四十七食目 シャッター切られるマシュマロココア(後)
「ーー……はぁ、さっぱりしたわねぇ。」
「は、はい……。さっぱり、しました……。」
暫くして、浴場から出てきた樹と亀島は、エレベーターの方へと向かっていた。だが、艶々している亀島と打って変わって、樹はどこかげっそりとしている。何があったのかは定かではないが、相当疲れ果てている様子だった。こっそりと一つ溜め息を吐いていると、向かい側から智里と草壁が歩いて来ているのが見えた。お風呂に入っている間に仲良くなったのか、楽しそうに談笑している。こちらに気付いた智里が、元気に手を振って来たので振り返した。
「あ、樹さん。……あれ? なんだかお疲れの様ですね。大丈夫ですか?」
「あ、あはは……。だ、大丈夫ですよ。それより、神狩社長は……。」
「うふ、ここよ。さぁ、入ってちょうだい。」
大きな扉から顔を出して来た神狩は、ニコニコしていた。促されるまま扉を潜ると、二人は目を見開き、息を呑んだ。ドクドクと心臓が早鐘を打つのが手に取る様に分かる。それは、智里も一緒の様で、完全に体が固まってしまっていた。
「こ、れ……。」
「……私はねぇ、直感で動く事が多いけど、ちゃんと人を見ているのよ。貴方方の今日の働きは賞賛に値する。だからコレは、「ご褒美」よ。それと、今から「仕事」よ。」
カツカツとヒールを鳴らしながら、部屋の中央へと進む。そして、身を翻すと、純粋な少女の様な笑顔を見せた。
「ふふっ、疲れた顔をしているけど、コレを纏えば気持ちは変わる。それは、本番でも一緒。緊張や不安で眠れなくて、酷い顔をしていても、着た瞬間に体の疲れや不安は消え、体が軽くなる。……まぁ、終わればドッと疲れが来るけどね。だけど、それだけ凄い魔法を持っているのよ。」
ポケットから布手袋を取り出して填めると、沢山掛かっている物を愛おしそうに撫でた。サラサラと手から滑る様に離れるソレに、二人の気持ちは高揚した。ゴクリと生唾を飲む音が大きく聞こえる。
「……やって、くれるわよね?」
「…………はいっ!!」
「寧ろ、ありがとうございますっ。」
「ウフッ、元からお願いしてるのに、どうして感謝されなきゃならないのかしら……。まぁ良いわ。さぁ、着替えてちょうだいっ。時間は限られてるわよっ。」
その言葉を皮切りに、草壁と桃園がそれぞれ付き添い、着替えが始まった。勝ち誇った様に腕組みする神狩に、亀島はそっと「良かったわね。」と耳打ちした。それに一層口角を上げると、「当然でしょ。」と言い返したーー。
「ーーさて、内容についてだけど、コチラからは特に指定はしません。」
先に着替え終わった樹が胸を踊らせながら待っていると、神狩の口から告げられた事に頭が付いて行かなかった。今日一日見学させてもらっていたが、ベテランのモデルでも色々と指示が飛んでいたのに、何故、自分達には特に指示は無しなのかが分からなかった。混乱していると、神狩が近づいて来て、樹の肩に触れた。
「……ねぇ、実際に着てみてどう思った?」
「ど、どう、って……。」
「彼女ちゃんのドレス姿、想像してみた?」
「っ!! そっ、それは……っ!!」
想像して胸を躍らせていましたと言わんばかりに顔を真っ赤に染め上げていると、不意にカシャッと音がした。気付けば、神狩はいつの間にか樹からだいぶ離れた所に佇んでおり、亀島はカメラを構えていた。どう言う事なのか分からず疑問符を幾つも浮かべていると、今度は後ろの方でシャッとカーテンが引かれる音がした。ふりかえると、時が止まったかの様に、その光景に吸い込まれた。
「……あ、あの、どう……ですか……?」
照れくさそうにしながら試着室から出てくる智里に、思わず息を呑んだ。モデルの女性とは違い、モジモジしながら草壁に手を引かれて歩く姿に、心臓が飛び出そうになった。呆然と立ち尽くしていると、いきなり桃園が背中を押してきた。突然の事に足が縺れ、倒れそうになったが、なんとか踏み止まった。そっと顔を上げると、不安そうに見下ろしている智里と目がかち合った。直ぐに上体を正し、智里を見据える。が、樹は目線を逸らしてしまった。
