呉視点三国志:孫策の章⑪
200年:建安五年
孫策は、戦を控えて自らの戦略を練り、またその合間に息抜きとして狩りに出かけることがよくありました。この日は長江のほとり、風光明媚な地で、彼と数名の部下たちは狩りに興じていました。
だが、運命はそのとき、彼に無情な刃を向けるのです。突然、草むらから現れた一団の刺客たちに襲われました。
「何だ!?誰だ!?」
孫策は気配を感じ取ると、すぐに抜刀して防ごうとしました。しかし、暗闇からの一撃は予想外でした。刺客の狙いはまさしく孫策そのものであり、彼は深手を負いました。
「うっ…」
息を呑むような痛みが走り、彼は足元をよろけながら、倒れ込みました。
「兄上!」
そのとき、彼の部下たちが駆けつけ、すぐに孫策を救うべく、手当を施しました。だが、すでに傷は深く、すぐに治療が施されるものの、彼はどうにも意識を戻すことができませんでした。
すぐに孫権に報告が届きました。彼は慌ててその場へ向かいましたが、到着した時には孫策はすでに命の火をほとんど失っていたのです。
「兄上…」
孫権は涙を堪えきれず、孫策の手を取りました。その痛みを感じ取った孫策は、かすれた声で言いました。
「弟よ、すまぬ…」
そして孫策は、亡くなる間際に彼の最も信頼していた家臣たちに遺言を残しました。
「周瑜、内政と外交を任せる。お前の才能は、呉の未来に必要だ。」
周瑜は、孫策の信頼を背負うことになり、その後、呉の内政と外交を取り仕切り、孫策の意思を継いでいきました。
「張昭、頼む。お前が孫権を支えることが、この国の安定につながる。」
張昭は、孫策の言葉を胸に刻み、孫権の後見役として、その後、呉の政治全般を監督しました。
そして最後に孫策は、自身が成し遂げ(なしとげ)られなかった天下統一の志を孫権に託しました。
「孫権よ、内事は張昭に、外事は周瑜に任せよ。お前が彼らを信じ、彼らの力を活かすことが、呉を治める道だ。」
その言葉を最後に、孫策の命は尽きました。
孫権は、悲しみの中でその死を受け入れ、弟としての責務を胸に刻みました。
その後、孫策の遺志を受け継いだ孫権は、周瑜や張昭と共に呉を支え、天下統一への道を歩んでいくのでした。
200年:建安五年
程普は、重い足取りで孫策の遺体の前に膝をつきました。その表情は、何もかも失ったような無力感で満ちていました。
「文台様に続いて、伯符様も…なんという事だ。なぜ天はこの老骨の命を生かして我が主君の命を奪うのだ。理不尽すぎる」
と、程普は声を絞り出しました。
涙がこぼれ、程普は肩を震わせました。周囲の者たちはその場に静まり返り、ただ無言で見守るしかありませんでした。
「程普、お前が泣くな。悲しいのはご遺族方の方だろうが」と、黄蓋は肩を叩きましたが、その声にもどこか震えが含まれていました。「伯符様は、貴様の辛気臭い顔なぞ見ても喜ばんぞ。むしろ皆が前を向いて進むことを望むだろうに」
「しかし、あまりにも早すぎる…」
黄蓋は無言で首を振り、その視線はどこか遠くを見つめていました。彼もまた、孫策の死に言葉を失っていたのです。
韓当は、一歩前に進み、怒りの表情を浮かべて言いました。
「伯符様は、戦場で何度も命を懸けて戦い抜き、我々に勝利をもたらした。無敗の将だった。しかし、こんな形で倒れるなど…あまりにも無念だ!」
呂蒙はその姿を静かに見守り、冷静に言いました。
「無念です…。しかし、無念であるからこそ、我々はその意志を引き継かなければならないでしょう。小覇王の夢はまだ終わっていないのです」
韓当は呂蒙の言葉にふと立ち止まり、険しい表情を崩しました。
「小覇王たる話が主の命を奪った敵を許すわけにはいかない…必ず、報いを与える!」
「その気持は分かります。しかし、焦ることはありません」と魯粛が、いつもの穏やかな声で加わりました。
「私たちが今やるべきことは、孫策の意志を胸に、江東を守り抜くことです。焦れば間違いを犯しますぞ」
「言うまでもないこと…」韓当は口を閉じて黙ってしまいました。怒りが収まらず、ただ一歩後に下がったのです。
すると、呂蒙がさらに言葉を続けました。
「仲謀様が跡を継がれます。すぐに戦いが始まるでしょう。」
程普が顔を上げ、今度は落ち着いた様子で言いました。
「ああ、我らが一つになって進むべきだ。文台様と伯符様の遺志を継ぐためにな」
「不敗の名将が率いた軍が負けることは許されない…か」
と、黄蓋は少し微笑み、腕を組みました。
「そうだな。だが、次は我々が先頭に立ち戦う番だ」
その言葉に、全員が黙って頷きました。孫策の死は彼らにとって大きな悲しみでしたが、それと同時に、彼の遺志を継ぐ覚悟が新たに胸に宿った瞬間でもありました。
「伯符様…」
周瑜が小さく呟きました。
「貴方の夢を、必ず我々が引き継ぐ」
その言葉に、風が静かに吹き抜け、江東の空は次第に曇り空から明るさを取り戻していきました。
孫策の突然の死は、孫呉勢力にとって大きな痛手でした。しかし、彼の遺志を継いだ孫権は、江東を守り抜き、戦乱の中でその地位を強くしていくことになります。その後も、周瑜や黄蓋、呂蒙などの忠臣たちは、それぞれの役割を果し、孫策の夢を次の世代に繋いでいきました。
200年:建安五年
