三十一食目 お花見弁当は、今日も桜前線真っ最中(前)
「――……ただいま関東の方では、桜が満開となっており、連日、花見客で賑わっております。」
歯磨きをしながらニュースを見ていると、桜の話題になった。そう言われてみると、ハクの散歩コースでもある公園は、桜で色付いていた。芝生にシートを敷き、家族連れで花見をしていたり、会社の社員達で盛り上がっている所もあった。
「……花見かぁ……。」
新入社員も入り、新年度になって色々と忙しく走り回っていて、精々ハクと散歩しに行った時位に見る位で、ゆっくりと食事しながら花を愛でる時間も無かった。智里も、二年生に上がって実習や座学が難しくなり、バイトも今が繁忙期らしく、最近はなかなか一緒に居れる時間も取れない状況だ。樹はテレビの電源を落とし、洗面台に向かった。
「今日辺り、聞いてみるか……。」
鏡の前できちんと身なりを整え、台所のシンクの上に置いておいた一人分の弁当箱を保冷バッグに入れて持ち、通勤鞄を小脇に挟んだ。そして、革靴を履いて玄関の扉を開けた。先にリードを繋いだハクを廊下に出し、その後から自身も出た。すると、タイミング良く隣の扉も開いた。
「あ、おはようございます。」
「おはようございます。時間ピッタリですね。」
「ふふっ、だって今日は、ハクちゃんと一緒にお出掛けするので、寝坊なんて出来ないですよ。」
互いに鍵を閉めながら、挨拶を交わした。そう、今日は、樹は出勤日、智里は休日なのだ。社会人と学生で、休日が合わないのはしょうがない事。樹は何度も自身に言い聞かせてはいるが、やはり一緒に過ごせないのは寂しいものは寂しい。なんなら今からでも有休を取りたくなるが、この忙しい時期に取ろうものなら、本気でクビを切られそうなので、言い出せない。
「では、宜しくお願いします。」
「任せて下さい。」
分かれ道の所で、樹は智里にハクを繋いでいるリードを渡した。やる気満々の智里に、ハクは嬉しそうに尻尾を振りながら、「早く行こうっ!!」と言わんばかりに忙しなく辺りをウロウロしていた。そんな光景が微笑ましく見えた樹は、そのまま遠くなっていく智里達を見送ろうとしていた。
「あっ、おはようございます。片岡先輩。」
「っ!? ……つ、司さん!? お、おはようごじゃ、ございましゅっ。」
「あははっ、どんだけビックリしてるんですか。」
完全に惚けている時に声を掛けられたので、樹の心臓が口から出てしまう位に飛び跳ねた。だが、その事で、言いたかった事を思い出し、智里に向かって叫んだ。
「ち、智里さんっ。次のお休みの日、一緒にお花見しませんかっ!?」
普段からは想像がつかない位、大きな声が出た。周りの通行人達が、何だ何だとざわつきながら樹を見る。言った後に、自身が何気に人前でデートに誘っている事に気付き、全身が熱くなった。やってしまった感に襲われた樹は、智里の返事を聞くよりも先に走って行ってしまった。あっという間に小さくなってしまった樹の後ろ姿を司は眺めていた。
「……わぁ、早いなぁ。」
「あ、あの、いつ……片岡さんと同じ会社の方、ですよね?」
走って来たのだろう、智里は小脇にハクを抱えながら息を切らせつつも、司に問い掛けた。司はポカンとその様子を見ていたが、智里が困った様に見上げてきて、漸く我に返った。
「え、えぇ、そうです。片岡先輩の彼女さん、ですよね? 先輩には、いつもお世話になっています。」
「いえ、とんでもないですっ。て、私、会社の方にも認知されているんですか!?」
顔を赤くさせながら、どうしようと慌てている。だが、司から言わせてもらえば、結構な頻度で色んな社員と出会っているし、会社の方にも何度か顔を出しているので、皆が皆、智里が樹の彼女だと分かっている。だが、敢えてその事を司は口にしなかった。
「……まぁ、自然と判明したと言いますか……。」
「!! は、恥ずかしいっ……。」
湯気が出そうな勢いで更に顔を赤くさせ、両手で頬を挟んで恥ずかしがる。きっと、この表情に樹はやられたんだなと、司は悟った。だが、そろそろ行かないと出勤時間に間に合わなくなるので、司は一つ咳払いをし、話を逸らす事にした。
「あー、えっと、それで、私に何か用事があったのでは?」
「あっ!! そ、そうでしたっ。あのっ、片岡さんに伝えてもらいたいのですが、大丈夫ですか?」
「ええ、勿論です。」
「ありがとうございますっ。えっと、「次のお休みは、来週の金曜日です。」とお伝え下さい。」
「来週の金曜日がお休みですね。分かりました。責任を持ってお伝えしておきます。」
「宜しくお願いします。」
