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74. 両親

「そうして20年近く経ち、カティアさんと会う少し前、祖母が残した手紙が私の元に届きました」


 クライスはこちらを見て少し寂しそうに微笑んだ。


「ミゲルさんに聞いた話ですが、祖母は自分に何かあった時に商人経由で我が家に届くよう彼に手紙を託していたようです。それがどこかで行方不明になったのか2年越しに届き、陛下に報告の末今回の計画を立てました。祖母は、本当はこんなに長い間カティアさんを一人にするつもりはなかったのだと思います」


 その言葉でクライスの話は終わりを告げた。私が何も知らずに過ごしていた間、どれだけの気持ちを向けられていたのだろうと思うと何も言葉に出来なかった。


「…そんな顔をする必要はないんですよ、カティアさん」


 どんな表情か自分ではわからなかった。クライスの想いに対しての気持ちはひとつじゃおさまらなかった。思ってはいけないと思ってもどうしても考えずにはいられない大切な人を奪ってしまった申し訳なさと、幼少期を他の人達と同じように子供らしく過ごせなかった悲しさと、私の存在がそんなクライスを救えたのだという嬉しさと…それと一緒に一握りの不安も。


「…すみません、重すぎて引かれても仕方ないと思ってます」

「そんな事…!」


 それは絶対にありえないと反論しようとすると、扉をノックする音に阻まれた。エドアルドが対応しに行くと、内容は聞こえなかったけれど少し会話をした後白衣を着た男性が入ってきた。


「あぁ、目覚められたのですね」


 男性は優しい顔でにこりとし、頭を深く下げた。


「初めてお目にかかります。王族の皆さまのお身体を診させていただいている医師のザイツェルと申します。以後お見知りおきを」

「え…と、よ、よろしくお願いします」


 お医者様に会うのは初めてで緊張してしまった。返し方はこれで合っているのだろうか。


「はい、よろしくお願いいたします」


 ザイツェルと名乗った男性は私の返しにまた優しく笑ってくれた。その顔は相手をとても安心させてくれるもので、誰かに似ている気がした。


「よろしければ体調を診させていただいてもよろしいですか?」

「は、はい。えっと、どうしたら良いですか?」

「おや、医者にかかるのは初めてですか」

「はい…」

「それはすばらしいですね。健康でいらっしゃる証拠です」


 森で暮らしていたからそんな機会がなかっただけなのだけれど、ザイツェルは相手を不快にさせない話し方が上手く、少しだけ緊張していた体の力が抜けた気がした。


「ではまず脈をとらせていただきますね」


 そう言ってザイツェルは私の手首や首に指を置いたり何かの器具を当てたりした。慣れない私に合わせて、ひとつひとつ何をするのか、これは何のためにしているのかを説明してくれるので安心して言われるままにしていた。


「はい、終わりです。何も問題ありませんね。しばらくは毎日様子を診させていただきますが、何か不調があればほんの少しの違和感でも仰ってください」

「わかりました、ありがとうございます」

「エカティリア様のご健康を守れるよう私も尽力いたします」


 ドキリと胸が跳ねた。クライスが話してくれた、私の本当の名前。説明の中で耳にするのと、こうして実際に呼ばれるのとでは重みが違った。


「…どうかされましたか?」

「あ…いえ…大丈夫です」


 誤魔化せる相手ではなさそうだけれど、体調がおかしいわけではない事も見透かされていたようでザイツェルはそれ以上私には何も言わなかった。


「クライス」


 話し相手がクライスへと変わりほっと肩の力を抜くと、サリタニアが優しく背中を撫でてくれた。大丈夫、と笑いかけてくれたけれど、その笑顔は少し元気がないようだった。もしかしたらサリタニアもクライスの話に少なからずショックを受けて複雑な気持ちなのかもしれない。


「カティアさん」


 ザイツェルと話していたクライスが気遣うような表情でこちらに声をかけてきた。少し緩んでいた身体にまた力が入る。


「陛下方が離宮に戻られているようです。その、カティアさんがよければお会いしたいと仰られているとの事ですが…」


 思わず全身がぴしりと固くなって胸が早鐘のように鳴りはじめた。陛下方…この国の王様と王妃様で、サリタニアと私の…両親。


「…まだ魔力も完全には安定していないでしょうから無理はしないでください。カティアさんの現状をお伝えすればお断りも出来るでしょうから」


 そのクライスの普段とは違う言葉の選び方にはっとした。いつもだったら断ります、と断定して言うはずだ。そうだ、相手はこの国の

一番偉い人だもの、いくらクライスでも断るなんて事普通は出来ないのだろう。それに、いつまでも逃げるわけにもいかない。いつかは会わなければいけないのだ。


「…お会いします」

「よろしいのですね」

「はい、大丈夫…ではないかもしれないですけど、敵に会うわけじゃないですから」


 クライスの話では両親がどういう考えや気持ちでいたのかはわからなかった。けれど、私が生きるための選択をしてくれたのだから、こうしてクライスに託してくれたのだから、何よりもサリタニアが信頼して愛している人達なのだから、怖いだなんて思う必要はないはず。苦しいのはきっと、緊張してうまく息が出来ない所為だろう。


