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呉視点三国志:孫策の章⑦

197年:建安二年(けんあんにねん)

 長江(ちょうこう)の流れは、まるで天意(てんい)のように東へと向かっていました。中流に位置する秣陵(ばつりょう)――のちの建業(けんぎょう)を制した若き覇者(はくしゃ)・孫策(そんさく)は、その眼差(まなざ)しをさらに南、江東(こうとう)の地へと向けます。

「時は満ちた。次なる獲物(えもの)は、呉郡(ごぐん)の許貢(きょこう)よ。」

孫策(そんさく)は地図(ちず)を指さしながら、張昭(ちょうしょう)、程普(ていふ)、黄蓋(こうがい)ら腹心(ふくしん)の将(しょう)に語りかけました。

「許貢(きょこう)はこの地の名士(めいし)にして、民(たみ)の信頼(しんらい)も厚い。しかし、戦(いくさ)の才(さい)は見られぬ。あくまで狐(きつね)に過ぎぬ。」

張昭(ちょうしょう)が静かに進言(しんげん)します。

「ならば、情(なさ)けは無用(むよう)でございます。速やかに討(う)つべきかと。」

孫策(そんさく)は頷(うなず)き、鋭い声(こえ)で命じました。

「程普(ていふ)、黄蓋(こうがい)、兵(へい)を三手(さんて)に分け、呉郡(ごぐん)へ向かえ。奇襲(きしゅう)をかけるぞ!」

「やれやれ、伯符(はくふ)様(さま)の覇気(はき)はお父上(ちちうえ)以上(いじょう)ですな。ついて行くのも疲れる」

「いいじゃないか。伯符(はくふ)様(さま)は戦えば勝つ。勝った後(あと)の酒(さけ)はウマいぞ。ガハハ」

二人の将(しょう)は即座(そくざ)に立ち上がり、武具(ぶぐ)を鳴らして戦支度(せんしたく)を整えました。

夜の闇(やみ)が辺(あた)りを覆(おお)う頃、孫策(そんさく)の精鋭(せいえい)が音(おと)もなく進軍(しんぐん)を開始(かいし)します。月光(げっこう)が甲冑(かっちゅう)を照らし、静寂(せいじゃく)の中に緊張(きんちょう)が走りました。黄蓋(こうがい)の部隊(ぶたい)が敵陣(てきじん)の背後(はいご)に忍(しの)び寄(よ)ります。

突如(とつじょ)、怒号(どごう)とともに闇(やみ)を裂(さ)くように火(ひ)の手(て)が上がりました。

「敵襲(てきしゅう)だぁ!孫策(そんさく)の軍勢(ぐんぜい)だ!」

許貢(きょこう)の陣(じん)は一瞬(いっしゅん)にして混乱(こんらん)に陥(おちい)ります。孫策(そんさく)は先陣(せんじん)を切(き)り、愛槍(あいそう)を振るって敵兵(てきへい)をなぎ倒(たお)しました。その動(うご)き

は稲妻(いなずま)のように素早(すばや)く、正確(せいかく)です。程普(ていふ)はその巨躯(きょく)を揺(ゆ)らしながら突進(とっしん)し、敵の防陣(ぼうじん)を力(ちから)で押し崩(くず)します。黄蓋(こうがい)は火計(かけい)を用(もち)い、敵陣(てきじん)の内部(ないぶ)から混乱(こんらん)を巻(ま)き起(お)こしました。

「孫策(そんさく)め!卑劣(ひれつ)な手(て)を!」

許貢(きょこう)は叫(さけ)びましたが、その声(こえ)は鉄(てつ)の喧騒(けんそう)にかき消(け)され、彼(かれ)自身(じしん)も間もなく捕(とら)えられました。孫策(そんさく)はすぐに処刑(しょけい)を命じます。

だが、これで終(お)わりではありませんでした。

後日(ごじつ)、黄蓋(こうがい)が一通(いっつう)の密書(みっしょ)を持(も)ち帰(かえ)ります。封(ふう)を切(き)った孫策(そんさく)の表情(ひょうじょう)が一変(いっぺん)しました。

