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呉視点三国志:孫策の章⑨

199年:建安(けんあん)四年

 陽の光が穏やかに差し込む庭園。池に咲いた蓮の花がそよ風に揺れ、竹林のざわめきがまるで琴の音のように響いております。

 孫策(そんさく)は縁側に腰かけ、湯呑(ゆのみ)を手にしてのんびりと空を仰いでいました。その隣には、白絹(しらぎぬ)のような着物を纏(まと)った大喬(だいきょう)が静かに寄り添っております。

「殿、そんなに空を見て、何か良いものでも飛んでおりますの?」

「いや、大喬(だいきょう)。そなたの横顔が美しくてな。つい、空より高いところに心が浮いてしまったわ」

「まあ……口が上手くなってしまわれましたね。まるで、周瑜(しゅうゆ)様の真似のようです」

「ほほう、では次は琴でも奏でてみるか? 愛しき妻のためにな」

 そう言って孫策(そんさく)が指をぱちんと鳴らすと、奥から何やら不穏(ふおん)な気配が近づいてきました。

「……どうも騒がしいと思ったら、またうちの姉上をからかっておられたのですね?」

 現れたのは小喬(しょうきょう)。その後ろからは、涼やかな顔をした周瑜(しゅうゆ)が手を組んで現れました。

「おいおい、周瑜(しゅうゆ)よ。おぬしの妻の口の鋭さには敵(かな)わぬな。日ごろどう飼い慣(な)らしているのか、ぜひ聞きたい」

「ほう。では、まず“飼い慣らす”という言葉を撤回していただきましょうか。さもなくば、夜道にはお気をつけあれ。江東(こうとう)の闇は深うございますので」

「……あー、うむ。言葉選びを間違えた。儂(わし)の完敗だ」

 四人は思わず笑い合いました。まだ若く、そして命が満ちていた頃。戦乱の世にあっても、ささやかな安らぎの時がここにはありました。

 数日後のこと――。

「……あの、殿。少しだけ、話がございます」

 庭先で剣の稽古をしていた孫策(そんさく)が、振り返ると、そこには頬を赤らめた大喬(だいきょう)の姿がありました。着物の帯を少し強く締めすぎたように見え、その仕草に何かを察した孫策(そんさく)の目がわずかに見開かれます。

「もしかして……」

「はい。あの……お腹に、新しい命が」

 言い終えるより先に、孫策(そんさく)は彼女の手をとり、強く、しかし優しく握りしめました。

「……大喬(だいきょう)、それは、真か……!?」

「ええ、医師の診立(みた)てでも間違いないと。……殿?」

「よし!酒だ!祝いの酒を持ていッ!」

「殿!まだ生まれておりませぬ!」

「よいではないか!宴だ!江東(こうとう)中に報せてくれ!我が子が、この孫策(そんさく)の血を継ぐ者が、今まさに芽吹いたのだ!」

 その声に驚いたのか、奥から小喬(しょうきょう)が飛び出してきました。

「え、えっ!? ちょ、姉上!? 本当なの!?」

「うふふ、はい……驚かせてしまいましたね」

 周瑜(しゅうゆ)も静かに微笑(ほほえ)みを浮かべながら、大喬(だいきょう)に一礼しました。

「おめでとうございます。江東(こうとう)にとって、これほどめでたいことはありません」

「ふむ、こうなっては我らも負けてはおれんな、小喬(しょうきょう)よ?」

「は? いえ、私は別に競ってなど……って、ちょっと、あなた、顔が真剣すぎますわよ!」

 孫策(そんさく)はそんな彼らを見て、にんまりと笑いました。

「周瑜(しゅうゆ)よ。戦場では共に剣を振るい、宮中では我らが子らが遊び……そんな未来、悪くないだろう?」

「ええ。江東(こうとう)が平らかであればこそ、それが叶います」

 孫策(そんさく)は大喬(だいきょう)の手をそっとお腹に重ねました。そこには、確かに新しい命の鼓動がありました。

「……この子が、何を望むにせよ。俺は全力で護ってやる。そなたと、この子と……江東(こうとう)の未来すべてを、な」

 大喬(だいきょう)はその言葉に、静かに頷きました。

「……殿。わたくしも、共にございます」

 こうして、孫策(そんさく)と大喬(だいきょう)の間には一人の子が授かりました。名前を孫紹(そんしょう)と言います。彼らが築いた小さな幸せは、やがて時代の大きな流れの中でも語り継がれる、温かな灯火(ともしび)となったのです。