お互いに頭を下げてから、智里は散歩へ、司は会社へと向かった。道中、司は、先程までのやり取りを思い返していた。人通りの多い所で、大きな声で花見デートに誘う樹。だが、誘っておきながらも気恥ずかしくなってしまい、返事を聞く間も無く走り去ってしまった。そして、走ってまで来た智里。司の言った事に、ビックリしたり顔を赤らめたり、恥ずかしがったり……。
「……はぁ、俺も「恋」したくなるわ。」
二人のやり取りが初々しくて、少し羨ましくなった司だった……――。そして、日は流れて次の週の木曜日――。
「よし、後は鶏モモ肉と、卵と……。あ、果物も買わないと。」
樹はあの日、会社に着いた後、司から智里の伝言を聞き、早急に有休を取った。去年の有休が殆ど消化されていなかったのと、連勤が続いていたので、岡本の計らいで、なんとか繰り越して使わせてもらえた。樹は、会社帰りにスーパーへ行き、明日の花見弁当の為の食材調達をしていた。
「楽しみだな……。」
智里の喜ぶ顔を思い浮かべると、仕事終わりで疲れていても自然と足取りも軽くなり、ウキウキが止まらなくなる。会計を済ませ、エコバッグを片手にアパートへと帰った。
「――あ、お帰りなさい。」
「アオンッ。」
「ただいま帰りました。」
自室に戻ると、智里とハクが出迎えてくれた。今夜は、樹の部屋で夕食を摂った後、花見弁当の下ごしらえを一緒にするのだ。部屋の奥へ進んでスーツを脱ぎ、鞄を机に置いていると、なんとも食欲をそそられる優しい香りがした。
「今日は少し肌寒かったので、煮込み料理にしてみました。」
「美味しそうですね。」
ネクタイに手を掛けていると、グギュルルルと盛大に腹の虫が鳴いた。樹自身のでは無い。となると……と、智里を見ると、顔を真っ赤にさせながら、俯いていた。そんな可愛らしい反応に、樹はクスッと笑いながら智里が持っていたお盆を持った。
「さぁ、温かい内にいただきましょう。俺の腹の虫も、待ちきれないみたいなんで。」
「は、はいっ。いただきましょうっ。」
ハクの分の配膳も済ませ、そそくさと自分達の席に座る。そして、一緒に手を合わせた。
「いただきます。」
「いただきます。」
「ワンッ、ワンッ。」
智里が作った夕食を食べながら、全然出来ていなかった最近の事を互いに話した。入学式、入社式、歓迎会、新事業等々……。兎に角、話題が尽きる事が無かった。それだけ、互いに忙しいという事なのだが、笑い合えるのがなにより嬉しかった。暫くこの時間を堪能した二人は、皿を空っぽにさせた後も、片付けをしながら談笑していた。そして、ひとしきり話した後、エコバッグに入れていた食材を取り出し、台所に立った。
「――さて、始めましょう。花見弁当の下ごしらえを。」
「はいっ。」
「スプーッ……スプーッ……。」
只今、深夜零時。ハクはソファーの上で仰向けになりながら、舌を出して眠っていた。二人はハクを起こさない様に、静かに作業を進めた。
「先ずは、漬け込む物をしましょうか。唐揚げと、鰤の照り焼きと……。」
「任せて下さいっ。この保存袋に、それぞれ醤油、酒、砂糖、唐揚げの方には、生姜とニンニクの摺り下ろしとマヨネーズを。照り焼きには味醂を入れて、揉んで混ぜ合わせる。」
「鶏肉は削ぎ切りしておきましたので、入れて下さい。鰤は塩を振りましたので、三十分位したら洗って水気を切ってから漬け込んで下さい。」
「分かりました。」
テキパキと作業をこなしていく。それも、お互いを邪魔せず、それぞれの作業をしながらも、すかさずサポートをしている。まるで、長年連れ添った相棒の様だった――。
「――ふぅ、大方出来ましたね。」
午前一時過ぎ。カウンターには、料理名を書いた沢山の保存袋と小皿が並んでいた。これを見て、ハクの分も合わせてだが、流石に作り過ぎたかと樹は思ってしまった。
「ふふっ、どれも楽しみだなぁ。」
だが、隣で嬉しそうにしている智里を見ると、作った甲斐が有ったとも思えて来た。保存袋と小皿を冷蔵庫に仕舞い、台所を綺麗に片付けた。
「……さて、お花見は夜なので、しっかりと休みましょう。お疲れ様でした。」
「はいっ。ありがとうございました。では、また十五時頃に伺いますね。」
「分かりました。では、お休みなさい。」
「お休みなさい。」
智里は、夕食で使っていた鍋を持ちながら、自身の部屋へと帰って行った。智里を見送った後、扉を閉め、しっかりと施錠した樹は、玄関の所でズルズルと崩れ落ちた。先程までは大丈夫だったのに、今になって顔が熱くなってきた。両手で抑えているが、口元がニヤけてしょうがない。
「――……っ、あぁ、もう……。楽しみ過ぎるんだけど……。」
早く十五時にならないかな……と、腕時計を見ては思いを馳せていた。そんな樹の様子をハクが首を傾げながら寝ぼけ眼で見ていた事など、当の本人は知るよしも無かった――。
長いので、区切ります。




