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呉視点三国志:孫策の章⑧

199年:建安けんあん4年

 それは、後に三国時代の潮流を大きく変えることになる、重要な年でした。

 かつて強大な勢力を誇った袁術えん・じゅつは、そのおごりから人心を失い、領土は日に日に縮小していました。自ら皇帝を名乗るという暴挙に出たものの、周囲の支持は得られず、戦に連敗。心身ともに疲弊ひへいしきった末、建安4年、失意の中でその生涯を閉じます。

ちんの夢は、砂上さじょう楼閣ろうかくであったか……」

 彼の最期の言葉は、空しく消えゆきました。袁術の死は、かつて強大な勢力を誇った者の、あまりにももろい終焉を告げていたのです。

 袁術の死後、その残党ざんとうたちは新たなあるじを求めてうごめき始めます。その中で、一際ひときわ野心を燃やしていたのが劉勲りゅう・くんでした。彼は袁術の旧臣という立場を利用し、その残党の一部を吸収。自らの勢力拡大を目論もくろんでいました。しかし、その動きを鋭敏えいびんに察知したのが、江東の若き雄、孫策そん・さくです。

「袁術の残党など、めのちりに等しい!」

 孫策は、既に多くの有能な家臣団を抱えていました。知略に優れた周瑜しゅう・ゆ。勇猛果敢な黄蓋こうがい太史慈たいしじ。そして、内政手腕に長けた張昭ちょう・しょうや、冷静沈着な魯粛ろ・しゅくといった面々です。彼らの力を結集し、孫策は劉勲りゅう・くん討伐の軍議を開きました。

「殿、劉勲りゅう・くんは勢力こそ小さいものの、油断は禁物です。ここは、周瑜様の知略をもって万全の策を講じるべきかと。」

 穏やかな口調で、しかし確固たる信念を持って、魯粛ろ・しゅくが進言します。

「ふむ、魯粛ろしゅくの言う通りだ。周瑜しゅうゆ、策はあるか?」

 孫策が問いかけると、周瑜はすずやかな笑みをかべました。「ご心配なく、主君。この周瑜にお任せあれ。必ずや、劉勲りゅうくんの鼻を明かしてみせまする。」

「張昭殿、兵站へいたんの準備はとどこおりなく。」

 孫策は、内政を任せる張昭にも指示をおこたりません。「はっ、殿。既に万全の態勢を整えております。」

 そして、決戦の日が訪れます。「黄蓋こうがい太史慈たいしじ先鋒せんぽうを務めよ!敵の陣をくずし、我が軍の進むべき道をひらけ!」孫策の号令が、戦場に響き渡ります。

 戦いの火蓋ひぶたが切って落とされると、孫策軍は怒涛どとうの勢いで敵陣へと押し寄せました。太史慈たいしじの振るう双鞭そうべんは、敵兵を紙屑かみくずのようにぎ倒し、黄蓋こうがい鉄鎖鞭てっさべんは、敵の防御線を容易よういに切り裂きます。孫策自身も、愛用の槍を手に取り、疾風迅雷しっぷうじんらいの如き速さで戦場をめぐりました。

「ぐわああ!」

「た、助けてくれ!」

 劉勲軍は、孫策軍の圧倒的あっとうてきな武力と、周瑜の巧妙こうみょうな計略の前に、たちまち総崩そうくずれとなります。抵抗する間もなく、次々と倒れていく兵士たち。その光景は、まさに修羅場しゅらばと化していました。

「もはや、これまで……」

 孤立無援こりつむえんとなった劉勲は、ついに白旗しらはたを掲げ、孫策に降伏こうふくを申し出ます。孫策はこれを受け入れ、劉勲とその残党を自軍に吸収しました。

 こうして、孫策は袁術の残党を効果的こうかてきに取り込み、江東における支配体制を盤石ばんじゃくなものとしました。敵の兵力さえも自らのかてとするその手腕は、周囲の者を畏怖いふさせました。

 敗れた劉勲は、袁術の死という混乱に乗じて勢力拡大をたくらてましたが、孫策とその家臣団の前に脆くも崩れ去りました。彼の降伏は、孫策の勢力拡大に拍車はくしゃをかけ、その後、彼は孫策の配下としてその余生よせいを送ることになります。

