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75-1. お父さん1

 色々あって今日はもう疲れただろうからと、それぞれ休むようにと王様から言われて両陛下とザイツェルは部屋から出て行った。これからどうするのか、私は何を考えたら良いのか、宿はどうなってしまうのか、わからないことだらけだけれど、色々なものを詰め込められて頭が悲鳴を上げていたのは確かだった。


「カティア、今晩はわたくしがずっと一緒にいますから、色々と思うところはあるでしょうけど一旦休みましょう」

「カティアさん、お食事は召し上がれそうかしら?」


 プリメーラに言われ、自分の身体に意識を向けたけれどあまりお腹が空いているという感覚がなかった。そういえば、隠し部屋で意識を手放してからどれくらいの時間が経っているのだろう。


「あまりお腹は空いてないです…あ、みなさんは遠慮せず食べてください」

「食べられないわけではないのでしたらスープを持ってこさせましょう。少しは体を温めた方が落ち着くでしょうから」


 クライスにベッドに腰掛けるよう促されながら、スープくらいなら飲めるだろうと思ってはい、と返すと部屋の空気が少しだけ緩んだ気がした。あぁ、心配をかけてしまっているのだと反省する。


「プリメーラ、1階の使用人室に侍女を一人待機させていますから、カティアさんが食べられそうな軽めのスープと3人分の食事、それからカティアさんと姫様の着替えを用意するよう言付けてください」

「かしこまりましたわ。3人…?クライス、食べないつもりですの?」

「私はこの後離宮の人事を整えますから席を外します。どこかで食べますから心配しないでください。それとエディ、申し訳ないんだが今晩は離宮のこちら側には人を入れないようにしてる。明日までには口の堅い者を最低限配置するからそれまで護衛は一人で頼めるか?」

「安心しろ、あぁ、口が堅い奴で言えば一人心当たりがある」

「ではまずは一足先にその者をつけよう。用足しにも行けないだろう」


 レティーツィアがパジャマパーティーをしたいと言った夜のようにテキパキと指示を出すクライスを見ながら、改めて、ここで過ごしていた人達なのだと感じて少しだけ不安な気持ちが顔を出してきた。祖母のおかげで食生活や言葉遣いなどは身についてはいるようだけれど、私の中身はどうしたって平民なのだ。こんな風に色々な事を把握して人を使って、物事を動かしたり調整したりするような事は今まで経験も、こうして実際に目にする事すらしていなかった。クライスと一緒に生きていく事を決めた時は覚悟したつもりだったけれど、全然足りなかった。それに、私は、本当にクライスの気持ちを受け止められるだけのものを持っているのだろうか。


「カティアさん?大丈夫ですか?」


 顔を覗き込んできたクライスの顔は心配で仕方がないというものだった。駄目だ、弱気になってはいけない、今考えていることを伝えたらきっと悲しませてしまう。


「すみません、大丈夫です。きっと頭がいっぱいになってしまってるだけです」

「…難しいかもしれませんが今晩は一旦忘れてゆっくり休んでください。これからの事が気になるでしょうが、カティアさん一人で考える必要はありませんから」

「そうです、みんなで考えましょう?」


 サリタニアの笑顔に胸がちくりと痛む。これが、例えばいち貴族の子供でした、という話だったならサリタニアと家族になれた事を、お父さんとお母さんがいた事をもう少し素直に喜べたのだろうか。だって、私があの人達の事を心の望むままにお父さんお母さんと呼んだら、この国は混乱しないのだろうか。私が国民側にいたらきっと思ってしまう、それじゃあ次にこの国の一番上に立つ人は誰なのだろうと。


 休めと言われてもどうしても頭の中ではぐるぐると考えてしまって、出されたスープの味もあまりわからないまま、みんなに表面だけの受け答えしか出来ないまま、サリタニアと一緒にベッドに入った。


「扉の前に立っているとカティアさんが落ち着かないだろうから、今晩は少し離れた場所で待機しているからな。何かあったら呼んでくれ」


 そう言ってエドアルドは部屋の外へと出て行き、私が安心して眠れるまで歌ってくれると言ったサリタニアも疲れていたのだろう、ベッドに入ってすぐにうとうとと首を傾け、布団をかけてあげると穏やかに寝息を立て始めた。ベッドに入る前に歌ってもらえた事で少しだけぐちゃぐちゃだった心の中が落ち着いた気がした。