「……これは、漢室(かんしつ)宛(あて)の密書(みっしょ)。『孫策(そんさく)は謀反(ぼうはん)の意(い)あり』と?」

書状(しょじょう)には、許貢(きょこう)が曹操(そうそう)に宛(あて)て孫策(そんさく)を誣告(ぶこく)する内容(ないよう)が記(しる)されていました。怒(いか)りに震(ふる)える孫策(そんさく)の手(て)から、血(ち)の滲(にじ)む紙(かみ)が音(おと)を立てて落(お)ちます。

「裏切(うらぎ)り者(もの)め……。斬(き)って当然(とうぜん)だったか。」

張昭(ちょうしょう)は沈黙(ちんもく)のまま、ただ深(ふか)く頷(うなず)きました。

呉郡(ごぐん)を平定(へいてい)した孫策(そんさく)は、その勢(いきお)いのまま東(ひがし)へと軍(いくさ)を進めました。次(つぎ)なる標的(ひょうてき)は、会稽(かいけい)の太守(たいしゅ)・王朗(おうろう)です。

「王朗(おうろう)は文官(ぶんかん)にすぎぬ。武(ぶ)で来る者(もの)に対処(たいしょ)できるはずがない。」

孫策(そんさく)は張昭(ちょうしょう)からの情報(じょうほう)を聞(き)き、確信(かくしん)を深(ふか)めました。

「黄蓋(こうがい)は先鋒(せんぽう)、程普(ていふ)は後衛(こうえい)を守(まも)れ。俺(おれ)は中央(ちゅうおう)から突き崩(くず)す!」

「やれやれ、たまにはワシにも先鋒(せんぽう)をさせてほしいですな」

「お目付け役(めつけやく)はご苦労(くろう)じゃな。手柄(てがら)はワシが頂(いただ)くぞ。ガハハ」

黄蓋(こうがい)の軍(ぐん)は矢(や)のように駆け出(かけだ)しました。息(いき)をつかせぬ速攻(そっこう)でした。程普(ていふ)も堅実(けんじつ)に進軍(しんぐん)し、敵(てき)の補給路(ほきゅうろ)を断(た)ちます。

王朗(おうろう)は、急報(きゅうほう)を受けて震(ふる)えました。

「孫策(そんさく)が、もう眼前(がんぜん)に……!」

彼(かれ)は抵抗(ていこう)の意志(いし)を見せる間(あいだ)もなく、逃亡(とうぼう)しました。

「王朗(おうろう)は逃がしたか。まあいい、いずれ追い詰めて降伏させてやる。」

 こうして孫策(そんさく)は、呉郡(ごぐん)、そして会稽(かいけい)の土地を手中(てちゅう)に収(おさ)めました。彼(かれ)は「小覇王(しょうはおう)」の異名(いみょう)で畏(おそ)れられ、その才覚(さいかく)と武勇(ぶゆう)は江東(こうとう)一円(いちえん)に響(ひび)き渡(わた)ります。



197年:建安(けんあん)二年

 中原(ちゅうげん)の大地は、戦乱(せんらん)と疑念(ぎねん)に覆(おお)われておりました。

群雄(ぐんゆう)が割拠(かっきょ)する乱世(らんせい)のただ中(なか)、淮南(わいなん)に拠(よ)る袁術(えんじゅつ)は、ついに決定的(けっていてき)な一歩(いっぽ)を踏(ふ)み出します。

「余(よ)こそは、天命(てんめい)を受けし者(もの)なり!今より朕(ちん)は、皇帝(こうてい):仲(ちゅう)と号(な)す!」

高殿(こうでん)に響(ひび)き渡るその宣言(せんげん)は、まさに禁断(きんだん)の果実(かじつ)に手(て)を伸(の)ばすがごとき暴挙(ぼうきょ)でございました。正統(せいとう)なる漢朝(かんちょう)の権威(けんい)を否定(ひてい)し、自ら帝位(ていい)に即(つ)いたその行為(こうい)は、諸侯(しょこう)たちの怒(いか)りと警戒(けいかい)を一斉(いっせい)に招(まね)いたのです。

この動(うご)きを、一人(ひとり)の若き才俊(さいしゅん)が、深(ふか)い沈黙(ちんもく)のうちに見(み)つめておりました。

名(な)は、周瑜(しゅうゆ)。

文(ぶん)に通じ、武(ぶ)に秀(ひい)で、容姿(ようし)もまた人目(ひとめ)を引(ひ)く風貌(ふうぼう)の青年(せいねん)でございます。

かつての盟友(めいゆう)・孫策(そんさく)との絆(きずな)から、一時的(いちじてき)に袁術(えんじゅつ)の配下(はいか)として在籍(ざいせき)しておりましたが、その心(こころ)は常(じょう)に冷静(れいせい)に、時勢(じせい)を見極(みきわ)めていたのです。

