう任命にんめいされたばかりでした。

「ほう……これが魯家ろけやかたか。聞きしにまさる、立派な門構もんがまえですな」

 周瑜しゅうゆ手綱たづなを引き、そびえ立つ屋敷やしきを見上げました。門の前でひかえる家僕かぼくが、あわててなかけ込んでいきます。そのほうせに、すぐさまあらわれたのが、魯粛ろしゅく――名家めいけに生まれながら、私財しざいげてたみたすける異色いしょく若者わかものです。体躯たいくは堂々(どうどう)とし、眉目びもく精悍せいかん、しかし物腰ものごしおどろくほどやわらかでした。

「ようこそ、おしくださいました。遠路えんろはるばる、まこと恐縮きょうしゅくでございます」

「いやいや、こちらこそ。名士めいし魯粛殿ろしゅくどのにご挨拶あいさつせねばと、おもむいた次第しだいにございます」

 二人ふたりかるあたまい、邸内ていないへとすすみました。せきいた周瑜しゅうゆは、ややこえをひそめます。

「実は……不躾ぶしつながらお願いがございましてな。あたらたなにんいたはいいものの、配下はいかもの資金しきんも、ことごとくこころもとないありさまで……」

「ふむ、それはおこまりでしょうな」

「そこで、僭越せんえつながら資金しきん兵糧ひょうろう援助えんじょをお願いできればと。いや、無理むり承知しょうちたのみです。いまはただ、こころざしおなじくするものにすがるよりほかなく……」

 周瑜しゅうゆ言葉ことばに、魯粛ろしゅくは少しもためらいをせませんでした。すっとがると、庭先にわさき倉庫そうこしめします。

「あのくらには、こくちております。あちらも同様どうよういますぐに、半分はんぶん……いや、一倉ひとくらすべて、おちください」

「な、なんと……!」

 周瑜しゅうゆひらきました。そこまでものが、ほかにあろうか。礼儀れいぎをわきまえつつも、そのひとみはたしかにえていました。

「いずれ、ときましょう。とも大業たいぎょうが。私は、周瑜殿しゅうゆどのさいしんじております」

「……ありがたい。魯粛殿ろしゅくどの、いや、これはもはや“盟友めいゆう”として感謝かんしゃいたします」

 そのさかいに、ふたりの友情ゆうじょうは確かなものとなりました。周瑜しゅうゆ魯粛ろしゅく度量どりょうと先見のせんけんのめいを深く評価ひょうかし、魯粛ろしゅく周瑜しゅうゆ胆力たんりょく理想りそうこころせたのです。

 後年こうねん孫呉そんご命運めいうん背負せお参謀さんぼうとして、魯粛ろしゅく周瑜しゅうゆかたならべてゆくことになります。だがそのはじまりは、じつに静かで、まっすぐな信頼しんらい一手いってからでした。



200年:建安五年

 魯粛ろしゅくは、天にちかったこころざしむねめながら、うまっていた。東城とうじょうにんかれたいまかうさきはただ一つ――居巣きょそう周瑜しゅうゆでございます。

 魯粛ろしゅくは、わかより名望めいぼうたかく、ほどこしをおしまず、奇計きけいこの謀士ぼうしとして知られておりました。袁術えん・じゅつわれ東城県長とうじょうけんちょう拝命はいめいしたものの、しゅ驕慢きょうまん迷走めいそう失望しつぼうし、ついに離反りはん決意けついしたのでございます。

 このとき魯粛ろしゅくは、ただおのれ一人ひとりではなく、一族郎党いぞくろうとうくわえ、わか遊侠ゆうきょうたちをひきいて移動いどうしておりました。まるで一つの小国しょうこくうごくかのような一行いっこう陣容じんようでございます。