「……。」
「……。」
気まずい空気を作ってしまい、折角セットしてもらった髪をガシガシと引っ掻く。樹の脳内では、智里を褒め称える言葉が乱行していた。だが、緊張と照れで、どうにも言葉が出てこない。悶々としていると、またもや神狩が近づいてきて、二人の肩に手を添えた。
「……ねぇ、さっきの答えを聞いてないわ。」
「さっ、さっき……?」
「着替えてる時、想像してみたかって事。」
「そっ、それはっ……!!」
「前田さんはどう? 着替えてる時、片岡君のタキシード姿を想像したかしら?」
矛先を智里に変えた神狩。いきなり話を振られて言葉に詰まっていたが、一呼吸置いた後、智里が口を開いた。
「……ふ、普段、スーツ姿を見慣れているので、その延長線上みたいな感覚でした。」
「あら、素直。」
「でも……、実際に見ると、百倍素敵に見えます。」
顔を真っ赤に染めながらポツリと言う智里に、亀島はシャッターを切りながらときめき、神狩は一層笑みを濃くした。そして、言われた樹本人は、嬉しさのあまり頭が沸騰していた。口角を上げると、神狩は手を叩いた。その音で、ポワポワした雰囲気だった空気が弾け飛んだ。
「さてっ、和んでいるところ悪いけど、早速お仕事してもらうわよ。時間が時間だから巻きで行くけど、完璧に仕上げなさいっ。妥協は許さないわ。」
「は、はいっ!!」
「宜しくお願いしますっ。」
「オッケーよっ。さぁ、Show・must・go・on!!」
こうして、二人の撮影が始まった。早朝から動きっぱなしで疲れていたはずなのに、いざ撮影が始まると、表情が引き締まり、背筋がピンッとなった。一緒に歩いている所や、薄暗くした教会のステンドグラスが月明かりで照らされている中撮ったり、お色直しをしている所も撮ったりした。この撮影時間が短く感じる程、時が流れるのはあっという間だったーー。
「ーー……ふぅ、お疲れ様っ。コレで終わりよ。」
「あ、ありがとう、ございました……。」
「わっ、もう夜中の零時だっ。あっという間でしたね。」
「良かったら、写真見る? なかなかの出来栄えよ。」
終わった瞬間に溢れ出る汗をタオルで拭いながら、パソコンに映し出された写真を眺める。どれもこれも自然な表情をしており、コレが自分達なのかと思う位とても魅力的だった。ドキドキしながら見ていると、パソコンを見ていた樹達の間に割り込む様に、神狩が顔を覗かせた。
「あらぁ、やっぱり見込み通りね。」
「うわぁっ!? か、神狩社長!?」
「あ、お疲れ様です。」
「はぁい、お疲れ様。良かったら、コレどうぞ。」
スッと後退すると、草壁に持たせていたお盆からグラスを二つ取った。そして、樹と智里の手に取らせると、デキャンタに入った赤黒い液体を3分の一程注いだ。色からして赤ワインかと思ったが、独特な香りからある物が頭を過った。
「フルーツ酢、ですか?」
「正解。疲労回復と美容に良いのよ。苦手なら他の物を用意するけど……。」
「あっ、私も樹さんもフルーツ酢好きです。いただきます。」
「なら良かった。炭酸で割る? それとも、熱湯? 冷水? 敢えてサワーにしちゃう?」
言っている側から、桃園が机に炭酸水やポット、焼酎の瓶を置いていった。それも、微炭酸や強炭酸、軟水、硬水、焼酎も沢山の銘柄を揃えている。「どれでもどうぞ。」と、にこやかに言うので、樹は強炭酸、智里は熱湯で割った。亀島に至っては、炭酸と焼酎でサワーを作っていた。
「では、お疲れ様。」
「お疲れ様でした。」
「ありがとうございました。」
チンッとグラスを合わせ、それぞれグラスに口を付ける。後味に少し渋みがあるが、爽やかな酸味と甘味があり、とても飲みやすい。炭酸で割ったので、シュワシュワした感覚が疲れた体に染み渡る。一気に飲み干すと、頭が冴えてきた。
「……お口に合った様で良かったわ。」
「とても飲みやすかったです。」