ある夜(よる)、雲(くも)が重(おも)く垂(た)れ込(こ)める中(なか)、周瑜(しゅうゆ)は一人(ひとり)、袁術(えんじゅつ)の居館(きょかん)を訪(たず)ねました。

「殿(との)、ひととき、お時間(じかん)を頂(いただ)けますか」

「ほう、周瑜(しゅうゆ)か。何用(なによう)だ?まさか、朕(ちん)の即位(そくい)を寿(ことほ)ぎに来たのではあるまいな?」

袁術(えんじゅつ)は満面(まんめん)の笑(え)みを浮(う)かべ、杯(さかずき)を掲(かか)げました。しかしその笑(え)みは、どこか虚(うつろ)でございました。

「恐(おそ)れながら……その件(けん)についてこそ、進言(しんげん)申し上(もうし)げたく参上(さんじょう)いたしました」

周瑜(しゅうゆ)の声(こえ)は静(しず)かでありながら、鋭(するど)く芯(しん)を突(つ)いておりました。

「殿(との)。いま、天子(てんし)を称(とな)えるのは、道理(どうり)に背(そむ)くものでございます。漢室(かんしつ)の威信(いしん)を顧(かえり)みず、覇(は)を唱(とな)えることは、天下(てんか)の信(しん)を失(うしな)うこととなりましょう」

その言葉(ことば)に、袁術(えんじゅつ)の顔(かお)から笑(え)みが消(き)えます。

「……ふん。またか。お前(まえ)もだ、周瑜(しゅうゆ)」

酒器(しゅき)を乱暴(らんぼう)に卓(たく)へ叩(たた)きつけ、袁術(えんじゅつ)は怒(いか)りを露(あらわ)にしました。

「朕(ちん)を諫(いさ)める者(もの)は数多(あまた)おるが、誰(だれ)一人(ひとり)として朕(ちん)の器(うつわ)を理解(りかい)せぬ。貴様(きさま)まで、朕(ちん)を見限(みかぎ)るというのか!」

「いいえ」

周瑜(しゅうゆ)は一歩(いっぽ)も退(しりぞ)かず、静(しず)かに首(くび)を横(よこ)に振(ふ)ります。

「私は、ただ正(ただ)しき道(みち)を選(えら)ぶのみ。臣(しん)としての道(みち)を、信(しん)ずるままに歩(あゆ)みたいのです」

その眼差(まなざ)しは、揺(ゆ)らぐことなく真(ま)っすぐでございました。



197年:建安(けんあん)二年 。

数日後――。

周瑜(しゅうゆ)は正式に居巣県(きょそうけん)の県長職を願い出て、袁術(えんじゅつ)の下を離れます。

名目上は地方官への赴任でございましたが、実情は明確なる決別の意志を示す行動でございました。

そしてこの地で、思いもよらぬ出会いが周瑜を待っておりました。

――魯粛殿(ろしゅくどの)。

その人は、地元・臨淮(りんわい)の富豪(ふごう)の出でありながら、才知に富み、民を慈しむことで知られる人物でございました。周瑜はある視察の折、その屋敷を訪れます。

