73-1. 昔日1 (クライスside)
この国は魔力持ちが使える実用的な魔術の他に、術式を学んだ貴族のみが使える儀式用の魔法というものがある。どちらも生まれた時に神殿で魔力の有無と属性適性検査を受け、その適性に合った形で魔力を顕現出来る。魔術は貴族平民問わず、家系問わず現れる魔力持ちなら威力の大小に差はあれど誰でも使用出来るが、魔法は幼い頃からその使い方を学び、練習する必要がある。魔法は派手な見た目だけで特に実用性はないが、数々の式典等で使用される為、魔法を使えるようになる事は貴族の義務とも言える。
決して多くはないが適性属性がない貴族はいた。ただ、国王の従兄弟甥に適性属性がないという話は噂好きの貴族の格好の餌となり、またたく間に周知の事実となった。物心ついた頃には両親から自分の境遇と、貴族の義務について嘘偽り、誤魔化しなく告げられ自分が貴族の義務を果たせない事、貴族の子供が皆行っている魔法の練習すら自分には不要である事に無気力になり、屋敷の自室に引きこもるようになっていた。
「クラウディオ」
扉がノックされ、いかにも貴族然とした名前を呼ばれた。
「おばあさま…」
誰もが息を飲む程の美しい魔法を操り、戦争になれば一騎当千の戦力を持つ程の魔術を操ると言われる祖母は、引きこもった孫を心配して城での仕事を引退したらしい。自分の為にそんな事しなくても良いのに、と擦れた考えしか出来ず頬を膨らませて床を見つめた。
「クラウディオ、ご機嫌いかがかしら?」
「名前をよばないでください」
「あら、どうして?」
立派すぎる自分の名前が嫌いだった。貴族の義務も果たせないのに、誰が聞いても貴族とわかる自分の名前が。
「うーん、それじゃあ…クライス、なんてどうかしら」
「え…?」
「クラウディオ・ラズリス・シトライン、貴方にわたくしの名前を与えたのは何故だと思う?」
「…しりません、ぎゃくに聞きたいです。ぼくは魔法も魔術も使えないのに、どうしておばあさまの名前なんて…」
同じ年頃の貴族の子にそれでからかわれた事だってある。
「魔法や魔術なんて関係なく、貴方はわたくしの可愛い大切な孫だというのを周りの者にも知ってほしかったからよ」
うつむいたままの頭を優しく撫でられ顔を上げると、お祖母様はとても優しい顔で自分を見つめていた。
「お父様とお母様もそう。魔法が使えないというだけの事で、貴族である自分達の子である事を否定してほしくなかったから。だから貴族としての名前を貴方に贈ったのよ」
「でも…」
「そうね、名前を揶揄われたのをお祖母様も知っているわ。だから、クラウディオがまだその名前を重いと感じてしまうなら、クライス、と名乗るのはどうかしら。お父様お母様と、お祖母様の贈り物を合わせた名前よ」
「クライ、ス…」
その響きは不思議と心にストンと落ちた。華美ではない、でも今までの自分の名前から変えたというわけではない、自分のものだと思えた。
「クライス…ぼく、クライスがいいです」
「そう。ではまず屋敷の者達に伝えなくてはね」
両親も兄も屋敷の者達も皆こんな自分を心から心配してくれていたようで、クライスと呼ばれる事で今までとは違う表情を浮かべた事に驚く程喜んでくれた。そしてその名前は屋敷内ですぐに定着してゆき、国王夫妻もクライスと呼ぶようになり、正式な書類以外ではクラウディオという名前は見も聞きもしなくなっていった。
子供というのは単純なもので、ご立派な名前から解放されただけで今までとは違う心待ちでいられることが出来、魔法が使えないならば他で国の役に立てば良いとまで思えるようになってゆき、ならばまずは知識を蓄えなくてはとひたすらに勉学と向き合った。元々頭の回転が早く、同じ年頃の子供よりも歳の離れた兄や、年上のエドアルドと接する事が多かった為思考も大人びていて、座学では家庭教師が大袈裟にも神童などと褒めちぎる程だった。
「クライス、貴方はお勉強が得意なようだから、お祖母様の秘密の魔法の使い方を教えてあげましょう」
「僕は魔法が使えませんが…」
勉学に励むようになって自信がついたのか、魔法を使えないという事実に向き合うのが怖くなくなり、こうして自分で口にする事も抵抗なく出来るようになっていた。
「これはお祖母様が若い頃に研究していたものでね」
そう言って目の前に出されたのは遊び道具として見慣れた複数の丸い小さな石だった。引きこもり中に手持ち無沙汰に石同士をぶつけたり的に当てたりして遊んでいた。
「見ていてね」
石をひとつ摘み上げ耳慣れない言葉を呟いた祖母は一度こちらを見て得意げに笑い、ふぅと石に息を吹きかけた。すると石は淡い緑色の光をまとったかと思うと、たちまち鳥の形になり部屋の中をくるくると回って心地よい微風を吹かせた。
「すごいでしょう?」
「お祖母様は風の適性もお持ちだったのですか?」
「いいえ、お祖母様の適性はクライスも知っているとおり水です」
「え、でも今…」
短い間で消えてしまったけれど、確かに窓も開けていない部屋に風が吹いていた。
