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呉視点三国志:周瑜の章⑧

210年:建安(けんあん)十五年

 赤壁(せきへき)の戦いが終わり、呉(ご)は大きな勝利を収め、その名を天下に轟かせた。しかし、周瑜(しゅうゆ)の心はすでに次の戦に向けて動き出していた。戦略家としての名声を誇る彼にとって、赤壁の戦いはあくまで通過点に過ぎなかった。さらなる大きな目標が彼を待ち受けていたのだ。

 「周将軍(しゅうしょうぐん)、次の戦は如何(いかん)いたしますか?」

 魯粛(ろしゅく)は、地図(ちず)の前に座り、周瑜に問いかけた。その声には、次の大きな戦いを控えた緊張感(きんちょうかん)が漂っていた。

 周瑜はじっと地図を見つめながら、しばらく黙(だま)っていた。彼の目は、すでに次なる戦局(せんきょく)を見越(みこ)している。荊州(けいしゅう)の支配(しはい)は、呉にとって大きな意味を持つ。この地を制することで、北方(ほっぽう)の曹操(そうそう)に対抗(たいこう)する力をつけることができる。

 「曹操(そうそう)の力を削(そ)ぐには、まず荊州を制することが必要(ひつよう)だ。」

 周瑜は、地図の上で指(ゆび)を走らせながら言った。

 「荊州の領土(りょうど)は広大(こうだい)で、そして強固(きょうこ)です。」

 魯粛は冷静(れいせい)に答える。

 「早急(そうきゅう)に動く必要(ひつよう)がありますが、慎重(しんちょう)に進めねばならないでしょう。」

 周瑜は、地図をしばらく見つめた後、深い息(いき)をついた。

 「急ぐべきは戦略(せんりゃく)だ。だが、時間(じかん)を無駄(むだ)にするわけにはいかん。」彼の目は鋭(するど)く、まるで先を見越すような光(ひかり)を放(はな)っていた。

 「この戦に勝(か)つためには、次の手(て)をどうするかが肝心(かんじん)だ。」

 その言葉(ことば)に、魯粛は少しの間(あいだ)黙(だま)った後、ゆっくりと答えた。

 「周将軍(しゅうしょうぐん)、しかし、私が懸念(けねん)しているのは――」

 「傷(きず)だ。」

 周瑜は自分の体(からだ)を指し示(しめ)し、言葉(ことば)を続けた。

 「荊州で受けた矢傷(やきず)が、なかなか回復(かいふく)しない。」

 傷口(きずぐち)は確かにひどく化膿(かのう)していた。戦(いくさ)の後(あと)の疲(つか)れと、慢性(まんせい)的な痛(いた)みが彼の体に重(おも)くのしかかっていた。それでも、周瑜は戦(いくさ)に臨(のぞ)む覚悟(かくご)を決めている。

 「私がこのまま戦場(せんじょう)に立(た)てば、足(あし)を引っ張(ひっぱ)ることになるかもしれん。」

 周瑜は無理に笑(わら)みを浮(う)かべながら言った。しかしその表情(ひょうじょう)は、どこか引(ひ)きつっているように見えた。

 その瞬間(しゅんかん)、静(しず)かな足音(あしおと)が部屋に響(ひび)いた。小喬(しょうきょう)がそっと部屋に入ってきた。彼女の目(め)には、周瑜の様子(ようす)を心配(しんぱい)する気持(きも)ちが色濃(いろこ)く浮(う)かんでいた。小喬は、周瑜の傷を見つけると、わずかに顔(かお)を曇(くも)らせ、何(なに)も言わずに近(ちか)づいてきた。

 「周瑜様(しゅうゆさま)…また傷を深(ふか)めていらっしゃるのですね。」

 小喬は、涙(なみだ)をこらえながら静(しず)かに言った。「こんなに無理(むり)をして、どうなさるおつもりですか?」

 周瑜は少し驚(おどろ)いた顔をして、彼女を見つめた。

 「小喬(しょうきょう)…心配(しんぱい)はいらん。」

 彼は、できるだけ穏(おだ)やかな声(こえ)で答えようとした。

 「戦の一部(いちぶ)だ。命(いのち)を賭(か)けるのが武将(ぶしょう)の務めだ。」

 だが、何(なに)も言わずにただ見守(みまも)る小喬の顔を見ていると、周瑜の心は揺(ゆ)れ動(うご)く。どれだけ自分が戦(いくさ)に駆(か)り立(た)てられ、勝利(しょうり)を目指(めざ)して突(つ)き進んでいても、目(め)の前にいる小喬の優(やさ)しさ、そして彼女の涙には、どうしても抗(あらが)えないものがあった。