 この年、孫策が袁術の残党を吸収したという事実は、彼の名が江東の一地方勢力から、天下にその名をとどろかせる一大勢力へと飛躍する、決定的な出来事となったのです。張昭や魯粛といった有能な家臣たちの支えがあってこそ、孫策の偉業いぎょうは成し遂げられたと言えるでしょう。



199年:建安けんあん四年

 春の陽光が、江東こうとうの地に穏やかに降り注いでおりました。その暖かな光の中で、ひときわ高く響く声が広大な庭を駆け抜けました。

公瑾こうきん!」

若々しい覇気に満ちたその声は、孫策そんさくのものでした。顔には、喜びと興奮が入り混じり、その目は輝いていました。

「どうした、伯符はくふ?」

落ち着いた声で答えたのは、孫策の忠実な臣下であり、無二の盟友でもある周瑜しゅうゆです。その瞳は涼やかで、微かに笑みをたたえていました。

「ついに、喬玄きょうげん殿の息女そくじょたちにお会いできたのだ!」

孫策は、興奮を抑えきれずに話し続けました。

「噂に違わぬ、いや、それ以上の美しさだったぞ!姉上の大喬だいきょう殿は、まるで咲き誇る牡丹ぼたんのよう。そして妹の小喬しょうきょう殿は、可憐な白梅はくばいのようだった!」

周瑜はその様子を静かに見守り、ゆっくりと口を開きました。

「ほう……そこまでおおるとは、さぞかし素晴らしいご令嬢たちなのでしょうな」

「ええ!一目見た瞬間、心奪われた!」

孫策は力強く頷きます。その喜びが言葉に溢れ、周瑜もまた、その熱意に触れて微笑みました。

「そして、なんと!喬玄殿は、お二人をそれぞれ私と公瑾こうきんの妻にとおおってくださったのだ!」

周瑜の目が一瞬、大きく見開かれました。

「なんと……それは、まことですか?」

「間違いないぞ!まさか、このような幸運に恵まれるとは!」

孫策の目は、まるで子供のように輝いていました。その喜びを隠すことはできません。

その頃、喬玄のやしきでは、大喬と小喬が静かに語り合っていました。

「姉上……孫策そんさく様は、とても凛々(りり)しいお方でしたね」

妹の小喬しょうきょうは、頬をわずかに染めて言いました。

「ええ、小喬。周郎しゅうろう様も、聡明そうめいで穏やかなお方でしたわ」

姉の大喬だいきょうは、優しく微笑みます。その表情には、姉としての誇りと、少しの驚きが混じっていました。

「まさか、お二人同時に私たちのような未熟みじゅくな娘を妻に迎えたいと申し出てくださるとは……」

小喬は、まだ信じられない様子で目を丸くしました。

「これも、何かのえんなのでしょうね。私たちにできることは、精一杯、お二人を支えることです」

大喬は、決意を込めた眼差しで遠くの空を見つめました。そこには新たな未来を感じていたのでしょう。

数日後、孫策と周瑜は、それぞれ盛大せいだいな婚礼を挙げました。江東の民は、若き主君とその重臣の門出を祝福し、街は喜びに沸き立ちました。その祝宴は、まるで春風のように穏やかで、にぎやかなものでした。

 しかし、その華やかな日々の裏で、天下の趨勢すうせいは静かに動き始めていたのです。かつて江東に脅威を与えた袁術えんじゅつはすでにこの世を去り、その残党ざんとうは各地で散り散りになっていました。しかし、そこに新たな火種が生まれつつありました。北方の曹操そうそうが、その勢力を着実ちゃくじつに拡大していたのです。

 婚礼から数週間後、孫策と周瑜は再び、江東の未来を案じていました。

「北方の曹操の動きは、警戒を怠れません」

周瑜は、地図を指しながら冷静に分析を始めました。

「奴は、いずれ必ずや、我らの領土にも手を伸ばしてくるでしょう」

孫策はけわしい表情を浮かべました。

「ならば、こちらも手をこまぬいているわけにはいきません。早いうちに、江東の基盤きばんをさらに強固なものにしなければ!」

孫策は、自ら陣頭に立ち、周辺の勢力との関係強化に動き出しました。愛馬に鞭を打ち、疾風しっぷうのように駆け抜けます。その先に待つのは、数多の戦場。鋭い槍を振りかざし、次々と敵兵をぎ倒していきます。その力強さは、まるで奔流ほんりゅうのようでした。