叔父上おじうえ周公瑾しゅう・こうきんは本当にわれらをれてくださるでしょうか」

 おい魯淑ろしゅく不安ふあんげに問いかけます。

「ふふ、ことわられたらそのときは、わたしさけ一樽いちだるでもかついでおどってみせるとしよう」

 魯粛ろしゅくほがらかにわらいました。その横顔よこがおには、くもりなき信念しんねんひかりがございます。

 しかし、長江ちょうこうわたろうとしたそのとき――役人やくにんたちがはばみました。

「このかわわたるには、しゅう許可きょかる。武装ぶそうしてとおるとは何事なにごとか!」

 役人やくにんこえかたく、けんえておりました。魯粛ろしゅくまゆ一つうごかさず、うまからゆるりとります。

「お役人やくにん。私は魯粛ろしゅくもうものです。いまかん大乱だいらんさいし、ただただしきつらぬこうとしております。いくさもとめるのではなく、ひとすくみちえらんだものが、ここにおります」

「だが、武装ぶそう集団しゅうだんなど――」

説得せっとくつうじぬなら、われ言葉ことばではなく、われやいばあかしてよう」

 そうって魯粛ろしゅく一歩いっぽまえます。背後はいご若者わかものたちは、かれ一声いっせいおうじてけんかまえました。空気くうきこおりついたようでございます。

 だが、役人やくにん一人ひとりがつぶやきます。

「……このもの、ただの郷士きょうしではない」

 そして、だれともなくみちひらけました。魯粛ろしゅくうなずくと、ゆっくりと渡船とせんあゆすすめました。

 こうして魯粛ろしゅくは、長江ちょうこう強引ごういんわたりきり、家族かぞく曲阿きょくあかせたのでございます。

「おぬしのこころざしふうってこえてきたわ」

 むかえた周瑜しゅうゆ第一声だいいっせいでございます。

「では、ふうるおかたは、どちらでございますかな?」

 魯粛ろしゅくわらいながらおうじました。二人ふたりあいだに、言葉ことば以上いじょう信頼しんらいはしった瞬間しゅんかんでございます。

 その魯粛ろしゅく孫策そんさくに目通り(めどおり)をたし、かれからも非凡ひぼんさいかれ、おもあつかされたのでございます。



200年:建安五年

 魯粛ろしゅくは、祖母おばあさまの死を迎えると、ひつぎを守って静かに東城とうじょうへ戻りました。陽光ようこうが差し込むなか、魯家ろけの屋敷にはこうけむりが漂い、白衣はくいまとった人々(ひとびと)がれつをなしていました。彼のかおは悲し(かな)しみに沈みながらも、どこか清らかでした。

「――おばあさま。あなたのおしえは、むねうちにずっと生きています」

 そうつぶやいた魯粛のこえは、ひとしずくのなみだれていました。

 そのおり、彼のもとに一通いっつう手紙てがみが届きました。筆跡ひっせきは鮮やかで、しゅ劉曄りゅう・よう――若き才士さいしにして、魯粛の親友しんゆうでした。

粛兄しゅくけい巣湖そうこ鄭宝てい・ほうというおとこが立て籠もっております。すで一万いちまんへいようし、英傑えいけつふうを吹かせておりますぞ。一度いちど、会ってみるのも一興いっきょうかと――」

 魯粛はほそめて手紙を読み、静かにふでを取りました。

ようよ。あなたの慧眼けいがんしんを置きます。だが、鄭宝には何か胡乱うろん気配けはいも感じます。まずはははを迎えに曲阿きょくあに戻り、そのあとかんがえましょう」

 彼の判断はんだん慎重しんちょうでした。しかし、事態じたいは思わぬ方向ほうこうに動いていたのです。

 既に孫策そん・さくやまいに倒れ、おとうと孫権そん・けんあとを継いでいました。そして、魯粛の母の身柄みがら周瑜しゅう・ゆによってうつされていたのです。

 魯粛はおどろき、すぐさま周瑜のもとに向かいました。

周公瑾しゅうこうきん! これはいかなる処置しょちですか?」

粛殿しゅくどの、驚くのは無理むりもない。しかし、いてくれ」

 周瑜はさけを注ぎながら、穏やかに語り出しました。

江南こうなんには天のうんがあります。孫仲謀そん・ちゅうぼう――孫権殿そんけんどのには王者おうじゃうつわがある。あなたのような人物じんぶつほかへ行くのはしい。粛殿しゅくどの、お母上おかあさまは私があずかっています。どうか、呉に残り(のこり)、我らと天下てんかを目指していただきたい」