「これはお祖母様が昔研究していた魔石術というものです」
「ませき、じゅつ…」
「世の中には自然のもつ力を取り込んだ石があるのよ。その力を、論理を組み立てて他の物質の力も借りて石のあり様を少しだけ整えて、ほんの少しの魔力を含んだ言霊を使って引き出してあげるの」
それはクライスと呼ばれるようになった以上に、自分の世界が変わる瞬間だった。自分には魔力はあるらしい。でも適性がなければ無意味でしかないもので、では何のために魔力を持って生まれてしまったのかと答えのない問答を一人で繰り返して眠れぬ夜もあった。その魔力の使い道があるという。しかも、祖母の話し方によると必要なのは魔力よりも論理を組み立てることのようだ。知りたい、どうしたら魔石術が使えるのか、どういった論理が必要なのか、それは決められたものなのか、自分で拓いていけるものなのか。生まれ初めて、心が期待に躍るという経験をした。
「お祖母様、僕にも使えますか」
「もちろん、お祖母様はクライスにぴったりの魔法だと思っているわ」
「教えてください、僕、魔石術を使えるようになりたい」
それからは今まで以上に机にかじりつくようになった。基礎の勉学はもちろん、魔石術に直結する自然の知識、自分には使えない魔術や魔法、異国の言葉に古代の言葉、錬金に関する書物に生活様式に関するちょっとした書付けまで読み漁った。全ての知識が頭の中にするすると吸収されてゆき、これが魔石術の論理を組み上げるのに役に立つと思うと、楽しくて仕方がなかった。
健康の面や社交力を心配した両親が幼馴染のエドアルドと一緒に剣の鍛錬をさせたり、頻繁に城に連れて行ったりする事で、最低限の体力と人脈も得ることが出来ていた。いつしか、魔法を使えない役立たずの貴族の子供は、魔法は使えないけれど優秀な貴族の神童という評判になっていた。
ある日、いつもと同じように父に連れられ登城すると、いつもと違う部屋に連れて行かれ、そこで国王である従叔父とお茶をする事になった。
「クライス、勉強は楽しいか?」
「はい、とても楽しいです」
「そうかそうか、それは良かった」
従叔父はスコーンにジャムを塗るとこちらに差し出してくれた。従叔父とはいえ国王にそのような事をさせて良いものかと父を見ると、頷いてくれたので礼を述べ受け取った。
「うむ、叔父としては寂しいが礼儀作法もしっかり躾けられているな」
今のは何かを試されたらしい。手にあるこのスコーンは食べない方が良いだろうか。
「ははっ、悪かったクライス、お前は本当に聡い子供だな。気にせず食べなさい、ここからは親戚の叔父さんとの話にしよう」
従叔父はそう言うと騎士を一人だけ残して下がらせ、姿勢を崩してどかりと椅子に座り直した。
「実はな、まだ内密なんだが、ヴィクトリアに子供が出来たんだ」
ヴィクトリア様は従叔父のお嫁さんで、王妃陛下だ。という事は、第一王位継承者がお腹に宿っているという事だ。口に入れてしまったスコーンを急いで飲み込んで姿勢を正した。
「おめでとうございます」
「あぁ、ありがとう。それでな、クライス、お前に頼みがあるんだが」
「はい、何なりと」
従叔父とはいえ国王からの頼み事を子供が受けるなんて、普通はあり得ない。ドキドキとしながら膝に置いた手を握りしめた。
「お前に、我が子の遊び相手から、ゆくゆくは家庭教師になってもらいたいと思っている」
「え…」
「ザイツェルから聞いたぞ。家庭教師も教える事がないとお手上げ、むしろ神童と讃える程の学力だそうじゃないか。それだけじゃない。城にいる大人たちからの評判も良い。同じ年頃の友人は少ないようだが、ルベライトの息子とは仲が良いようだから、まぁ、周りの問題だろう」
従叔父はそこまで言うとスコーンを口に入れて咀嚼し、満足そうに笑った。
「王子だろうが王女だろうが、クライス以上に我が子を任せられる者はいないだろうというのが、私とヴィクトリアの意見なんだ…っおい、どうした?」
従叔父は急に慌てた顔をして身を乗り出した。
「え、ザイツェルどうしよう、すまない、何か言ってはいけない事を言ってしまったか?」
「落ち着いてください陛下、ほらクライス、こちらを向いて」
父に顔を横に向かされ、目にハンカチを当てられた。どうやら無意識に涙がこぼれていたらしい。
「あ…すみま、せん、父上…叔父上」
自分でも驚くほど無意識だった。でも意識した途端、ぼろぼろとこぼれて止められなくなってしまった。父に頭を引き寄せられ、父の胸をびしょびしょにさせるまで泣いた。
「クライス、今までよく頑張ったな。その涙はその頑張りが認められて嬉しいからなんだよ」
認められて嬉しい、そうか、途中から学ぶ事が楽しくて忘れていたけれど、最初は魔法以外でお役に立てるようにと始めた事だった。その気持ちはきっとずっと心の奥にあったのだろう。
「大丈夫か?嫌だったら…断っても良いんだぞ?」
おろおろとした従叔父の声に父の腕から抜け出し、袖で涙をぐいと拭いた。
「いえ、やらせてください。僕に…私に出来る精一杯で務めさせていただきます」