 「私が無理(むり)をすれば、みんなに迷惑(めいわく)がかかる。」

 周瑜は心の中(なか)で呟(つぶや)いたが、その言葉(ことば)を口(くち)にすることはできなかった。代(か)わりに、静(しず)かに手を差し出して、小喬に握(にぎ)らせる。

 小喬は、その手をしっかりと握(にぎ)り返(かえ)し、言葉(ことば)をかける。

 「お願いです、周瑜様(しゅうゆさま)。無理(むり)をしないでください。あなたが無事(ぶじ)でいてくださることが、私にとって一番大切(たいせつ)なことなのです。」

 その言葉に、周瑜はしばらく無言(むごん)で沈黙(ちんもく)していた。だが、次第(しだい)に心の中に新(あたら)たな決意(けつい)が湧(わ)き上がってきた。彼は深い息(いき)をつき、ゆっくりと立(た)ち上がる。

 「ありがとう、小喬(しょうきょう)。お前(まえ)の言葉(ことば)が、今の私を支(ささ)えてくれる。」

 小喬は、静(しず)かに微笑(ほほえ)んで見上(みあ)げた。周瑜の中で何(なに)かが変(か)わったような気(き)がした。戦の先(さき)には未(いま)だ見(み)えぬ闇(やみ)が広(ひろ)がっているが、彼の胸(むね)には確(たし)かたる覚悟(かくご)が宿(やど)っていた。そして、何(なに)よりも、彼には支えてくれる者(もの)がいる。彼は再(ふたた)び前(まえ)を向(む)き、未来(みらい)を信(しん)じて戦い続けることを誓(ちか)った。



210年:建安(けんあん)十五年

 冷たい風が南郡(なんぐん)の城壁をなでる夜でした。月が冴え冴えと照り、その光は、周瑜(しゅうゆ)の病床をも淡く包んでいました。

 周瑜(しゅうゆ)は静かに目を閉じていました。額には冷や汗。胸の奥では、かつて赤壁(せきへき)で舞った炎の記憶が、未だ熱を帯びて燃え残っていたのです。

「……我が策(さく)は、まだ尽きてはおらぬ……いや、尽きてはならぬのだ」

 枕元には、小喬(しょうきょう)が座っていました。その目は、涙をこらえるように揺れております。

「あなた、もう、戦のことは……」

 小喬(しょうきょう)の声は震えていました。けれど、周瑜(しゅうゆ)は微笑みました。

「小喬(しょうきょう)……戦が終わらねば、天下は得られぬ。孫家(そんけ)の夢も……伯符(はくふ)の魂も、浮かばれぬのだ」

「でも、あなたの命を削ってまで……それが兄上(あにうえ)の願いだったと……思えません」

 そのとき、外から風を切るように軍靴の音が近づいてきました。部屋に入ってきたのは魯粛(ろしゅく)でした。

「都督(ととく)! 申し訳ありません、襄陽(じょうよう)への進軍計画について……やはり策を練り直すべきかと……」

「魯粛(ろしゅく)、なぜ貴殿(きでん)は……その眉間(びけん)の皺(しわ)をいつも深く刻むのだ。まるで天下を背負っているのは、そなたであるかのようだな」

 周瑜(しゅうゆ)は冗談めかして笑いました。魯粛(ろしゅく)は、いつものように苦笑いで返します。

「都督(ととく)こそ、その病床(びょうしょう)から天下を操ろうというお方では?」

「ふむ、病がこれほど厄介とは……。戦場(せんじょう)の矢(や)より、はるかに手強い」

 周瑜(しゅうゆ)の胸には、かつて荊州(けいしゅう)の戦(いくさ)で受けた矢傷(やきず)がまだ痛みを残しておりました。夜毎(よごと)に疼き、身体(からだ)を焼き尽くさんばかりの熱をもたらしていたのです。

「都督(ととく)、もう無理はなさらぬよう……」

「無理をせねば、天下は取れぬ。我が兄(あに)、孫策(そんさく)殿(どの)も、命(いのち)を賭してそれを証明(しょうめい)した」

 その名(な)を口にした途端(とたん)、周瑜(しゅうゆ)の表情(ひょうじょう)がわずかに変わりました。懐かしさ(なつかしさ)と、悔い(くい)と、誇り(ほこり)が入り混じるその面差し(おももち)に、小喬(しょうきょう)はまた涙をこらえきれませんでした。