 魯粛はさかずきを手に取り、静かに見つめました。

「……ふむ。では、まず一つ、わせていただきましょう。孫仲謀は、天下の乱れを収める器量きりょうがあると?」

「あるとも。粛殿しゅくどの、あなたが目を向ければ、その目が見抜みぬくだろう」

「その言葉ことば、信じても?」

「信じよ。いや、信じたまえ。きみがもし、ほかへ行けば、我が呉は確実かくじつ逸材いつざいを失う」

 盃が静かにされました。魯粛はゆっくりとうなずきました。

「ならば、仕官しかんいたします。周公瑾しゅうこうきん、あなたの説得せっとく見事みごとでしたな」

 そののち、魯粛は改めて孫権そんけんに仕官し、軍政ぐんせいに関わることとなります。

 ちなみに――この騒動そうどううらで、劉曄りゅう・よう独自どくじ鄭宝てい・ほう正体しょうたいを見抜いていました。

粛兄しゅくけいことうとおり。やつみだれいんですな」

 そう言って鄭宝を酒宴しゅえんまねき、酔ったところを一刀いっとうのもとにり伏せたといいます。静かなる魯粛と、豪胆ごうたんなる劉曄りゅうよう――若き日の逸話いつわは、江東こうとうの風とともに語り継がれていくのです。



200年:建安五年

 魯粛ろしゅくは、若き日の孫権そんけんにとって、稲妻いなずまのように鮮烈せんれつな人物でございました。

 初めての謁見えっけんの場。荘厳そうごん広間ひろまに、温厚おんこう面持おももちのおとこが、背筋せすじを伸ばして進み出ます。名は魯粛ろしゅく。かつての名家めいけでありながら、戦乱せんらん没落ぼつらくしたいえを支えながら、慧眼けいがん胆力たんりょくを併せ持つと評判ひょうばん若者わかものです。年は二十代半ば。身なりは質素しっそながら、眼光がんこうくもりはなく、声音こわねもまた落ち着き払っていました。

 孫権そんけんは、そのひととなりをひと目見て気に入りました。他のきゃくが帰った後も彼だけを引き留め、やがて酒宴しゅえんとなります。

「よい。みなは下がれ。――魯粛ろしゅく、そなたは、どう見ておる。天下てんかの行くゆくすえを」

 さかずきを交わしながら、孫権そんけんが問います。そのこえには、ただの若君わかぎみ以上いじょうのものがありました。重圧じゅうあつのなかで鍛えられた、苦悩くのう決意けついの入り混じった声音こわねです。

「お答えいたします、将軍しょうぐんかん復興ふっこうするともうものは多くございましょう。しかし、それはもはや、理想論りそうろんに過ぎませぬ。曹操そうそう殿でん剛腕ごうわん簡単かんたんに取り除けるような相手あいてではございません」

「ふむ……続けよ」

「ならば将軍しょうぐんにおかれては、江東こうとう盤石ばんじゃくとし、天下てんかへんをじっくりと見極め(みきわめ)られるのが肝要かんようかと。具体的ぐたいてきには、曹操そうそう殿でん北方ほっぽううれいにかかずらっておられるうちに、黄祖こうそ劉表りゅうひょうを討ち(たおち)、長江ちょうこうを制するのです。そのあとにこそ、帝王ていおうの名乗り(なのり)がふさわしゅうございましょう」

 沈黙ちんもく孫権そんけんはじっとさかずきを見つめ、ひと呼吸ひといきおいて言いました。

「……なるほど。にはかなっておるな。されど今は、わたしがまだ未熟みじゅくゆえ、地方ちほう安定あんていに追われておる。漢室かんしつをお救い(すくい)できればとねがうばかりで、そなたの申すような大業たいぎょうには、今はが届かぬ」

