三十一食目 お花見弁当は、今日も桜前線真っ最中(中)
――そして、十時頃。携帯のアラーム音が鳴り響く中、ベッドの上で身じろぎ、手だけを布団から出してアラームを消した。暫く布団の中で蹲っていたが、頭が覚醒した樹は、直ぐ様、飛び起きた。掛け布団を畳み、シーツを綺麗にシワ伸ばしした後、ハクに作り置きしておいたご飯を軽く温めてから食べさせ、自身も軽くご飯を摘んだ。結局、ワイシャツのままで寝てしまったので、それとスラックスを脱いで、細身のジーンズとVネックシャツを着た。
「……あれ?」
着替えた後、なんだか違和感を感じた。四月に入り、日中はだいぶ暖かくて過ごし易くなったのに、今日は肌寒く感じる。カーテンを開けてみたが、太陽がしっかりと昇った良い天気だった。疑問に思いながらも、今日の花見で使う弁当箱やシート、小型クーラーボックスの準備をした。
「――では、お弁当を作りましょうか。」
「はいっ。」
十五時になり、樹の部屋に智里がやって来た。そして、昨日下準備しておいた物を冷蔵庫から出し、調理にかかった。
「唐揚げは、片栗粉でしたよね。」
「はい。汁気を軽く切って頂いて、余分な粉は叩いて落としてしまった方が、サクッと揚げれますよ。一度目は一六〇度。三分位網の上で休ませたら、二度目は一九〇度で揚げて下さい。」
「分かりました。」
隣でテキパキと唐揚げの準備をしていく智里を横目で見守りながら、樹はおにぎりを握った。本当なら太巻きでも良いと思ったが、今回はバリエーション豊かにしてみたかったので、おにぎりにした。ボウルにご飯を入れ、スーパーで見つけた桜の塩漬けをお湯に浸けて軽く塩抜きし、細かく刻み、湯掻いた枝豆と入れてよく混ぜる。
「もう一つは、荒微塵切りにした菜の花と桜エビ、塩昆布と、麺つゆで味付けしておいた天かすを混ぜた物っと。そして、筍の混ぜご飯っ。」
春の食材を使った混ぜご飯が俵形のおにぎりになり、次から次へと皿に並べられる。興が乗った樹の手にかかれば、五合炊いていたご飯も、あっという間に空っぽになってしまった。
「わぁ、彩りも良くて、気分が上がりますね。」
「ふふっ、そうですね。おっ、そちらの唐揚げも良い感じに揚がってますね。」
「はい。これで一度目は最後です。」
智里の手元を見ると、揚げ上がった唐揚げが、油切りの網の上で未だジュワジュワと音を立てていた。醤油の香ばしい香りの所為で、口の中に涎が溜まってきた。だが、これは夜のお楽しみ。樹は必死になって邪念を打ち消そうと頭を振った。すると、口元に熱を感じた。見遣ると、智里が唐揚げを一つ樹の口元に持ってきていたのだ。
「あ、あの……っ!?」
「ほら、あーんして下さい。」
「えっ!?」
「あーん。」
初めてではないにしろ、こんな狭い所でされると流石に戸惑いを隠せない。真っ赤になりながら、どうしたら良いのか頭をフル回転させて考えていると、智里が更に詰め寄ってきた。壁に追いやられ、逃げ場を失ってしまった樹は、頭が混乱してきた。
「味見ですよ、樹さん。はい、あーん。」
「あ、ああ、あーん……。」
恥ずかしさでどうにかなりそうなのをグッと堪えて、樹は差し出された唐揚げを頬張った。少し冷めた唐揚げは、未だ未だサクサクで、噛む度に、味と鶏肉の甘味が肉汁と一緒にジュワッと広がった。しっかりと噛み締め、飲み込む。
「どうでしたか?」
至近距離で覗き込む様に見上げてくる智里に、感情が昂る。樹は、智里の両肩をガッチリと掴むと、シンクへと智里を追いやった。突然の事に戸惑っていると、肩を掴んでいた手が離れてシンクを掴み、板挟み状態になっていた。
「いっ……。」
「……智里さん……。」
恐る恐る見上げてみると、樹はいつもの困った様な表情をしているのではなく、顔を赤らめながらも何処か苦しそうに顔を歪めていた。心なしか、息も荒い。いつもと違う雰囲気に、ドクンッドクンッと心臓が大きく波打った。
「あ、の、樹、さ……。」
「はいっ、お返しですっ。」
「むぐっ!?」
不安で押し潰されそうになっていたら、樹が智里の口におにぎりを当てがった。そのままモゴモゴと口を動かし、おにぎりを食べる。桜の香りと枝豆の食感が口の中を満たしてくれる。ゴクンッと飲み込むと、樹が歯を見せながら笑った。
「これで、おあいこですよ。唐揚げ、美味しかったです。二度揚げ、頑張って下さいね。」
「は、はいっ。ありがとう、ございます……。おにぎり、美味しかったです。」
「それは良かった。さぁ、残りも作ってしまいましょう。」
何事も無かったかの様に、また調理に戻った樹。そんな横顔に少しモヤモヤしながら、智里も隣に立って、調理を再開した――。
「――……さて、公園に行きましょうか。」
あれから一時間後。全部の食材を調理し、お重に入れ、花見弁当がなんとか完成した。保冷剤を挟みながらしっかりと風呂敷で包み、クーラーボックスに飲み物を入れ、用意していたシート等の荷物を持った。
「はいっ。楽しみですね。」