199年:建安(けんあん)四年

 天下は未だ、群雄(ぐんゆう)割拠の戦乱に揺れ、剣と策とが交錯(こうさく)する、血煙(ちけむり)の時代でございました。

 その渦中――長江(ちょうこう)下流の江東(こうとう)において、一人の若き覇者(はしゃ)が、破竹(はちく)の勢いで版図を広げておりました。

 その名は、孫策(そんさく)殿。孫堅(そんけん)将軍の子にして、猛将・周瑜(しゅうゆ)をはじめ多くの才人を従え、瞬く間に呉会(ごかい)の地を平らげた将でございます。

 とは申せ、武によって得た地は、時にまた、武によって奪われるもの。

 孫策(そんさく)殿は、そのことを誰よりもよく知っておられました。

「……この地を治める者として、正統なる朝廷との絆は、いずれ必要となろう」

 ある日のこと。信頼(しんらい)篤(あつ)い幕僚(ばくりょう)を集めた席にて、孫策殿はふと、そんな言葉をお口になさいました。

「主君。もしや、献帝(けんてい)さまのもとへ、使者を遣(つか)わされるお考えでは?」

 そう問いかけたのは、温厚にして才知深き文臣・張紘(ちょうこう)殿でございました。

 その声音には、孫策殿の意図を汲み取ったうえでの慎重な配慮がにじんでおりました。

「うむ。今までは剣をもって地を得た。だが――これよりは、天子の命によりこの地を治めると天下に示すべきだ。曹操(そうそう)が献帝を奉じて諸侯に威を示すように、我らもまた、義によって立たねばならぬ」

 孫策殿の瞳には、若き将ながらも深き遠謀が宿っておりました。

 張紘(ちょうこう)殿は、静かに頷(うなず)きます。

「殿のお考え、まことに正しゅうございます。献帝に忠を示すことは、我らが賊にあらず、義の旗のもとに在ると知らしめることとなりましょう」

 そして、張紘(ちょうこう)殿は自ら進み出でて申されました。

「この大任、私にお任せくだされませ。どのような艱難(かんなん)も、私の命に代えて果たしてみせましょう」

「張紘、お前ならば……余(よ)も安心して託せる」

 孫策殿の声は、微かに揺れておりました。それが、武将としての信頼と、一人の友としての情を物語っておりました。

 こうして、張紘(ちょうこう)殿は許都(きょと)――すなわち、曹操(そうそう)殿が献帝(けんてい)を擁して政を執る、漢室の名ばかりの都を目指して旅立ったのでございます。

 その道程、幾つもの関(せき)を越え、群賊を退け、時には曹操軍の目をかいくぐり……

 ついに、彼は宮中へと進み出る機会を得ました。

「江東には孫策という者がございます。彼は亡父・孫堅(そんけん)将軍の志を継ぎ、盗賊を討ち、民を救っております。すべては、陛下の御ためと申しております」

 張紘(ちょうこう)殿の言葉は飾り気なく、ただ一途に孫策殿の義と真心とを訴えるものでございました。

 やがて、その場に、もう一人の男が歩み出ました。

「張紘殿。見事な弁舌であった。才も、忠もある」

 その声の主――曹操(そうそう)殿。

 帝を奉じて中央を掌握しつつある、大権を握る男でございます。

「そなたのような才が、いまこの許都にあれば……我が軍政も万全になろう。どうだ、わしに仕えぬか?」

 それは、まさに栄達の誘(さそ)い。

 だが、張紘(ちょうこう)殿はその申し出を、毅然(きぜん)としてお断りになりました。

「ありがたきお言葉ながら、私には帰るべき主がおります。孫策殿は、武をもって地を治めんとするのではなく、義をもって乱世に立ち向かっておられるお方。私は、その志に殉じる所存にございます」