官渡の激戦に勝利し、中原の覇権をほぼ掌中に収めた曹操は、邸内の書楼にて地図を見つめていました。彼の視線は河北ではなく、その南、江南の方角へと向けられていました。
地図の隅に、火を灯したように赤く塗られている一角――そこが、今まさに急速に勢力を拡大しつつある孫策の領地でした。
「まるで、燎原の火だな…」曹操は小さくつぶやきました。
「その火は、いずれ風に吹かれて消えましょう」と、静かな声が背後から響きました。振り返ると、そこには郭嘉が立っていました。薄い笑みを浮かべ、手には竹簡を持っています。
「郭嘉か。例によって、私の胸中を読んだか」
「読んだというより…お顔に書いてございました。“孫策”と」郭嘉は冗談めかして言いました。
曹操は小さく笑い、椅子に腰を落としました。「あの若造、才も武もある。あの江南において、まるで項羽の再来のように振る舞っておる」
「“小覇王”の異名は伊達ではありません。しかし、覇王は覇王でも“自滅型”でございます」
「自滅型?ほう、聞き捨てならぬな。それはどういう意味か」
郭嘉は一歩前に出ると、手の竹簡を広げて見せました。「孫策は剛勇、決断も早い。しかし、早すぎるのです。周囲の策を顧みず、常に最短の道を選ぶ。人の心も、敵の策略も、時に軽んじる――それが彼の弱点です」
曹操は腕を組み、じっと郭嘉の言葉を聞いていました。
「わかりやすく言えば…」郭嘉は軽く笑って続けました。「あれは“走りながら考える”男です。武は先行すれど、思慮はその後ろ。つまり、急ぎすぎるのです」
「ははっ、確かに。あやつの戦いぶりを聞くと、いつも先頭を駆けるばかりで、部下を振り返る暇もないようだな」
「それが災い(わざわい)する日が、必ずや参ります」郭嘉の声は、ふと低くなりました。「刺客――予期せぬ死。そういう運命に、孫策は自ら走っております」
曹操は目を細めました。「まるで、すでに未来を見てきたかのような物言いだな」
「未来は、過去の集積から読むものです。孫策のこれまでの行動を見れば、彼の末路は容易に予見できます」
「ふむ…」曹操は再び地図を見下ろしました。「しかしあやつが生きている間は、江南に手出し(てだし)はできん。もし貴様の言葉どおり、刺客の刃がその胸を貫くなら……」
「その時こそ、わが君が江南に覇を唱える好機でございます」
その会話からほどなくして、風のような知らせ(しらせ)が曹操のもとへ舞い込んできました。
――孫策、刺客の刃に斃る。
狩猟中、突然の襲撃を受け、あの若き「小覇王」は非業の死を遂げたというのです。
「……馬鹿なやつだ」曹操は地図の南端をそっと指でなぞりながら、そう呟きました。「郭嘉、貴様の目は、やはり侮れんな」
「天は、時として剣より鋭く人を裁きます」郭嘉は静かに答えました。
「よかろう、孫策の火が消えた今、我らは北を制し、南を射るのみだ。あとは江東の小僧――孫権か。ふふっ、さて、あやつは兄と同じく“自滅型”か、それとも――」
「それを見極めるのも、我が君の楽しみの一つにございましょう」郭嘉は穏やかに笑いました。
こうして、曹操は河北の掃討に専念することになり、後の中原制覇への歩みを確かたるものとしたのです。孫策の死は、確に江南の火を一旦は鎮めました。しかし、それが後に再び炎となって燃え上がることを、この時、誰も予測してはいませんでした。
――天は英雄を試し、人の世に秩序を課す。
小覇王が去ったあとも、乱世の焰は、まだ消える気配を見せませんでした。
200年:建安五年
後漢末期の中国は、王朝の衰退と群雄割拠が激化し、戦乱が絶えない時代でした。孫堅と孫策という二人の英傑の早すぎる死は、彼らの個人的な要因に加え、このような時代背景が深く影響していました。
孫堅は、勇猛果敢な武将として数々の戦場で活躍しましたが、常に敵の攻撃に晒される危険な状況に身を置いていました。特に、劉表との戦いにおける流れ矢による致命傷は、当時の医療水準の低さも相まって、彼の命を奪いました。敵対勢力の存在や、連戦による過労とストレスも、彼の健康を蝕む要因となったと考えられます。法秩序が確立されていない混乱期においては、強者であっても不慮の死を避けることは困難でした。
一方、孫策の死は、狩猟中の暗殺という予測不可能な悲劇でした。かつて敗れた許貢の残党による襲撃は、彼の勢力拡大によって恨みを抱く者が存在したことを示唆しています。江東をほぼ平定し、油断が生じていた可能性も否定できません。深い傷と未発達な医療技術は、彼の容態を急速に悪化させました。安定した時代であれば防げたかもしれない悲劇は、群雄割拠の時代における不確実性を象徴しています。
当時の中国は、中央政府の権威が失墜し、各地で軍閥が争う弱肉強食の世界でした。暴力が横行し、常に死と隣り合わせの状況において、個人の武勇や知略だけでは身を守りきれない側面がありました。また、現代と比較して著しく低い医療水準や衛生環境も、傷や病気による死亡率を高め、孫堅や孫策のような英雄の命さえも容易に奪い去ったのです。日本の穏やかな風景からは想像し難いかもしれませんが、後漢末期の混乱こそが、二人の英傑の早すぎる死の根底にある要因と言えるでしょう。彼らの死は、激動の時代が生んだ必然的な悲劇だったのです。