「眠れない…かな」


 このベッドで目覚めるまでそれなりの時間眠っていたらしいのと、サリタニアの魔法で心は落ち着いても頭は必死で考えようとしてしまうからどうしたって眠れそうにない。


 外の空気が吸いたいと思った。城は頑丈に出来ている所為か、外が遠く感じた。部屋に窓はあったけれど、寝ているサリタニアを起こしてしまうかもしれない。そっとベッドを降りてベッドサイドに置いてあったストールを羽織り扉を静かに開けた。扉の外は長い廊下になっていて、部屋の中よりは空気が吸いやすい気がした。エドアルドの姿はここから見える範囲には見当たらなかった。城の造りもわからないし少し廊下を歩くだけなら声をかける必要もないだろう。


 音が鳴らないように扉をそっと閉め、一度伸びをした。これだけで体に新しい空気が入って少しすっきりする。足音を立てないようにゆっくり歩きはじめると、どこからか風が入ってきているのか、微かに優しく頬を撫でていく冷たい感触が気持ちよかった。


「エカティリア…?」


 1つ目の角を曲がったところで後ろから声をかけられた。ドキリと胸が跳ねる。振り返ると、王様が驚いた顔をして立っていた。私が何も言えないでいると、王様は片手を挙げ、その合図で後ろにいた3人の騎士であろう人達が後方に下がっていった。


「エドアルドももういいぞ。帰りは私が送っていく」

「えっ?!」


 後ろを振り返ると少し離れた場所でエドアルドが静かに頭を下げていた。


「アレは騎士代々の家系でな、家訓は護衛とは主の身も心も守る事とかなんとか言っていた。気晴らしに外に出たのだろう?邪魔しては悪いと思って離れたところから見守っていたのだろう」


 全然気付かなかった。悪い事をしてしまっただろうか。


「さて…エカティリア…いや、カティアと呼んだ方が良いだろうか」

「あ…エカティリア、で大丈夫です」

「そうか」


 王様は嬉しそうに笑った。耳慣れないけれど、お父さんとお母さんがくれた名前を無碍にすることなんて出来ない。


「外は暗いが、どこに行くつもりだったか聞いても良いか?」

「え、と…眠れなくて、外の空気を吸いたいと思って部屋を出たのですが…お城の造りがわからなかったので廊下を少し歩こうかと…思っていました」


 どんな話し方をすれば良いのかわからずしどろもどろになってしまう。


「そうか。私も寝る前に少し外の空気を吸いたいと思っていてね。星見にちょうど良い場所を知っているのだが、一緒にどうだろうか」

「は、はい。お邪魔でなければ…」

「邪魔なものか、とても嬉しいよ。では行こうか」


 にこりと笑って歩き出した王様の後ろをついていくと、何度か曲がった廊下の先に一面の窓があり、そこを開けると外に面した円形のスペースになっていて、飾り模様で縁取られたテーブルと椅子が置いてあった。手摺には小さめのプランターに入れられた花がいくつも吊り下げられ、とても可愛らしい空間になっている。


「このバルコニーは数年前にサリタニアが家族で寛ぐ為に整えてくれたものでね。サリタニアが不在の間は王妃が面倒をみていたのだが…」


 サリタニアが作った空間と聞いて納得した。可愛らしいのも彼女らしいけれど、テーブルや花の色は落ち着いていて、疲れた家族を癒せるものをと考えたのだろう事がわかって、それだけで心が温かくなってくる。


「もしかしたらサリタニア自身がエカティリアを連れて来たいと思っているかもしれないから、怒られてしまうかな。そうしたら庇ってくれると嬉しい」


 そう、いたずらっぽく笑って言った王様に椅子を勧められて座った。椅子の背もたれは少し傾斜がついていて、背もたれに寄りかかると空を見上げられるようになっていた。


「わぁ…」


 森は木々が茂っていて空が少し狭かったから、どこまでも広がる星空に思わず声が出た。


「綺麗だろう?私はこの星空が好きでね、疲れた時は夜ここでゆっくりするんだ」


 そう言って王様も椅子に座り、静かに空を見上げた。しばらく何も話さずにただただ空を見上げているだけの時間が続いたけれど、満天の星空に緊張も解けて居心地の良い時間だった。


