73-2. 昔日2 (クライスside)
王子もしくは王女の遊び相手と家庭教師という栄誉ある職を命ぜられてから、それまで以上に勉学に励んだ。自分の興味のある分野だけではなく、必ず必要になるであろう帝王学に始まり、王女だった場合を考えて女性の社交についても学んだ。
「クライス、お腹触ってみる?」
王妃陛下のお腹が大きくなってきた頃、体調も安定しているからとお茶に呼ばれた。
「たくさん蹴ってきて元気なのよ。陛下はそれなら男の子だって言うんだけど、わたくしはなんとなく女の子だと思うの」
「どちらでも国民は嬉しく思いますし、私も精一杯支えます」
「ふふ、クライスに任せていれば安心ね。女の子だったら…家庭教師からお婿さんになったりしちゃうかもしれないわね」
「そんな、恐れ多い事でございます」
他国では男児しか王位を継げないところもあるようだが、この国は金色の髪を持ってさえいれば女王が国を治めることもある。お腹の子供は第一王位継承者だ。そんな方の結婚相手になど、魔法の使えない自分がなれるはずはない。
「でもこんなに素敵なお兄さんに生まれた時からずっと一緒にいてもらえたら、女の子だったら絶対に好きになっちゃうと思うわ」
「それは、その、えぇと、もしそうなれば大変光栄な事ではありますが…」
「あらあら、クライスったら真っ赤」
「えっ…も、申し訳ありません!」
相手の求める答えを返すのは得意だったけれど、こういう自分に向けられた好意に対する受け答えは苦手だった。
「王妃様、あまり息子をからかわないでやってください。そういった面はまだまだ年相応ですから」
王妃陛下の体調を診る為に同席していた父からの援護にほっとして、赤い顔を誤魔化す為に少し冷めて飲みやすくなった紅茶を勢いよく飲んだ。
王妃陛下の体調も安定したまま出産予定日が近くなり、とうとう自分の人生を変えてくれる人と出会えるのだと心躍らせ、生まれたら一刻も早く会いたいと思い父と共に城に泊まるようになった。
「ザイツェル様、王妃陛下が…」
離宮の王妃陛下の部屋に近い部屋で待機していると、王妃付きの侍女が呼びに来た。にわかに離宮全体がざわつき始めたが、子供の自分には何も出来ないどころか邪魔になるだろうと考え、一番はじめに読んで差し上げようと選んだ絵本を繰り返し読みながらそのまま部屋で待機していると、遠くから赤ん坊の泣く声が聞こえてきた。
無事にお生まれになったと、胸が歓喜に震えはちきれそうだった。部屋を覗くくらいは許されるだろうかと廊下に出ると、ばたばたと走り回る侍女や声を張り上げる宰相が目に入り、一変して胸の中が不安な気持ちで満たされた。明らかに何か問題があった雰囲気だった。
何があったのか知りたくて、王妃陛下の部屋へと近付くと父が侍女に何かを指示しながら出てきた。
「父上…」
「あぁ、クライス。すまないな、少し問題があってお前を王女殿下にすぐ会わせられなくなってしまったんだ」
少しだけ苦しそうな顔をしながら屈んで目線を合わせてそう言う父の肩越しに、少しだけ部屋の中が見えた。部屋は眩しい程の黄金色の光に満たされていた。あれは、王族の魔力だろうか。光の中から赤ん坊…王女殿下の泣く声と、弱々しいがそれをあやす王妃陛下の声が聞こえた。良かった、2人とも無事ではあるようだ。
「ザイツェル様、魔術具をお持ちいたしました!」
侍女が複数の箱を抱えながら息を切らせて言った。
「魔術具…?」
「ありがとう。さぁクライス、先程の部屋で待っていなさい。後程お祖母様もいらっしゃるから、迎えに行くまで一人でいられるね?」
「は、い…」
部屋に戻りながら振り返り扉の隙間から再び部屋を見ると、王女殿下の泣き声に呼応するようにして黄金色の光が明滅しているようだった。侍女が持ってきた魔術具…それに、家にいる祖母を呼びつけたらしい。与えられたそれらの情報から導き出されるものはひとつだった。
「王女殿下の魔力が…暴走してる…」
赤ん坊を見たのは初めてだったけれど、あんな量の魔力を持っているものなのだろうか。部屋から出てきた父は苦しそうな顔をしていた。廊下に出てきていた侍女の数を見るに、おそらく部屋の中には陛下方しかいない、いや、いられないのだろう。貴族の中でも魔力を多く持っている父を上回る力は、赤ん坊の身体が受け止められるものなのだろうか。