 その声音こわねに、虚勢きょせいはありませんでした。魯粛ろしゅくは深くあたまを下げました。

将軍しょうぐんのおこころざし、しかとうけたまわりました。ならば、今後こんごのためにそなえを怠りませぬよう、微力びりょくを尽くす所存しょぞんにございます」

 孫権そんけんは笑いました。

「良きかな。よき人材じんざいを得たわ!」

 そのよる、ふたりは酌み交わしながら、ほし行方ゆくえを語り合った(かたりあった)と申します。

 ところが、この魯粛ろしゅく進言しんげんは、重臣ちょうしん張昭ちょうしょうには受け入れられませんでした。張昭ちょうしょうは、かつて孫権そんけんちち孫策そんさくにも仕えた(つかえた)謹厳実直きんげんじっちょく文官ぶんかんであり、儒家じゅかてき忠義ちゅうぎを重んじる人物じんぶつです。若輩者じゃくはいものが「帝王ていおう」などと軽々(けいけい)しくくちにすることが我慢がまんなりません。

「――非礼ひれいである!ぶんをわきまえぬ若造わかぞうが、なにもうすか!」

 何度なんど魯粛ろしゅく面前めんぜんで咎め(とがめ)、厳しく非難ひなんしました。しかし、孫権そんけんに介しませんでした。むしろますます魯粛ろしゅく重用ちょうようし、その意見いけんを取り入れました。

張公ちょうこう、そなたのお考え(おかんがえ)もとうとい。しかしわたしは、若者わかもの胆識たんしきもまた、くにを導く(みちびく)灯火ともしびと見ておるのだ」

 こうして魯粛ろしゅくは、孫権そんけん傍近そばちかくに仕えることになります。その処遇しょぐうあつく、没落ぼつらくしていたかれいえも、往年おうねんのような豊かな暮ら(くら)しに戻りました。年老いた(としおいた)ははは、かつての資産家しさんけ時代じだいと変わらぬ静謐せいひつな日々を送れたと伝えられております。

 もっとも、魯粛ろしゅく進言しんげんのすべてが実現じつげんしたわけではありません。曹操そうそう北方ほっぽう注力ちゅうりょくしていたあいだに、黄祖こうそ劉表りゅうひょうつ――という目標もくひょうは、様々な事情じじょうで果たされませんでした。

 されど、このおとこ胆識たんしきは、のち赤壁せきへきにおいて、大いなるともすことになります。それはまた、べつ物語ものがたりでございます。



208年:建安けんあん十三年

 荊州けいしゅうの主、劉表りゅうひょうが病没し、天下は再び波立ち始めました。

 その報を聞いたのは、江東こうとうの都・においてでございました。魯粛ろしゅく――あざな子敬しけい。温厚にして沈着、先見の明に長けた智将です。孫権そんけん配下にあって、知略で一目置かれる人物でございます。

「将軍。いまこそ動く時と存じます」

 彼は静かに口を開きました。

劉表殿りゅうひょうどのの死により、荊州は動揺しております。もし曹操そうそう殿どのが兵を起こせば、たちまち飲み込まれましょう。ならば、我らが先手を打って動向を探り、策を立てるべきにございます」

「なるほど。して、誰を行かせるか?」

 孫権が問うと、魯粛はきっぱりと頭を下げました。

「この魯粛ろしゅく弔問ちょうもんの使者となりましょう」

 孫権は頷きました。人となりを知り、重く用いていたからでございます。

 魯粛は直ちに出立しました。進路を急ぎ、夏口かこうに着いたとき、既に曹操そうそうが大軍を率いて荊州征伐けいしゅうせいばつに動いたことを知ります。彼は迷わず南郡なんぐんへと進路を変えました。