 一方、周瑜は後方で冷静に軍を支え、的確てきかくな指示を送り続けます。彼の知略ちりゃくは、孫策の武勇と見事に調和し、連戦連勝を重ねていきました。矢の雨が降り注ぎ、剣戟けんげきの音が戦場に響き渡ります。兵士たちの雄叫おたけびが、大地を揺るがしました。

 勝利の凱歌がいかが上がる中、孫策と周瑜は、それぞれの妻の元へと帰りました。大喬だいきょう小喬しょうきょうは、無事に帰還した夫を心から喜び、迎え入れました。彼女たちの優しい笑顔が、戦いの疲れを癒し、英雄たちの心を安らぎで満たしたのです。



199年:建安けんあん四年

 夏の気配が近づく江東こうとうの夕暮れ、孫策そんさく演武場えんぶじょうに立っていました。並ぶ兵たちの武具は整い、そうけん、弓、げきたてが夕日を反射して輝いています。

 その後ろから、涼やかな声が届きました。

「将軍、武具の更新は順調のようですね」

 現れたのは周瑜しゅうゆです。聡明にして冷静沈着、孫策そんさくの右腕として常に戦略を支えてきた人物です。音楽と兵法を愛し、文武両道の天才とたたえられていました。

周瑜しゅうゆ、見てみろ。あのそうだ。はがねを混ぜてやいばきたえ直した。たても軽くて丈夫だ。南方の竹とかわを合わせてな」

「まさに江東こうとうならでは。ですが、足元も重要です。馬具の改良も忘れてはなりません」

「うむ。あぶみを深くし、くらを固くわせた。これで騎兵きへいが振動に負けぬようになる」

「さらに、弓騎兵きゅうきへいの訓練を強化しましょう。江南こうなんでは騎射きしゃの文化は薄いが、機動力と遠距離攻撃の融合は大きな武器です」

「お前もそう思うか。俺も、そろそろ火矢ひやを実戦に試そうと思っていたところだ」

 孫策そんさくはそう言って、遠くの火練かれん訓練場を指差しました。ほのおまとった矢が、闇に向かって飛んでいきます。

投射とうしゃ武器との連携、そして急襲きゅうしゅう。まさに私たちが得意とする戦術です」

 周瑜しゅうゆうなずきました。孫策軍そんさくぐんの戦術は、速度と勢いにものを言わせた「電撃戦でんげきせん」でした。偵察ていさつで敵の陣形と士気を読み、弱点を突いて一点突破。主将自しゅしょうみずからが先陣に立ち、士気を高めて戦局を動かす――それが孫策そんさく真骨頂しんこっちょうです。

強襲きょうしゅう突撃とつげき、そして攪乱かくらん。だが、そろそろ正攻法せいこうほうも磨いておかねばなるまい」

「はい。敵も学びます。さくを読む者も現れるでしょう」

「それを越えてこそ、真のしょうだ」

 孫策そんさくそうを手にし、風のように構えました。

「例えば、この“螺旋らせん陣”……。敵の中軍ちゅうぐんを引き込み、両翼りょうよくから回り込んで包囲ほういする形だ。先日試したが、程普ていふおどろいていたぞ」

「それは見物ですね。蒋欽しょうきん水軍すいぐんと合わせれば、敵は進むも退くも地獄です」

「まさに“さく”のみょうよ」

 孫策そんさく冗談じょうだんめかして笑いました。

「将軍、それは駄洒落だじゃれでしょうか」

駄洒落だじゃれすらも、戦術になるなら、天下はもう目前もくぜんだろう?」

 二人は並んで演武場えんぶじょうを歩きます。兵たちは真剣しんけん眼差まなざしでそうり、騎馬きばの足音が砂煙すなけむりを巻き上げていきました。

 その背後で、こうの風が鳴っていました。戦乱せんらんの中に、確かに一つの秩序ちつじょことわりきずかれようとしていたのです。

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