つい先程まで喜びと期待に膨らんでいた心はざわざわとした黒いものに包まれていた。宝物のように思えていた絵本は急に何の価値もないものに思えた。何も出来ず、ただただ誰もいない部屋で膝の上で組んだ震える手を見つめる事しか出来ない自分もまた、価値のない存在に思えた。
「クライス…?やだ真っ暗じゃないの」
どれくらいそうしていただろうか。寝ていたわけではないと思うけれど、時間の感覚はなかった。扉が開き祖母の声が聞こえて初めて日が落ち、部屋の中が暗いことに気付いた。
「お祖母様…」
祖母は部屋のランプに灯りをつけてソファに座る自分の前に屈んだ。顔を覗き込んでくる祖母の顔は少しだけ困ったように笑っていた。
「貴方の事だから、何があったか大体はわかっているのでしょうね」
「王女殿下は…魔力を…」
「その通りです。今は魔術具で何とか抑えていますが、きっと数日でどれも壊れてしまうでしょう。お祖母様も手を尽くしましたがこのままではエカティリア様が保ちません」
「……」
何も言えなかった。エカティリアという名前の希望の光は、自分には何もすることが出来ずに消えてしまうのだ。
「ですからお祖母様は、エカティリア様を救うためにここを離れる事にしました」
「救う…?」
「お祖母様が昔仲間と研究をしていた事はお話しましたね?ここから離れた所ではありますが、そこならエカティリア様の魔力を外に分散させる事が出来るはずです」
それは、今まで心の支えだった祖母と、これからの人生の希望のエカティリア様が同時に自分の前からいなくなってしまうという事だった。知識量や思考は並の大人とであれば並び立つことだって出来ると思っていたけれど、感情はまだまだ年相応のようで、不安に支配されていた心は耐えきれなかった。
「いやだ…」
「クライス…」
気持ちを言葉にしてしまうとあとはとことん脆かった。視界は涙で歪み、祖母の腕にしがみついて訴えた。
「いやだ、いやです、おいて行かないで、僕も連れていって…!」
一人置いていかれたら、今までしてきた事が全て無駄に思えて、また何をするにも意味を見出せず、ただただ無為に生きているだけの存在になりそうでとても怖かった。
「クライス…貴方を連れて行く事は出来ません」
「どうして!」
「陛下方からの命で、これからの事は内密に進める事になりました。エカティリア様もわたくしも、世の中にはいない事にいたします。わたくしはこれから一人でエカティリア様を全ての事から守りながら20年育てなくてはなりません」
世の中にいない事にする…その意味を悟り、祖母の腕を握る手の力が抜けた。
「賢い子ですね。流石お祖母様の孫です。ではわかりますね、貴方は未来あるわたくしの自慢の孫です。ですから連れて行けません」
「でも…お祖母様…僕はこれからどうしたら…」
学ぶ事自体は楽しかったけれど、一度心に決めたエカティリア様の為に生きるという目的の他に意味を持たせることは自分には難しかった。
「…クライス、エカティリア様のお側にいられない事で貴方がまた生きる目的を失ってしまうというのなら、20年後の為に生きなさい」
「20年後…」
力の抜けた自分の手は祖母の温かい両手で包まれた。
「これからの事は内密に進めると言ったでしょう。どこから情報が漏れるかわかりませんから、全ての事を文字には残しません。クライス、エカティリア様の魔力はわたくしが昔研究していた魔石術を使用する予定です。もし、わたくしに何かあれば、それを理解出来るのは貴方だけでしょう。エカティリア様が20年後、無事城に戻れるようにこれからも勉学に励み、魔石術を極め、そして確かな人脈を作り盤石な地位を築きなさい」
求められるものの大きさに何も言えずにいると、祖母は握る手を緩めて困ったように笑った。
「…ふふ、ごめんなさい。駄目ですね、貴方はまだ6歳前だと言うのに、賢すぎてお祖母様も期待が大きくなってしまうようです」
ふぅ、と小さく息を吐いて立ち上がった祖母は少し待っているように告げて部屋を出て行った。
祖母を待つ間、祖母に言われた事を反芻していた。幼いエカティリア様を直接支える事は出来なくても、20年後、城に戻られるエカティリア様の為に努力する事は出来る。そうだ、ここで一生お別れというわけではない。自分が生きる価値はまだあるのだ。
「お待たせ、クライス」
戻った祖母の手には小さな小箱が乗せられていた。