「策(さく)よ……今なお、貴殿(きでん)の声(こえ)が我(わが)耳(みみ)に響く……。なぜ、そなたはあのとき……」

 夜(よ)が更けていきます。蝋燭(ろうそく)の灯(あかり)が揺れ、小喬(しょうきょう)がそっと手(て)を握ると、周瑜(しゅうゆ)はかすかに頷きました。

「我(わ)が命(いのち)尽きようとも……我(わ)が策(さく)は、尽きぬ……孫家(そんけ)の旗(はた)は……決して、倒れぬ……」

 そのまま、彼(かれ)は深い眠り(ねむり)に落ちるように静かに息(いき)を引き取(と)りました。

 建安(けんあん)二十三年(にじゅうさんねん)、周瑜(しゅうゆ)、享年(きょうねん)三十六(さんじゅうろく)――。

 その知らせは、呉(ご)の地(ち)を駆け巡(めぐ)りました。城門(じょうもん)に半旗(はんき)が掲げられ、兵(へい)たちは黙(だま)して膝(ひざ)をつきました。武将(ぶしょう)たちは誰(だれ)もがその死(し)を惜(おし)み、涙(なみだ)を流(なが)しました。

 孫権(そんけん)は、しばらく言葉(ことば)を失(うしな)いました。彼(かれ)はかつての友(とも)にして、戦友(せんゆ)であり、義兄(ぎけい)のようでもあった男(おとこ)を、ついに失(うしな)ったのです。

「周瑜(しゅうゆ)……そなたの智(ち)と勇(ゆう)は、呉(ご)の礎(いしずえ)となった。これよりは……我(わ)が道(みち)、独り歩(あゆ)むぞ」

 その後(そのご)、呉(ご)の政(まつりごと)は混乱(こんらん)を極(きわ)めました。けれど、周瑜(しゅうゆ)の遺(い)した戦略(せんりゃく)と精神(せいしん)は、魯粛(ろしゅく)や呂蒙(りょもう)、黄蓋(こうがい)といった後(あと)の武将(ぶしょう)たちに確(たし)かに受け継がれていきます。