ワクワクしながら、玄関の扉を開ける。だが、目の前の光景に、二人して唖然とした。ザーッザーッと、バケツをひっくり返した様に勢いよく降っている雨。電線がユラユラと揺れ、ご近所の家に植えられている木が、強い風によって薙ぎ倒されそうになっている。その様子を呆然と見ていると、隣の部屋から大家が出て来て、こちらにやって来た。
「あらまぁ、二人して出掛ける所だったの?」
「あ、えっと……。」
「でも、見ての通り、今日は春の嵐。出掛けるのは、また今度にしときなさい。あぁ、危ないだろうから、窓ガラスとか補強しときなさいよ。もし、何かあったら、直ぐに連絡ちょうだい。馴染みの修理業者に話つけてあげるから。」
「はい……。分かりました……。」
大家と分かれて、樹は扉を閉めた。扉越しでも分かる位、風の音がおどろおどろしい。折角履いた靴を脱ぎ、リビングへ戻った。ヨロヨロとTVのリモコンを手に取り、TVを点けると、丁度ニュースをしていた。それも、樹達が行こうとしていた公園からの生中継だった。
「――夕方までは快晴だったのですが、そこから天気は急変し、今は雨風吹き荒れております。花見をしていた人達も、直ぐに帰っていき――……。」
未だリポート中だったが、樹は電源を落とした。そして、がっくりと項垂れ、床に座り込んだ。
「……なんで、こんな時に……。俺、何か悪い事した……? あ、したなぁ……。これは、その、天罰……。」
ブツブツと呟く樹に、智里はどう声を掛けてあげれば良いのか迷った。先週から楽しみにしていて、昨日の晩から下準備し、折角二人で作った花見弁当なのに、肝心の桜を見る事が出来ない。どうしようと悩んでいたら、部屋のインターフォンが鳴り響いた。こんな時に誰だろうと思ったが、魂が抜けた様にフラフラと玄関に行こうとする樹を見て、智里は「私が代わりに出ますっ。」と、樹をもう一度座らせてから、玄関へ向かった。
「は、はいっ。どちら様でしょうか?」
「あ、もしかして、前田さん? 司です。」
そう言われて扉を開けると、びしょ濡れになっていた司が困った顔で立っていた。その後には、女の子が司のスラックを掴みながら顔を半分だけ覗かせながら立っている。
「……りっちゃん?」
「あ、お姉さん……!!」
「あれ? 莉乃、前田さんの事知ってたの?」
バレンタインの時、一緒にトリュフを作ったのをしっかりと覚えている。その事を伝え様とした時、莉乃が小さくクシャミをしたので、智里は直ぐに二人を部屋へ入れた。そして、お風呂の自動湯沸かしのスイッチを入れ、急いでバスタオルを取って二人に渡した。
「――いやぁ、又従姉妹の莉乃が遊びに来ていたついでに花見をしに行ってまして。その帰りに、先輩の家に寄ろうとしたら、急に降られてしまいまして……。」
「それは災難でしたね。私達も、今から夜桜見物に行こうとしてたんですが……。」
コーヒーとホットミルクを司と莉乃に渡しながら、台所からチラッとリビングの方を見遣ると、未だ意気消沈している樹が居た。それを見て察した司は、「……残念でしたね……。」とコッソリ言った。苦笑いをしていると、スカートが引っ張られた。見ると、莉乃がモジモジしていたので、何か話があるのだと感じた智里は視線を合わせる為、屈んだ。
「……お姉さん。」
「どうしたの? りっちゃん。」
「コレ、あげる。」
マグカップを片手に持ちながら、智里に桜柄の巾着袋を渡して来た。智里が受け取ると、莉乃は直様、司の後に隠れてしまった。打ち解けれたと思っていたが、未だ恥ずかしいらしい。だが、そんな事気にしない智里は、ニッコリと微笑んだ。
「ありがとう、りっちゃん。開けても良い?」
そう聞くと、莉乃は顔を半分だけ出して、高速で顔を縦に振った。それを見てから、智里は巾着袋の紐を解いた。そこには、桜を模った練り切りの詰め合わせがあった。
「わぁ、可愛いっ。どうしたの、これ?」
「おじいちゃんが、花見にってくれたの。」
「祖父が和菓子屋なんです。それで貰ったんですが、色々とお世話になっていたので、そのお礼も兼ねて先輩達の分も貰ったんです。」
司の言葉に、樹は人と人の繋がりを大切にする人で、それに少なからず導かれる人が居るのだと、再確認した。その事が嬉しくなり、智里は口元に弧を描きながら、練り切りが入った箱を大事に抱き締め、莉乃の頭を撫でた。
「ありがとう。私も嬉しいけど、あっちでしょぼくれてるお兄さんも、きっと喜ぶよ。」
「えへへっ。良かった。」
「では、渡せた事ですし、私達は失礼しますね。」
そう言って、バスタオルを丁寧に畳直し、智里に渡した。お風呂を沸かしていると言ったが、どうせまた濡れるから大丈夫と司に諭されてしまい、何も言い返せず、司が出ようと扉を開けたのを見ていたーーが、直ぐに扉が大きな音を発てて閉まってしまった。全員がビックリして、互いの顔を見遣った。司がもう一度、扉を開けようとドアノブを捻り、扉を押した。
「……開かない。」
「えぇっ!?」
嫌な汗が、全身から噴き出た瞬間だった――。
続きます。