「ここが、魯粛殿(ろしゅくどの)の居所でございます」

案内役の兵(へい)がそう告げると、広い庭に一人の男が現れます。

堂々とした体格に、温厚な眼差し。歳は周瑜(しゅうゆ)よりやや上に見えました。

「ようこそ、お越しくださいました。周公瑾(しゅうこうきん)殿(でん)ですね?」

「はい。初めてお目にかかります、魯粛殿(ろしゅくどの)」

周瑜(しゅうゆ)が丁重に頭を下げると、魯粛(ろしゅく)も礼を返しました。

「お噂(うわさ)はかねがね。孫策殿(そんさくでん)の友にして、見識高きお方(おかた)と聞いております。どうかお茶でも」

その日、ふたりは縁側(えんがわ)に並んで座り、政(まつりごと)と民(たみ)について、時勢(じせい)と未来(みらい)について、幾度(いくど)も語り合いました。

「民(たみ)が望むのは、安寧(あんねい)と正義(せいぎ)。それを導く者(もの)こそ、真の主(しゅ)でありましょう」

「まさに。武だけでは治まらず、策(さく)だけでも導けぬ。それを兼ね備えし者(もの)こそ……孫策殿(そんさくどの)のような人物(じんぶつ)かと、私は思います」

言葉(ことば)を交わすほどに、二人の心(こころ)は通じていきました。

やがて、周瑜(しゅうゆ)は小声(こごえ)で告げます。

「魯粛殿(ろしゅくどの)。もし、志(こころざし)を同じくするならば……共に江東(こうとう)へ来てはいただけませんか」

しばしの沈黙(ちんもく)の後、魯粛(ろしゅく)は深く頷(うなず)きました。

「はい。この乱世(らんせい)に、正しき道(みち)を歩まんとする者(もの)がいるのならば……私もまた、その力(ちから)となりましょう」

こうして、周瑜(しゅうゆ)と魯粛(ろしゅく)――後の「二人の智将(ちしょう)」が出会い、信頼(しんらい)を築き始めたのです。

のちに孫策(そんさく)のもとへ戻った周瑜(しゅうゆ)を、孫策(そんさく)は温かく迎えました。

「周瑜(しゅうゆ)、よくぞ戻った!この江東(こうとう)、お前(おまえ)の才(さい)なくして治(おさ)められぬ!」

「そればかりか、頼もしき友(とも)を一人、連れてまいりました。魯粛殿(ろしゅくどの)です」

孫策(そんさく)は目を見開き、魯粛(ろしゅく)をまっすぐに見つめます。

「ほう……そなたが。歓迎(かんげい)するぞ。ともに、我ら(われら)の未来(みらい)を築こう!」

――この出会いこそが、のちの三国(さんごく)の命運(めいうん)を左右(さゆう)する大きな流れの一滴(いってき)でございました。

やがて訪れる赤壁(せきへき)の戦(いくさ)、そして江東(こうとう)の覇業(はぎょう)。その全ての始まりは、この年(とし)に静かに、確かに動き出していたのです。



198年:建安(けんあん)三年

 呉(ご)の地に、再び嵐が吹き荒れようとしていました。

 寿春(じゅしゅん)の城内、太陽が高く昇り、燦々(さんさん)と輝く日差しが大地を照らしていました。

 孫策(そんさく)は自らの陣営の前に立ち、数十人の兵士(へいし)と重臣(じゅうしん)たちを招集(しょうしゅう)していました。その先に、周瑜(しゅうゆ)の姿が静かに浮かび上がります。

 袁術(えんじゅつ)のもとを離れ、再び孫策のもとに戻った周瑜。その知恵(ちえ)と戦略(せんりゃく)は、孫策にとって非常に価値のあるものでした。

 「周瑜よ。よく戻ってきてくれたな」

 孫策の声は、深い信頼(しんらい)と感謝(かんしゃ)の気持ちを込めて周瑜へと向けられました。

 周瑜は軽く頭を下げ、平静(へいせい)を保ちながらも、その心からの言葉に感謝を込めて応えます。

 「殿(との)、再びお仕えできること、光栄(こうえい)に存じます」

 「お前の才(さい)を借りなければ、江東(こうとう)はますます混迷(こんめい)を深めるばかりだ。これからは共に歩んでいこう」

 孫策は深く頷き、その後、周瑜に向けて手を広げました。

 「そこでだ、周瑜。お前に大任(だいにん)を与える。お前を建威中郎将(けんいちゅうろうしょう)に任命(にんめい)する。これより兵五百(へいごひゃく)、騎馬百(きばひゃく)を与え、お前の指揮(しき)を任せよう。どうだ、心強く思わぬか?」

 周囲の者々(ものもの)が一瞬、息を呑んで見守る中、周瑜は驚いた表情(ひょうじょう)を浮かべたものの、すぐにその場に膝(ひざ)をつき、深く頭を下げます。

 「過分(かぶん)のご厚意(こうい)、身に余る光栄に存じます。必ずや、殿の期待(きたい)に応えてまいります」

 その言葉には、覚悟(かくご)と決意(けつい)がにじみ出ていました。周瑜の目はすでに、遠くの戦局(せんきょく)を見据えているように鋭く、揺るぎないものだったのです。