「あら良かったわね、桃園。褒められたわよ、自家製フルーツ酢。」
そう言うと、話を振られた桃園は照れた様に頬を染めながら、そっぽを向いた。そんな様子に、皆してクスリと笑うと、グラスを傾けた。そして数日後ーー。
「ーー……やぁ、片岡君。神狩社長から荷物が届いたよ。」
「は、はいっ。ありがとうございます。」
朝から社長室に呼ばれた樹は、佐伯から大きい封筒を手渡しされた。この案件は、社長である佐伯にしか伝わっていない。いそいそと社長室を出ようとドアノブに手をかけると、「彼女の我が儘に付き合ってくれて、ありがとう。」と、ポツリと労われた。振り返ると、にっこり笑いながら手を振っている。樹はドアノブから手を離して向き直ると、佐伯に勢いよく頭を下げ、それから退室した。封筒を大事に抱きしめながら、オフィスに戻ると、早々に鞄に詰め込むと、ルンルン気分でパソコンのキーボードを叩いた。その様子に、周りの同僚や後輩達が変な物を見る目で樹を見ていたのは、本人は知らない。
「ーーただいま帰りましたっ。」
定時で上がれた樹は、デスクを綺麗に整えてから鞄を大事に両手で抱き抱えて退社した。そして、真っ直ぐマンションに帰ると、急いでリビングへと向かった。ネクタイを緩めながらテーブルに封筒を優しく置く。物音に気付いた智里が、部屋から出てきた。
「あ、樹さん、お帰りなさい。……これは、まさか……!!」
「はい……。神狩社長からです……。」
二人して、封筒を見つめながらゴクリと生唾を飲む。そして、意を結した樹が封筒の中に手を入れ、中身を取り出した。ゆっくりと顔を見せ始めるソレに、呼吸をするのを忘れる位、見入った。
「……ふ、わぁ……。」
「綺麗……。」
一枚一枚、ゆっくりと見ていく。目頭が熱くなり、胸が張り裂けそうな位、感動している。どれもこれも、洗練された芸術品の様だった。
「これが、プロなんですね。どれも、自然な表情……。」
「ですね……。とても素敵です。」
緊張した面持ちだったり、照れ笑いしていたり、楽しそうに微笑んでいたり……。全てが自然体の表情だった。全ての写真を見終わると、二人して息を長く吐き、力が抜けた様にソファーに深く腰掛けた。
「……夢、の様でした。」
「でも、現実ですよ。私達、ドレスとタキシード着て……。」
そこまで言って、智里は口を閉じた。どうしたのかと樹が覗き込むと、千智の両目から大粒の涙が零れ落ちていた。ビックリした樹は、慌ててポケットからハンカチを取り出すと、智里の目元に押し当てた。
「だ、大丈夫ですか!? どこか、痛いんですか!?」
「……いえ、違うんです。この気持ち、どう表したら良いか、分からなくて……。」
「気持ち……?」
ハンカチを受け取り、自分で涙を拭うと、一つ深呼吸をした。そして、樹に向き直ると、もう一度深呼吸をしてから真剣な表情で口を開いた。
「……私、樹さんと式を挙げたい。家族を呼んで、友達や職場の方を沢山呼んで、楽しい式を挙げたいです。私、未だ学生だけど、卒業したら……!!」
そこまで言った所で、樹は智里を抱き締めた。嬉しさのあまり、力任せにギュウギュウと。暫く抱き締めていると、苦しくなってきたのか、智里が樹の肩を軽く叩いた。それで気付いた樹は、一度体を離し、もう一度、今度は優しく抱き締めた。
「……俺も、この仕事して、写真を見て、改めて思ったんだ。早く、式を挙げたいって。」
「樹さん……。」
「挙げよう、智里さん。貴女が卒業したら、直ぐに。」
「っ!! ふっ、……ん、ひっく……っ。……うんっ!! うんっ!!」
泣いている智里の目尻を親指でなぞると、どちらからでもなく、唇を合わせた。離すと、二人して笑い合った。そんな二人の様子を見ていたハクは、静かにベランダに出ていくと、遠吠えした。まるで、二人を祝福するかの様に、長く長く吠えた。
ー本日のメニューー
・シナモン入りマシュマロココア
・フルーツ酢(炭酸割り・お湯割り・サワー)
END