 そこで知ったのは、衝撃しょうげきの報せでした。

劉琮りゅうそう……曹操殿そうそうどのに降った、だと?」

「そればかりか、劉備りゅうび殿どの敗走はいそうされ、江夏こうかを目指しておられると」

 魯粛はその報に、黙して頷きました。そして即断そくだんします。

「ならば、迎えに行く。今こそ、同盟どうめいを――」

 彼は馬にまたがり、ふうの如く当陽とうようへ向かいました。長坂ちょうはんの地にて、ついに劉備りゅうび対面たいめんを果たします。

「おお、あなたがうわさ魯粛殿ろしゅくどのか。風聞ふうぶんに違わぬ胆識たんしき

 劉備りゅうびは驚きとともに迎えました。魯粛は丁重ていちょう拝礼はいれいし、そして切り出します。

「いま、天下てんか潮目しおめが変わろうとしております。曹操殿そうそうどの南下なんかを阻むには、我らの協力きょうりょく不可欠ふかけつにございます。孫将軍そんしょうぐんも、貴殿きでんとの同盟どうめいを望んでおられます」

「それは、実にありがたい」

 さらに、諸葛亮しょかつりょうとも語らい、深き信頼しんらいを得ました。

孫家そんけ劉家りゅうけが手を結ぶ……これぞてんことわり

 やがて劉備りゅうび夏口かこうに着くと、魯粛は復命ふくめいのため孫権そんけんのもとへ戻ることとなりました。その際、劉備りゅうび諸葛亮しょかつりょう同行どうこうさせ、孫権そんけんとの折衝せっしょうに備えさせたのです。

 その頃、孫権そんけん周囲しゅういきでは、曹操そうそう降伏こうふくすべきとのこえが高まっておりました。魯粛ろしゅくは黙して語らず、時機じきを待っておりました。

 ある日。孫権そんけんかわやに立ったすきを見て、魯粛ろしゅくはひそかにあとを追いました。

「……子敬しけい。そなた、何を思っておる」

将軍しょうぐん曹操殿そうそうどのに降ること、それは私には生き延びるみちでございましょう。しかし、将軍しょうぐんにおかれては――おそらく、身の置きおきどころはないやもしれませぬ」

 孫権そんけんが細められました。

「つまり、降伏こうふくには……がないと?」

「はい。将軍しょうぐんとく曹操そうそうかさもとでは、かえってかすんでしまいます。いまこそ、はたを掲げて自立じりつみちを選ぶべきにございます」

 しばし沈黙ちんもく。やがて、孫権そんけんはぽつりと漏らしました。

「……実は、わたしも同じ考えであったのだ」

 魯粛ろしゅくは静かにあたまを下げました。孫権そんけん微笑ほほえみ、言いました。

「そなた、まさにてんつかわした使いよ」

 ことここに至り、孫権そんけん決断けつだんいたします。魯粛ろしゅく進言しんげんにより、かれ鄱陽はようにいた周瑜しゅうゆ召還しょうかんし、ぐん指揮しきを任せます。魯粛ろしゅく賛軍校尉さんぐんこういに任じられ、ぐん補佐ほさする立場たちばとなりました。

 やがて赤壁せきへきいくさ東南とうなんふうに乗り、周瑜しゅうゆの火攻めが曹操そうそうを焼き払います。よるを焦がすほのおのなか、敵陣てきじん混乱こんらんし、曹操そうそう敗走はいそうしました。

 魯粛ろしゅくだれよりも早く、いくさを立って帰還きかんいたします。

 孫権そんけんは、全軍ぜんぐんをもってかれを出迎えました。魯粛ろしゅくじんに入ろうとすると、孫権そんけん自ら立ち上がり、深々(ふかぶか)と敬礼けいれいいたしました。

子敬しけいよ。もしわたしが、くらにして下馬げばし、そなたを出迎えたならば、それで充分じゅうぶんにそなたを顕彰けんしょうしたことになろうか?」

 魯粛ろしゅくは、にやりと微笑ほほえみ、答えました。

「さすれば、次のいくさでも必ずや、わたしが行くべきでございましょう」

 孫権そんけんは、大いに笑いながらうなずきました。

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