 孫策は、その真摯(しんし)な眼差し(まなざし)に満足げに微笑(ほほえみ)ました。

 「お前がこの地を支え、私の力となることを心から願っている。兵を与えたからには、すぐにその実力(じつりょく)を見せてくれるだろう」

 その後、周瑜はすぐに兵を指揮し始めました。孫策の軍では、数名(すうめい)の忠義(ちゅうぎ)に厚い家臣(かしん)たちが周瑜を見守り、共に戦(たたか)いを支えていました。

 まずは、孫策の右腕(みぎうで)として知られる黄蓋(こうがい)。

 その豪快(ごうかい)で勇猛(ゆうもう)な性格は、軍を率いるにふさわしい強さを持っていました。彼は、周瑜に対しても一目(いちもく)置く存在であり、しばしば

 「周公瑾(しゅうこうきん)よ、力(ちから)を貸せ!困(こま)ったときはオレに頼れ。ガハハ」

 と、豪快に声をかけていました。

 次に、程普(ていふ)。

 その皮肉屋(ひにくや)な性格(せいかく)と知恵(ちえ)を持ち合わせた副将(ふくしょう)として、周瑜とは異なる角度(かくど)から戦術(せんりゃく)を考えていました。程普は周瑜を温かく迎え入れ、彼に向かってこう語りかけます。

 「周公瑾、君の戦略眼(せんりゃくがん)は凄いらしいな。我々にも見せつけてくれい。江東に勝利をもたらすのなら歓迎するぞ」

 そして、もう一人、朱治(しゅち)。

 その冷徹(れいてつ)かつ緻密(ちみつ)な戦術家(せんりゃくか)として、周瑜の軍に加わり、内政や人材登用に力を発揮していました。彼は周瑜に助言(じょげん)を与えることも多く、戦術面(せんりゃくめん)で重要(じゅうよう)なパートナーとして活躍(かつやく)していきます。

 「周公瑾の戦術(せんりゃく)に従(したが)い、我が軍は必ずや勝利(しょうり)を手にするだろう」

 周囲の家臣たちは、周瑜の指揮の下(もと)、みな一丸(いちがん)となって戦(たたか)いに臨(のぞ)みました。その統率力(とうそつりょく)は素晴らしく、周瑜の号令(ごうれい)一つで軍は迅速(じんそく)に動き、彼の指揮する兵士たちは無駄なく戦場(せんじょう)を支配していきます。

 戦場で周瑜は、風(かぜ)のように速く、雷(かみなり)のように鋭い指示を出し、無数(むすう)の敵(てき)を次々に打ち破りました。

 兵士たちは、彼の指揮するもとで見違えるほど士気(しき)を高め、数々(かずかず)の戦果(せんか)を挙げていきました。その冷静(れいせい)で、かつ鋭い戦略眼(せんりゃくがん)は、軍全体(ぐんぜんたい)に安定(あんてい)をもたらし、戦いを有利(ゆうり)に進める力となりました。

 孫策もその結果(けっか)に満足(まんぞく)し、周瑜の手腕(しゅわん)を高く評価(ひょうか)しました。周瑜の存在(そんざい)は、次第(しだい)に江東の軍勢(ぐんぜい)にとって欠かせないものとなり、孫策の信頼はさらに深まることとなったのです。

 こうして、周瑜は新たな一歩(いっぽ)を踏み出し、孫策の軍における重要な柱(はしら)となりました。

 彼の実力(じつりょく)は、今後(こんご)の戦局(せんきょく)において、数々の勝利へと導く礎(いしずえ)となるのでした。



198年:建安(けんあん)三年

 初夏の江面(えんめん)は静かでした。陽光を照り返す水面(すいめん)を背景に、軍港(ぐんこう)では艦(ふね)の整備が進んでいます。孫策(そんさく)は一隻の楼船(ろうせん)の甲板(こうはん)に立ち、横に並ぶ周瑜(しゅうゆ)とともに眼下(がんか)の作業を眺めていました。