 曹操殿は、しばし沈黙ののち、ふっと微笑まれました。

「……惜しいな。だが、そなたの忠義、しかと見届けた」

 そのうえで、張紘(ちょうこう)殿に侍御史(じぎょし)の位を授けられました。これは、曹操殿なりの最大限の敬意でございます。

 栄誉を受けつつも、張紘殿の心はただ一つ、江東へ――主・孫策の許(もと)へ向けられておりました。

 そして数日後。張紘(ちょうこう)殿は無事に帰還(きかん)し、孫策殿のもとへと凱旋(がいせん)なされました。

「よくぞ戻った、張紘! あの曹操の誘いを断るとは、容易いことではなかったはずだ」

 孫策殿は安堵の笑みを浮かべ、手を取って迎え入れます。

「殿。私の命は、すでに殿にございます。たとえ万里の覇道(はどう)を差し出されようとも、私の志は変わりませぬ。共にこの江東に、太平を築いてまいりましょう」

 孫策殿は、しばし言葉を呑み込み――やがて、静かに、深く頷(うなず)かれました。

「……張紘よ。お前のような者を得たこと、それこそが余の、何にも勝る誇りだ」

 この日より、張紘殿はふたたび孫策の幕下に加わり、その才と忠義を余すところなく発揮なされました。

 彼の功績はやがて孫権(そんけん)の治世にも受け継がれ、江東の礎(いしずえ)として、末永く語り継がれていくのでございます。



199年:建安(けんあん)四年

 建安(けんあん)四年(199年)。後漢(ごかん)王朝の威信は地に堕(お)ち、群雄が割拠する戦乱の時代が続いておりました。天下を巡る覇権争いは激しさを増し、各地の英雄たちはそれぞれの理念と野望を胸に、次なる一手を打とうとしていました。

 中原では、曹操(そうそう)が急速に台頭していました。彼は献帝(けんてい)を許都(きょと)に迎え、名実ともに漢朝の政権を掌握(しょうあく)します。曹操の意図は明快です。表面上は「漢室の忠臣」を装いながらも、実際には皇帝を利用して諸侯に号令をかけ、自らの基盤を強化していました。豊富な人材を抱え、軍政両面で着実に地盤を固(かた)める姿は、まさに新たなる覇王(はおう)の胎動(たいどう)でした。

 これに対抗しうる存在が、河北を拠点とする袁紹(えんしょう)です。彼は四州を支配し、百万人の大軍と莫大(ばくだい)な資源を擁(よう)していました。名門・汝南(じょなん)袁氏(えんし)の威光(いこう)に加え、多くの文官・武将を抱えるその勢力は、曹操にとって最大の脅威でした。袁紹はゆくゆく漢王朝の主導権を握(にぎ)ることを狙い、曹操との大決戦を視野に入れていました。

 北方では、かつての群雄公孫瓚(こうそんさん)が袁紹との戦いに敗れ、衰退の一途を辿(たど)っていました。彼の白馬義従(はくばぎじゅう)も往時の勢いを失い、もはや袁紹に抗(あらが)う力は残っていませんでした。

 西方では、涼州(りょうしゅう)の馬騰(ばとう)と韓遂(かんすい)が勢力を保っていました。異民族との抗争を繰(く)り返しながらも、中央の動向には目を光らせており、いずれ中原に干渉する意志を秘めていたと考えられます。また、漢中(かんちゅう)では張魯(ちょうろ)が五斗米道(ごとべいどう)を掲げて独自の政権を築いており、宗教と政治を融合させたその支配体制は、異彩を放っておりました。

 江漢(こうかん)一帯では、劉表(りゅうひょう)が荊州(けいしゅう)を掌握しており、広大な領土と豊かな物資を背景に、安定した政権を築いておりました。文人を好んで登用し、戦乱の中にあって一種の平穏を保っていましたが、果断には乏しく、やがて時勢の流れに押し流される運命にありました。

 また、南陽(なんよう)には張繍(ちょうしゅう)が割拠(かっきょ)しておりました。かつて曹操に激しく抗(あらが)い、一時はその本陣を突いて長子曹昂(そうこう)を討ち取ったことでも知られていますが、この頃は和睦し、曹操の陣営に加わりつつありました。

 江東(こうとう)では、若き英傑孫策(そんさく)が勢いに乗っていました。彼は亡父孫堅(そんけん)の遺志を継ぎ、僅(わず)かな兵を率いて瞬く間に江東を平定。周瑜(しゅうゆ)、程普(ていふ)、張昭(ちょうしょう)ら優れた人材を擁し、やがて「小覇王(しょうはおう)」と称されるようになります。孫策の志は大きく、南方の安定を盤石(ばんじゃく)にしたのち、天下へと手を伸ばそうとしていました。

 また、江淮(こうわい)方面には、かつて自ら「仲王(ちゅうおう)」を称して皇帝を僭称(せんしょう)した袁術(えんじゅつ)がおりました。しかし、その野心は諸侯の怒りを買い、支援も失われ、飢(う)えと内乱により凋落(ちょうらく)。すでに末期的な状況にありました。

 そして、忘れてはならないのが劉備(りゅうび)です。彼はこの頃まだ曹操の庇護(ひご)下にあり、小勢力ながらも「漢室の再興」を掲げて独自の志を貫いていました。劉備は仁徳をもって民を引きつけ、義を重んじる将として、やがて時代の中枢に浮上していくことになります。

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