「…驚いただろう?」


 視線は空に向けたまま、王様は静かに、優しい声で言った。


「…はい、とても」


 不思議と、先程のようにどんな話し方をすれば良いかなどとは考えずに返事が出来た。こうして2人きりでいると、私が何を言っても受けとめて包んでくれるような、そんな安心感があった。


「エカティリアにとっては勝手な話に感じるかもしれないが、これからどうするか、どうかゆっくり考えてほしい」

「どうする、か?」


 どうなるか、ではなくてどうするか…私がこうしたい、と言える事はそんなにあるのだろうか。 


「あぁ、エカティリアがどうしたいか、何を選ぶかを、どうか今の気持ちだけではなくて、ゆっくりと考えてほしいと思っている。そうして、最終的にあちらに帰るという選択をしたのなら、我々は何も言わないよ」

「帰る…」


 そう言われて、私の中にその選択肢がなかった事に気付いた。スコットとの話で、宿を離れる選択肢もあるのだという事に気付けたし、それに元々、甘い考えの上でのものではあったけれど、クライスと一緒にいる為に宿を離れる覚悟もしていたから。


「エカティリアの事は限られたごく僅かの者しか知らない。それは危険を避ける為でもあったが…20年は長い、あちらに捨てられないものも沢山出来るだろう。だから、城に戻らずあちらに帰れるよう、選択肢を残してやりたかったんだ」


 少しだけ寂しそうに笑う王様の瞳は祖母に向けられていたものと同じだった。私の事を心から想ってくれている、優しい眼差し。


「あの…もし、宿に帰ったら、その…王様や王妃様の事は…」

「寂しいが、こうやって会って話した事はなかった事にしてもらわなくてはならない。あぁ、君の事は信頼しているから監視などはつけないから安心していい。ただ、君はこうして城に来なかったし、誰にも会わなかった。髪色を変える薬もあるから、何もなかったように今までと同じように振舞って生きて行くことが出来るはずだ」


 君、と呼ばれて胸が痛んだ。胸の痛みと共にどうにもならない感情がせり上がってきて、気づかれないように俯いた。


「…エカティリア?」


 椅子から身を乗り出して私の顔を覗き込んできた王様の顔は、我慢しきれなかった涙に歪んでどんな表情をしているかわからない。


「どうした、何が悲しい?」

「……わた、わたし…」


 困ったように弱々しい声でかけられた問いには嗚咽で返すことが出来なかった。どうしていつも大事な時に泣いて何も言えないんだろう。祖母が亡くなる前まではこんな事なかったのに。そう情けなく思っていると、私の頭に遠慮がちに手が添えられた。大きくて優しい、温かい手に更に涙が溢れて止まらなかった。あぁ、私はやっぱり…。


「お父、さん」


 嗚咽の間に思わず漏れ出てしまった言葉に頭を優しく撫でてくれていた手がピクリと震えた。しまった、と思って顔を上げると驚いた顔の王様と目が合った。


「エカティリア…今…」

「すっ…すみません…わたし…」


 お父さんと呼びたい、君と呼ばれて寂しい、そんな感情を先程会ったばかりの人に、それも国の王様にぶつけて良いんだろうか。その迷いがどうしたって頭から離れない。


「…なぁ、エカティリアはもう立派な女性だし、エカティリアにとって私は今まで顔も知らなかったおじさんだから先程は遠慮して王妃越しだったのだが…」


 一度離された大きな手が再度頭を撫でた。今度は先程のように遠慮がちではなく、大きな手でしっかりと包み込まれるように。


「先程の王妃の様にエカティリアを抱きしめたいのだが…良いだろうか?」

「え…」


 予想していなかった問いかけに思わず涙が止まった。王様は少しだけ照れたように眉尻を下げながら優しい瞳で微笑んでいる。


「20年間、ずっと我が娘をこの手で抱きしめたかったのだ」


 そう言って広げられた大きな腕に、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま吸い寄せられるように近付くと、ふわりとその腕で包み込まれた。祖母ともクライスとも違う、大きくて力強くて全てを優しく包み込んでくれる、世界で一番安心できる場所に感じた。


「愛しているよ。私の大事な大事な娘、エカティリア」


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