「よくぞ、ここまで来たな。まるで水軍(すいぐん)の都(みやこ)だ」

 孫策は満足げに唸(うな)りました。

「ええ、将軍(しょうぐん)。この江東(こうとう)の水は、船を浮かべるだけのものではありません。兵(へい)を育て、国(くに)を護(まも)る剣(けん)そのものです」

 周瑜の声は落ち着いていますが、目は燃えるような意志(いし)に満ちていました。

 周瑜(しゅうゆ)は名門(めいもん)・周家(しゅうけ)の子息(しそく)です。若くして音楽(おんがく)と兵学(へいがく)に通じ、文武両道(ぶんぶりょうどう)を極めた天才(てんさい)です。孫策の義兄弟(ぎけいてい)にして軍師(ぐんし)。その知略(ちりゃく)と才覚(さいかく)は、すでに江東全土(こうとうぜんど)に知られていました。

「昔(むかし)、父(ちち)・孫堅(そんけん)殿(との)も、ここで小船(しょうせん)を駆(か)っていた。今では楼船・蒙衝(もうしょう)・走舸(そうか)・鴟尾(しび)……。揃(そろ)いも揃ったな」

「蒙衝(もうしょう)は衝角(しょうかく)を備(そな)えた攻撃(こうげき)用(よう)。楼船(ろうせん)は高楼(こうろう)からの弓射(きゅうしゃ)が得意(とくい)です。走舸(そうか)は俊敏(しゅんびん)にして斥候(せっこう)に最適(さいてき)。そして、鴟尾(しび)は将軍専用(しょうぐんせんよう)の指揮艦(しきかん)。まさに水(みず)の軍楽隊(ぐんがくたい)ですね」

「詩人(しじん)のような例えだな。しかも、凄い知識だ。」

 孫策は笑いながら頷(うなず)きました。

 軍港では兵(へい)たちが水上(すいじょう)の訓練(くんれん)に励(はげ)んでいます。弩(ど)の試射(ししゃ)、長戟(ちょうげき)の突き(つき)、錨(いかり)の巻き上げ――すべてが緻密(ちみつ)で無駄(むだ)のない動きでした。

「最近(さいきん)では投石機(とうせきき)を載(の)せた平底船(へいていせん)も導入(どうにゅう)しています。火器(かき)も実用(じつよう)段階(だんかい)。火矢(ひや)・火盆(かぼん)・油壺(ゆこう)など、水(みず)と炎(ほのお)の融合(ゆうごう)ですね」

「曹操(そうそう)の連中(れんちゅう)にこれを見(み)せてやりたい。華北(かほく)の軍馬(ぐんば)では真似(まね)できまい」

 孫策は目(め)を細(ほそ)め、遠く揚子江(ようすこう)の流れを見やりました。

「ですが――」

 周瑜が声(こえ)を低(ひく)くします。

「だが、か」

「彼ら(かれら)も黙(だま)ってはいません。中原(ちゅうげん)の工匠(こうしょう)を集(あつ)め、船(ふね)の建造(けんぞう)に取り掛かるとの噂(うわさ)もあります。それに、黄河(こうが)の戦い方を江南(こうなん)に適用(てきよう)されては、意外(いがい)な形(かたち)で突(つ)かれる可能性(かのうせい)もある」

「つまり、我(われ)らも悠長(ゆうちょう)に「勝利(しょうり)は確実」などど思ってはいられぬ、ということだな」

「ええ。江東(こうとう)の水軍(すいぐん)は優秀(ゆうしゅう)ですが、まだ発展途上(はってんとじょう)です。今(いま)こそ、造船所(ぞうせんじょ)を増(ふ)やし、技術者(ぎじゅつしゃ)を育(そだ)て、若者(わかもの)を訓練(くんれん)せねばなりません」

「周瑜(しゅうゆ)、お前(おまえ)がいれば水軍(すいぐん)も千里(せんり)を行(い)ける」

 孫策はにやりと笑いました。

「その信頼(しんらい)、重(おも)く頂(ちょう)戴(だい)します」

 周瑜は一礼(いちれい)し、続けました。

「いずれ、この江(え)の流れを制(せい)する者(もの)が、天下(てんか)の流れも制(せい)する時(とき)が来(き)ます」

「ならば俺(おれ)たちが、その流れの先(さき)に立(た)とう。――江東(こうとう)の龍(りゅう)としてな」

 二人(ふたり)の視線(しせん)は、ゆるやかに揺(ゆ)れる水面(すいめん)の向こうに向かっていました。流れはやがて、洛陽(らくよう)へ、長安(ちょうあん)へと続(つづ)きます。その先(さき)にあるもの――天下(てんか)の未来(みらい)を、二人(ふたり)は確(たし)かに見据(みす)えていたのです。

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