 風(かぜ)がまた吹(ふ)きました。周瑜(しゅうゆ)が見上(みあ)げたあの月(つき)は、今も呉(ご)の空(そら)に変(か)わらず浮(う)かんでいるのです。



210年:建安(けんあん)十五年

 雨の降る朝でした。空は墨を流したように曇っております。江東(こうとう)の地に、一人の英雄を悼む人々の慟哭(どうこく)が響きました。

 周瑜(しゅうゆ)。若き名将。呉(ご)の柱とも言えるその男が、わずか三十六年の生涯を閉じたのです。

 棺は厳かに堂内に安置され、香が焚かれております。しんと静まった空気の中、まず孫権(そんけん)が、ひときわ重い足取りで祭壇に進みました。

「……兄(あに)も、きっと悔しがっておるだろう」

 孫権(そんけん)は香を捧げると、しばらく何も言わず棺に手を触れました。そしてぽつりと呟きます。

「周瑜(しゅうゆ)がいれば、天下など、あっという間に手に入ったのにな」

 その顔には、盟友を失った主君の、深い痛みがにじんでおりました。

「殿(との)、泣いてはなりません。あの人なら、笑って旅立っておりますよ」

 そう語ったのは、小喬(しょうきょう)です。喪服に身を包みながらも、その目は潤(うる)んでおりました。

「でも……最後まで、剣を手放しませんでした。熱に浮かされながらも、地図を見て、作戦を立てて……。本当に、どうしてこんなに急ぐのですかと、何度言っても……」

「孫策(そんさく)兄者(あにじゃ)の遺志(いし)を叶えようとしたのだ。」

 静かに、魯粛(ろしゅく)が進み出ます。

「私は、あの方に憧れておりました。理想も、誇りも、すべて背負って戦場に立つ姿……まるで龍神(りゅうじん)のようでした」

 魯粛(ろしゅく)は震える声を抑え、深く一礼しました。

「私はその遺志(いし)を継ぎます。必ず、蜀(しょく)とも魏(ぎ)とも渡り合ってみせましょう」

「そのセリフ。私にも言わせて下さい」

 そう口を挟んだのは、呂蒙(りょもう)でした。どこか拗ねたように腕を組みながら、呟きます。

「いつか。公瑾(こうきん)様(さま)のような将(しょう)となりたいです」

「おい、呂蒙(りょもう)。思い上がるな。お主(おぬし)はワシと同じ脳筋(のうきん)だろうが」

 たしなめたのは黄蓋(こうがい)でした。老将(ろうしょう)の面差しは厳しく、しかし声はどこか優しげです。

「……赤壁(せきへき)の戦いの折(おり)はヤツの機転(きてん)に救われた。程普(ていふ)のヤツが大根役者(だいこんやくしゃ)だったからのう」

「言い過ぎだぞ!大根(だいこん)に失礼だろう!」

 その声に、誰もが一瞬、静まりかえります。振り返れば、そこには程普(ていふ)……ではなく、韓当(かんとう)の姿(すがた)がありました。

 彼もまた、涙を堪えながら進み出ます。

「赤壁(せきへき)での公瑾(こうきん)殿(との)の軍略(ぐんりゃく)は完璧(かんぺき)だった。お主(おぬし)が便所(べんじょ)で死にかけたのも策略(さくりゃく)の一つだろう」

 そう言って、拳(こぶし)をぎゅっと握ります。

「……でも、我が祖国(そこく)を守ったのは紛れもなく公瑾(こうきん)殿(との)だ」

 誰もがうなずきました。華やかで、聡明(そうめい)で、果断(かだん)。あれほどの男(おとこ)はもう現(あらわ)れないかもしれません。

 堂内(どうない)には再び沈黙(ちんもく)が訪れました。棺の傍(かたわ)ら、小喬(しょうきょう)がそっと跪(ひざまづ)きます。指先(ゆびさき)で、彼の遺品(いひん)の剣(けん)を撫でながら、微笑(ほほえ)みました。

「アナタ……いつか、また赤壁(せきへき)の風(かぜ)の中で、会いましょう」

 その言葉に、風(かぜ)がひときわ強く吹き抜けました。まるで、亡き英雄(えいゆう)が「先に行っているぞ」と言っているかのように。

 周瑜(しゅうゆ)の葬儀(そうぎ)は、静かに、しかし熱く、人々の心に刻まれていきました。



210年:建安(けんあん)十五年

 呉(ご)の名将・周瑜(しゅうゆ)は、赤壁(せきへき)の勝利を経てさらなる飛躍を目指していました。彼が構想したのは、「天下二分の計(けい)」と呼ばれる大胆な戦略です。これは、北を曹操(そうそう)が、南を呉が治めることで、天下を東西に二分しようというものでした。そのために周瑜は、荊州(けいしゅう)と益州(えきしゅう)を手中に収めることを目指していたのです。

 周瑜がまず着手しようとしたのは、劉備(りゅうび)を荊州から追い出すことでした。赤壁の戦後、劉備は荊州南部の四郡(長沙(ちょうさ)・零陵(れいりょう)・桂陽(けいよう)・武陵(ぶりょう))を手に入れていましたが、周瑜はこれを「呉の戦果」と見なしており、返還すべきだと考えていました。これを実現すれば、荊州全体を呉が掌握することになります。

 次に周瑜は、益州、つまり、蜀(しょく)への遠征を計画しました。当時、益州は劉璋(りゅうしょう)が治めていましたが、その政治は乱れており、周瑜は「今こそ攻め時」と見ていたのです。彼は軍を率いて巴(は)・蜀を制圧し、長江(ちょうこう)流域を完全に呉の支配下に置こうとしました。これは、南方に盤石(ばんじゃく)の領土を築き、曹操と対等の立場に立つという壮大な計画でした。

 周瑜は、ただの将軍ではなく、戦略家でもありました。彼は孫権(そんけん)を「南の王」として立て、北の曹操と均衡を保つ政治体制を築こうとしていたのです。しかし、この野望は叶いませんでした。遠征の準備中、周瑜は巴丘(はきゅう)で病に倒れ、36歳という若さで世を去ります。

 もし周瑜が存命で益州を攻略していれば、呉の領土は大幅に拡大し、三国の力関係は大きく変わっていたことでしょう。「天下二分の計」は、実現しなかったがゆえに、歴史のもしもを語る上で今も多くの関心を集めています。

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