「それでは私がご案内してまいります。おそらく5分程で戻って来るかと思います」


 ザイツェルがそう言い部屋を出ていくとサリタニアが私の緊張で冷たくなった手を取り温めてくれた。先程の元気がなさそうな表情は消えていた。私も言葉だけじゃなくてしっかりしないと。


「大丈夫ですよ、お父様もお母様もカティアと会うのをとてもとても楽しみにしていたはずですから」

「はい…」


 緊張しすぎて、返事なのか溜息なのかわからない空気のようなものしか口から出て来なかったけれど、サリタニアの手の温かさを動力源にして、クライスとプリメーラに止められはしたけれどベッドから出て皺になったスカートを伸ばした。


 胸に手を当てて深く呼吸をして何とか緊張をほぐそうとしていると、コンコンと叩く音が聞こえ、扉がゆっくりと開いた。ザイツェルが開いた扉の横で胸に手を当てながら頭を下げると、クライス達も同じようにお辞儀をした。私も、と倣うように手を胸に当てようとしたらサリタニアの腕に引かれ、そちらを見ると優しく微笑みながら首を小さく横に振られた。


「家族に頭を低くする必要はありません」


 そう言いにこりと笑ったサリタニアは視線を扉の方へと向けた。私もつられてそちらに視線を移すと、サリタニアと同じく黄金色の髪をした王様と王妃様がこちらを見ていた。


「あ…」


 2人の顔を見た瞬間、緊張が少しだけ解けた。想像と少し違ったからかもしれない。想像していた王様や王妃様は、物語に出てくるように重そうな豪華な服と立派な宝石や冠を身に着けていて、住む世界の違うような人だったから。でも目の前の2人は、品のあるものではあるけれどシンプルで動きやすそうな服装と小振りな宝飾品を身に着けているだけで、平民とは違う世界に住んでいる事に変わりはないのだけれど、それでも少しだけ、親しみやすく感じる事が出来た。


「エカティリア…」


 王妃様はそう小さく呟くと口元に手を当てて俯いてしまった。そんな王妃様の肩を気遣うように支えながらこちらを見る王様の目はずっと私を見守ってくれていた祖母のものと同じだった。


 そう感じて今度はドキリと胸が跳ねた。本当に、私の両親なんだ、と思ってしまっても良いのだろうか。いくら血が繋がっている家族とはいえ、理由があったとはいえ、私は平民として過ごしてきた。それなのに、王族であるこの人達を家族と思ってしまっても良いのだろうか。


「…ごめんなさい、戸惑わせてしまって」


 涙を抑えた王妃様がそう言いながらこちらを見る目も、王様と同じものだった。


「い、いえ…」


 掠れた声でそう返すのが精一杯だった。何を言えば良いのか、どんな顔をしたら良いのかわからない心細さに、繋いでくれていたサリタニアの手を強く握る事しか出来なかった。


「お父様、お母様、わたくし達はクライスから一通り説明を受けておりますよ」

「あぁ、すまないサリタニア。お前におかえりの言葉もまだだったな」

「わたくしは後で構いません。それより、カティア…エカティリアお姉様が困っておりますので、何かお言葉をくださいませ」


 サリタニアの言葉で王様と王妃様は扉の前からこちらへと歩みを進めた。手の届く距離になって胸が早鐘のように鳴り、目を合わせられずに思わず視線を床に向けてしまった。


「貴女に会えたら、伝えたいと思っていた言葉が山のようにあったのですけれど…ごめんなさい、胸がいっぱいで、何からお話したら良いのか…」


 王妃様の話す声に顔を上げなければ失礼だと思いはするのだけれど、どういう顔をしたら良いのかわからなくてなかなか上げる事が出来なかった。


「…ねぇ、貴女にとってわたくし達はよく知らない者だというのは承知しているのですけれど、抱きしめても…良いかしら?」


 最後の方は声が震えていた。その言葉に顔が自然と上がり、サリタニアと同じ、新緑の色をした瞳に涙を湛えた王妃様と目が合う。その顔を見て、あぁ駄目だ、と思った。


 私は、この、私を抱きしめたいと言ってくれる人を母と、優しい目で見守ってくれる人を父と思いたい。祖母を困らせたくなくて考える事を諦めた想いが、抑えられていた分勢いよく飛び出してきた。欲しくてたまらなかった、呼びたくてたまらなかった私のお父さんとお母さん。


 喉がつまって言葉が出てこなかったけれど、恐る恐るこくりと頷くと私より少しだけ背の高い王妃様は優しく抱きしめてくれた。少しして、王妃様越しではあるけれど、王様もサリタニアごと抱きしめてきた。


「おかえり、エカティリア」


 王様の声は低く落ち着いていて、今まで聞いたどの声よりも安心できる音をしていた。


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