「先程お祖母様が貴方に言った事は、並大抵の大人でも難しい事です。加えて、エカティリア様の身に起こった事を今日ここにいる者以外には誰にも言えず、相談も出来ず、悟られてはなりません。そんな中での努力を20年間強いられるのです。もし、貴方にその覚悟があるならこの箱を開けてみなさい」
渡された箱を見ると、色とりどりの石が埋め込まれた錠がされていた。だがその錠は鍵穴がない変わった形をしている。
「その箱には貴方に教えたものより少し難しい魔石術を使って鍵をかけています。エカティリア様の魔力を外に流す装置はその箱の何十倍も難しい論理で組み上げています。この箱と向き合い、エカティリア様の為に生きる場合に必要な努力の大きさを考えて結論を出すのです」
そこまで言うと祖母は優しく抱きしめてくれた。
「お祖母様は明日の夜に出発します。それまでに箱が開けられたらクライスの覚悟を認めます。開けられなくても安心しなさい。貴方のお父様は、貴方がエカティリア様と道を交えずとも迷わず生きられるよう先を示してくれるわ」
迷う事はなかった。外はもうすっかり暗くなっていたけれど、騎士に付き添いをお願いして家へと帰り魔石術に関する資料を机に集めて箱に向き合った。
使用人にも明日まで食事はいらない事を告げ、ひたすらに箱にかけられた施錠の魔石術の解析に没頭し、ふわりと掌程の大きさの陣が浮かび上がると同時にカチリと鍵の開く音を聞けたのは翌日の日が沈む頃だった。
こんな時間に、と止める使用人の声を振り切り家を飛び出し、城へと着く頃にはもう辺りは暗くなっていた。父に祖母の居場所を訊くと、ちょうど離宮に王女殿下を迎えに行ったという。城から離宮へとまた走り、薄暗い廊下で外套に身を包んだ祖母を見つけた。
「お祖母様!待って、待ってください!」
祖母を呼び止めた声は自分でも驚く程切羽詰まった声をしていた。ずっと走ってきたからか喉もカラカラで張り付いていた。
「クライス…」
祖母が歩みを止めてくれた事で安心して膝に手を置いて息を整える。こんな状況だけれど、勉強だけでなく体力もつけなければと頭の片隅で思った。
「お祖母、様…これ…」
まだ整いきらない呼吸を抑えて、ここまでずっと握りしめていた箱を差し出した。
「開け、ました。これで、認めて、もらえますね?」
これからの人生を王女殿下の為に生きる事を。辛くても構わない、いや、きっと辛いと思わない。
「クライス…本当に良いのですね?」
「はい!」
やっと整った息に顔を上げて祖母の目を見て答えた。はじめは少し心配そうな顔をしていた祖母は、エカティリア様を抱き直して空いた手をこちらに伸ばしてきた。
「わかりました。貴方の覚悟を認めます」
そう言いながら、優しく頬を撫でられた。一度目を瞑った祖母は、小さく息を吐き、強い眼差しでこちらを見た。自分をいつも気にかけてくれる優しい祖母の顔ではなく、国一番の魔術の使い手と言われる人の顔だった。
「クライス、わたくしも急な事でこれから20年、上手く立ち回れるかまったくわかっておりません。ですから、心の奥でクライスがいる事をお守りといたします。わたくしに何かあれば、貴方がエカティリア様を助けてくれるのだと、そう思う事で不安な気持ちをなくさせてもらいます。直接ではなくとも頼らせてもらいますからね」
「必ずご期待にそえてみせます」
祖母の強い眼差しに負けじと強い気持ちを込めてそう返すと、屈んだ祖母の片手に抱きしめられた。
「ありがとう…愛しているわ、クライス」
「…僕も、愛しています、お祖母様。…僕を見捨てないでくれてありがとう」
祖母が引きこもりの自分を諦めていたら、魔石術を教えてくれなかったら、今の自分はいないし、これから先も大した意欲も希望も持てず意味のない人生を送っていただろう。今更だけれど、このまま祖母と少なくとも20年は会えないのだと、もしかしたらもう二度と会えないのかもしれないと実感して視界が涙で歪んだ。
「あー、うー」
泣いては駄目だと必死に堪えていると、エカティリア様の小さい手が自分の頬を撫でた。まだ目も見えていない、自我もないだろうけれど、慰められている気がした。それだけで20年頑張れる気がした。たくさんの魔術具を付けられたこの小さな存在にひどく愛おしさが募る。
「エカティリア様…」
その名を呼んでこれからの毎日を過ごしたかった。それは叶わないけれど、きっと20年後、そう呼んで振り向いてくれる日を万全に迎えられるように。
「また、20年後に会いましょうね」
小さな手を壊さないようにそっと包んだ。




